1969年
近鉄は十四日午後二時から大阪・森の宮の球団事務所で新人選択会議で10位に指名した日本楽器の服部敏和外野手(20)=175㌢、70㌔、右投げ右打ち、立大中退=と芥田球団社長、須古球団部長、父親三保治さん(47)立ち会いのもとに正式契約(契約金五百万円、年棒百二十万円、いずれも推定)のあと入団発表を行なった。背番号は45。服部は静岡高、立大、日本楽器とつねにレギュラーとして活躍、俊足好打の外野手としてプロから注目されていた。静岡高時代は一年の春の選抜大会、三年の夏には選手権大会に三番打者として甲子園に出場。立大進学後の一年の秋から正選手となり、昨年春、都合で立大二年で中退し日本楽器に入社、一番打者、外野手として活躍した。ベース一周14秒1(100㍍11秒8)の俊足。近鉄は外野手の補強をやらない方針だったが、同選手の素質を見込んで活躍した。入団後は手薄な三塁手へコンバートする構想である。
服部選手の話 安井さんのような機動力のある選手を目標にがんばります。キャンプでは確実性のあるバッティングを重点に鍛えたい。
近鉄は十四日午後二時から大阪・森の宮の球団事務所で新人選択会議で10位に指名した日本楽器の服部敏和外野手(20)=175㌢、70㌔、右投げ右打ち、立大中退=と芥田球団社長、須古球団部長、父親三保治さん(47)立ち会いのもとに正式契約(契約金五百万円、年棒百二十万円、いずれも推定)のあと入団発表を行なった。背番号は45。服部は静岡高、立大、日本楽器とつねにレギュラーとして活躍、俊足好打の外野手としてプロから注目されていた。静岡高時代は一年の春の選抜大会、三年の夏には選手権大会に三番打者として甲子園に出場。立大進学後の一年の秋から正選手となり、昨年春、都合で立大二年で中退し日本楽器に入社、一番打者、外野手として活躍した。ベース一周14秒1(100㍍11秒8)の俊足。近鉄は外野手の補強をやらない方針だったが、同選手の素質を見込んで活躍した。入団後は手薄な三塁手へコンバートする構想である。
服部選手の話 安井さんのような機動力のある選手を目標にがんばります。キャンプでは確実性のあるバッティングを重点に鍛えたい。