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4章 地球の第1から第3文明-6/7:地球人のルーツ(PrejectnVega)

2016-01-15 | 宇宙種族

Project Vegaさんより http://www.project-vega.org/2014/03/5_30.html 

(1章序文より抜粋) この文章は様々な専門家が、インターネット、テレビ、本などで断片的に論じている出来事を集め、年代別に並べたSFである。可能な限り確実性の高い物的証拠やデータを優先的に集めているが、偽情報やノイズの判断が難しいこともある。特にチャネラーのチャネリングに頼った文章に関しては、本当かどうかは判断が難しい部分なので、この内容を鵜呑みにするのではなく、最終的には自分の頭で考え、確認して、正しいかどうか判断する必要がある。

 
 4章 地球の第1から第3文明 : 地球人のルーツ
 
(つづき)
 
■紀元前135万年頃

バカラティーニ人が太陽系に調査に来る---------------------------------------------------------------

 135万年前、ケンタウルス座のバカラティーニ星は、人が住む惑星としては深刻な状況を迎えることがわかっていた。それは彼らの惑星が内部的に寒冷化の傾向にあり、いずれ500年以内に人が住めない環境になろうとしていたからである。そこでバカラティーニ星の指導者たちは多くの話し合いや偵察、そして遠征を重ねた結果、居住可能な地球と火星に宇宙船を送る決断を下した。彼らの惑星と同じカテゴリーに分類される地球のような若い惑星に避難することを考えたのである。 
 彼らは調査のために太陽系に侵入し、まず最初に、居住可能で実際に当時人々が住んでいた火星を訪問した。火星人はテクノロジーは持っていなかったが、対照的に精神が高度に進化していた。身長は120センチから150センチくらいのモンゴロイド系で、彼らは種族でまとまり、石でできた小屋に生活していた。
 火星上にいる動物は多くはなく、小さな山羊のようなものや巨大な野ウサギのような生物、それに数種類の野ねずみ、そしてバクのような頭をしたバッファローに似た動物、数種類の鳥と3種類の蛇がおり、そのうち1種類は毒を持っていた。植物も少なく、4メートルを超える樹木はなく、ただソバに似た食用となる草があった。
 バカラティーニ星の人々は火星の調査を行なったが、火星もまた間もなく、4000年、5000年後には寒冷化で居住不可能になることを知った。それに火星の動植物は、バカラティーニ星からの移民を受け入れるには不十分なものに彼らには思えた。

 こうして彼らの2機の宇宙船は次に地球へ向かった。そして現在、オーストラリアと呼ばれている場所に着陸した。当時はオーストラリア、ニューギニア、インドネシア、マレーシアはすべて1つの大陸となって繋がっていた。幅が約300キロの海峡が存在し、正確にはそれが現在のタイの位置にあった。当時のオーストラリアにはいくつもの大河によってつくられた内海があり、さまざまな興味深い動植物で満ち溢れていたのである。
 彼らはあらゆることを考慮し、そして宇宙飛行士たちはこの国を最初の移民基地として選んだのであった。黒人種はオーストラリアを選び黄色人種は現在のミャンマーの地域に住みつくことになった。基地が沿岸部に作られ、黄色人種はベンガル湾岸を、黒人種はオーストラリアの内海沿岸を選んだ。のちに、現在のニューギニアのある場所にも基地が建設された。

バカラティーニ星から地球へ移民が始まる------------------------------------------------------------- 

 彼らの宇宙船は超光速飛行が可能で、地球時間で50年を費やして、黒人種と黄色人種を360万人ずつ地球へ移民させた。新しい惑星で生き残ろうとする決断のために、2つの人種の間には完全な理解と協力があり、平和的に移民が行なわれた。そして共通の合意により、老人や虚弱な人々はバカラティーニ星にとどまったのである。彼らは基地を建設する前には地球上をくまなく探索し、彼らの移民の前には絶対に人類は存在していなかったことを確認した。彼らは人間に似た”ヒューマノイド”が存在するものと考えていたが、詳細な調査の結果、それらは巨大な猿であったことがわかった。
 地球の重力は彼らの惑星よりも大きく、彼ら2つの人種にとってそれはかなり不快なものだったが、次第に適応していった。街や工場の建設のためには、軽量でかつ強固な物質がバカラティーニ星から輸入された。当時、オーストラリアの場所は赤道直下に位置していた。地軸は現在とは異なっており、1回の自転のために30時間12分を要し、大陽の周りを回転する公転周期は280日であった。赤道直下の気候も今日とは異なっており、現在よりもはるかに高湿度の状態であった。 

