丸キャリTravel×JR東海の日経セミナーのつづき
神罰は無いと言われるが、ただし神祭りをしない時だけ怒る。
願いが叶ったら御礼参りをするべきだが、しなくても神様は怒らないのである。
・和魂(にきたま(にぎたま)、にきみたま(にぎみたま))
・荒魂(あらたま、あらみたま)…荒々しい
・奇魂(くしたま、くしみたま)…不思議
↓
大きな恵みと試練を与え、自然との折り合い
“神道”…教理、経典はない
↓
清明正直
清く明るく正しく直い
↓
現実的
・中今(ちゅうこん)
↓この瞬間を精一杯人間として生きていこう。
↓
神道の神髄
他にはこういう宗教はない
日本人はおおらかな考え方で、色々なものを育て伝えてきた。
■一霊四魂について
http://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%92%E9%AD%82%E3%83%BB%E5%92%8C%E9%AD%82
http://www.rekishikaido.gr.jp/time-trip/mailmagagine/200712/kawa0712.html
一霊四魂説の概念図。荒魂・和魂・幸魂・奇魂が並列的に存在し、それらを直霊という一つの霊がコントロールしているとする。
■荒魂(あらたま、あらみたま)・和魂(にきたま(にぎたま)、にきみたま(にぎみたま))とは、神道における概念で、神の霊魂が持つ2つの側面のことである。
荒魂は神の荒々しい側面、荒ぶる魂である。天変地異を引き起こし、病を流行らせ、人の心を荒廃させて争いへ駆り立てる神の働きである。神の祟りは荒魂の表れである。それに対し和魂は、雨や日光の恵みなど、神の優しく平和的な側面である。神の加護は和魂の表れである。
荒魂と和魂は、同一の神であっても別の神に見えるほどの強い個性の表れであり、実際別の神名が与えられたり、皇大神宮の正宮と荒祭宮といったように、別に祀られていたりすることもある。人々は神の怒りを鎮め、荒魂を和魂に変えるために、神に供物を捧げ、儀式や祭を行ってきた。この神の御魂の極端な二面性が、神道の信仰の源となっている。
また、荒魂はその荒々しさから新しい事象や物体を生み出すエネルギーを内包している魂とされ、同音異義語である新魂(あらたま、あらみたま)とも通じるとされている。
和魂はさらに幸魂(さきたま、さちみたま、さきみたま)と奇魂(くしたま、くしみたま)に分けられる(しかしこの四つは並列の存在であるといわれる)。幸魂は運によって人に幸を与える働き、収穫をもたらす働きである。奇魂は奇跡によって直接人に幸を与える働きである。幸魂は「豊」、奇魂は「櫛」と表され、神名や神社名に用いられる。
江戸時代以降、復古神道がさかんとなり、古神道の霊魂観として、神や人の心は天と繋がる一霊「直霊」(なおひ)と4つの魂(荒魂・和魂・幸魂・奇魂)から成り立つという一霊四魂説が唱えられるようになる
神罰は無いと言われるが、ただし神祭りをしない時だけ怒る。
願いが叶ったら御礼参りをするべきだが、しなくても神様は怒らないのである。
・和魂(にきたま(にぎたま)、にきみたま(にぎみたま))
・荒魂(あらたま、あらみたま)…荒々しい
・奇魂(くしたま、くしみたま)…不思議
↓
大きな恵みと試練を与え、自然との折り合い
“神道”…教理、経典はない
↓
清明正直
清く明るく正しく直い
↓
現実的
・中今(ちゅうこん)
↓この瞬間を精一杯人間として生きていこう。
↓
神道の神髄
他にはこういう宗教はない
日本人はおおらかな考え方で、色々なものを育て伝えてきた。
■一霊四魂について
http://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%92%E9%AD%82%E3%83%BB%E5%92%8C%E9%AD%82
http://www.rekishikaido.gr.jp/time-trip/mailmagagine/200712/kawa0712.html
一霊四魂説の概念図。荒魂・和魂・幸魂・奇魂が並列的に存在し、それらを直霊という一つの霊がコントロールしているとする。
■荒魂(あらたま、あらみたま)・和魂(にきたま(にぎたま)、にきみたま(にぎみたま))とは、神道における概念で、神の霊魂が持つ2つの側面のことである。
荒魂は神の荒々しい側面、荒ぶる魂である。天変地異を引き起こし、病を流行らせ、人の心を荒廃させて争いへ駆り立てる神の働きである。神の祟りは荒魂の表れである。それに対し和魂は、雨や日光の恵みなど、神の優しく平和的な側面である。神の加護は和魂の表れである。
荒魂と和魂は、同一の神であっても別の神に見えるほどの強い個性の表れであり、実際別の神名が与えられたり、皇大神宮の正宮と荒祭宮といったように、別に祀られていたりすることもある。人々は神の怒りを鎮め、荒魂を和魂に変えるために、神に供物を捧げ、儀式や祭を行ってきた。この神の御魂の極端な二面性が、神道の信仰の源となっている。
また、荒魂はその荒々しさから新しい事象や物体を生み出すエネルギーを内包している魂とされ、同音異義語である新魂(あらたま、あらみたま)とも通じるとされている。
和魂はさらに幸魂(さきたま、さちみたま、さきみたま)と奇魂(くしたま、くしみたま)に分けられる(しかしこの四つは並列の存在であるといわれる)。幸魂は運によって人に幸を与える働き、収穫をもたらす働きである。奇魂は奇跡によって直接人に幸を与える働きである。幸魂は「豊」、奇魂は「櫛」と表され、神名や神社名に用いられる。
江戸時代以降、復古神道がさかんとなり、古神道の霊魂観として、神や人の心は天と繋がる一霊「直霊」(なおひ)と4つの魂(荒魂・和魂・幸魂・奇魂)から成り立つという一霊四魂説が唱えられるようになる