☆ 住 吉 大 神 浄 め 給 う ☆

天皇陛下、ありがとうございます。ご先祖の皆様、お父さん、お母さん、家族の皆様、ありがとうございます。

四無量心(しむりょうしん) ― 自己の心に天国を創造し自己の生活に浄土を建立(こんりゅう)する

2017-01-31 10:08:45 | 今日の光明法語
“ 仏心(ぶっしん) ” が生きて動くところ、そこが 仏土(ぶつど)となり、
浄土(じょうど)となり、天国となり 浄国(じょうこく)となるのである。

それでは 仏心とは何であるか。 『 観無量寿経(かんむりょうじゅきょう) 』 には
「 仏心とは 四無量心(しむりょうしん)是(これ)なり 」 と示されているのである。

四無量心とは 慈悲喜捨(じひきしゃ)の四つの無量(むりょう)の深き心である。
慈徳(じとく)は 他(ひと)の苦しみを解脱(げだつ)させてあげる深心(しんじん)であり、
悲徳(ひとく)は 他(ひと)に楽(らく)を与えんと願う深心であり、
喜徳(きとく)は 他(ひと)の喜びを見て わが喜びとする深心である。

しかし この三徳(さんとく)を不浄(ふじょう)なき、いと浄(きよ)らかな姿で
成就する根本徳(こんぽんとく)が私心(ししん)をことごとく捨てる捨徳(しゃとく)である。
この真理を知らせ給いし神に感謝いたします。ありがとうございます。

谷 口 雅 春  先 生
『 聖経 続 真理の吟唱 』 地上に天国浄土を成就するための祈り 79~82頁





個性を発揮しながら中心を逸脱しないこと

2017-01-28 19:22:56 | 今日の光明法語
     生長の家創始者  谷 口 雅 春 大聖師

創始者への恩を背かず、創始者の発見した真理の基礎の上に立ちながら、
単なるその亜流にならず、独創的な業績をあげ、世界の文化に貢献しつつ、
世界の渦の中に巻き込まれて個性を失うようなことはせず、
更に創始者の理想を一層大きく発展させるものこそ、
真に創始者の弟子だということが出来るのである。

真理は中心であり、創始者は その中心の周囲に自己の時間の許す限りの輪を描く。
彼の人生の時間には限りがあるから、ある程度以上に大きな円を描くことはできない。 
次に続くものが、創始者の円の上に同じような円を重ねて描く
 
そして一歩もその円周は創始者のそれよりも大きくならないならば、
これが所謂亜流である。 しかし同じ中心を周って図を描きながら
創始者よりも包容面積の広い同心円を描く。 
それは同心円であるから真理の中心から逸脱する事はない。 

こうして多数の後に続く者がより一層 包容面積の広い同心円を描きながら、
その真理から拡がっていく。 しかもその同心円は中心から外れていないから
自然にひとつの中心に集まる組織体となっていて、その団結が崩れる事がない。

そしてその同心円を仮に黄色とか緑色とか紫色とかに着色してみると美しい図柄ができる。
その各々異なる色合いがその後継思想家の個性を表現するものと理解すればよい。

    『理想世界』誌  昭和46年4月号

http://blogs.yahoo.co.jp/vanon32/18437243.html


『 国のいのち 人のいのち  ― 天皇・国家および自己存在の原点 』

2017-01-28 17:55:16 | 天皇・国家
はしがき

人間は生命体であるが、国家もまた生命体であり、個人がそれぞれ個性ある理念を
表現しているように、それぞれの国家もまた個性ある理念を表現しているのである。
各自の個性を滅却すれば人間は死あるのみである。国家も同じでことである。

国家の個性は滅すべからざるものである。特に日本国家は、海外の諸国とは
国の成り立ちが異なっているのであって、他国の成り立ちが人間の自衛のために
集団して建国を見たのとは異なり、