ハイパーボーリア文明が興る------------------------------------------------------------------------------

 バカラチーニから720万人が超光速宇宙船に乗って地球に移住してくることによって、地球でハイパーボーリア文明が築かれていく。黒人360万人はオーストラリア大陸に、黄色人360万人は現在のミャンマーに定住した。黒人種は男女とも身長230センチほどで、とても美しい人種だった。黄色人種は身長が男性190センチ、女性180センチほどで、両人種ともたいへん知的で、テレパシーを使えるほど進歩していた。しかしバカラティーニ星よりも地球のほうが重力が大きかったので、それ以後徐々に小さくなっていった。

 彼らは平和な社会を作る知恵も持っていたので、入植後も、平和な世界が長く続いた。母星から持ってきた科学力で反重力技術や水素モーターを使い、現文明を上回る高度な文明を築き上げていた。そして大陸の至る所に大都市を築いており、現在の北極圏でも栄えていた。こうしてハイパーボーリア文明は栄えていった。
 当初、ハイパーボーリア人は精神文明も進んでいて、重大犯罪者はワニの池に放り投げられるなど、極めて刑罰が重かったためか、犯罪はほとんどなく、平等平和な社会が永く続いていた。
 数千年後、黒人種はアフリカ中央部に50万人が移住したが、この頃から偶像崇拝の宗教が現れ、政治家と邪悪な聖職者が特権階層を作り、人民を支配搾取するようになった。人心は乱れ、あらゆる犯罪が徐々に蔓延っていった。このころより、超能力はしだいに失われ、高度な文明が序所に衰退していった。

バカラティーニ星から持ち込まれた動物や食物-------------------------------------------------------

 当時、オーストラリア付近には巨大なシマウマの群れが放浪し、巨大な食用となる鳥ドードーや、巨大なジャガーや人間がディノーシスと呼んでいる体長4メートルもある鳥もいた。いくつかの川には体長15メートルにも及ぶクロコダイルや、体長25メートルから30メートルの大蛇などがいた。バカラティーニ人は時にはそれらを食用にした。

 地球にあるほとんどの動植物は、栄養価と生態系の面でバカラティーニ星のものとは異なっていた。そこで彼らはたくさんの実験農場を造り、特に植物のヒマワリやトウモロコシ、小麦、モロコシ、タピオカなど、バカラティーニ星から持ち込まれた植物を地球に順応させることに努力が払われた。これらの植物は当時の地球には存在していなかったか、また非常に原始的段階にあって食用にできるものではなかったのである。

 彼らはバカラティーニ星では、山羊やカンガルーを好んで食べていたので、それらは母星から輸入された。しかし、特にカンガルーを地球に適応させるためには大きな問題があり、そのために多大な努力が払われた。それは特に餌で、カンガルーは地球にはまったく存在しないアリルと呼ばれる細くて堅い芝を食べていたが、それを地球で育てようとすると、いつも無数の小菌類に侵されて枯れてしまうのであった。そのためカンガルーには人工の餌を与えて、数十年かけて徐々に地球の芝に慣らしていった。
 黒人種はアリル栽培を続け、ついにその植物を地球に順応させることに成功した。しかし、それには余りにも長い時間がかかったので、すでにカンガルーは地球の草を食べるようになっていた。その後、いくつかのアリルという芝は根を下ろしたが、それを食用とする動物がいなかったことからオーストラリア中に広がっていった。それは現在でも植物名をクサントルホエア(日本名はススキノキ)として存在しており、一般的にはブラック・ボーイと呼ばれている。
 バカラティーニ星よりも地球でのほうが、その芝はかなり太く高く成長したが、母星から持ち込まれた品種にはこうしたことがしばしば起きた。それも太古の珍しい名残りの1つである。しかもそれがカンガルーとともにオーストラリアにだけ見られるということは、バカラティーニ星人が別の地域にコロニーを探すようになる前まで、この地に長く留まっていたことを示している。彼らは地球に順応するために多くのことを克服しなければならず、こうしたことはそうした数多くの中の一例に過ぎない。

