1960年
三十日夜、国鉄入りの希望を語った立大・杉本公孝三塁手は三十一日午後三時半から東京都中央区日本橋蛎殻町の大野屋で上京中の父親・慶男氏と約三十分プロ入りについて話し合った。しかし国鉄を希望する杉本選手と広島を推す慶男氏との意見のくいちがいは調整できず、結論はきょう一日に持ちこされた。この日の話し合いで慶男氏は「広島以外のセ・リーグの球団にはいるのなら、いっそのこと広島に気まずい思いをしないようにパ・リーグへ」と杉本選手の説得につとめたが、杉本選手の気持ちを動かすまでには至らなかった。慶男氏の出した案によって本人の希望する国鉄と両親のすすめる広島、パ・リーグなら大毎・阪急の四球団が一応対象になり、杉本選手が姿をみせる前に国鉄・砂押コーチ、阪急・丸尾スカウトが慶男氏を訪れている。しかし杉本自身の気持ちは国鉄以外を考えていないようで、一日夜の話し合いでも杉本の気持ちは動きそうもない。
杉本選手の話「時間がないので、そう突っ込んだ話ができなかったが、僕の気持ちにかわりはない。母にも上京してもらって話し合いたい。そうすれば僕の気持ちをわかってもらえると思う」
父親・慶男氏の話「公孝の国鉄を希望する気持ちは相当強い。私としては仕事の関係から広島をすすめている。家内も広島以外のチームへはいるなら親子の縁を切るとまでいっている。国鉄へはいっては広島でゲームをやるようなとき気まずいことになりはしないかと心配だ。だから国鉄にはいるのならいっそのことパ・リーグの大毎か阪急を選んでもらった方がいいが、どうも気乗りしないらしい。きょうはゲームの前日なので長時間話ができなかった。あすの夜また話し合う。リーグ戦が終るまでには結論にこぎつけたい。もちろん私は広島をすすめ、パ・リーグというのは第二案だ。もうプロの関係者と会う必要はない。あとは親子で話し合うだけだ」
立大の杉本選手が三十一日、本人は国鉄、父親は広島入りを主張、お互いに譲らぬことから親子げんか?にまで発展したという話を聞いて、大毎の片岡スカウトは「ひょっとすると幸運は大毎にころがりこむかもしれない」とほくそえんでいた。その理由は「私が中学から大学へいくときも、明治、法政から話があり、その板ばさみになって、結局縁もゆかりもない早大にいくことにきまった。いま杉本獲得に動いているのは広島、国鉄、大毎、阪急。阪急は在京球団という条件から問題にならない。とすると、広島、国鉄の板ばさみになった杉本君はパ・リーグの大毎に走るというケースがありうるからね」ということだった。果たして大毎が漁夫の利をえるかどうか知らないが、片岡スカウトは果報は寝てまてといわんばかりに球団事務所でのんびりとテレビをみていた。
立大の杉本選手が国鉄入りの意思を明らかにしたが、同選手の獲得に動いていた阪急は案外のんき。というのは丸尾スカウトが岩国高を卒業するとき杉本をくどき、プロ入りに反対した両親から「大学を出ればノシをつけて阪急へ・・・」と口約束していたからだ。岡野代表は「本人がはっきりした理由があって東京にいきたいといえば仕方がない」とあきらめ顔だったが・・・。
かねて国鉄入りの希望をもらしていた立大の杉本公孝三塁手は、広島入りをすすめていた父親慶男さんとの意見のくいちがいから去就が注目されていたが、国鉄球団は七日「うちにはいることに内定した」と語った。発表は九日午後三時東京丸の内の同球団事務所で行われる。
北原代表の話「杉本君はうちにはいることになった。いろいろと心配したが、こちらの気持ちもよくわかってくれ、終始志をかえなかったのはりっぱというほかはない。内野がこれでさらにひきしまることになる」
杉本選手の話「入団する球団から早慶戦終了の翌日発表してもらう。父は岩国に帰ったが、両親の方へは電話で発表がすんだことを連絡するだけでいいことになっている」
