☆ 住 吉 大 神 浄 め 給 う ☆

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壮絶な幼少時代を過ごした下村文科相の目指す教育改革

2014-07-31 01:10:10 | 今日の光明法語

『週刊ダイヤモンド』   2014年7月26日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1044


政界で最も誠実な人物を三人挙げるとしたら、私は間違いなく下村博文氏をその一人に入れるだろう。以前から教育こそ氏の天職だとも感じていたが、氏の著書『9歳で突然父を亡くし新聞配達少年から文科大臣に』(海竜社)を読んで、文部科学大臣としての氏への信頼はますます深くなった。


本の題名通り、氏は9歳で父親を交通事故で失った。氏を筆頭に幼い3兄弟が残され、母は女手一つで3人を育てたが、それは今も昔も生易しいことではない。しかし、貧しさの中で博文少年はけなげだった。父の墓を守ろうと頑張り、父の居ない寂しさと心細さにくじけそうになっては、夜、父の墓を訪れた。大好きな父に聞いてもらいたいことを手紙に記して墓前に埋め、自分を支える力とした。心打たれ、涙を誘われる場面である。

賢い少年は目標を定め、努力を重ねた。夢を描き、志を立てて前進しようとする少年を支えたのが交通遺児育英会(あしなが育英会)だった。


氏は幾度となく述懐している──奨学制度がなければ自分は今とは別の人生を歩んでいたかもしれないと。その場合、政治家下村博文はもとより文科大臣としての氏も生まれてはいなかったはずだ。育英資金が教育に深い理解を抱く人材を育てたことが、いま、どれほど日本のためになっていることか。


7月15日、下村氏は幼児教育の段階的な無償化・義務教育化を目指す中で、まず、五歳児の幼稚園や保育所の費用を、年収360万円未満の世帯を対象に無償化する方針を発表した。人材こそが日本国の基盤である。どの子にも教育の機会を与える仕組みこそ大事で、そのことの意義を誰よりもよく実感しているのが氏であろう。


あまねく教育の機会を与えるだけでなく、まっとうな内容の教育を施さなければならない。そのためには日教組教育でねじ曲げられ、深い傷を受けた日本の教育の改革が必要だ。


下村氏が財団法人日本青年研究所の調査結果を引用して警告している。日米中韓四カ国の高校生の意識調査で、「自分は駄目な人間だと思うか」との問いに、「よく当てはまる」「まあ当てはまる」と答えたのは米国53%、中国39%、韓国32%に対し、日本は84%だった。しかもこの数字は1980年、2002年、11年と調査のたびに、増えている。


年々歳々自分を詰まらない存在と見做す若人はなぜ増えるのか。日本国自体を否定する教育から自分を否定する価値観が生まれているのである。この後ろ向きの教育を正す大改革が必要だ。教育委員会制度の大改革を果たした氏の教育改革に懸ける情熱が本書に溢れている。第一次安倍政権下での教育基本法改正に始まり現政権が引き継いだ教育改革の経緯については本書を読まれたい。


それにしても政治がどれほど厳しい戦いであるか、氏の著書によってあらためて知らされた思いがする。96年、初めての衆議院議員選挙を振り返って氏は「鬼のような執念」「血の滲み出るような選挙戦」と形容する。


06年、第一次安倍政権で官房副長官となった氏に、私は薬害肝炎問題で患者救済の道を開くべく、協力を要請したことがある。同案件は下村氏と萩生田光一氏の助力を得て患者救済の道が開かれたが、当時、下村氏が胃がんを患っていたことを、今回、本書によって初めて知った。


松岡利勝農林水産大臣の自死などで、安倍政権はすでにメディアから嵐のようなバッシングを受けていた。氏は書いている──「自分は戦場にいるのだ。戦いの、しかも大苦戦の真っ最中に、戦友を残して戦線離脱はできない」と。


病と戦いつつ、安倍政権を支えた氏の姿が政治家としての誠実さを物語っている。こんな人物とチームを組める安倍晋三氏の幸せを思ったことだ。




 櫻井よしこオフィシャルサイト
http://yoshiko-sakurai.jp/2014/07/26/5435




クリスチャン・サイエンスとの比較 ( 2 )

