プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

山崎武昭

2016-10-23 18:52:13 | 日記
1963年

昨年まで左手親指の内側にできていたマメが今シーズンは指の上からつけ根にかけて大きく広がった。これはボールを深く握ってフォークボールを投げるのと、カーブのときに親指にひっかける位指を上にしたからだという。リーグ戦一か月前まではこのマメが二か所も切れて痛がっていたが、リーグ戦にはいるころにはすっかり固まり、自信を持って投げ込んでいる。「カーブとストレートだけではやはりヤマをかけられますからね」と要所は今シーズンから使いだしたフォークボールを多投している。山崎は早大がにが手らしい。「いまいうと二回戦から出してもらえなくなるから・・・・」と原因をかくしているが、早大からシャットアウト勝ちはこの日がはじめて、二年の三十六年)の春からマウンドを踏んだ山崎だが、早大戦の勝ち星は二年の秋の先発して6回1/3を投げて勝利投手になったのがただ一度の勝ち星だ。昨年春は一回戦に先発して三回でKO、秋は一回戦に先発して8回1/3で引き分け、三回戦は先発で六回投げてKO、しかも敗戦投手になるなど、法大に入学してからの対早大戦はこの日で6試合2勝1敗。「意識しているわけではないんだが、意識していまう」という。この日は今シーズン二度目のシャットアウト勝ちを記録したものの、七安打と今シーズンで一番多い安打を打たれている。だがナックルボールをおぼえたのと、カーブの切れがよくなったので今シーズンはまだ4試合で31イニングしか投げていないが、奪三振24と昨秋の奪三振30をはやくも越そうとしている。「雨で練習ができず、投げ込みがたりなかったので心配だった。肉体的にも精神的にもきょうの試合が一番疲れた」となげいていたが、昨秋の対慶大四回戦のリリーフから続いている自責点なしの記録を45イニング2/3と伸ばした。高知商出身、法学部四年、1㍍77、74㌔、左投左打、背番号17。
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村瀬広基

2016-10-23 18:12:00 | 日記
1962年

村瀬の今シーズン初勝利は伊藤の中堅左ライナーをスライディング・キャッチした国松の美技できまった。背中を痛めてノックもやらず、静養中(? )の別所コーチがマウンドからのんびりした顔でおりてくる村瀬のところにまっしぐらに走っていったのが印象的だった。「そりゃええもんですわ」初勝利の味をきかれて村瀬はあいきょうのある顔をほころばせた。「前半はシュートで、後半はストレートで勝負したんや。しかしきょうはツイとったわ。逆にワシに追い風ではなく打者に追い風やったら四回くらいでKOされとった。三回の式田、五回の財津の当りは完全にホームランになっとった。それにはじめころぎょうさんいい当たりされたやろ。まあファイン・プレーで助けてくれはったし、中日さんはそれだけツイてなかったんや」昨年の九月はじめに巨人入りし、たちまち5連勝してリーグ優勝に大きく貢献。ことしはエースの一人と期待されながら村瀬はさっぱりだった。昨年冬季練習でスライダーを覚えたことが原因だそうだ。スライダーのにぎりのためか球質がすっかり軽くなってしまい、別所コーチから村瀬にスライダー禁止令が出た。「スライダーは三球使ってまっせ。投げられるんやから、スライダーもあるでえ・・・というのをみせとかんと損や。そやけどみな完全なボールばかり投げたんや。打者の目を混乱させたらそれでええのやからな」といいながら、一番ピンチだった七回の無死一塁で江藤を遊ゴロ併殺打させた球は「スライダーですわ」とヌケヌケと答えた。これを聞いた別所コーチ、ギョッとしたような顔をして「あれ、村瀬のやつ、勝手にスライダーを使ってやがるな」とニガ笑い。藤田が村瀬のところへやってきた。「やっと一つ目を出したな」一つ目とはもちろん1勝のこと。村瀬はこの先輩に帽子をとってうやうやしく頭をさげた。「村瀬が出てきたからあとは柴田だ。夏場にはベテランはへばるから、若手のジョー(城之内)村瀬、柴田が出てこないと乗り切れないからね」別所コーチはさっそくつぎの売り出しのことを考えていた。
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竹中惇

