戻ってきたよう(昨日)。
例の「記念テレカ」の応募券、投函する時に浮き浮きしすぎて80円切手を貼り忘れたのだ! マヌケだ、大バカだ、貼ってすぐ出した!
『柳生暗殺帖』第17話-平行線の正義-(4)
量子力学には「不確定性原理」という考え方があります。
ドイツの物理学者、W・ハイゼンベルク(Wemer Heisenberg)が1927年に提唱したもので、物質を観測しようとすると、
- 位置
- 運動量
を同時に、正確に決定することができないという原理です。
位置を観測すると運動量が、運動量を観測すると位置がいい加減になってしまう・・・つまり、観測者がどちらかを決定してやらないと正しい形が生まれない、とても困ったちゃんな原理だそうで。
なぎらなりに平易な表現をすると、
「ヒトが見つめて初めて、対象はカタチを現す」
ということではないかと思います。
ええっ、視界に入る人や物は「見ていない時も存在している」のに?
その反論は体験的に正しい。でも、科学的に証明することは不可能です。なぜならば、「同時に見て、見ない」ことはできないからです。
「私が月を見ていない時、月はそこに存在しないと云うのかね?」(A.アインシュタイン)
「YES」(N.ボーア)
どうしてこの「観測者問題」を引き合いに出したのかというと、無名が“空”なんて概念を持ち出したからです。
そう来たか。ならば、こうだ。
「我が魂(こころ)、すでに“空”なり」
“空”で思い浮かぶのは「なにも無い」というイメージ。それから、円形でも方形でもいい、奥行きのある空間。
「まず最初にカオスが生じた」
『ヘシオドス神統記』(廣川洋一訳/岩波文庫)
ギリシア神話の有名な下りです。
カオス(Χαοs)は混沌と訳されがちですが、ここでは秩序(Κοsμοs)で満たされる前の空っぽな状態、世界の始まりと解します。
この“空”は名を与えられていない、意味の決定されていない、満たされることを待っているニュートラルな存在です。
ただ、在るのみ。
無名は飛鳥武蔵から名を奪い、意味を奪った。
自己は“無”。
自己は“無”意味。
そうすることで、他者が武蔵へ投げかける意味、役割・・・干渉を断ち切った。
それでも、生きているからには心の動きを感じるし、肉体は厳然たる事実としてそこにある。それは、「神の名を騙る一人の者が創りだした、手前勝手な決まり事」による現象のひとつ、ということになってしまいます。
無名はすべての生死・因果を消滅させようとしているのではないでしょうか。
神を葬るため、帝(インドラ)を利用して。
見つめるものも見つめられるものも無い(※)、空間も時間も存在し得ない、カオス以前の状態へ。
自己に在り処“無”。
今度こそ、本当になにも無い。
※とすると、あの仮面は「自己と他者の視線を遮る」という意味でとても象徴的です。なんだか仮面で正義を主張しているよお・・・と感じていたのですが、だからって、だからって。
1人の男が無常の風を感じ、「我が望みは“無”」と思い定めた。
しかし、生きよう、世界に対して主体であろうとするかぎり、相手がどんなに悲痛な決意をかざそうと、自分も含めた親愛なる者をそう簡単に“無”へ帰させるわけにはいかない。
きっと、小次郎はそう考える。その護りたいものの中に「武蔵」もいる。
(続く)
参考文献:
『姑獲鳥(うぶめ)の夏』(京極夏彦/講談社文庫)
『ギリシア・ローマ神話辞典』(高津春繁/岩波書店)
『2013:シリウス革命』(半田広宣/たま出版)
感想、例の如く頷きながら読ませてもらっております。
「テレカの応募に切手貼り忘れ・・」
クールなイメージと浮き浮きモードが瞬時合体プレビューしちゃって「ぶっは!!」となってしまいました。
(すみません・・。でも大変微笑ましい光景!)
私も忘れないうち出しに行かないと!
全員サービス(プレゼント)というものに応募するのは「なか○し」以来かな!?と思いながら切手をぺたり。
失礼致しました。
こんばんは(という時刻になってしまいました・・・(^_^;))。お元気でいらっしゃいますか? 坊ちゃんも。
>切手
ぐああああ、もうダメダメです。「応募のきまり」を何度も読み返したあげくがこれです。アホです。詰めが甘いどころか詰めてない。
封筒の表に、付箋で金額と不足の理由を貼られるんです。ぺたりと。
5.切手未貼付でした。(←ここに丸)
・・・でした。でした。でした。・・・(註:エコー) わかっとるわい!
そのままコンビニへ入って80円切手を買いましたとも。お騒がせしました。
テレカ、楽しみですね~。またいらしてくださいませ。