  黄色人種はベンガル湾の奥に住みついたが、彼らは現在のミャンマーと呼ばれているところにも居を構え、都市と実験農場を建設した。

 彼らは基本的に野菜に関心があったので、バカラティーニ星からキャベツやレタス、パセリ、コリアンダーなどを輸入した。果物ではチェリーやバナナ、オレンジの木が輸入されたが、その当時は現在よりも気温が低かったために、バナナとオレンジは順応させるのに初めは困難があった。
 同じようにして、黄色人種は小麦を根付かせることにも成功した。そしてバカラティーニ星から持って来られた小麦は穂の長さが40センチにもなり、コーヒー豆ほどの実をつけたので膨大な穀物を生み出した。黄色人種は4種類の小麦を育て、より多くの収穫を上げることに努力した。現在の地球上にある”稲”は、完全に地球独自のものだが、それは黄色人種によって飛躍的に改良されて今日のようなものになったのである。

ハイパーボーリア文明の宗教 -----------------------------------------------------------------------------

  ハイパーボーリア文明での最初の人間は、黒人種と黄色人種だった。彼らは物質的に成功し、同時にまた、礼拝用の巨大な集会場を建設した。そして彼らは宗教儀式を行なっていた。彼らは皆”タキオニ”と呼ばれていたいわゆるチベット仏教の僧侶のラマ教徒のように”生まれ変わり”を信じていた。

ハイパーボーリア人のアフリカ遠征 --------------------------------------------------------------------

 2国間の互いの国への旅行は頻繁に行なわれ、また共同で地球の辺境探索も行なった。ある日、黒人種と黄色人種の混合グループは、現在の喜望峰と呼ばれている南アフリカの突端(とったん)へ上陸した。アフリカは当時からほとんど変わりはなかったが、ただサハラ砂漠や紅海はまだ存在しなかった。彼らが今回探索を行なったのは、彼らが地球で3世紀を過ごした後であった。

 アフリカで彼らは、象やキリン、バッファローのような初めて見る動物やトマトを発見した。しかし現在の人間が知っているようなトマトではなく、発見されたトマトは、干しぶどうのように小さく非常に酸味が強かった。このような改良に長けていた黄色人種は数世紀をかけて改良を行ない、ちょうど稲がそうであったように、現在のなじみのあるトマトを作り出した。また彼らは、自分たちの母星から輸入したのとよく似たバナナの木を見つけて驚いた。しかしアフリカのバナナは大きな種を含んでいて食用には適していなかった。
 このアフリカ遠征は、それぞれ50人ずつの黒人種と黄色人種で行なわれ、象とトマトに加えて、その後見つけた蛇の天敵マングースを持ち帰った。しかし不幸なことに、実は彼らが気づかぬうちに、現在では黄熱病として知られている怖ろしいウイルスも持ち帰ってきてしまった。どのように病気が広がるかを見極められる専門医もいなかったことから、その後、短期間の内に数百万人の人々が死んでいった。それは主に、蚊によって広がっていったものだが、赤道直下の気候では冬でも蚊の数は減らず、オーストラリアに住んでいた黒人種は非常に苦しめられた。そして実際、黄色人種よりも4倍も多く犠牲者を出したのであった。


 バカラティーニ星の黄色人種は、常に医学や病理学の面で優れていたが、それにもかかわらず、その治療法を発見するのに長い年月を要したので、その間にも数万人が苦悶のうちに死んでいった。そしてやっと黄色人種は黒人種にも効くワクチンを作り出し、2つの人種間には友情が生まれた。
 やがて彼らは黄熱病の呪いを克服し、この新しい地球に深く根を下ろした。オーストラリアだけでなく、現在の南極でも人々が暮らすようになった。当時のその地域は穏やかな気候だったのである。そして黄熱病の呪いが終わるころには、黒人種の人口は7億9500万人になっていた。当時は地軸が現在とは異なっていたので、南極はオーストラリアと繋がっており、現在よりもかなり暖かかった。それは現在のロシア南部のようであった。
  それ以後、彼らは1度もバカラティーニ星には戻らず、ひとたび地球に腰を落ち着けると、誰も帰還しないように厳しい規則を作った。かつて彼らの母星であったその惑星は、予測どおり寒冷化が進み、砂漠となって火星のようになっていった。

