☆ 住 吉 大 神 浄 め 給 う ☆

天皇陛下、ありがとうございます。ご先祖の皆様、お父さん、お母さん、家族の皆様、ありがとうございます。

先聖(せんしょう)の精神をもって新しく前進すること

2014-03-31 03:00:00 | 今日の光明法語



人は今までの考え方や、やり方の習慣の中に安住して、

新しい生活や事業を開いて行こうとしない傾向があり勝ちである。


昔のままで動かないでいることが、不安がなく落ち着く気持ちがするので、

安易な方を選ぼうとするのである。


しかし人類は進歩する、社会も進歩する、科学も進歩する、私たちはそれらの進運(しんうん)に

とり残されてはならないのである。


「 古きを温(たず)ねて新しきを知る 」( 温故知新 )ということは、

特に先聖(せんしょう)の人々の生活の行履(あんり)に われわれの精神の行き方を学ぶことが

大切であることを言ったものであるが、


その先聖の精神が示された行き方によって、新しいものをきり開いて行くことが大切なのである。

先聖は決して旧態依然たる古い習慣にしがみついたりしてはいられなかったのである。



『 生長の家 』 誌 昭和四十四年十二月号

「 実相を礼拝して 生活を光明化するには 」 二十日の法語  谷口雅春





陰極は陽転する、陽転のためのアイディアを受けよ

2014-03-30 04:37:56 | 今日の光明法語


事物の悲観面に心を注いで、悲観面に心が捉われてはならないのである。


今までの生活のやり方や、考え方や、行動や計画の進行に間違いがあって、

愈々その間違いの結果、事態が破局の最悪状態に近づきつつあっても、

それに心が捉えられて、心が挫折してしまってはならないのである。


そんな時ほどあなたの心は明るく保たれなければならないのである。


「 事態が破局に近づきつつある 」ことを悲観的に考えないで、

そこに陰極が陽転せんとする契機が孕んでいることをみなければならない。


生命が生きてある限り陰極は必ず陽転するのである。


その“ 陽転 ”に対して心を開いて、神から放送されて来る、“ 陽転のためのアイディア ”に

波長を合わせるがよいのである。


心に強く描いて波長を合わせたものが現実化するのである。


破局を恐怖して、破局に心を集中してはならない。

心を転ずることによってのみ“ 陽転 ”の機会をつかむことができるのである。




『 生長の家 』 誌 昭和四十四年十二月号

「 実相を礼拝して 生活を光明化するには 」 十九日の法語  谷口雅春





神の放送番組に波長を合わしなさい

2014-03-29 00:42:48 | 今日の光明法語


今あなたの身辺にある恵みに感謝せよ。 

恵みの数々をかぞえあげて、そのいちいちに「 ありがとうございます 」と感謝の念を送るがよい。


神の恵みに対して起す感謝の念は、神の放送される無限の善き番組に波長を合わすことになるので、

次から次へとあなたの人生に、好き番組が展開して来るようになるのである。


あなたが、神の放送せられる幸福番組に心の波長を合わせていられる限り、

決して、何者もその幸福番組の実現を妨げることはできないのである。


何故なら神の霊波は、どんな人間の妨害電波よりも強大な力で放送されているからである。


併(しか)し、唯一つ、神の霊波を受信することを妨げるものがある。

それはあなた自身が、神の霊波に波長の合わぬところの不平の念や、憎悪、

悲哀、恐怖、嫉妬(しっと)、貪欲(とんよく)、呪詛(じゅそ)・・・等の念を起すことである。



『 生長の家 』 誌 昭和四十四年十二月号

「 実相を礼拝して 生活を光明化するには 」 十八日の法語  谷口雅春




あなたが困難な問題に面したとき

2014-03-28 00:00:18 | 今日の光明法語


時々、あなたの魂を鍛えるために、困難な問題や、艱難辛苦がやってくるかも知れない。

冷たい風に触れずに温室育ちのような生活を送っているものは、

