プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

石山一秀・斎藤英雄・三宅成幸

2023-12-23 21:51:26 | 日記
1970年


近鉄は十九日午後三時から大阪東区森ノ宮の球団事務所でつぎの三選手の入団を発表した。
石山一秀捕手(19)=174㌢、74㌔、右投げ右打ち、平安高出
斎藤英雄投手(20)=176㌢、70㌔、左投げ左打ち、サッポロビール、小倉工出
三宅成幸内野手(22)=178㌢、76㌔、右投げ左打ち、氷上農高出。


石山は昨年春平安高を卒業したが、韓国籍のため一年間、近鉄の球団職員の資格で練習に参加していた異色選手。ドラフト五位で指名され待望のプロ入り。「はじめ泣いてもいいから、あとで笑えるように」と熱っぽく決意を語っていた。斎藤は八位で指名された。四十一、二年夏の甲子園大会に小倉工高の投手兼外野手として出場、ノンプロ、サッポロビールでも切れのいい速球は評判が高かった。三宅は昨年十一月の公募テストで百人の応募者の中からただ一人残ったテスト生。

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後藤祝秀

2023-12-23 21:38:40 | 日記
1980年
中日がドラフト2位指名で獲得した本田技研の後藤祝秀投手(20)=192㌢、89㌔、右投げ右打ち=の入団発表が十三日午後三時から、名古屋市中区栄、中日ビル内「中日パレス」で行われた。父親菊太郎さん(45)、母親清美さん(42)とともに、今季のドラフト組のトップを切って晴れの舞台に立ったチーム一のジャンボ君は「やがて小松投手の150㌔に挑戦したい」と体にふさわしくデッカイ抱負を述べた。なお、契約金は二千八百万円、年棒は三百六十万円。


「中川専務!イスの上に乗った方がいいじゃないですか」ユニホーム姿の後藤とポーズ写真を頼まれた中川専務に、こんな同情の声が飛んだ。それほど、このジャンボ君はデッカイ。無理もない。192㌢の偉丈夫だ。ジャンボと異名をとる堂上よりも9㌢、チーム最長の島田、志賀よりも8㌢高いのだ。「まず球団史上でトップだろう」と球団関係者が言うように、外人を除けば記録的なノッポ。リーグでも今季ヤクルト入りした宮城(横浜商)の193㌢に次ぐ長身だ。その偉丈夫が精かんなマスクをキュッと引き締めてプロ第一声だ。「小さいころの夢が実ってうれしい。一日も早く一軍へ上がって投げたいと思います」月並みな答弁はこれまで。話題の速球に話が移ると、ためらいがちながらも「速球でバッタ、バッタ三振が取れる投手になりたい。腕をみがいて、小松投手の150㌔に挑んでみたい」とキッパリ。田村スカウト部長代理によると「メチャクチャ球が速い」というその武器の速球は146㌔。まだ二十歳で伸びる可能性は十分。とすれば小松投手とのスピード比べも夢物語ではない。この魅力が、実績もなく、中央では無名の後藤を2位指名した理由。


香川県の出身。中学から本格的に野球を始め、丸亀商三年のとき(52年)春の選抜で甲子園の土を踏んだ。「エースとしてではなく、ちょっと投げただけ」というが、その思い出は今も鮮明に残っている。その大会には中日の小松辰も出場しており「顔は合わせたことがある」程度の接触はある。本田技研には二年いた。知名度は高くないが、スカウト仲間では注目されていた本格派。「好きな投手は江夏さん。尊敬する人は沢村栄治さんです。僕はこの二人に少しでも近づきたい」と、ズバリ自信のある速球で勝負する投手を目指している。もの静かで、おとなしそうに見えるが、清美さんによると「明るく、暴れん坊だった」とか。入団交渉のため香川から出てきた両親は「本人の夢がかなったわけですから、とにかくがんばってほしい」と息子を激励していた。なお、正式契約は十三日名古屋で行われる。


1982年


1㍍92の長身後藤は、直球のスピードはもう一つだが、スライダーとフォークボールがよく、何より球が低めに集まるのがいい。先発ローテーションに入りそうだ。

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木村義光

2023-12-23 21:10:12 | 日記
1970年
アイヌの木村こと木村義光さん(38)=元高橋ユニオンズ、北海道旭川在住=が、陣中見舞いにひょっこり県営球場を訪れた。和歌山県白浜で開かれているアイヌ展の合い間をみてわざわざ広島まで足を伸ばしたもので、自らの手でつくったサケをくわえたクマの彫り物(壁掛け)を贈り「今年はいい成績をあげてください」と根本監督を激励した。これには同監督も大いに感激していた。