2014-07-26 21:38:25 | 今日の光明法語

エディ夫人の伝記を読む者は

彼女が如何に周囲の人々と不和であったか、

事毎に摩擦を生じ、迫害と裏切りとに取り囲まれていた事を知って驚く。


そこにも生長の家の根本的中心教義たる 「 天地一切のものと和解せよ 」 の教えと

クリスチャン・サイエンスと甚しく相異することが示されている。


エディ(夫人)の主著たる 「 真理と健康(サイエンス アンド ヘルス)」 の中にも

「 天地一切のものと和解せよ 」 の思想はない、

ただ物質無、肉体無、病気無、を主張するだけで、

如何なる心が 如何なる病気を起すかの解明はない。



『 生長の家 』 誌 昭和二十三年二月号

二十四日の法語  谷 口 雅 春 先 生




クリスチャン・サイエンスとの比較 ( 1 )

2014-07-25 22:17:42 | 今日の光明法語

エディ夫人が 「 肉体の無 」 を説きながら、

なぜ、触手的に患者に触れねばならぬかに就いては

彼女からクインビー方法(メソッド)を教えて貰った講習生から

盛んに反駁的質問が来たのでエディ夫人も困ってしまったが、


依然として触手的方法を捨て得なかった実状は

「 世界光明思想全集・第十四冊、初期のクリスチャン・サイエンス 」 に詳しく書かれている。


生長の家を単なる日本のクリスチャン・サイエンスだと思ったら間違いである。

クリスチャン・サイエンスの真理も包容しながら、それ以上のものに飛躍しているのである。



『 生長の家 』 誌 昭和二十三年二月号

二十三日の法語  谷 口 雅 春 先 生





触手的方法を用いない生長の家

2014-07-24 21:48:52 | 今日の光明法語

クリスチャン・サイエンスは ただ肉体の無を説き、

病気の非実在を説くだけである。


そしてどんな病気は どんな心の誤りだと云うことを説かなかった。


そしてクインビーの方法(メソッド)を踏襲したエディ夫人は

按手して思念する療術行為的なことをやった。


エディ(夫人)の著書の中には粘膜の炎症は 恐怖心のあらわれだと云うようなことが

説かれているだけで、各種の病気に対する心の細かい対応などは説かれていない。

これを詳しく説いているのが生長の家である。


生長の家は触手的な療術行為と誤られる虞(おそ)れを避けて

全然按手的触手的方法を用いることをその講師又は指導者に禁止し、

全然教えのみ説くことにし、各々の病気に対して、

それに相応ずるような精神の持ち方を改めるように説く。

それで病気が治るのである。



『 生長の家 』 誌 昭和二十三年二月号

二十二日の法語  谷 口 雅 春 先 生





上に従順なる思想

2014-07-21 03:30:00 | 今日の光明法語

クリスチャン・サイエンスやニュー・ソートにない教えで

生長の家にある教えは中心帰一の思想である。


多くの病人が一家の中心たる良人に対する反抗心で起っている。


頭痛を訴える或る婦人は

医師の判断では脳髄の中に出来ている腫物にあると云うことを、

脊髄液をとって検査することによって診断した。


ところが良人に対して絶対無我になる事をすすめて

良人に対する不平の心を取り去るように教導したのである。


話しているうちにその婦人のなやましき頭痛はやまってしまい、

それ以来その頭痛は再発することがなかったのである。



『 生長の家 』 誌 昭和二十三年二月号

十九日の法語  谷 口 雅 春 先 生





身心脱落してそのまま 「 無 」

2014-07-20 03:30:00 | 今日の光明法語

心もなく、身体もなく、からだもなく、心もなく、

一切が “ ある ” が “ まま ” に脱落する。

それを “ そのまま ” と云う。


「 そのそのまま 」 と云うような言葉は

外国語には翻訳が困難である。


外国語に翻訳が困難であると云うのは、

それに適当した観念がないと云うことである。


“ そのまま ” は不来(ふらい)であり、不去(ふこ)である。


そのままにして肉体無しと悟る。

敢(あ)えて肉体の抹殺を必要とせず今、此処に、

無時・無空間の生命の実在を悟るのである。


これをキリストの十字架の真義とする処に、

西洋哲学と東洋哲学との一致を見出(みいだ)す。



『 生長の家 』 誌 昭和二十三年二月号

十八日の法語  谷 口 雅 春 先 生




内外(ないげ)打成一片(だじょういっぺん)の 「 今 此処(いまここ) 」

2014-07-19 03:30:00 | 今日の光明法語

「 汝の内 」 とは 「 外 」 に対する 「 内 」 でもなければ、

肉体に対する 「 心 」 でもないのである。


「 心 」 に幸福を思い浮かべたら、

