人間の実相は本来完全であるという真理の前提に立って、その本来の健康をあらわすためには、
やはり、その実相の完全さを心に描いて、それを凝視し、礼拝し感謝するがよいのである。
病気を“みとめて”、それを治そうとして、単に、「 手段 」のために「 完全さ 」を心に描いて
礼拝しても、「 人間は不完全で、病気になる 」という前提が、心の奥ふかくつかまれているならば、
心の奥ふかくつかまれている想念の姿が、形の世界にあらわれるのであるから、
「 人間本来病むべきもの 」という迷いの観念を 心から放してしまうことが 先ず 必要なのである。
それが即ち 神想観の最初の“ 唱(とな)え言(ごと)”「 われ今、五官の世界を去って
実相の世界にいる 」である。
心が五官の世界を去ったら、「 人間本来病むべきもの 」という現象界の前提がなくなる訳である。
『 生長の家 』 誌 昭和四十四年十二月号
「 実相を礼拝して 生活を光明化するには 」 五日の法語 谷口雅春先生