宇宙生命の本源神にまします天照大御神(あまてらすおおみかみ)の発想により
創作せられた国家構図を成す中心帰一理念の具体化として発祥せる生命体国家なのである。

しかもこの理念は、宇宙生命の本源神の御発想に基づくものであるから、
単に日本国家形態の中心理想であるばかりでなく、あらゆる“生”あるものの
存在の基本形態になっており、

すべて生あるものはその全構成要素が中枢を成す中心に帰一することによって
その健康を保っているのである。生命体としての国家は 他の生命体と同じく
中心に帰一することによって健全なる発展が見られるのである。

わたしはかつて 『 占領憲法下の日本 』 なる本を公刊して四十数万部を頒布したが、
そのとき三島由紀夫氏が 特に序文を書いて下さったが、その序文の中に次の如く
書いていられるのである。

・・・・・・

生長の家が 愛国運動の中心として活躍していることは今や周知のことだが、
それは決して近年に始まったことではない。

そもそも生長の家の発祥が、兵庫県の住吉村八甲田に住んでいた私が、
毎朝からだを禊(みそぎ)してから近くの本住吉神社にお参りし、
日本国の隆昌(りゅうしょう)と皇室の弥栄(いやさか)のために祈っていたとき、
霊感を頂いたところにある
のである。

そして昭和八年、東京における第一回講演会の演題が 「 中心(すめろぎ)に
帰一する道 」 であり、東京に本部道場が開設されて最初の十日間の講習会で
連日 『 古事記 』 『 日本書紀 』 に基づく日本の話をし、現世利益・病気治しの話を
第一義に期待し求めて来た受講者が驚嘆(きょうたん)したものである。

戦時中は 「 皇軍必勝・必勝生還 」 を宣揚し、戦後占領下も、自らは追放下に
ありながら、聖経『 甘露の法雨 』 巻頭の神示に 「 皇恩に感謝せよ 」 の一句を
堂々と唱導して来た。
その後も、国民総自覚運動や文書を以て
一貫して、日本の実相、天皇の実相顕現を唱導し推進して来た。

書籍としても、 『 限りなく日本を愛す 』 『 我ら日本人として 』 など十点に余る
憂国の書を世に問うたが、今回、それらの論を統一して理解するための、
天皇と日本論の根拠となるべき問題を易しく説いた講話を中心に本書をまとめた。

日教組教育により日本や天皇の尊厳、特殊性について全く教えられず、
それどころか逆に反天皇、反国家的教育と社会状況の横行する中で、
いきなり天皇・日本の本質を説いても受け入れ難い層に、本書は特に有意義であると思う。

・・・・・・

これ( 補注:日本国内の精神的、思想的、分裂、対立の状態 )は、
禍津日(まがつひ)の神の出現で、過渡的現象としての自壊作用であり、
やがて本当の天照大御神ご司配の日本国が出現する時が近づきつつあるのである。
それに先立って、浄め払いのために 住吉大神(すみよしのおおかみ)の御出御が
なければならないのである。


住吉大神は 『 古事記 』 及び 『 日本書紀 』 の記録によれば天照大御神
御降誕(ごこうたん)に際し、また天孫降臨(てんそんこうりん)の折り、
神武天皇(じんむてんのう)御東征(ごとうせい)の際、
神功皇后(じんぐうこうごう)の三韓(さんかん)征伐(せいばつ)の時、
仲哀(ちゅうあい)天皇崩御(ほうぎょ)し給い日本国が危機に面した時など
顕われ給いて、日本の国をお護りになった神様であらせられる。

今や、日本国は 有史以来の思想的及び政治的危機に際し
吾らが 「 竜宮住吉本宮 」および 「 鎮護国家(ちんごこっか)出竜宮顕祭殿
(しゅつりゅうぐうけんさいでん)」 を造営し奉るのも、