宇宙の法則は「進化を妨げる介入」を厳しく禁じる-------------------------------------------------

 外部の宇宙生命体が黄熱病で苦しんでいたバカラティーニ人を助けて、ワクチンをつくることはできたが、宇宙生命体たちが従うべきプログラムにはそれがなかったので、介入できなかった。外部からの援助者には”ある状況”を救うことができるが、それは距離を置いてのみ行なわれる。しかしあるポイントを超えてしまうと、いかなる種類の援助であっても宇宙の法則が介入を厳しく禁じる。地球に住む生命は、どのように生き、苦しみ、死ぬかを学ぶためだけではなく、できるだけ精神性を高めるために地球にいるのである。 

バカラティーニの政治形態、裁判制度、刑罰----------------------------------------------------------

 バカラティーニ星から来た人々が持っていた政治形態はとても単純なものだった。8つの村からなる1つの地区には指導者がおり、彼らの挙手で行なわれる選挙によるものだった。こうした指導者は知恵や常識、統率力や知性の点で優れた人々で、彼らは富や家系から選ばれることは決してなかった。そして彼らが選び出した1人の偉大な賢人によって統轄される全体の評議会では、日々直面するさまざまな問題、たとえば水道や道路などについて議論された。長い経験から、すべては完全性や知恵における信望に基いており、彼らは自分たちが遵守できる範囲内で、従うべき公正な秩序を確立した。

 また彼らの裁判制度は、たとえば確実に有罪と考えられる泥棒は、利き腕の手の甲に非常に熱くした鉄で焼き印が押された。右利きの泥棒は右手に焼き印を押され、再び盗みを行なった場合は左手が切り落とされた。これは最近までアラブ諸国で行なわれていたことで、昔から受け継がれてきた習慣である。もしさらに盗みを行なった場合は右手も切り落とされ、かつ額に消すことのできない印を刻まれた。両手を失った泥棒は、すべてを家族や通行人の情けにすがるしかなく、しかも額の印によって誰にも泥棒と分かるので、生きていくことは至難のわざであり、むしろ死ぬほうがましだったのである。
 こうして泥棒は常習犯的見せしめとなり、その結果、言うまでもなく盗みはほとんど起こらなかった。また殺人もほとんど起こらなかった。殺人で告発された者は独房へ連れて行かれ、そのカーテンの向こうには心を読み取ることのできるマインド・リーダーが待ち受けていた。そうした人物は特別な千里眼やテレパシー能力があり、特別な教育機関でそうした能力を磨く努力を常に行なっていたので、殺人容疑者の心を読むことができた。
 さらに予防策として6人のマインド・リーダーが置かれた。それは”目撃者”に対しても、別の場所で同じことが行なわれた。4日目にはすべてのマインド・リーダーたちが、容疑者と目撃者に訊問(じんもん)を行なった3人の裁判官に記録を提出した。弁護士や陪審員はいない。裁判官は事件の詳細な記録のすべてを手元に置き、判断において絶対的な確信が持てるようにした。

 殺人の刑罰は死であった。それもおぞましい死であり、殺人者は生きたままワニの棲む場所へ投げ込まれた。なかでもレイプに関しては殺人以上に重罪と見なされ、刑罰はさらに残酷であった。犯罪者には蜂蜜が塗られ、蟻の巣の近くに肩まで埋められた。死に至るまではおよそ10時間から12時間もかかったのである。

 こうした理由で2つの人種間には犯罪率は極めて低かったので、牢獄を持つ必要がなかった。犯罪者は自分の行為が引き起こす結果をよく知っていた。よって犯罪者が非常に残忍な方法で罰せられることは正義にかなっていた。そしてその結果、犯罪はほとんど起こらなかったのである。

聖職者によるマインド・コントロール------------------------------------------------------------------

 宗教上では、2つの人種は”生まれ変わり”を信じていたが、しばしば彼らを二分する信念上の相違があった。聖職者たちの中にはそれを利用して人々を組織化するものがおり、そうした宗派の分離が黒人種のあいだで悲惨な状況を生み出すことになった。ある時、約50万人の黒人種は聖職者たちの後を追い、現在紅海となっているアフリカへ絶えず移住して行った。当時はまだ紅海は存在せず、アフリカの一部であった。
 聖職者たちは自分たちの下に集まった人々の中から政府の長を選んだが、当然、そうした指導者たちは、聖職者たちのコントロール下にあった。彼らはそこで村や町を建設したが、それまで彼らが持っていた公正な政治形態は捨て去られていた。そしてわずかな間に人々は、現在の地球で見られるような汚職や売春、麻薬などの数多くの不正行為に出合うことになった。
 一方、黄色人種はうまくまとまっていて、多少の宗教的偏向はあったが、彼らの聖職者たちは国政に発言権を持たなかった。彼らは分離してアフリカに移った黒人種とは違い、平和に暮らしていた。

