☆ 住 吉 大 神 浄 め 給 う ☆

天皇陛下、ありがとうございます。ご先祖の皆様、お父さん、お母さん、家族の皆様、ありがとうございます。

相手を癒(いや)すに非(あら)ず、自分の心を癒すなり

2016-12-29 20:12:38 | 今日の光明法語
“ 祈ってあげる人 ” も “ 祈ってもらう人 ” も、赤の他人で、
何(なん)の関係もなかった人間同志だと思えるのであるけれども、

そのような人達は “ 類業(るいごう) ” “ 類縁(るいえん) ” によって
“ 一体(ひとつ) ” に結ばれているのであって、

その祈ってあげる人が、相手の実相完全な姿を 真に悟ったら、
相手と共に 自分自身が救われ、相手が癒され、自分が癒されることになるのである。

もっと広義に考えるならば、地上のすべての人類は “ 類業 ” “ 類縁 ” によって
一体なのである。だから、ある最高の聖者は 「 世界の人類が 一人でも まだ苦しんでいるのは、
私 ひとりの罪である 」 と言い切ったのである。

“ 罪 ” とは “ 包み ” 隠していることであり、一人でも まだ この世に苦しんでいる人が
あるのは、自分がまだ、全人類が 皆 神の子・完全円満であることを 真に 観(み)る境地に
達していない その罪のあらわれだ という意味である。

『 人間苦の解放宣言 』 祈り合いの神想観実修本義 ( 96~97頁 ) 谷 口 雅 春 先 生




日本国体は 実相(じっそう)至妙(しみょう)世界の顕現(けんげん)

2016-12-27 14:41:53 | 今日の光明法語
実相の世界の特徴を挙(あ)げて見ると大凡(おおよそ)この七つになるのであります。
これで大体お判(わか)りになりましたでしょうが、実在宇宙は決して空(くう)ではない、
何もないところの‘からっぽ’ではないのであります。

ところで、この七つの特徴を持った世界が現実世界に現れて来たのが大日本国であります。
邇邇藝命(ににぎのみこと)様が実相世界 即ち 実在宇宙から現象世界へ
御降臨(ごこうりん)あらせられて地上に建国ということが出来上がった、
そこに中心帰一(きいつ)、夫唱婦和(ふしょうふわ)、無限創造、遠心求心調和、
無限包容、円満完全至美(しみ)至妙(しみょう)の世界が、
天(実相)になるが如(ごと)く地にも現れて来たのであります。

ですから邇邇藝命(ににぎのみこと)様 御降臨(ごこうりん)以来、現実世界にも
中心に帰一する国がここに‘ありあり’と具体の世界に出現したので、
日本の国体が尊いというのも実相世界そのままの立派な特徴が持続されているからで、
中にも『中心帰一』の実相は皇位(こうい)の永遠性と共に、
大日本天津日嗣(あまつひつぎ)天皇を、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)の
全徳の御表現(おんあらわれ)― 即ち親神(おやがみ)様の御表現(おんあらわれ)として
崇(あが)め奉(たてまつ)り全ての国民が『神の子』として、親神(おやがみ)様の
御表現(おんあらわれ)なる天皇に中心帰一している。
この日本の国体というものは実相の世界をそのままに現している。

だから日本の国を蓬萊島(ほうらいとう)であるとして不老不死の薬のある国だと
云(い)うのも無理がないのであります。実相は何もない空(くう)であるとするような
仏教では此(こ)の日本の国体の美は分らないのであります。誠に日本国体の尊さは、
万民皆『神の子』として親神(おやがみ)の御表現(ごひょうげん)なる天皇陛下に
中心帰一する働(はたらき)が、単に理論ではなく具体的に現れている点であります。

この中心(すめろぎ)に帰一する働(はたらき)が中(ちゅう)の心 ― 
即ち 忠(ちゅう)であって、中心に帰一する事が一切の諸徳のうちの第一に
置かれるのであります。

『 古事記と日本国の世界的使命 』 ( 93~95頁 )  谷 口 雅 春 先 生
http://komyoushisousha.co.jp/m_taniguchi/531/



【 実相世界の七徳 ⑦ 】 実在宇宙は円満完全至美(しみ)至妙(しみょう)

2016-12-27 14:38:37 | 今日の光明法語
最後に実在宇宙の特徴は、円満完全至美(しみ)至妙(しみょう)の世界である
ということであります。円満完全を現しているのは 淤母陀琉神(おもだるのかみ)であります。
至美至妙を現しているのは阿夜訶志古泥神(あやかしこねのかみ)であります。

