Doll of Deserting

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水底の彩~みなそこのあや~(ギンイヅ:花標余章)

2005-11-05 23:27:36 | 過去作品連載(キリリク作品)
*連載「花標」の余章です。イヅルが女の子ですので苦手な方はご注意下さい。
*あとがきに少々補足を加えさせて頂きました。分かりにくい場面が多々ございますので。(汗)



 湖から水を汲んでくる時には、引きずり込まれぬようにときつく母に言わしめられていた。そのことは幼い子供や歳若い娘には皆に伝えられていた。それはよく近所の老婆などが話して聞かせる迷信などに似ており、イヅルははじめ少しも信じることが出来なかったが、しかしここは何が起きても不思議ではない世界であると言われれば、イヅルも否定はしない。いや、出来ないと言った方が正しくはあるのだが。


「いいわね、イヅル。湖に足を付ける時にはよく注意するのよ。」
 家には井戸が在ったが、水がどうしようもないほどに濁っていたので、それを使うよりも湖の水をこして使った方が幾分ましであった。水を買っても良かったが、たった少しの水のために金を惜しまぬほど裕福な家庭でもなかった。
「はい、母上。それは何故ですか?」
 幼い子供には似合わぬ訝しげな表情で尋ねると、母は柔和な顔を少しばかりひそめて言った。
「あそこにはね、私達とは違う生き物がいるのよ。」
「違う生き物?」
「そうね…化け物、と言えば分かるかしら。」
 違う生き物、といえば犬や猫もそれに含まれてしまうので、シヅカはなるべく畏怖すべきものを例えて言った。しかしイヅルは気丈な子供であったので、そう答えられても何故気をつけるべきなのかよく分からないようである。
「死神なんですから、そんなものを恐ろしく感じる必要もないでしょう?」
「ええ、そうね。死神じゃなくても大人は大丈夫なの。心配しなければならないのは、あなた達のような小さな子や年頃の女の子達なのよ。」
 シヅカは同伴すると言ったが、イヅルが一人で行くと言ってきかなかった。そう遠くもないところであったし、何より水汲みも一人で出来ない娘であると思われたくはなかったのである。シヅカは、化け物といっても未だ証明されたものではなかった上に、娘が一度決めると動かない子であると知っていたので、渋々行かせることにした。
「後ろからこっそり尾けるのもおやめ下さいね、母上。」
「…分かりました。」
 娘からそう言われようと、黙ってあとから付いていくつもりであった。しかし、何分聡い子であったので、イヅルは全てに気付いている。そしてあまりにも悲しげな顔を浮かべたので、シヅカは不安に思いながら黙って家を出る娘を見送った。


 確かに今は昼間であるのに、湖は既に薄暗く光っていた。その気味の悪さに一度は身を引いたが、イヅルはすぐに着物をたくし上げ、水面に足を付けようと試みる。いっそ早く終わらせてしまえばいいと思ったのである。草履を脱いで静かに足の指をそっと水に触れさせると、全身が震えた。まるでその蒼さが表面から身体を染め上げていくような、もしくは内から喰われていくような、そんな錯覚を覚えた。
(帰りたい…。)
 死神の子供であるのだから、と気丈に振舞ってはみるものの、そこはやはり子供であるのだから、恐ろしいものは等しく恐ろしい。
 出来れば草履を脱がずに桶に水を汲めるならばそれが一番いいのだが、生憎湖は浅く、湖の面した土手は足場が悪い。しゃがんで水を汲もうとでもすれば、それこそそのまま転げ落ちてしまいそうである。
 ようやく膝まで水に身を落としたところで、土手のところに置いた桶を掴む。一度息を飲んでからさっと桶に水を汲むと、それを持って湖から上がろうとした。しかし、片足を地につけた瞬間、もう片方の足をぐい、と引き摺られたのを感じ、目を剥いた。
「うわあっ!」
 叫んでみても、周囲に人影など見受けられない。ばしゃん、と思ったよりも鈍い音が響き、やっと自分が水の中に沈んだことを理解した。しかし水は温く、冷たさなどは感じられない。そろそろ息苦しいのではないかと思ったが、何ということか、水の中では息をすることが出来た。
 恐る恐る目を開くと、僅かに不透明な水の濁りが見えた。それは白濁とした泡のようで、イヅルはそのままはっきりと目を見開く。そこには、美しい女の顔があった。こう言っては何だが、母の顔に印象がよく似ている。艶やかな黒い髪を顔に貼り付けたその女は、笑った。
「あなたは…。」
 くぐもってはいるが、口が利けることに驚いた。冴えた水でぬめる手足を必死でばたつかせながら、イヅルが声を上げる。その女は化け物というよりも、もっと神聖な生き物に見えた。それはいっそ、精霊などという言葉で表現した方がむしろ正しいような気がした。
 一言も声を上げないまま、女がイヅルの顔に手をやる。そしてするりと頬を撫で上げると、腕を掴んだ。その力は恐ろしく強く、やや痛みを伴った。イヅルは今頃になって急に息苦しさを覚え、口を押さえてみるが、いっこうにそれは改善されることはない。