 彼らが持っていた戦闘用の武器はとても単純なものだったが、その性能は見事なものだった。2つの人種はともに、いわゆるレーザー兵器を携帯していた。その兵器は各国の指導者の指揮下にある特別なグループによってコントロールされていた。各国の共通の了解で、各人種は100人のオブザーバーを恒久的に相手国に駐屯させ、それは同時に自国の大使であり外交官であったので、それによって行き過ぎた武装が行なわれないことを保証した。そして平和は3550年間維持されたのであった。
 しかしアフリカに移住した黒人種は分離していったグループだったので、その武器の携帯は許可されなかった。彼らは少しずつ遠方へ広がっていき、現在サハラ砂漠となっている地域に居住した。当時のその地域は、非常に肥沃で穏やかな気候であり、豊かな植物や多くの動物たちが満ち溢れていた。聖職者たちは人々に神殿を建造させ、富と権力への欲望を満たすために、人々に重税を課すようになった。

 彼らはこれまで貧困というものを味わったことがなかったが、ここで富裕層と貧困層という明確な2つの階級が形成された。聖職者は当然、前者に属し、彼らが貧しい人々を搾取したのであった。宗教は偶像崇拝となり、人々は石や木で造られた神々を崇拝し奉げ物をした。しかし間もなく聖職者たちは、人間を生け贄にすることを主張するようになったのである。

宇宙の法則では、人間の基本的義務は”精神性を発達させる”ことにあると規定される--------

 分離して移住して来た最初から、聖職者たちにはある企みがあり、彼らはできるだけ大衆を無知なままに留めておくように尽力(じんりょく)した。そしてそのために何年もかけて大衆の知的・肉体的レベルの向上を妨害した結果、彼らはより簡単に人々を支配できるようになったのである。そのように肥大して発達した宗教は、まさに大衆のコントロールを目的としたものとなり、もはや移住前の信仰とはまったく異なるものとなっていた。
 宇宙の法則では、人がどのような惑星に住もうとも、人間の基本的義務は”精神性を発達させることにある”と規定されている。しかしその聖職者たちは偽りの指導を通して人々を無知へと導き、全国民を退化させることによってこの基本法を犯した。外部の宇宙生命体はこの時点で介入することに決めたが、それを実行する前に、聖職者たちに最後のチャンスを与えることにした。彼らは夢やテレパシーを使って、大司祭に次のようなメッセージを送った。
「人間の生け贄をやめ、人々を正しい道に導くように。人間は精神性を高めるために肉体を持って存在しているのである。あなたの行なっていることは宇宙の法則に違反している」と。
 大司祭はひどく怖れ、翌日、聖職者たちを集めて彼が見た夢の話をした。しかし彼らのうちのある者たちは、大司祭を裏切りだと非難し、幻覚を見たのだと言い、もうろくしたのだと考えた。それは数時間にわたって議論され、会議を構成する15人のうち12人は、自分たちは”復讐心に燃えた神々”の地球における代理人であり、その”復讐心に燃えた神々”への信仰と恐怖心を維持させ、推し進めるのが望ましいと主張し、今まで通りの宗教のやり方を維持する決定をした。彼らは大司祭の夢の話を信じなかったのである。

 こういった時、外部宇宙生命体の立場は非常に微妙なのである。バカラティーニ人はここへ移住して来る前には宇宙船を持っており、そうした乗り物を識別できたので、外部宇宙生命体が宇宙船によって彼らの前に姿を現し、聖職者たちに直接話しかけることもできた。しかしもしそうしたなら、彼らは間違いなく外部宇宙生命体を攻撃してきた。それに彼らは大衆のなかにおいて、自らの優越性を失うことを非常に怖れていたのでなおさらであった。彼らは大衆の反乱に備えて軍隊を作り、かなり強力な武器を保有していたのである。
 外部援助者たちは彼らを正しい道へ導くためにそれらを破壊し、国民に直接話しかけることもできたが、しかしこれは心理的に正しくない。なぜなら人々は聖職者たちに従うことに慣れており、たとえ外部援助者たちが直接話しかけたとしても、人々はなぜその外部援助者が彼らの国内事情に干渉するのか理解できなかった。よって干渉しても意味がないことは明らかだったのである。