淤母陀琉(おもだる)というのは面(おも)足(だ)る ー 即ち仏なら三十二相(そう)を
備えているとでも云いますか、凡(すべ)ての面相(めんそう)を満足に具足(ぐそく)している。
更に云えば無相(むそう)にして無限相(むげんそう)なのが面足(おもだる)であります。

円満完全というのは一つの固定した相(すがた)ではもう円満完全だとは云えないのであります。
どんなマン丸いものでも、『此(こ)の形だ』と一定の形ではその他の形を不足している、
不完全だということになります。

だから完全とは無相(むそう)にして無限相(むげんそう)でなければならないのです。
阿夜訶志古泥(あやかしこね)というのはあな畏(かしこ)し、ああ美しい相(すがた)である。
何とも言葉にいうことが出来ないので妙々(みょうみょう)と讃歎(さんたん)した言葉であります。

実在宇宙は此(こ)のように形容しても尚(なお)足りない、ただもう妙法(みょうほう)と
讃歎するほかはないのであります。


『 古事記と日本国の世界的使命 』 ( 92~93頁 )  谷 口 雅 春 先 生



【 実相世界の七徳 ⑥ 】 実相宇宙の特徴は無限包容

2016-12-27 14:36:52 | 今日の光明法語
それからまた実相の世界の特徴は無限包容の偉大さを有することであります。
これは意富斗能地神(おおとのぢのかみ)と大斗乃辨神(おおとのべのかみ)の
御神名(ごしんめい)で表現されています。

意富斗能(おおとの)というのは大殿(おおとの)であり、無限包容の家が
宇宙の実相であるということであります。『地(ち)』は『霊(ち)』と同じで
男神(おがみ)の美称(びしょう)、『辨(べ)』は女神(めがみ)の美称であって、
男女両神を揃(そろ)えてあるだけで別に意味はありませぬ。

結局、実在世界は一切のものを包容しているのです。ですから、実在世界の実相が
本当に現象世界へ投影したならば、その人は無限包容の大人物にならねばならぬ。
自分の尺度で人を計って、善悪(ぜんあく)好悪(こうお)で毛嫌いするようなことでは
実相があらわれていないのです。そうかと云(い)って、無限包容だと云って求心力が
全然無くなって、遠心力ばかりで内部が瓦解(がかい)するようなのも
実相があらわれていないのであります。


『 古事記と日本国の世界的使命 』 ( 91~92頁 )  谷 口 雅 春 先 生



【 実相世界の七徳 ⑤ 】 実相宇宙は 遠心(えんしん)求心(きゅうしん)調和の世界

2016-12-27 14:32:50 | 今日の光明法語
更(さら)にまた、実相の世界の特徴は遠心と求心と、遠心力と求心力とが
完全に調和している世界なのでありまして、それは宇比地邇神(うひぢにのかみ)、
須比地邇神(すひぢにのかみ)の御名(みな)によって表わされております。

この『宇(う)』というのは浮き上る言葉のヒビキであり、遠心力、上昇力を
現しております。『須(す)』というのは澄(す)み切り沈む言葉のヒビキで
求心力、下降力を現しており、比地(ひぢ)というのは土であって
創世記(そうせいき)に軽きものは昇りて天となり、重き土は下(くだ)りて地となると
あるに符合(ふごう)します。

遠心力と求心力とはちゃんと調和しなければならない。遠心求心が調和しなければ
本当の実相が現れたという事にはならないのであります。

会社を経営しましても、外に拡(ひろ)がるばかりで、内部に引締(ひきし)める力が
ない時には一時会社は大きく伸びるように見えても、終(しま)いには散乱してしまうので
あります。

それは例えばこうして紐(ひも)に重錘(おもり)を付けてこうして振って旋回(せんかい)
しますと、この紐は空間に輪を描いて大きく拡がって行きますけれども、
中心を糸で引張(ひっぱ)っている為に重錘(おもり)が外に飛んで行かない。
外へ拡がる遠心力と内へ引締(ひきし)める求心力とが調和しているからであります。