2016-10-23 14:55:38 | 日記
1962年

「タケ、カムオン。ストライクだけよ」三回竹中がボックスに立つと一塁コーチャーの与那嶺から声がかかった。ウエーティング・サークルで二本のバットを軽々と振っていた竹中はきこえたのかきこえないのか、まったく無表情。カウント0-2。「つぎはいい球くるよ」口に手がメガホンを作った与那嶺がさかんに声援した。打球は久保投手のグローブをかすめて中前へ。「第一打席でフワーッとバットが出てしまったので思い切ってためたんです」仲のいい財津は半平さんと呼び、江藤にいわせると電信柱の竹中だが、話し声はきわめて小さい。「オープン戦もこれで三度目。やっとプロの試合のふんい気というものがわかってきたところです」日大時代に神宮のエースだった竹中だが、三塁手はまったくのしろうと。「三回のトンネルははずかしかったですよ」バウンドを合わせようか、合わせまいかとまどっていた竹中の長い足の下を、小森のゴロがスルリと左翼江藤の前までころがった。「ゆるいゴロは絶対待っちゃダメですね。その前に高木(守)河野さんがエラーしたでしょう。ゴロさばきのうまい人がやるんだからと思ったのがいけなかった」といっているが、四回トップの黒田がドラッグ・バントの構えを見せたときには、すばらしいスタートで三本間の真ん中あたりまで走っていた。「コーナー・ボールを打てなければダメだ。まだ速球を打つことができない。だから速球を打つポイントさえつかめるようになればしめたものだが・・・」濃人監督のバッティング評はきびしいが、その内野守備になると「ゴロ一つ捕るにしても竹中には素質が見える。要はカンだけだよ。そのために竹中を試合にどしどし使う」竹中は五回で前田と交代したが、代打に出た前田をくやしそうに見つめながらベンチの真ん中にすわっていった。「補球と選球のタイミングさえつかめれば・・・」前田に負けないといいたいのだろう。濃人監督はその竹中に第二の長島になることを期待している。日大出身、1㍍83、80㌔、右投右打、背番号18。二十二歳。
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山中巽

2016-10-23 12:56:43 | 日記
1962年

山中は高校時代より力強さが加わり、スピードも増した。力いっぱい投げようとすると球がうわずるが、軸足が折れなくなり、投げおろすので球の角度が鋭くなった。これが一つの進歩。つぎにカーブの切れが非常によくなった。タテに変化して角度が鋭い。とくに四回パ・リーグの首位打者候補といわれる榎本を内角へくい込むカーブで三振にとったあたり、すばらしいもの。これが第二の進歩。だが右打者に対する内角シュートはスピードがあり、いいコースをつくが、左打者の外角シュートはまだ甘い。その球がこんごの研究課題だ。中京商出身、1㍍83、75㌔、右投右打、十八歳、背番号21。

山中投手の話「葛城さんまでずらりスターが並んでいるので顔は見ないで投げた。ミットだけ見て投げました。紅白試合で投げすぎて、一度調子は落ちたが、いまは上り坂です。思い切って投げた球が予想より速かった」
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米田敏美

2016-10-23 12:01:56 | 日記
1962年

西鉄の宇高渉外部長は十四日、秋田市のニュー・グランド・ホテルで秋田県十和田高の米田(まいた)敏美投手(18)=1㍍78、68㌔、右投右打=と契約、入団を発表した。ホップする速球が武器でシュートの切れもよく球は重い。大洋からも誘われていた。

米田投手の話「プロ野球は昨年秋田で巨人と国鉄の二軍戦しか見たことはありません。なにもわかりませんが、稲尾さんのもとでがむしゃらにがんばります」

宇高渉外部長の話「球が重く、手もとでホップする速球がなかなかいい。まだ足のけりが悪い点など荒けずりだが、体力もあるから将来が楽しみだ」
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ブラウンスタイン