 ある晩、外部援助者の宇宙船から出た”球体”の1つが、この国の1万メートル上空を飛んでいた。神殿や都は街から1キロメートル離れたところに位置していた。外部援助者は大司祭と彼の忠告に従った2人の聖職者をテレパシーで目覚めさせると、彼らを都から1キロ半離れた公園まで導いた。そして集団幻覚によって守衛に門を開けさせ、囚人たちを解放させた。次に12人の邪悪な聖職者だけを除き、使用人や兵士など、神殿や都の全住民を起こして避難させた。空に現れた奇妙な雲に導かれて、誰もが街の反対側へと走った。
 これは集団幻覚で、こうして短時間の内に12人の邪悪な聖職者だけが都に残った。そしてすべてが準備されると、”球体”は兵器の力を使い、神殿も含めて都のすべてを破壊した。岩は砕け散り、壁は粉々となり、わずか1メートルの高さの瓦礫となった。そして人々を啓発するために、「神の怒りはこれよりもさらに怖ろしいものであり、これからは大司祭に従い、彼の示す新しい道を歩むように」と警告した。2人の聖職者が大司祭を支えたが、言うまでもなくあの”出来事”は、全て神による奇跡と考えられた。なぜなら翌日、生け贄になる予定だった200人以上の囚人たちが解放されたからである。

 この出来事のすべては何人かの書記によって詳細に記録されたが、何世紀も経つうちに、再び伝説や物語として歪められていった。しかし当時のアフリカでは、この出来事によって瞬時にすべてが変化したのである。人々を搾取していた者たちは、邪悪な聖職者や粉々になった都のことを思い起こしては、自分の身にも起きるかもしれない恐れを感じたので、大いに謙虚となり、新しい指導者たちを助けた。そして人々は移住して来る前の時代のように、再び満足して生きるようになったのである。
 ある幻影・幻像を作り出す時には、人々が見たいと思うものを見せる必要がある。よって例えば人々に宇宙船を見せたいと思うなら、人々がそれを見たがっていることが重要になる。正確な言葉と巧みにコントロールされた暗示によって、人々はそれを見たいという期待で、その人物の周りに実際に現象を見るのである。たとえば宇宙船や白象、あるいは”ファティマの聖女”などがそうだが、これらは地球上の現象としては典型的なケースなのである。
 ファティマの聖母は、1930年、ポルトガルの小さな町ファティマで起きた、カトリック教会が公認している、聖母の出現の一つ。ローマ教皇庁は奇跡として公に認めたが、第三の予言は長年にわたり秘匿(ひとく)した。


ハイパーボーリア文明のアラブ民族---------------------------------------------------------------------

 オーストラリアにいた黒人種から分離してアフリカに移住していった黒人種たちは、その後数世紀の間にアフリカ中に広がり、人口も数百万を数えるまでになった。彼らは工業や都市の発展よりも牧畜を好み、街は現在の紅海がある地域や、アフリカ中心部を流れる大河の沿岸地域にだけ築かれ。人々はサイキックな能力を高めることを望み、多くの人々が空中浮揚によって短い距離を移動できるようになり、テレパシーは彼らの生活においてありふれたものとなった。また肉体の病気はしばしば、手をかざすことだけで癒された。

 彼らはオーストラリアの同胞たちの宇宙船のことを”火の戦車”と呼び、それに乗ってやって来るオーストラリアやニューギニアの黒人種たちと、再び友好的な関係を築くようになった。黒人種と親しくなった黄色人種の一部の人々は北アフリカに移住を開始した。そして、黄色人種は黒人種と混血するようになった。これは驚くべきことで、バカラティーニ星では彼ら2つの人種が混血することは決してなかったのである。民族学者たちは、こうした新しい種族を生むことになった結合に大きな関心を払った。
 そして実はこの”交配種”には、黒人種よりも黄色人種の血のほうが多く入り、結果として黒人種でもなく黄色人種でもない中間的な人種を生み出した。これらの人々は絶えずグループを作り、現在の北アフリカのアルジェリアからチュニジアの辺りに定住した。こうして生まれた新人種がアラブ民族となるが、ただ彼らがただちに現在のアラブ民族の元になったわけではない。それは何世紀もの時間と風土が影響していった。
(つづく)

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