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プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

服部敏和

2023-12-01 13:50:24 | 日記
1969年
近鉄は十四日午後二時から大阪・森の宮の球団事務所で新人選択会議で10位に指名した日本楽器の服部敏和外野手(20)=175㌢、70㌔、右投げ右打ち、立大中退=と芥田球団社長、須古球団部長、父親三保治さん(47)立ち会いのもとに正式契約(契約金五百万円、年棒百二十万円、いずれも推定)のあと入団発表を行なった。背番号は45。服部は静岡高、立大、日本楽器とつねにレギュラーとして活躍、俊足好打の外野手としてプロから注目されていた。静岡高時代は一年の春の選抜大会、三年の夏には選手権大会に三番打者として甲子園に出場。立大進学後の一年の秋から正選手となり、昨年春、都合で立大二年で中退し日本楽器に入社、一番打者、外野手として活躍した。ベース一周14秒1(100㍍11秒8)の俊足。近鉄は外野手の補強をやらない方針だったが、同選手の素質を見込んで活躍した。入団後は手薄な三塁手へコンバートする構想である。


服部選手の話 安井さんのような機動力のある選手を目標にがんばります。キャンプでは確実性のあるバッティングを重点に鍛えたい。

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中川隆

2023-12-01 13:40:24 | 日記
1966年
千葉県市川署は三日午前零時二十分ごろ、東京都調布市小島町5、プロ野球東京オリオンズ記録員、元同チーム投手中川隆(30)をひき逃げの疑いで捕えた。調べだと中川は、二日午後十一時五十分ごろ、千葉県市川市市川3-23-7の県道で乗用車を運転、同市市川南、大木敏治君(16)=千葉商高一年ら三人をはね、大木君は頭や腰に一ヶ月、他の二人には一、二週間の傷を負わせた。中川はそのまま東京方面へ逃げたが、現場近くの山崎パン市川工場内中川征男さん(24)がナンバーなどを同署へ急報、同署の手配で検問中の東京小岩署員が東京都江戸川区一色町1226国道でスピード逮捕した。中川は酔っぱらい運転だった。

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若林淳至

2023-12-01 13:33:38 | 日記
1965年
二十七日からのオープン戦に備えてこの日は紅白戦を中止。レギュラー・バッティングを軽く行なった。若林、米田、井上、清の四投手が登板。中でも左腕若林のピッチングは光っていた。かなりのスピードもあり、カーブのコントロールも非常によくなってきている。野手連はこれにバットが合わず立ちん坊。

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山田裕

2023-12-01 13:25:36 | 日記
1966年
白組は山田裕と岸を打ちあぐみ三回に一点をいれただけ。日下の左前打を長田が後逸して二進したあと近藤昭が三塁強襲安打を放って迎え入れたもの。紅軍の先発山田裕は落ちるスライダーとシュートを駆使して好投した。球威が増して変則的な投法がさらに生きてきたようだ。このキャンプで自信をつけているので今シーズンは働きそう。

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須崎正明

2023-12-01 13:20:03 | 日記
1966年
サンケイアトムズの須崎正明選手は、二日午後二時から東京・神田一ツ橋の「如水会館」で、長野市南石堂町、崎村忠三久(みねむら・ちゅうさく)氏の次女、弘子さん(25)と結婚式をあげた。晩酌人は友田信球団社長夫妻。新居は横浜市鶴見区下木吉町「喜楽荘」。


須崎選手の話「ことしはキャンプイン前に足を痛めて、調整がおくれてしまった。これを機会にがんばり、レギュラー選手になれるように努力します。うれしいという気持ちより、責任感でいっぱいです」

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