博多にいました、夕方まで・・・ヒコーキで飛んで帰ったその足で『RED』を買った自分、よくがんばった。褒めてつかわす。
『柳生暗殺帖』第15話-王道楽土-
うぉおおおぉ、おもしろかぁあああ。
帝(インドラ)様は『リグ・ヴェーダ』よろしく、思いのほか世情に通じた人臭いお方であらせられました。「余興」を愉しむ心をお持ちなのも、なかなかのおちゃめぶりです。
降臨した肉体がお気に召さないようですがそれは、降臨すべき本来の肉体が別にある、ということですね?
とにかく大事なのは、副題でもある「王道楽土」。
王道
仁徳を本とする政道覇道
武力・権謀を用いて国を治める覇者の政道(『広辞苑』岩波書店/1964年01月15日第01版第12刷発行)
「300年にわたる不遇と屈辱」という言葉から想像すると、羯磨衆は「楽土」を実現する手段として、「二元化された価値観の反転」を狙っているのではないかなあ。つまり、今までの、
- 「悪」が「善」
- 「邪」が「正」
- 「外道」が「内道」
に裏返り、新しい「正しき者」の行いが支配する、新しい世界(秩序※01)の創造を。
※01:このあたり、《華悪崇(カオス)》の理念と比較するのもおもしろそうです。
こ、こ、こ、これだっ!
もしそうなら、期待どおりの展開です。「王道」は、小次郎が語った「忍道」の到達するところでもあるからです。
帝(インドラ)と小次郎の違いは、ただひとつ。
- 二極化された価値観はそのまま、片方を切り離すことで一極化する
- 二極化された価値観をさらに大きな価値観で統合し、太極化する
後者の実現の方がはるかに難しい。
小次郎には超えてほしい。超えてほしいよ。
そして。
第12話での予想が当たってしまったか? 本体はどこだ、どこにいるんだあああっ!
いきなりこんなに書くつもりはなかったのに。
もう寝るんだ、明日(というか今日)は仕事だ。
追記(2006/04/24):
車田漫画『B’t X』について、【きつねのえんぴつ】様が考察されています。当記事との接点を探っていただければ幸いです。ありがとうございました。
このような奥の深い記事にTBしていただけるとは恐縮です。
「排除」することで「一極化」され
「調和」することで「太極化」されると考えてよろしいのでしょうか?
(実のところ「太極」というのがよくわかっておりません;)
イーさんと小次郎の対峙の模式図ははそのまま上様と高宮兄弟にも該当しそうですね。
二階からの目薬がうまくヒットしたような感動を覚えています。
この教えを生かして棚のボタモチをのどに詰めないように胃袋におさめ
るテクも習得したいと思います。
ありがとうございました。
TBの件、ありがとうございました。
当記事に関して、お考えのとおりで結構です。
『B’tX』は示唆に満ちた物語です。
・光=闇でないもの
・闇=光でないもの
としがちですが、高宮兄弟の、そのようなロジックに陥らない強さには憧れます。
作品について、これからもきつねさんの記事を拝見したいと思います(^^〃)ゞ。よろしくお願いします。