人格の強さを鍛え出すことはできないのである。


それゆえに人生に、色々の問題が起って来ることは、

あなたの魂が健実に強固に育つために是非必要な条件なのである。


だから、起って来る困難な問題に対して感謝せよ。

問題は必ず解答が出るようにできているのである。


その問題を解くように考えをめぐらすことは、あなたが学校でむつかしい数学の問題を

出されて考えているようなものである。

学校でむつかしい数学の問題が出て来るのは、あなたの能力を増すためにある。


では、人生でむつかしい問題が出て来るのは、あなたの魂の力を強くするためだと解るであろう。

人生に困難の問題が出て来たとき、あなたは、「 この問題で私の魂は鍛えられて向上する。

ありがとうございます 」と感謝するがよい。



『 生長の家 』 誌 昭和四十四年十二月号

「 実相を礼拝して 生活を光明化するには 」 十七日の法語  谷口雅春先生




“富”の種子を植えて育てること

2014-03-27 18:42:26 | 今日の光明法語


「自分は貧しいのだ」とう考えを棄てなさい。

そして「 既に富める“神の子”の実相 」を心に描いて、

「 すでにわれ富めり、有りがとうございます 」と心に唱えて感謝するがよい。


それが“ 富 ”の種子を現象界に植えつけたことになるのである。


その思いを常にもち続けることが必要なのであって、ある時間だけ、祈りや、神想観の時だけではなく、

常に、その“富相(ふうそう)”をもちつづけ感謝の念をもち続けることによって、

実相世界にある無限の富が、現象化してあらわれることになるのである。


もし途中で、まだ現象に残存する“貧しさの影”を見て、「やっぱり駄目だ、私は貧しい」と考えれば、

その考えが想念の種子となり、雑草となって萌えひろがり、


折角(せっかく)、以前に播いた“富想”の種子の上に覆いかぶさって、

“富想(ふうそう)”はついに芽を出すことなく、枯れてしまうことになるのである。


“貧しさ”の雑想雑念は早く刈りとるがよい。



『 生長の家 』 誌 昭和四十四年十二月号

「 実相を礼拝して 生活を光明化するには 」 十六日の法語  谷口雅春先生




あなたの境遇をよくする秘訣

2014-03-26 00:00:18 | 今日の光明法語



私たちは今すぐ自分の境遇を幸福なものに変化することが出来るのである。

それは自分自身の心が先ず変ることである。

「心はすべての造り主」であるからである。


先ず 自分自身が調和の心を起すがよい。


そのためには人の欠点を見つけて、あれこれ批評したり、悪口を噂したりする心を棄て、

それに置き代うるに、人の美点のみ見つけて、それを称讚し、祝福の念を送るようにすることだ。


また自分の今ある生活の不足を数えてそれを不平に思ったり呪ったりすることを止め、

どんな貧しい生活の中にも見出される幸福を ー 空気がある幸福を、食物がある幸福を、

兎も角、住む部屋があり、兎も角、今着ている衣服がある幸福・・・等々を、かぞえて、

それに感謝する心を起すことである。


そこからあなたの一層幸福な境遇が展開して来るのである。


とも角、不平を思う代りに感謝するようにしなさい。

そこからあなたの幸福な境遇も環境も生まれて来るのである。




『 生長の家 』 誌 昭和四十四年十二月号

「 実相を礼拝して 生活を光明化するには 」 十五日の法語  谷口雅春先生





あなたが完全な自由を得るために

2014-03-25 01:06:17 | 今日の光明法語



あなたが何物か外界又は他者によって縛られていて自由が得られない感じがするならば、

その自由を外界や他者に対して求めることを止めて、自分の“実相”に対して求めるがよいのである。


次のように念じなさい。


“ 私は神の子である。

神が××(自分の姓名を唱える)となって此処にあらわれているのである。

神が私なのである。神が私なのである。

私は今完全に自由なのである。

何ものも私の自由を縛ることはできないのである。”