一(い)つに 住吉大神に現象の表に臨御(りんぎょ)していただいて
直接その御光を頂き、日本国の危機の暗雲を一掃して頂き、天照大御神の御光を
現象界にまで射照し給い、炳焉(へいえん)として日本国本来の実相が顕現して、
思想的にも政治的にも日本国家が本来建国されたる中心理念の礎(いしずえ)の上に立ち、
確乎安泰たるを得んがためである。

本書の公刊の目的も同じことである。今上陛下が国史上初めて、お健やかに
御即位満五十年の記念すべき日を迎えられた今日、尚一層ひろく天皇国家の基礎を
なす理念につき、国民すべてに深く理解して頂きたいためである。

昭和五十一年十二月二十五日

谷  口  雅  春


目 次

はしがき

1 真理は人間を解放する                       9
2 真の自分・より大いなる自己を生きるための根本哲学         52
3 唯物論 か 唯神実相論か ― 真理国家建設の原点            81
4 “ 身土不二 ” の観点から ― 祖国が新しく生まれ変わるために     107
5 祈りなき人生と祈りある人生と ― “ 唯物論教育 ” と “ 生命の教育 ” と  131
6 わが天皇絶対論 と 天皇絶対権力者論 との相違           160
7 青年に 美しい夢と希望を                      170
8 真の平和には 先ず 「 占領憲法 」 の廃棄が必要である        194
9 限りなく天皇さまを敬愛する                    221




神の子であるというのは、神の生命の“自己延長”ということであり、神の全徳の継承者であるということである

2017-01-26 06:51:45 | 今日の光明法語

神の子であるというのは 神によって創造(つく)られたる “ 被造物 ” という
意味ではないのである。神の生命の “ 自己延長 ” ということであり、
神の全徳の継承者であるということであるのである。

谷 口 雅 春 先 生
『 聖経 続 真理の吟唱 』 「 人類意識の妄念を断ち切る祈り 」 208~211頁


<「 光の弾丸 」 とは 「 光のコトバ 」 である 。> 菅野完著 『 日本会議の研究 』 の誤り

2017-01-25 22:50:33 | 今日の光明法語

「 光の弾丸 」 とは 「 カネ 」 ではなく 「 光のコトバ 」 であるということは、
生長の家の信徒ならすぐにわかること


杉下通

このページ( 補注:菅野完著 『 日本会議の研究 』 289頁 ) だけでも、
すぐに誤りの部分がありますね。
こんな内容の本を“聖典”扱いにして、“誌友会のテキスト”にするなんて 恥ずかしい。

< この「 光の弾丸 」 とは カネのことだ。 >

そもそも、『 理想世界 』誌 百万運動は、暗黒思想が世界を覆い尽くしている中で、
< 光のコトバ > で、百万人の青少年に真理の言葉を伝えて、日本国実相顕現の柱となる
人材を育成すべく始められたものである。

「 光の弾丸 」 は 「 カネ 」 ではなく、 「 真理のコトバ 」 のことです。

‘ 初歩的 ’ ミスですね。
住吉大神の禊ぎ祓いが、日本国実相顕現・人類光明化運動であるという
根本的なことが理解できていない内容ですね。



「 縦の真理 」 と 「 横の真理 」   ①

2017-01-21 10:07:20 | 今日の光明法語

生長の家は 二つの真理を説(と)いております。二つの真理と云うのは、
その一つは 「 縦の真理 」 で、もう一つは 「 横の真理 」 であります。

「 縦の真理 」 と云うのは、織物の経糸(たていと)のように 終始一貫して
変らざる真理であります。併(しか)し 経糸(たていと)だけでは
織物は 織(お)れないのでありまして、それに緯糸(よこいと)が 交叉(こうさ)して
はじめて織物が出来るのであります。

それで 現象界と云う織物が出来上(あが)るには 「 緯(よこ)の真理 」
「 経(たて)の真理 」 に 縦横(じゅうおう)交叉(こうさ)して
色々の織模様(おりもよう)をあらわすのであります。