2016-10-23 11:06:44 | 日記
1962年

阪神タイガースに入団したカリフォルニア大のマーク・ブラウンスタイン投手。昨年カリフォルニア大に移るまでは野球の名門、デューク大で二年間三塁手をつとめ、打率・480と・320をマーク、サンフランシスコ・ジャイアンツに勧誘されたことがあるが、投手に転向して腰を痛め対校試合ではさっぱり。アメリカ・コンティナー会社社長のむすことあって金にはこまらず、阪神と契約した理由がふるっている。「旅行はできるし、日本の古い文化にも接触できるし・・・」それに知友もつくっておけば「将来商売にも・・・」。さて今シーズン、日本のファンにどんなベースボールをみせるか。

期待のブラウン投手がやっていて戸沢代表はごきげん。午後一時からの記者会見の前に三塁ベンチまでわざわざ出むいていって、ブラウンを選手に紹介したり、記者会見が終わるとさっそくカメラマンに早がわりしてたてから横からブラウンのユニホーム姿を写したり、練習が終わるまでつきっきり。「ロッカーの整理もきちんとしているし、性格もなかなかまじめそうだ。技術の方はまだわからないが、からだもいいし期待できそう」とニコニコ。記者会見ではつめかけた報道陣にコーヒーをサービスしたり大変な力の入れようだった。左足のスネを痛めていた藤本監督は、この日練習を休んだ。十五日は休養日。

キャンプ・イン三日目のブラウンが力いっぱい投げておどろかせた。三十球の全力投球。まだボールが指にひっかからないのでシュートしたり、スライドしたりコントロールが十分でないが、球速はすごい。小山、渡辺らが「あんなに速いのを投げてだいじょうぶか」と目を丸くしていた。「暖かくなってみっちりやればすごいスピードが出そう」と戸沢代表が喜んでいた。

オープン戦

先発の予定だった飯尾がゲリのため阪神はブラウンをはじめて起用した。雨がふりつづく中で強行された。グラウンドはやわらかく、そのうえ選手の吐く息が白く見える寒さ。ブラウンは「こんな雨でやる?」と両手をひろげ、肩をすくめてマウンドに上がった。まだレギュラー・バッティングにも投げたことのないブラウンはさんざんだった。一回国松、渡海と連続四球。二人とも一度もバットを振らずらくらくと一塁へ歩いた。ブラウンのコントロールの悪いのを見越して巨人は徹底的なウエーティング。ブラウンは懸命に投げ、王を三振、長島を三ゴロにとったが、長島の七球目のとき走者がいるのを忘れ、ゆっくりワインドアップしてダブル・スチールをやられるほど落ちつきを失っていた。つづく宮本には肩にぶつけて二死満塁。森も四球で押し出しの1点。須藤には左翼線に満塁二塁打をくって3点とられた。阪神ベンチが一回かぎりでブラウンをひっ込めたのは当然。スピードはかなりあるが不安定なフォームで、わずか一回で4四死球という無制球ではどうしようもない。
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吹田俊明

2016-10-23 10:45:21 | 日記
1962年

富田林高から三十二年近鉄にはいったときと違い、今度は一週間ほど考えた。からだの調子は昨年近鉄退団のときとくらべ、カッケもなおったし、ずっといい。問題は技術面だった。天鉄では成田監督(慶大OB、元国鉄投手)から「アマ規定で一年間は試合に出られないのだから、ゆっくり自分のフォームをつかめ。それには高校時代のピッチングを思い出すことだ。またノンプロでは連投が多くなるから、スタミナをつけるように」といわれただけだった。ぼくも三十七年の後楽園出場を目ざして、フリー・バッティングの投手をすすんで買って出た。まずコントロールをつけることを第一目標をおいた。プロでは球が速いだけでは通用しないことを四年間の近鉄生活で痛いほど知らされた。制球力をつけるには、バッティング投手はずいぶんプラスになったと思う。また近鉄時代、ミケンズから教えられた沈む球も、どうにか投げられるようになった。天鉄にはいってからも、実をいうと近鉄・根本コーチにはいろいろきいていた。「ピッチング・フォームがかたく、不安定なのは下半身が弱いからだ。下半身を強くするにはランニングが第一」といわれて一生懸命走った。一年間プロを離れたことで、過去の自分のピッチングを反省することができた。「体調も上々だ。あとはゲームのカンだけ。さしあたって来シーズンは十勝ライン突破を目標にやる」

