1963年
33年、広島に山本文男という少年が入団したのをご存知の方もいるだろう。観音崎中でエースだった山本の球はプロに入っても速かった。キャンプで当時の四番小鶴をキリキリ舞いさせ、白石監督に買われて第一線に加えられた。公式戦でも巨人を相手に好投、父役有名になったが、結局はプロの激しい練習にからだがついていけず、早々に肩を痛め、回復しないまま、35年に広島を去っている。「入団したてのころはタマが走ったし、これならいけると張切った。ところが練習は日を追ってキツくなった。疲労で体がクタクタになり、それでもムリをして投げたのが悪く、肩を痛めた。治療したが、体が成長しないうちに痛め、悪いまま固まってしまったので、結局なおらなかった。体が完全にできていきないのにプロに入ったのが間違いでした」と、山本投手は言う。
33年、広島に山本文男という少年が入団したのをご存知の方もいるだろう。観音崎中でエースだった山本の球はプロに入っても速かった。キャンプで当時の四番小鶴をキリキリ舞いさせ、白石監督に買われて第一線に加えられた。公式戦でも巨人を相手に好投、父役有名になったが、結局はプロの激しい練習にからだがついていけず、早々に肩を痛め、回復しないまま、35年に広島を去っている。「入団したてのころはタマが走ったし、これならいけると張切った。ところが練習は日を追ってキツくなった。疲労で体がクタクタになり、それでもムリをして投げたのが悪く、肩を痛めた。治療したが、体が成長しないうちに痛め、悪いまま固まってしまったので、結局なおらなかった。体が完全にできていきないのにプロに入ったのが間違いでした」と、山本投手は言う。