ところが、紐を切って御覧なさい。中心に引締める力が消えてしまうから、
重錘(おもり)は外へ飛んでしまって一切が崩壊(ほうかい)してしまうのであります。

このように外へ引張(ひっぱ)る力と内へ引張る力とは調和しなければならない。― 
これがまた陰陽(いんよう)の調和であって、遠心力は主としてこれは男の方の働(はたらき)、
陽(よう)の働(はたらき)であります。求心力は女の働(はたらき)、陰(いん)の方の
働(はたらき)であります。

ですから女の方は主として家を修(おさ)め、男の方は主として外へ出て外(ほか)に
発展する。その関係が最もよく調和したる世界が実在の世界であって、
その実相が完全に現象界にあらわれたら、家庭に於(お)ける男女の調和も
それに似たものとなるのであります。


『 古事記と日本国の世界的使命 』 ( 89~90頁 )  谷 口 雅 春 先 生




【 実相世界の七徳 ④ 】 実相(じっそう)宇宙の特徴は 金剛不壊(こんごうふえ)

2016-12-27 14:26:48 | 今日の光明法語
それから実相の世界の特徴は 金剛不壊の世界であることであります。
金剛不壊とは、現象世界のように 因縁(いんねん)和合(わごう)して
或(あ)る相(すがた)に見えているのであって一つの因(いん)一つの縁(えん)を
除いてしまったら、その相(すがた)が破壊してしまうような薄弱な世界ではないと
いう意味であります。

ダイヤモンドのように凝結(ぎょうけつ)して一定相(いっていそう)の固定したことを
金剛不壊だと思うと間違(まちがい)ます。そんな金剛不壊なら動きのとれない世界であって、
『 動(どう) 』の世界でも『 無限創造 』の世界でも、『 円融(えんゆう)無礙(むげ) 』の
世界でもなくなるのであります。

天之常立神(あめのとこたちのかみ)、国之常立神(くにのとこたちのかみ)という
名前によって現されているトコタチ(常立)即ち常住(じょうじゅう)金剛不壊というのは
ベルグソンの『 純粋持続の我(われ) 』のように、それ自身持続しつつ、
更に新たなる内容を展開して永遠に滅びない、自主自立自存の世界であって
因縁(いんねん)に依存する薄弱な世界ではないという意味であります。


『 古事記と日本国の世界的使命 』 ( 87~88頁 )  谷 口 雅 春 先 生



【 実相世界の七徳 ③ 】 実在宇宙は 無限創造の世界

2016-12-23 00:45:55 | 今日の光明法語
つぎに、実相の世界の第三の特徴は、宇麻志阿斯詞備比古遅神(うましあしかび
ひこぢのかみ)といわれるこの神の名(みな)によって現れておりますように、
無限創造の働(はたらき)、無限のものを産出(うみだ)す働(はたらき)、
これが実相の世界の特徴でありまして、

この実相の世界を単なる空(くう)の世界であって何もない‘からっぽ’のもので
あると考えてはならないのであります。感覚をもって見ると実相の世界は見えない
のでありますから、『空(くう)』と云(い)ったりしますけれども、
『空(くう)』の奥に『無限相(むげんそう)』無限の創造があることを
知らなければならないのであります。

若(も)しその奥に妙有(みょうう)の無限相がないところの『空(くう)』が
実相でありましたならば、吾々が実相に一致したら‘からっぽ’になって
死骸のように灰身滅智(けしんめっち)(編註・身を灰にして、智を滅して涅槃に
入ること。小乗仏教の理想とされる)を喜んで山へでも籠(こも)るほか仕方がない。
それを吾々が実相を体得することであると考えるのは間違(まちがい)であります。

実相に一致するのには、宇麻志阿斯詞備(うましあしかび)の働(はたらき)、
無限創造の働(はたらき)というものがなければならないのであります。

病気療養に安静療法というのがあります。安静療法でじっと静かにしているのは
この空(くう)の働(はたらき)でありますけれども、その空(くう)に捉(とら)われて
しまっては駄目であって、病気の或る期間は安静を必要とする時期もありますが、
やがて安静から動き出して来る働(はたらき)、無限創造の働(はたらき)がなければ
ならないのであります。

吾々は動静(どうせい)調和することによって生命を獲得し、価値を発見するという
事が出来るのでありますけれども、唯(ただ)じっとしているという事によっては、
生命は生きて来ないのであります。生命の本体は動(どう)であることに注意しなければ
なりません。