経(たて)の真理 と云うのは 終始一貫変らないと申しましたが、何が変らないかと云うと、
人間は 大生命から生れた、即ち 「 人間神の子 」 と云う真理であります。
これは永遠に かわらない。即ち人間は神の子であり、円満完全であって、
決して病気にもかからなければ、老衰(ろうすい)もしないし、死にもしない。
何処(どこ)にも欠陥のない 万徳(ばんとく)円満のすばらしい神の命が
人間 ‘ そのもの ’ であります。これが永遠 かわらない 「 縦の真理 」 であります。

経糸(たていと)の喩(たと)えを もって説く場合には 「 経(たて)の真理 」
書きますが、そう云う喩えを はなれて説く場合には 「 縦の真理 」 と書きます。
どちらでも結構です。

処(ところ)が 「 横の真理 」 と云うのは、終始一貫して変らない経糸(たていと)の表面に
横に 色々と糸を 組み合わせて 模様を着けて織(お)ってゆく。
それによって終始一貫かわらない縦糸は 其(そ)のままでありながら
現象的には 色々の模様が出来てゆくのであります。
夫(それ)を 「 横の真理 」 即ち 「 心の法則 」 と言っているのであります。

私たちは 神の完全な生命を頂いていると云うことには 変りはないのに、
心の法則に従って 此の現象界にいろいろの人生の有様(ありさま)を展開して
ゆくのであります。

尤(もっと)も 「 縦 」 も 「 横 」 も一つの 「 設計者 」 と言おうか
「 デザイナー 」 と言おうか、兎(と)も角も 織元(おりもと)の技師が
計画をして拵(こしら)えているのでありまして、此の織元の技師は神様で
ありますから、 縦の真理 、 横の真理 と二つあるようでも
神一元(かみいちげん)で、もとは一つであります。

縦の真理 は、神様がつくりたまうたままに 終始(しゅうし)変らざる処(ところ)の
完全な実際の相(すがた)、これを 実相 というのであります。

横の真理 は、実際の相(すがた)でなくて、現れている象(かたち)
すなわち 「 現象 」 を 取扱うのでありまして、その現象がどう云うようにして
変るかの法則であります。現象と云うものは実在(じつざい)の相(すがた)では
ないから色々に変るのです。

新版 『 真理 』 別冊 生死を超える道 ( 89~91頁 ) 谷 口 雅 春 先 生




「 縦の真理 」 と 「 横の真理 」  ②

2017-01-21 10:03:33 | 今日の光明法語

・・・・・それが ( 註:人の顔の形、すなわち、目、口、鼻、耳 ) みな
一定の形に並んでおるのは その物質の成分を並べるところの
或(あ)る 「 理念(りねん)の力 」 、すなわち 「 精神的模型(もけい) 」 とも
言うべきものの力があって、それが物質の成分を並べたものであると言うことが
できるわけなのです。

すべてのものは、物質でできているように見えているけれども、
実は物質で できているのではなくて、神の生命(いのち)が宿って、
神の智慧が それを導いて、そうしてある相(すがた)に現しているのであります。・・・・・

そうして その現れている相(すがた)が みな一様に規則正しく秩序整然としておって、
その現れを見ることによって、その 「 あらわれ 」 の奥にあるところの
「 生命(いのち)の智慧 」 がすばらしい円満な完全なりっぱなものであると
いうことが 類推(るいすい)してわかるということになるわけであります。

その生命(いのち)こそが皆さんのほんとうの実物です。
形は現(あらわ)れにすぎません。皆さんの実物実体は
それは 「 神の生命(いのち) 」 がここに現れているのであります。

これを生長の家では 縦の真理 と言っている。これを悟ったから、阿部定(さだ)さんは
病気が治ったのです。これは 終始一貫してかわることなき真理であります。
それでこれを 縦の真理 と言うのであります。