その人は既に天国にいるのも同様であるから、

キリストは 「 神の国は汝の内にあり 」 と云ったのだと云うように解するのは

余りにも浅い解釈である。


「 汝の内 」 とは 「 外 」 に対するものではなく、

「 内外打成一片の生命 」 の端的(たんてき)であり、実相である。


「 内外打成一片 」 の “ 今 此処 ” に真に神の国があり、天国がある。


身心脱落・脱落身心である。

身心一切が十字架にかかるのである。

ニュー・ソートにはこんな境地はない。



『 生長の家 』 誌 昭和二十三年二月号

十七日の法語  谷 口 雅 春 先 生





時・空 未発の一点に久遠生命を把握せよ

2014-07-18 03:30:00 | 今日の光明法語

今・此処の一点 ― 時間・空間 未発の一点に

久遠生命を把握する深さは

ニュー・ソートやクリスチャン・サイエンスには見られない。


よく似た所まで往っている人もあるが、

それでも “ Here and Now ” 位か、

“ Eternal Now ” 位の所である。


「 神の国は汝の内に在り 」 と云うイエスの言葉が、

それ故に空転するのである。


今・此処・我が渾然一体となって、

肉体無の無字の一点に全実在を把握しなければ、

「 汝の内 」 とは 「 外 」 に対する 「 内 」 になって

真の意味は掴めない。



『 生長の家 』 誌 昭和二十三年二月号

十六日の法語  谷 口 雅 春 先 生




今此処の一点に全実在を把握せよ

2014-07-17 03:30:00 | 今日の光明法語

生長の家を 米国光明思想の受売りだと思っている人もあれば、

古事記の解釈より出現したる日本古道を本とすると考えている人もあり、

クリスチャン・サイエンスを祖述したものだと考えている人もある。


併しその何れも正鵠(せいこく)を得ていない。


叙述の素材は 以上のいずれよりも引用してあるし、

仏教の諸経典 更に老子、孔子、孟子、菜根譚(さいこんたん)や

心霊学の諸著書から博引傍証してある。


併し、渾然融合せしめたものは、

今此処の一点に全実在を把握する特殊の悟りである。



『 生長の家 』 誌 昭和二十三年二月号

十五日の法語  谷 口 雅 春 先 生





「 仕事の奴隷 」 になってはならぬ

2014-07-16 03:30:00 | 今日の光明法語

人は全生命力をもって「仕事」と取り組まなければならぬ。

しかし徒(いたず)らに「仕事」「仕事」と仕事ばかりに熱中して、

「仕事の奴隷」になってしまったために

折角の天才が早く生涯のエネルギーを使い果して廃人となったり、

短命に終ってしまったような例を見ることは、まことに悲しいことである。


これは、自己を知らぬことと 不完全なる生活設計から来るのである。


生命の働きは緊張と弛緩との交替によって行われる。

緊張ばかり持続することは生命を浪費するし、

なまけて、弛緩ばかり持続することも生命を浪費することになる。


吾々は自己自らの体質を知り

それに適するもっとも完全なる生活設計を行い、

仕事と休養との交代した喜びに満たされ生活設計を行うとき

一生のうちに最も多くの価値ある仕事を成しとげることが出来るのである。



『 生長の家 』 誌 昭和二十四年三月号

「 完全なる生活設計 」 三十一日の法語  谷口雅春先生






精力を分散するな

2014-07-15 03:30:00 | 今日の光明法語

全生活力をもって

勉強又は仕事と取り組むことが出来る者は

必ず優勝強者となる。


しかし精神力を一時に集注せず、エネルギーを分散して行く者は、

他の競争者と伍して行くことができず、失敗する原因となるのである。


精神力を分散する者は始終自ら作ったハンディキャップを身につけて、

自分自身の能率を縛りながら、

それでいて最大の能率をあげることは

不可能なことだといわなければならないのである。


先ず自分自身を知らなければならぬ。


「 汝自らを知れ 」 というのは、ソクラテスの格言であり、

永遠に吾々の生活設計を始めるに当たっての

最も偉大なる箴言(しんげん)である。



『 生長の家 』 誌 昭和二十四年三月号

「 完全なる生活設計 」 三十日の法語  谷口雅春先生




今も昔も変わらぬ朝日の偏り社説

2014-07-14 19:17:12 | 今日の光明法語
『週刊新潮』 2014年7月10日号
日本ルネッサンス 第614号


集団的自衛権の行使を可能にする憲法解釈の変更が7月1日、ようやく閣議決定された。同日の「朝日」の紙面には相も変わらぬ反対論が溢れていた。22年前、国連平和維持活動(PKO)に自衛隊を参加させるPKO法案でも、彼らはいまと似たような反対論を展開していた。