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花田敏郎・上薄淳一

2023-12-23 21:02:54 | 日記
1969年
午後三時から福岡市天神の球団事務所でドラフト指名7位の花田敏郎投手(18)=178㌢、76㌔、右投げ右打ち、川内実=と指名九位の上薄淳一内野手(18)=182㌢、72㌔、右投げ右打ち、川内実=の正式入団発表を行った。花田は鹿児島県下きっての本格派党首で上からの速球とカーブで今シーズン25勝5敗の好成績。打っても主力打者として活躍・346、ホームラン7本を記録した。また上薄は攻守のバランスがとれた大型内野手で、今シーズンは打率・308(107打数33安打、ホームラン4本、打点25)をマークしている。

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中田宗男

2023-12-23 16:45:02 | 日記
1978年
中日からドラフト外で獲得交渉を進めていた首都大学リーグのエース、日体大中田宗男投手(22)=1㍍78、73㌔、右投げ右打ち=の入団が三十日決まった。


中田投手は大阪府和泉市出身で、上宮高時代の二年生から投手、日体大では四年間で24勝9敗、防御率も1点台で首都の星と騒がれていた。東海大の原、津末といったスラッガーを手玉にとる小気味よいシュートと素質にほれ込み、服部スカウトが、日体大上平監督、本人にアタック、交渉を続けていた。この日午後二時から大阪・梅田の「ホテル阪神」内の料理店に本人と上平監督、父宗七郎さん、母綾子さんを招き、服部スカウトが約二時間半にわたって話し合った結果、中日側の提示した契約金一千八百万円、年棒二百二十万円を快諾、中日入りが決まった。学生服姿の中田は、話が決まってさわやかな笑顔。「プロへ入るなら中日か阪神と思っていた。好きな球団でうれしい。あせらずに一から勉強したいと思うが、早く一軍で投げたい。目標は強気なところが大好きな星野仙さんです」とキッパリ言い切った。服部スカウトも「切れのいいシュートはプロでも十分いける。早ければ来シーズンからでも一軍で投げられる」と目を細めていた。なお、一日午後、球団事務所で契約し正式発表される。

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古川明

2023-12-23 16:23:33 | 日記
1969年
今年六月からバッティング投手として練習生待遇だった古川明投手(23)=180㌢、70㌔、右投げ右打ち、銚子商出=を正式に入団させるため、統一契約書を郵送してたが、同投手からサインをした契約書が返送され、正式にロッテの一員として登録されることが決まった。同投手は六月、バッティング投手の公募に応じ合格。一軍の打撃練習用の投手としてチーム打率・260に大きく貢献、今秋の教育リーグでゲームに初めて登板、対巨人戦2イニングの好投(勝利投手)が認められたもの。

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倉田邦房

2023-12-23 16:10:38 | 日記
1982年
ルーキー倉田がオープン戦初登板、六、七回の2イニングを完ぺきに抑え、勝利投手になった。ロッカー室で着替えながら「初めてなので緊張しました」と言ったとたん、たまたま居合わせた大島、中尾らが声をそろえて「ウソつけ!」。このルーキー、マウンドでのポーカーフェイスぶりは、チームでも有名になってしまっているのだ。ひょうひょうとした態度で2イニングの間に三振3を奪う好投は新人離れ。が、インタビューはルーキーらしく「ボクが抑えられるとは打者の調子が出ていないからでしょう。もっとカーブ、フォークのコントロールをつけないとー。それが課題です」

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矢嶋勝彦

2023-12-23 15:59:24 | 日記
1969年
矢嶋勝彦内野手(26)の退団が決まった。ノンプロ東京日産から近鉄入りしえ三シーズン、小柄だが俊足好守の内野手だった。今シーズンも代走、守備固めに60試合に出場しているがバッティングがのびないところから自信を失い退団を決意したもの。球団では任意引退選手扱いとして矢嶋はサラリーマンに転身する。


矢嶋選手の話 プレーに自信を失った。今後はサラリーマンになって出直します。

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矢ノ浦国満

2023-12-23 15:44:21 | 日記
1964年
近鉄矢ノ浦国満選手(22)と丸福金網社長林忍さん二女映子さん(22)=樟蔭女子大卒=の結婚式が十二日正午から大阪市北区の新大阪ホテルで行われた。仲人は山中文和氏(山中大仏堂社長)夫妻。厳粛な挙式のあと二時半から三階式場で披露宴に移ったが、近鉄球団から永江社長、別当監督のほか藤井寺球場でキャンプ中の主力選手のほとんどが出席した。グラウンドの猛者も終始テレっ放し。1㍍以上のウエディング・ケーキを切るときも顔を真っ赤にしていた。同選手はキャンプ中のため十三日を休んだあと十四日からキャンプに参加の予定。

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