人間が 「 神の生命(いのち) 」 のあらわれで完全だと云う真理は、
織物に譬(たと)えるとちょうど、経糸(たていと)みたいになっているものであって、
終始一貫 かわることなくまっすぐであります。

永遠にかわらない。古今(ここん)を通じて誤らないというように
永遠にかわらないものであります。その永遠に かわらない真理は、
「 人間の生命(いのち)は 神の生命(いのち)で完全である 」 と云うことで
ありますけれども、横の真理 によって その相(すがた)が かわって来るのです。
これは織物の緯糸(よこいと)みたいなものであります。

織物に どんな模様が出て来るかということは、緯糸(よこいと)にいろいろな色が
ついておって、それが右に折れ 左に折れて 織物を織(お)って行(ゆ)く、
そうして外の色々の模様を織り出して行くということになっているのであります。
これを 「 横の真理 」 と言うのであるが、それと同じように人間の生命(いのち)の
ほんとうの相(すがた)は 織物の経糸(たていと)のようにこれは 終始一貫、
つきつらぬいてかわらない完全な生命(いのち)(神の生命(いのち))
であります。

それなのに どうして不完全な相(すがた)が そこに現れて来るのであるかというと、
それは緯糸(よこいと)にあたるところの 「 心 」 に色々の色がついて、
その心に描くものが 形に現れて来るのであります。心に戦争を描けば、
戦争が現われ、心に病気を描けば病気が現れ、心に平和を描けば平和があらわれ、
心に健康を描けば健康があらわれて来るのであります。

新版 『 真理 』 第 5 巻 女性篇 ( 187~189頁 ) 谷 口 雅 春 先 生



「 縦の真理 」 と 「 横の真理 」  ③

2017-01-21 09:41:46 | 今日の光明法語

思慮(しりょ)分別(ふんべつ)は 「 心 」 の問題であり、
人間は 「 心 」 によって「 真理 」 を知ることができ、
「 真理 」 を知ることによって、自主的境地(きょうち)に達(たっ)し、
自己の人生を支配することができるのである。

イエスが 「 真理は 汝(なんじ)を自由ならしめん 」 と言ったのは
此(こ)の理由によるのである。真理とは何ぞや。

「 人間は神の子であり、神と一体である 」 と云うのが 縦の真理 であり、
念(こころ)によって 「 神と一体 」 なる実相の完全性をあらわすことができるし、
又(また)念(こころ)によって 実相を晦(くら)ますことによって、
“ 月に叢雲(むらくも) " の如(ごと)く、不完全をあらわす事にもなると
云うのが 横の真理 である。

新版 『 真理 』 第 10 巻 実相篇 ( 317~318頁 ) 谷 口 雅 春 先 生



本当に救われる道 ― 自己が自己の主人公となること

2017-01-16 17:26:16 | 今日の光明法語

五月一日  暗黒の時には 黎明(れいめい)が近づいている

あなたの心の想い(想念)を積極的に 建設的に、明るい方向に、常に保つように
心懸(こころが)けなさい。外観が如何(いか)に悲観的に破壊的に見えましょうとも、
外観の暗黒さに心を奪われてはなりません。事件が破壊的に進行していることは、
何か新しい建築が はじまろうとしていることの証拠です。

あなたの焼跡の地面でも、恐らく其の焼跡に何かを建築する計画のあるまでは、
焼跡にある色々のものを毀(こわ)しは しなかったでしょう。
また折角、建っている家を毀すときには 屹度(きっと)、もっと大きな
新しい計画があるからでしょう。

だから今ある事物が 毀れて行(ゆ)きつつあるのを 悲しんではなりません。
外見の暗黒さに心を引っかからせてはなりません。常に明るい実相を見るのです。
暗い心をもってはなりません。明るく愉快に現在に、誠実をもって実行を続けると
必ず道が開けて来るのです。

( 原文は、正漢字 ・ 歴史的仮名遣いである。 )