宮澤喜一首相が公明、民社両党と組んで成立させたPKO法を巡る「朝日」の一連の社説を読み直して、改めて感じたのは、本当に学習能力に欠ける新聞だということだ。なぜか、イデオロギーの偏りから抜け出せない。成長出来ず、現実に背を向けて観念の世界に遊ぶような主張にとどまり続けている。知性的メディアとして、人類の地平を切り開くような価値観や知恵の提言など、到底期待出来ない。

1992年6月のPKO法成立から22年、いま明らかなのは、「朝日」の読みが完全に間違っていたことだ。具体的に見てみよう。

同年3月17日、「朝日」はこう書いた。「自衛隊がPKOの任務をおびて海外に出動したとしても、それがただちに侵略につながると思う人は少ないだろう。だが、そんな心配をしている人々がアジアなどにいることを忘れてはならない」。

平和維持のために海外に行った自衛隊が、どのようにしたら侵略行為に走るというのか、まるで訳のわからない心配をしているのだ。

たとえPKOでも自衛隊だけは海外に出したくないとの思いが、同年4月24日の社説に色濃い。

「日本は戦後これまで、掃海艇のペルシャ湾派遣を除けば、自衛隊の能力を実地に用いるための海外派遣を控えてきた」「もしここで自衛隊派遣を制度化するのであれば、それは、国の姿勢の転換にほかならない。ことはそれほど大きい」

6月5日には、「PKO協力問題は、自衛隊の海外派遣を可能にする意味で、戦後日本のあり方を大きく転換するものであり、拙速の処理であってはならない」と主張した。

徹頭徹尾、中国寄り

もっと議論に時間をかけよとは、先延ばしでPKO法を阻止せよということであろう。面白いのは92年4月8日の社説である。

当時、中国は89年の天安門大量虐殺事件で国際社会の制裁を受けていた。制裁解除を狙う中国は、日本を西側社会の連携の「最も弱い輪」と位置づけ、まず日本に働きかけて経済制裁を解除させた。その上で、92年10月には天皇皇后両陛下のご訪中を実現させ、中国は孤立から脱却したとの印象を国際社会に植え付けようと画策した。中国のその狙いを「朝日」が後押ししたことを示すのが、4月8日の次の社説である。

「天皇訪中は、中国の再三にわたる招請にこたえて、素直に実現するのが望ましい」「これを拒んで、天皇訪中の当否自体を日中間の政治問題にしてしまうのは愚かなことだ」

天皇ご訪中を政治的問題にしてはならないというが、中国自身が天皇ご訪中問題を政治的思惑から要請したのではないか。

同じ社説で、日本が他国に先がけて制裁解除に踏み切ったことを、「人権問題に甘い、という批判は確かにあるが、結果としてみると、経済制裁の率先解除をはじめとする一連の対処は、中国の改革・開放の加速化を促すうえで、一定の役割を果たした」と評価している。徹頭徹尾、中国寄りである。

中国政府発表で319人もが殺害された天安門事件にも目をつぶり、天皇ご訪中を促した「朝日」は、92年4月の江沢民国家主席来日の際、こんな主張もしている。

「江(沢民)氏は講演で『日本軍国主義によって中国人民が大きな災難を被った』過去に触れた」「自衛隊の海外派遣を盛った国連平和維持活動協力法案(PKO協力法案)は、『日本の過去』との関連でとらえられている」

中国が、日本のPKO法を過去の軍国主義に絡めて批判しているぞというわけだが、自国民を大量殺害し、民主化運動を弾圧する国に自衛隊のPKO活動で物申す資格などないことを、「朝日」は理解出来ない。

右の社説を92年3月16日の社説と合わせて読むと、「朝日」のねじ曲がった価値観がさらによくわかる。

「首相の外国訪問や海外の被災地、紛争地から邦人を救い出すのに使う政府専用の2機のジャンボ機が、4月に防衛庁(航空自衛隊)に配属される。これに備えて、自衛隊に海外の邦人輸送の権限を与える自衛隊法改正案が国会に提出された。問題は、改正案が、2機のジャンボ機だけでなく、自衛隊の保有機全般について、海外の災害や内乱、国際紛争時の邦人の救出輸送に充てることができるようになっている点にある」