三十日夜、国鉄入りの希望を語った立大・杉本公孝三塁手は三十一日午後三時半から東京都中央区日本橋蛎殻町の大野屋で上京中の父親・慶男氏と約三十分プロ入りについて話し合った。しかし国鉄を希望する杉本選手と広島を推す慶男氏との意見のくいちがいは調整できず、結論はきょう一日に持ちこされた。この日の話し合いで慶男氏は「広島以外のセ・リーグの球団にはいるのなら、いっそのこと広島に気まずい思いをしないようにパ・リーグへ」と杉本選手の説得につとめたが、杉本選手の気持ちを動かすまでには至らなかった。慶男氏の出した案によって本人の希望する国鉄と両親のすすめる広島、パ・リーグなら大毎・阪急の四球団が一応対象になり、杉本選手が姿をみせる前に国鉄・砂押コーチ、阪急・丸尾スカウトが慶男氏を訪れている。しかし杉本自身の気持ちは国鉄以外を考えていないようで、一日夜の話し合いでも杉本の気持ちは動きそうもない。
杉本選手の話「時間がないので、そう突っ込んだ話ができなかったが、僕の気持ちにかわりはない。母にも上京してもらって話し合いたい。そうすれば僕の気持ちをわかってもらえると思う」
父親・慶男氏の話「公孝の国鉄を希望する気持ちは相当強い。私としては仕事の関係から広島をすすめている。家内も広島以外のチームへはいるなら親子の縁を切るとまでいっている。国鉄へはいっては広島でゲームをやるようなとき気まずいことになりはしないかと心配だ。だから国鉄にはいるのならいっそのことパ・リーグの大毎か阪急を選んでもらった方がいいが、どうも気乗りしないらしい。きょうはゲームの前日なので長時間話ができなかった。あすの夜また話し合う。リーグ戦が終るまでには結論にこぎつけたい。もちろん私は広島をすすめ、パ・リーグというのは第二案だ。もうプロの関係者と会う必要はない。あとは親子で話し合うだけだ」
立大の杉本選手が三十一日、本人は国鉄、父親は広島入りを主張、お互いに譲らぬことから親子げんか?にまで発展したという話を聞いて、大毎の片岡スカウトは「ひょっとすると幸運は大毎にころがりこむかもしれない」とほくそえんでいた。その理由は「私が中学から大学へいくときも、明治、法政から話があり、その板ばさみになって、結局縁もゆかりもない早大にいくことにきまった。いま杉本獲得に動いているのは広島、国鉄、大毎、阪急。阪急は在京球団という条件から問題にならない。とすると、広島、国鉄の板ばさみになった杉本君はパ・リーグの大毎に走るというケースがありうるからね」ということだった。果たして大毎が漁夫の利をえるかどうか知らないが、片岡スカウトは果報は寝てまてといわんばかりに球団事務所でのんびりとテレビをみていた。
立大の杉本選手が国鉄入りの意思を明らかにしたが、同選手の獲得に動いていた阪急は案外のんき。というのは丸尾スカウトが岩国高を卒業するとき杉本をくどき、プロ入りに反対した両親から「大学を出ればノシをつけて阪急へ・・・」と口約束していたからだ。岡野代表は「本人がはっきりした理由があって東京にいきたいといえば仕方がない」とあきらめ顔だったが・・・。
かねて国鉄入りの希望をもらしていた立大の杉本公孝三塁手は、広島入りをすすめていた父親慶男さんとの意見のくいちがいから去就が注目されていたが、国鉄球団は七日「うちにはいることに内定した」と語った。発表は九日午後三時東京丸の内の同球団事務所で行われる。
北原代表の話「杉本君はうちにはいることになった。いろいろと心配したが、こちらの気持ちもよくわかってくれ、終始志をかえなかったのはりっぱというほかはない。内野がこれでさらにひきしまることになる」
杉本選手の話「入団する球団から早慶戦終了の翌日発表してもらう。父は岩国に帰ったが、両親の方へは電話で発表がすんだことを連絡するだけでいいことになっている」
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