『 生長の家 』 第 27 輯 第 5 号 昭和 32 年 5 月号  五月の法語
( 『 真理 』 第 9 巻 ( 昭和 33 年 3 月 10 日 初版発行 )生活篇 
「 第十一章 自己が自己の主人公となること 」 に所収 )

( ※ 本に所収される際に、 「 本当に救われる道 」 の語が、カットされている。)




心に禍(わざわ)いを 描(えが)かない

2017-01-15 18:53:23 | 今日の光明法語

何者も 吾人(ごじん)に敵対して立つ者は ないのである。
若(も)し 誰かが真に敵対して自分に向かってくるならば、
その原因は、周囲の誰かが此(こ)のハンブリン氏の語の通り
「 自分に反抗して立っている 」 と誤想し、 「 彼らが自分たちを崩壊せしめようと
している 」 と誤想し、みずから 「 かかる心的態度は その想念の犠牲者から
凡(あら)ゆる善きものを 遠ざける結果になる 」 のである。

そして ついに自分をしてあらゆる種類の否定的状態を感受し易き状態に立ち到らしめ、
「 それに対して身を曝(さら)すことにならしめ 」 ついに自己崩壊せしむるに到るのである。

凡(およ)そ 人生に起ってくるところの全ての災禍や葛藤は
周囲から害を与えられるという妄想に出発し、妄想が信念となり、
その信念が周囲の状態を一層険悪に形造らしめ、心に身構えすればするほど
周囲は険悪となり、自分の想念で造った険悪の渦巻きの中へ、自分自身の身を投じて、
四面楚歌とも言うべき惨禍(さんか)の中へみずから情死せしむるに到るのである。

簡単に言うならば 「 心に禍いを描いたら、最初は主観的にのみ存在する禍いが
客観的に形造られ、禍いの渦巻きの中に みずから溺没(できぼつ)する 」
という真理である。

これは 凡(あら)ゆる紛争の心理的想念的原因であって、将来人類に惨禍なからしめるには、
此の心の法則、その真理をひろく普及して、 「 心に禍いを描かない 」 ように
せしめることが必要なのである。

地上に神の国を実現するのは 亦(また)かかる心の法則を知らしむることによってのみ
可能となるのである。ここに生長の家の真理、ニューソート的真理の普及が
喫緊事(きっきんじ)なのである。

思想は自由なれども、心に禍いを描いて、その結果 禍いを勃発(ぼっぱつ)せしめ、
自己と周囲を破壊するようでは、自由を得たとは言われない。

真の思想の自由は、真理を想念する自由でなければならぬのである。
キリスト曰(いわ)く、 「 真理は 汝(なんじ)を自由ならしめん 」 と。


新版 『 叡智の断片 』  凡ての災害は想念が原因 ( 75~77頁 ) 谷 口 雅 春 先 生




十二月の神示

2017-01-15 12:54:12 | 今日の光明法語

12 月 5 日 ( 昭和 6 年 ) 信仰(しんこう)生活の神示

「 信仰生活とは 無用意(むようい)の生活ではない。
すべてに於(おい)て完全に用意されている生活である。・・・・・」


12 月 28 日 ( 年なし ) 君民(くんみん)同治(どうじ)の神示

「 国(くに)は 人間生命(にんげんせいめい)の外延(がいえん)である。
それは 身体(しんたい)が 人間生命(にんげんせいめい)の外延(がいえん)で
あるが如(ごと)くである。・・・・・・」


12 月 28 日 ( 昭和 20 年 ) 日本(にっぽん)の実相(じっそう)顕現(けんげん)の神示

「 敗戦(はいせん)の原因は 多々(たた)あれども 戦争を始(はじ)めたから
敗(ま)けたのである。是(これ)は 過去(かこ)現在(げんざい)未来(みらい)
永劫(えいごう)に変(かわ)ることなき真理(しんり)である。・・・・・・」