 その時である。白く焔を上げる水面から、浅い光が差し込んだ。


「げほっ…げほっ…。」
 喉を押さえ、軽く指の爪を立てる。何とか感触があることを確認すると、目の前に背の高い影が見える。細い足をたずさえたその男は、先程見た女よりも希薄に思えた。男は、日頃イヅルが見慣れている黒い装束を着ていた。
「あかんなあ。」
 特徴的な抑揚のある口調であった。男はそう言ったかと思うと、イヅルの濡れた頭をくしゃりと撫でる。それから湖に目を向けた。気付けばイヅルは、土手の上に出ていたのである。水面を軽く見据えると、そこには女が俯いていた。
「この子は水もらいに来ただけやで?何もせえへんよ。」
 女がぱくぱくと口を開ける。すると水の中にいた時には気が付かなかった鰓が開いた。イヅルは驚き、僅かに身を退かせた。
「あれは…あの人は、何ですか?」
 お兄さん、と問いかけると、男はあァ、と思い出したように言ってから、主や、と答えた。
「よう言うやろ?池の主やら何やら。そういうのんの類や。あの子はえらい弱い子やから大人は相手にせえへんけど、いっとう悪さする子供やら、洗濯や何やで水汚しとるお譲ちゃんやらが入ってくると足掴むんよ。こないな曇りの日は特にそうやね。殆ど晴れた日しか人来えへんから見たお人はおらへんやろうけどなあ。お譲ちゃん、一番乗りやね。」
 飄々とした笑みを向けながら、男はイヅルに言った。イヅルはまだあまり声を出すことが出来ない。背は震え、体温がどんどん失われていくようである。男がそれを眺め、こらあかん、と一言呟いてイヅルに何か掛けてやろうとしたが、生憎今は袴一枚の姿で何も羽織ってはいない。男は仕方なしに、イヅルの背を抱いてやった。よしよし、と擦ると、遠慮がちに縋り付いてくる。
 先程の男の言葉に了承したのか、女はいつの間にか消えていた。あとにはただ着物を濡らしたイヅルのみが残され、男がそれを宥めてやっている。イヅルは、静かに目を閉じた。


「あら、イヅルお帰りなさい。…どうしたの!?その着物…。」
「ええ、と…。」
「申し訳あらしまへん。ちょおボクとぶつかってうっかり湖に落としてしもうて…。」
「あら、市丸さん。お久しぶりね?」
「母上…お知り合いだったのですか!?」
「ええ、まあ…。」
「いや、せやからそういうことで、堪忍したって下さい。」
「そういうことなら仕方ないわねえ。」
 シヅカの言葉に、イヅルが嬉しそうな顔を見せた。駄目な子だと思われることがイヅルにとって何よりも畏怖すべきことなのである。どれ程悪さをしようとシヅカや景清がイヅルを嫌うことなど有り得ないのだが、イヅルは何もかも完璧でなければ気が済まないらしい。
 イヅルは、あれから男に汲んでもらった水を持って家に入ろうとした。が、その前にあることに気付き、振り返って男に向かい「ありがとうございました」とふわりと微笑んで言った。それから置いてきますね、とそこを後にした。
「…ご免なさいね、市丸さん。こんなことを頼んでしまって。」
「ええですよ。丁度任務も終わったとこやったし。」
「だってあの子私が付いていったりしたら絶対に気が付くんだもの。」
「シヅカさんに似はりましたなあ。アンタもえらい鋭いお人やから。」
「まあ…。とにかくあなたがいてくれて良かったわ。ありがとうございました。」
「いえいえ、こちらこそ。」
「…こちらこそ?」
「えらい別嬪さん拝ましてもろうてご馳走さんでした。あの子ほんまに可愛えですねえ。」
「…まだお嫁にはやりませんよ。」
「まだ、いうことはあと十年もしたらええんですかねえ。」
「…その時までにあなたが隊長にでもなっていればね?」
「相変わらず厳しいお人や。」


 身内の思惑をよそに、イヅルの思考は夜の闇に溶けていく。自室に戻ると、すぐに睡魔に襲われ、泥のように眠ってしまった。瞼を閉じる瞬間、あの時見た深海のような蒼を思い出す。そこはひどく白濁とした妖しさを秘めており、鮮やかな色をしていた。その色は、この日出会った男が纏う色とよく似ていた。

 そしてまた、精霊の過ぎた跡には。





■あとがき■
 連載のリクエストを下さったこはく様が、子供時代のイヅルも見てみたいと仰って下さいましたのでややシリアスバージョンで書かせて頂きました。イヅルの子供時代のネタは明るいのがもう一つありますので、近々UPさせて頂きますね。
 しかし分かりにくい話ですね…!(汗)果たしてイヅルの生きる時代が井戸とか水汲みとかそこまで古いのかはよく…。(泣)
 そして、修正を入れるはずだったのですがご指摘頂いてから初めて気が付きましたので補足。(汗)
 私はとりあえず、霊術員の教員は死神時代を経て、引退するか現役のまま異動したかのどちらかだと思っております。ここでの吉良夫妻は大分お若いので、自主異動したばかりの頃だと思われます。アニメなんか見てるとお若い先生も見受けられますので、もしかすると死神にならずにまっすぐ教員になる道もあるのかもしれませんが。
 それから、舞台裏としては、元々シヅカさんが頼んだとはいえ確かに市丸さんはイヅルの命を救ったわけでして、この時点でご両親は将来結婚させることなどを考えておいでなのですが、丁度イヅルがこのことを忘れた辺りにまた市丸さんがイヅルの命を救い、イヅルの中で市丸さんは改めて恩人として印象付けられましたので、これは好都合と婚約を取り付けたわけなのです。解説しないと分からない番外編って一体。(汗)

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