空観(くうかん)によって空(くう)を観(かん)ずるのも動(どう)を
招(よ)び出すためであります。『生長の家』の実相観(じっそうかん)を
修(しゅう)していますと、生命の実相(ほんとのすがた)は動(どう)であって
静(せい)でないという事が判(わか)って来るのであります。

これは‘ちゃん’と『古事記』にこの通り書いてあるのでありまして、
『独神(ひとりがみ)成(な)りませる神』即ち絶対の神というのは
単なる『静(せい)』ではない、無限創造の『動(どう)』なのであります。

何だか絶対と申しますと『静(せい)』見たいに思っている人が多いようですけれども、
絶対は 動(どう)である、ベルグソン(編註・一八五九年生まれ。フランスの哲学者。
「生の飛躍」を唱え、その哲学は「生の哲学」と呼ばれる。
一九二七年ノーベル文学賞受賞)の説いたように創造的進化の世界なのであります。

無限に創造して無限に活(い)き活(い)きと活機(かっき)臨々(りんりん)として
生きているのが実相の世界なのであります。


『 古事記と日本国の世界的使命 』 ( 85~87頁 )  谷 口 雅 春 先 生



【 実相世界の七徳 ② 】 実在宇宙は 陰陽(いんよう)揃(そろ)う世界

2016-12-23 00:24:45 | 今日の光明法語
高天原(たかあまはら)即ち実在(じつざい)宇宙の特徴の第一は
今申しました通り中心に帰一(きいつ)することでありますが、

その第二には高御産巣日神(たかみむすびのかみ)と神産巣日神(かみむすびのかみ)と
陰陽(いんよう)両方の神様がお現れになったことによって示されているのであります。

高御産巣日神(たかみむすびのかみ)は陽(よう)の働(はたらき)であり、
神産巣日神(かみむすびのかみ)は陰(いん)の働(はたらき)であります。

この高御産巣日神(たかみむすびのかみ)と神産巣日神(かみむすびのかみ)と
お二方(ふたかた)の神様がお生れになって、高御産巣日神(たかみむすびのかみ)は
陽(よう)の方(ほう)、神産巣日神(かみむすびのかみ)は陰(いん)の方(ほう)を
お司(つかさど)りになりましたが、

その陰陽両方の働(はたらき)の調和は、どういう風にしてとれるかといいますと、
高御産巣日神(たかみむすびのかみ)の表現神(あらわれのかみ)であられる
伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、神産巣日神(かみむすびのかみ)様の
表現神(あらわれのかみ)であるところの伊邪那美命(いざなみのみこと) ― 
このお二方の働(はたらき)がどういう風に主従(しゅじゅう)の関係になって
調和するかは既に申上げた所であります。

伊邪那岐命(いざなぎのみこと)の陽(よう)の方の働(はたらき)というものは
主(しゅ)であって、伊邪那美命(いざなみのみこと)の陰(いん)の方の
働(はたらき)は従(じゅう)であります。日本の道徳は夫唱婦和(ふしょうふわ)、
陽主陰従(ようしゅいんじゅう)によって調和が得られるのであります。

これは単に現在の現象的に現れている東海の小島国(しょうとうこく)としての
倫理道徳ではないのでありまして、『 実相(じっそう)日本 』即ち
『 実在(じつざい)の宇宙 』 に於(お)ける生命の真実の動きがそうなっていると
いうことを、古事記には人格的、物語風に書いて表現してあるのであります。

女神(めがみ)の方から『阿那邇夜志(あなにやし)、愛袁登古袁(えおとこを)』
(噫(ああ)美しい男である)と讃歎(さんたん)して、そうして霊交(むすびかため)を
せられた時には良い国が生れなかった。

ところが、あべこべに今度は男の方から『噫(ああ)美しい乙女子(おとめご)である』と
讃歎して結婚(むすびかため)されたら良いお国が生れたということが書いてある。
それが夫唱婦和(ふしょうふわ)の天地の法則、実相の世界秩序の人格的、物語的
表現なのであります。


『 古事記と日本国の世界的使命 』 ( 83~84頁 )  谷 口 雅 春 先 生



【 実相世界の七徳 ① 】 実在世界は 中心帰一の妙有(みょうう)世界

2016-12-22 21:32:11 | 今日の光明法語
さて、此(こ)の一音(いちおん)一音の言葉のヒビキの意義を
解する言霊学(ことたまがく)によって解釈して行きますと、