『 生長の家 』 誌 昭和四十四年十二月号

「 実相を礼拝して 生活を光明化するには 」 十四日の法語  谷口雅春先生




劣等観を去るための神想観

2014-03-24 00:00:18 | 今日の光明法語



人間の不幸のすべては殆どみな劣等観に基いて本来の偉大なる潜在能力を発揮せずに、

その出口を塞いでしまうことから起って来るのである。


そのような劣等観をなくするためには、次のように神想観をして祈るがよい。―


“ 私は神の子である。

神は全能である、その全能の力が私に宿っているのである。

私は神の子である。

神は全智である、その全智なるすぐれたる智慧が私に宿っているのである。

そして時に応じ、処に応じ、人に応じて、その全智全能なる智慧と力とが自由自在に

発現してくるのである。

それゆえに私は何物をも恐れることはないのである。”




『 生長の家 』 誌 昭和四十四年十二月号

「 実相を礼拝して 生活を光明化するには 」 十三日の法語  谷口雅春先生





非行少年を良くする道

2014-03-23 00:00:18 | 今日の光明法語


不良化した子供を、正常の子供にするのも、成績不良の子供を成績優秀の子供にするのも

同様の原理にもとづくのである。


不良児とか、異常児とか、非行少年とかいうものは「 本来無い 」のである。


その本来無いという事実を知って、その外観を超越して直接、「神の子」なる子供の実相を心に描いて、

その姿を心で凝視するがよい。


その観が本当に徹底したら、本来の良き子供の実相があらわれる。



『 生長の家 』 誌 昭和四十四年十二月号

「 実相を礼拝して 生活を光明化するには 」 十二日の法語  谷口雅春先生




子供の成績をよくするには

2014-03-22 00:00:18 | 今日の光明法語



子供が不成績であっても、その不成績や、智能の低さを見ないで、

神想観中に、その子の、完全にして全智全能なる“ 神の子 ”である実相を観じて拝むようにするならば、

実相の完全さがあらわれて成績が優秀となるのである。


決して、「この子は頭が悪いから、神想観によって頭の悪さを治してやるのだ」などと考えてはならない。


「頭が悪いから」という前提をもっていてはならないのである。


そんな前提を心にもつ事は、「迷いの雲」の中に自分がひっかかって

光の輝く実相青空に出られないことを意味する。


「頭が悪い」という“現象の雲”をつきぬけて、

一躍超入、その子供の“ 神性 ”を把えてそれを凝視し、礼拝するがよい。


(谷口雅春著『 優良児を作る 』参照)