「朝日」は完全に間違った

弾圧も国民虐殺も中国がやることは不問に付すが、自衛隊には海外の邦人救出のために保有機を飛ばすことさえ許さないという姿勢である。

あれから22年が過ぎた。その間に自衛隊のPKO活動がアジア諸国から侵略と断罪されたことは一度もない。逆に、自衛隊は各国で大歓迎された。イラク暫定政権のヤワル大統領は、04年6月9日のシーアイランド・サミットの際、当時の小泉純一郎首相に「イラク国民が最も歓迎しているのは日本の自衛隊だ」と賞賛した。

第1次イラク復興支援の部隊を率いた番匠幸一郎氏は、部隊が日本に引き揚げるとき、部族の長老以下子供たちまで涙を浮かべて見送ってくれたと語る。

ヒゲの隊長、佐藤正久参議院議員は「現地の人たちは、日本に戻らないでほしい。ずっといてほしいと我々を引きとめようとした」と語る。

「朝日」は完全に間違ったのだ。集団的自衛権反対の彼らの主張には、既視感がついてまわる。まず、その執拗さである。反PKO法案のキャンペーンも凄まじかったが、集団的自衛権も同様である。安倍政権発足以来7月1日まで、集団的自衛権に関して、実に60本の社説と19本の天声人語を掲載し、反対論に明け暮れてきた。

もうひとつ気づくのは、「戦前回帰」(13年12月18日)、「平和主義からの逸脱」(同年9月17日)などという根拠のない非難を繰り返し、「国内外で理解が得られない」(同)と結論づける手法だ。

日本の集団的自衛権に反対しているのは中国と韓国、北朝鮮くらいなもので、東南アジア諸国も豪州もインドも米国も、およそ皆賛成であるが、「朝日」はそのようなことには言及しない。

それにしても「朝日」の主張に決定的に欠けているのが、国際社会の大変化についての認識である。国際情勢を読みとらずして、集団的自衛権を含む安全保障問題を論ずる資格などはないのである。



櫻井よしこオフィシャルサイト
http://yoshiko-sakurai.jp/2014/07/10/5416




何人も皆天才である

2014-07-14 03:30:00 | 今日の光明法語

何人も自己に与えられている天分の百パーセントを発揮する時、

必ず天才であり、必ず世に立って人々から喜ばれ 尊ばれる所の人となることができる。


多くの人々は、自分に与えられたる天分の 実に僅(わず)かの部分 ― 

二十パーセント又は三十パーセント位しか発揮していないのである。


諸君の天分の大部分は

不規則なる生活、悪習慣、睡眠の不足、不適当なる休養方法、

誤れる食物又は過大なる食量、更に面白からざる精神状態によって

消費されてしまっているのである。


これは何と惜しいことではないか。



『 生長の家 』 誌 昭和二十四年三月号

「 完全なる生活設計 」 二十九日の法語  谷口雅春先生




努力や克己の代価を払わずには立派な仕事は出来ぬ

2014-07-13 03:30:00 | 今日の光明法語

何事に対しても、払っただけの代価にふさわしきものを得るということは 真理である。


諸君が懶(なま)けものの 「 だらしのない日常生活 」 を代償として支払いながら、

生活戦場に於て 勝利者としての優秀なる結果を得ることは 不可能である。


秩序整然 と 健全なる生活を送るためには、

それだけ 「 意志 」 や 「 努力 」 や 「 忍耐 」 や 「 克己 」 や

如何なる誘惑にも屈しない所の 高貴なる節操の代価を払わなければならない。


吾々がこれらの代価を払えば払うほど、

吾々の獲得する成功の価値は高いのである。



『 生長の家 』 誌 昭和二十四年三月号

「 完全なる生活設計 」 二十八日の法語  谷口雅春先生





人間の幸運と不幸とは自分自身の使い方にある

2014-07-12 03:30:00 | 今日の光明法語

「 生命 」 がその 「 使命 」 を遂行する為の道具として創作された肉体は、

その性能をよく知って、その弱点の現れないようにし、

その特徴を生かし使うようにすれば、

乱暴に、遊蕩に肉体を使うよりも長持するし、

立派な働きをする事が出来る。


自己の性能を知ることなく、

鋸(のこぎり)で庖丁(ほうちょう)の代用をするような使い方をしながら、

効率が上がらず、人に認められず、徒(いたずら)に社会の下積みとなり

世間を呪わなければならぬようになるのは自己を知らぬからである。


人間の幸運と不幸とは、

決して偶然の他力(たりき)に支配されているのではなく、

同じ隣接地でも 甲の農家と乙の農家に貧富の差ができるように、

自らのやり方で運命を作るのである。



『 生長の家 』 誌 昭和二十四年三月号

「 完全なる生活設計 」 二十七日の法語  谷口雅春先生