十一月の神示

2017-01-15 12:45:05 | 今日の光明法語

11 月 4 日 ( 昭和 5 年 ) 生長の家の食事

「 聖書に 吾(われ)らが 祭壇(さいだん)に対して 供物(そなえもの)を
献(けん)ずるに当(あた)っては、先(ま)ず 兄弟と仲直(なかなお)り
しなければならないと言うことが書いてある。

吾らは 食事をとるに当(あた)っても矢張(やは)り これと同じことを
しなければならないのである。
何故(なぜ)なら 食事は 自己に宿(やど)る神に供(そな)え物(もの)を
献(けん)ずる最も厳粛(げんしゅく)な儀式(ぎしき)であるからである。・・・・・・」


11 月 10 日 ( 昭和 7 年 ) 無病(むびょう)常楽(じょうらく)の神示

「 病(や)んでいると言う病(やまい)は 本来(ほんらい)ない、
苦(くる)しんでいると言う苦しみは 本来(ほんらい)ない。・・・・・・」


11 月 25 日 ( 昭和 7 年 ) 本来(ほんらい)生(しょう)、不滅(ふめつ)の神示

「 物質の束縛(そくばく)に縛(しば)られざるものを 人間と言うのである。
真の人間は 『 神の子 』 であって物質ではなく、肉体ではない。
肉体ではないから 物質の世界に出入(しゅつにゅう)する事もない。・・・・・」


11 月 27 日 ( 昭和 20 年 ) 終戦後(しゅうせんご)の神示

「 われは 七つの燈台(とうだい)に燈(ひ)を点(てん)ずる者である。
われは 白髪(はくはつ)の老翁(ろうおう)である。

白髪とは 久遠(くおん)永劫(えいごう)よりつづく無量寿(むりょうじゅ)の
象徴(しょうちょう)である。

われは 彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)が 魚釣(なつ)らす鈎(つりばり)を
失(うしな)い給(たま)いて 憂(うれ)い 泣きたまう 海辺(うみべ)に来(きた)りて、
尊(みこと)を 龍宮海(りゅうぐうかい)に導(みちび)きたる塩椎神(しおつちのかみ)で
ある。・・・・・・」




九月の神示

2017-01-15 02:02:13 | 今日の光明法語

9 月 2 日 ( 昭和 7 年 ) 実相(じっそう)金剛身(こんごうしん)の神示

「 悪平等(あくびょうどう)は 悉(ことごと)く あやまりである。
人間は 肉体でないと言えば、空気のような エーテルのような
捉(とら)え所(どころ)のない 『 空(くう) 』 なるものが
人間のように思っている者もあれど 皆(みな)見当(けんとう)ちがいである。
肉体や物質のほかは見えない者は 気の毒である。・・・・・」


9 月 5 日 ( 昭和 6 年 ) 生死(せいし)の教(おしえ)

「 生死(せいし)は ままならぬと言えども 生死は 心のままである。
兄弟(きょうだい)を生(い)かす心(こころ)の者は 生き、
兄弟を殺す心(こころ)の者は 死す。・・・・・」


9 月 15 日 ( 昭和 8 年 ) 霊魂(れいこん)進化(しんか)の神示

「 『 神の子 』 なる人間の実相を 現象世界に 実現するのが 人生の目的である。・・・・・・」


9 月 27 日 ( 昭和 6 年 ) 大調和(だいちょうわ)の神示

「 汝(なんじ)ら天地一切のものと和解(わかい)せよ。・・・・・・」



9 月 28 日 ( 昭和 6 年 ) “ 最後の審判 ” に就(つ)いての神示

「 キリスト再(ふたた)び 臨(きた)りて 審判(さば)くとは 今のことである。
キリストとは 肉体にあらず、 『 真理(しんり) 』 である。
キリストとは 肉体にあらず、 『 光(ひかり) 』 である。・・・・・・」