『 生長の家 』 誌 昭和四十四年十二月号

「 実相を礼拝して 生活を光明化するには 」 十一日の法語  谷口雅春先生





われ常不軽菩薩たらん

2014-03-21 04:13:55 | 今日の光明法語


実相礼拝の行事によって、恰も「縁なし」と見える衆生の仏性を目醒(めざ)めしめようとせられた方が、

法華経の“常不軽菩薩(じょうふきょうぼさつ)”なのである。


この菩薩は「 われ常に軽んぜず 」と唱えて、

いかなる浮浪者でもヤクザでも、また彼を石をもって打擲(ちょうちゃく)しようとした者すらをも、


「あなたの実相は“如来”でいらっしゃいます。当来 必ずその如来の実相のあらわれる方であります」と

いって、ひたすら相手の実相たる“ 内在の如来 ”を礼拝したのである。


生長の家人の生き方は、この常不軽菩薩の生き方をすべきである。




『 生長の家 』 誌 昭和四十四年十二月号

「 実相を礼拝して 生活を光明化するには 」 十日の法語  谷口雅春先生





本当は「縁なき衆生」はない

2014-03-20 02:08:09 | 今日の光明法語


では、本当に「 縁なき衆生は度し難し 」なのだろうか。

「 縁なし 」といって放置して見殺しにしておいて、よいものだろうか。


現象面では波長が異なり、肉体は触れ合っていてすらも、

心は互いに断絶していて互いに触れることが出来ないかも知れないけれども、

実相は彼らも亦“ 神の子 ”であり、本来“ 仏性 ”であり、

彼らの生命の根元的な面に於いては、互いに密接に“ 一体 ”なのである。


だから彼らを救ってあげようと思えば彼らの生命の根元的な面で彼らと接触すればよいのである。

即ち、彼らの「 実相 」の円満完全さを心で凝視し礼拝する行事をつづけるがよいのである。


彼らにも“ 実相の完全さ ”が宿っているのであるが、彼らの肉体は“ 実相 ”の波長には全然波長の

合わない迷妄の波長を起しているために、“ 実相 ”と“ 肉体 ”との間が相互断絶していて

“ 実相 ”は隠覆(いんぷく)されて、恰も眠ったような状態になっているのである。


私たちが彼らを救わんがために、彼らの「 実相 」の円満完全さを凝視して礼拝するのは、

その眠っている「 実相 」に対して、波長のあう霊波を起して「 実相 」を霊波で叩いて

目を醒(さ)まさせて「 実相 」のハタラキを表面にあらわすためなのである。




『 生長の家 』 誌 昭和四十四年十二月号

「 実相を礼拝して 生活を光明化するには 」 九日の法語  谷口雅春先生






“ 縁なき衆生は度しがたし ”

2014-03-19 00:50:16 | 今日の光明法語


迷いの中に悩みながら、こちらが救けてあげたいと思うけれども、

宗教とか信仰とかというものに興味のない人がたくさんある。

このような人を救うにはどうしてあげたらよいのであろうか。


釈尊はこういう人の事を「 縁なき衆生は度(ど)し難し 」と仰せられた。

「 度す 」というのは「 済度(さいど)する 」ことである。


実相光明世界 ― 即ち「 彼岸 」に度(わた)してあげたいけれども、

「 縁 」 即ち触れ合う、機会が無いということである。


肉体は互いに触れ合い、目に触れてはいるけれども、

「 機 」即ち「 心のはたらき 」が互いに「 会う 」ことがないのである。


それは恰(あたか)も、ラジオの放送電波は現実に今此処に到達しているけれども、

放送電波と受信機との波長があわないので、

いくら「 善き助言 」を放送してあげても、彼らは波長の合わぬラジオ・セッとのようなものであって、

心の触れ合う機会がないのである。




『 生長の家 』 誌 昭和四十四年十二月号

「 実相を礼拝して 生活を光明化するには 」 八日の法語  谷口雅春先生






あなたの言葉で人を傷つけてはならない

2014-03-15 00:00:18 | 今日の光明法語


誰でも不快なことを聞くと、自分が不快になるのである。

人に不快なことを聞かせることは、人に不快な目をさせることになる。


人に不快な目をさせることは、相手の心を傷つけることである。

それは相手の肉体を傷つけるよりも一層大なる罪悪である。


何故なら、“ 心 ” は “ 肉体 ”よりも一層大切なものであるからである。


人の心を傷つけながら、自分が相手を傷つけている事を知らぬ人がある。

そして常に、人に“不快な言葉”を聞かせて、常に人を傷つけて止まるところを知らないのである。


だから、釈迦は「 悪いと知らずに犯す罪の方が、悪いと知って犯す罪よりも重い 」といって

教えられたのである。


あなたは決して“不快な言葉”を人に話してはならないのである。




『 生長の家 』 誌 昭和四十四年十二月号

「 実相を礼拝して 生活を光明化するには 」 七日の法語  谷口雅春先生





祝福を与える者はまた祝福せられる

2014-03-14 00:00:18 | 今日の光明法語


何事によらず、何物であろうとも、一切の事と物とを祝福することは、

事態を好転するための驚くべき不思議な力となるのである。


「 祝福する 」とは「 詛(のろ)う 」ことの反対である。


相手の前途に対して、必ず良き事が来ると祈ってあげ、且つそれを信ずることである。


“ 希望の光 ”をもって相手を鼓舞してあげることである。


「 与えよ、さらば与えられん 」の法則に従って、あなたが、他の人々を祝福して“ 希望の光 ”を

与えてあげるならば、あなたは神から、又は何かのルートを通して一層“ 希望の光 ” を与えられるに

相異ないのである。



『 生長の家 』 誌 昭和四十四年十二月号

「 実相を礼拝して 生活を光明化するには 」 六日の法語  谷口雅春先生