目標にする選手、その理由 とくにない。好きなタイプの投手は、米田君(阪急)のような球の重い投手。

ウイニングショットは 近鉄時代と同じように速球。それと外角のスライダー。落ちる球は投げたいと研究中だ。

趣味、ニックネームとその由来 名前のうえをとってフキ、トンコという呼び名もあるが理由は知らない。趣味は川釣り。

身長、体重、きき腕、生年月日、現住所 1㍍78、75㌔、右投右打、昭和十二年六月九日、八尾市老原494。
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新山彰忠

2016-10-23 10:07:02 | 日記
1962年

新人らしからぬ落ちついたプレート・マナーに王将クラスの風格がある。ところがピッチングの内容はというと王将クラスにはかなり距離があるようだ。まず第一にスピードが不足している。キャンプ・インがおそかったので調子を整える段階であることはたしかだが、尾崎や城之内のようなすご味がない。スリークォーターから整った投げ方でストレート、カーブ、スライダー、シュートを投げわけるが、打者に対する威圧感はとぼしい。きわどいコースにはいった球は打たれないが、ストレートでもカーブでもコースがあまいとすぐいい当たりをされていた。六回まで八十六球投げたが、ストライクは五十八球でボールは二十八球だった。つまりストライクの二にボール一の割り合いだ。でも打たれて点をとられた二、三回は、このストライクとボールの比率が三対一の割り合いになった。六イニングで一つしか四球を出さなかったことを考えても、コントロールのよいピッチャーであることは立証ずみ。しかしそのコントロールのよさがかえってアダになってストライクを投げすぎるピッチャーという感じさえする。長所は外角球にすばらしいコントロールを持っていること。プレートいっぱいに投げ込んでくるカーブも、外角いっぱいにきまったときはいいが、肩口から真ん中にはいった場合はひとたまりもない。二回藤本(伸)にタイムリーを打たれた球がそうだったが、これは新山にとってもっとも危険な球だ。相手の村瀬の球はなんともいえない重いひびきで藤尾のキャッチャー・ミットにおさまっていたが、新山の球を受ける野村のミットはポン、ポンと軽い音。あの音だげから判断してもボールは軽い感じだ。パ・リーグには大毎、東映、西鉄というパワーのあるバッターがそろっているチームが多いから前途多難だが、完全にできあがったつぎの登板に注目したい。法大出身、1㍍79、75㌔、右投右打、二十二歳、背番号10。
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富永格郎

2016-10-23 09:25:43 | 日記
1962年

「トミ(富永のこと)今シーズン久保が好成績あげている理由知ってるか? 速球が低目にきまっているからだよ。きょうオマエがよかったのもドロップが低目にきまっていたからだぞ」水原監督が気の弱い富永にハッパをかけていた。しかし、この日の富永はいつもとちょっとちがった。「きょうは負ける気がしなかった。走者が出たって点をとられるとは思わなかった」めずらしく強気だ。「リリーフなんて聞いていなかったので、ちょっとあわてたね」開幕カードの先発を思い出したのだろう、ニヤリと笑った。「あのときはどうも落ちつかなくてね。雲にでものったような感じだったが、きょうはドロップが切れていたから落ちついて投げられた。勝負どころではほとんどドロップでいった」そして汗でくもるメガネをふきながら胸を張ってロッカーを見渡した。「暑さには強いんだ。毎年八、九月の後半戦に調子があがってくるんだ。でもいつも後半戦にちょいと顔を出すのでは申しわけないからね。ことしは・・・」そこでプツンと言葉が切れた。この試合に勝って5勝目。白星の少ないのが気にかかるようだ。「どうも出足が悪くてね。これで3連勝だが、間があきすぎていて連勝もピンとこない」シャワーを浴び、着がえをすませると試合中かけていた金ブチのメガネを黒いプラスチックのメガネのものにあわててかえた。「金ブチのメガネなんていやなんですよ。第一キザでしょう。こんなのかけたくないんだけど、いままでのやつだと、投げているうちにズンズン鼻の先の方へ落っこちてくるんですよ。しかたがないからこの間買っちゃった」金ブチのメガネがテレくさいというあたり、いかにも地味な富永らしい。「トミさんのピッチングはほんとうにハデなところはない。性格そのものですよ。そのかわり、実用本位のメガネみたいですよ」張本が大声で富永を擁護した。
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