不条理み○きー

当面、きまぐれ一言法師です

「走る・・・」

2005年05月01日 23時54分06秒 | Life

 その朝。
 空は澄み渡り、散歩には最高の日だった。
 まだ、世間が目覚めるには、多少早い時間。
 しかし、「彼」にとっては、毎日、束縛から解消される、待ち遠しい時間であった。

 やがて、いつも「彼」を束縛から解き放つ足音が聞こえてくる。
『はやく!はやくして!はやく!』
「彼」は、興奮して、息遣いも荒くなる。

 その人は、いつもの様にゆっくりと「彼」に近づき、そして、いつものように「束縛」を解き放った。

『自由だ!自由!
 走る!走れる!走るぞ!』

「彼」は、いつものコースを、一目散に駆け出していった。

 思えば、最初に飼われていた環境は、つまらなかった。
 家からは殆ど出してもらえず、こんなに走り回れる場所は無かった。

 だけど、今は違う!
 走れる!思いっきり!風を切って!

「彼」は、いつもの「確認ポイント」を正確に回り、匂いを嗅ぐ。
 よし、不審な匂いなし!
 確認しながら、「彼」は念のためにマーキングを行う。

「彼」のコースは、道の通りではない。
 途中から、周囲の藪に分け入って、丹念に見て回る。
 決して、人にはたどれない道。
「彼」だけが知っている道。
 だからこそ、「開放」してもらわなければならないのだ。

 彼のコースは小高い丘になっており、その頂上には、お地蔵さんが2体祭られている。
 中央には、大きな椎の木が茂っていて、周りをぐるりと石造りの欄干が取り囲んでいる。
 藪伝いに頂上に飛び出した「彼」は、そこで歩調を緩めて、とことことまるでお地蔵さんを参拝するかのようにゆっくりと確認する。
 これが、「彼」の「縄張り」の最終地点なのである。

 まだ、ここに来て間もない頃は、無謀にも遠くに出かけて、帰れなくなった事もある。
 挙句に、人気の無い用水に落ちて、絶命しかけた。
 たまたま、近所の知り合いが通りかかって、「彼」の主人に知らせてくれなければ、「彼」の命は、その時に消えていただろう。

 また、「彼」の「縄張り」に入り込んだ「流れ者」に襲われ、重傷を負った事もある。
 その時は、「彼」の帰りの遅いことに気づいた主人が、ここまで探しに来てくれた。

 それ以来、「彼」は、ここを越えて前には進まない。

『さて、今日も事も無しだ』

 適度に体も動かせたし、排泄も済んだ。
 そろそろ、あの「解き放つ人」が、美味しい食事を用意しているに違いない。
 
『帰る!帰ろう!』
 そして、「彼」は、走り出した。
 お地蔵さんから下る石段を駆け下り、山道とも見まがうばかりの参道を駆け下りる。
 
 下りだし、いつも走っている道。
 不審な気配も、気になる侵入者もなかった。
『走れ!走れ!』

 後、数分駆け抜ければ、「彼」の家にたどり着く。
 美味しい食事が待っている。
 いつも通っている道、「彼」の家へと続く道。
 
 しかし・・・その日
 その道は、「彼」の家までは続いていなかった。

 ズキン!

 不意に、激しい動悸が「彼」を襲う。
 目の前も、急に暗くなる。
 足ももつれて、倒れそうになる。

 しかし、「彼」は歩みを止めない。
 人ならぬ「彼」は、自分を襲った悲劇を理解しない。
 ただ、彼の心にあるのはただひとつ。

『帰ろう!帰る!あの場所へ・・・あの人たちの所へ』 

 だが、既に「彼」には、その力は残っていない。

 ズキン!

 もう一度、激しい動悸が「彼」を襲う。
 そして・・・「彼」は、目の前が真っ暗になり・・・

『帰る・・・帰りたい・・・』










 祖母が、倒れている「彼」を見つけたのは、朝10時ごろの事です。
 いつも、朝、5時過ぎに起きる祖母が、鎖をはずすと、「彼」は一目散に散歩に出かけ、約1時間、裏の丘の周囲をぶらついて帰ってくるのが日課でした。

 しかし、その日は、朝9時を過ぎても帰らず、10時になって痺れを切らして探しに出かけた祖母は、直ぐに「彼」を見つけました。

「彼」は、家までホンの数メートルの所で絶命していました。
 そこは、「彼」が始めてこの家に来た日に繋がれていた「桃の木」の下でした。

「彼」の顔は、特に苦しんだ風も無く、静かに目を閉じていました。
 そして、「彼」の脚は、まるで走っているまま倒れたかのような形で硬直していました。

 心臓の発作だったようです。
 藪の中で倒れていたら、おそらく見つけるのは難しかったでしょう。
「彼」が、倒れそうになりながら、ここまで来たのか、それとも、いつも「参拝」していたお地蔵様が、「彼」の命の火が消えるのを、ここまで持たせてくれたのか、それは解りませんが。
 
 その日、家に居た家族全員で、「彼」にこう言いました。

「おかえり。 よぉ頑張って、帰ってきたね。」

 そして、「彼」は、「桃の木」の下に埋められました。
「彼」の名前は、「ぴー」。雑種。10歳になった位でした。

 ・・・丁度、27年前と一日前の話です。
 まだ、人におおらかさがあり、野山に囲まれた社宅に住んでいた頃の出来事です。
  今は、その丘も藪も、「ぴー」の埋められた「桃の木」も開発で無くなりました。
  ただ、跡地には「お地蔵様」だけが、祭られていて、いまでもあの時と同じ笑顔で迎えてくれます。

 合掌

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
泣いちゃった・・・ (お玉)
2005-05-02 10:16:28
ぷよぱぱさん



このピーちゃんって、もしかしてこの前の動画の子犬

なのでしょうか。

走る犬、彼の目線による描写に深い愛情を感じました。
返信する
ありがとう (ぷよぱぱ)
2005-05-02 13:17:19
★お玉さん

 泣いてくれてありがとう。

 ぴーも、喜んでいると思います。

 動画の子犬は、ぴーの先代です。

 あの子の話は、また、別な折に。

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