古事記にある『高天原(たかあまはら)に成(な)りませる
神の名(みな)は天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、
高御産巣日神(たかみむすびのかみ)、神産巣日神(かみむすびのかみ)』と
ありますのは、単に こういう名前の神様が高天原(たかあまはら)という
何処(どこ)か地上の一箇所へお現れになったというような小さな意味では
ない事が判(わか)るのです。

これは日本古代の宇宙創造説であって実に雄大なものといわねばなりません。
高天原 即ち 宇宙全体に鳴り響いておられたミコト 即ち コトバ 即ち 神様は
天之御中主神であるというのであります。

天之御中主神とは アメ即ち 宇宙の真中(まんなか)の主(ぬし)であると
こう書いてありますが、真中の主とは どういう意味であるかと申しますと、
中心に総攬(そうらん)する即ち中心に総(す)べ攬(くく)る主宰(しゅさい)者を
真中の主というのであります。

仏教では華厳経(けごんきょう)の蓮華蔵(れんげぞう)世界に中心を
総(す)べ攬(くく)る主(ぬし)として日之大神(ひのおおかみ)
即ち大日如来(だいにちにょらい)を説いておりますが、

この点は 今迄(まで)の仏教ではあまり強調せられないで
般若経(はんにゃきょう)を中心とする空(くう)思想が強調せられ、
その為に蓮華荘厳(れんげしょうごん)の美しき実在の世界を忘れて、

『実相とは空である、空が実相である』と説かれ、実在とは単に
伽籃洞(がらんどう)の何もない、ポッカリと何もないのが実相であって、
実有(じつう)などというものは無いのだと考えられていた為に

実相を生きることは消極的に何もなくなる、エーテル(編註・空間を
満たしているとされるもの)のようになることだと思っていたから、
仏教が今迄(まで)実生活を生かすことが出来なかったのであります。

実相は妙有(みょうう)の世界、妙有の世界は中心に帰一(きいつ)する世界であって
何もないのではありません。何もなかったら中心に総攬(しめくくり)することも
帰一することも出来ません。

天之御中主神という御神名(ごしんめい)によって実相の世界というものは
中心に帰一する渾然(こんぜん)たる統一ある世界であるという事を現しているのであります。

ここが直観日本哲学の偉大なところで この直観日本哲学によって空(くう)に
偏(かたよ)った仏教を摧破(さいは)して、蓮華荘厳(れんげしょうごん)の実在世界を
把握(はあく)したところに、大乗仏教が『生長の家』の出現によって日本に本当に
実を結んだのであります。

『 古事記と日本国の世界的使命 』 ( 81~83頁 )  谷 口 雅 春 先 生

【 黒布表紙版『生命の實相』全二十巻中の第十六巻「神道篇 日本国の世界的使命」
(昭和十六年九月一日発行)第一章「古事記講義」 】



菩薩は 衆生を救わんが為に 衆生と共に輪廻する

2016-12-20 16:23:45 | 今日の光明法語

生物(いきもの)を食いながら食っていない

・・・・・・生長の家になってからは、衆生と共に衆生を救わんが為に
衆生と共に輪廻するのだ、是(これ)が菩薩である、ということがわかった。・・・・・・

誰かの祝賀式や結婚式にビフテキでも出ることがある。すると、私は旨(うま)そうな
恰好(かっこう)をして食べるのですけれど 余(あま)り旨(うま)くないのですが、
そして衆生を救わんが為に食べながら真理の話をして、そういう人達と仲よくなって、
みんなを光明に導いて行(ゆ)く。

衆生と共に、輪廻(りんね)し、衆生と共に、生物(いきもの)を殺した料理を
食べていながら食べていないのです。現象を見る目で見ると、弱肉強食の世界であり、
実相をみれば救わんがための方便である。

新版 『 真理 』 第 6 巻 人生篇  340~344頁   谷 口 雅 春  先 生




我が国の国柄は 天皇の大慈悲が国を貫いているということ

2016-12-05 21:49:25 | 今日の光明法語

眞の國體とは天皇の大慈悲是也


・・・・・・我が国の国体は 天皇の大慈悲が国を貫いているということだ。

陛下は『 自分の一身は どうなってもよい、一億の民草をこれ以上苦しめるには

忍びない 』 と仰せられた。

ここに仁徳天皇の大御心が今上陛下に現れ給うた。

今日ほど日本の国体が明瞭になったことはない。

国体とは天皇の大慈悲が国を貫いているということだ。・・・・・・


「 終戦随筆 」 『 白鳩 』 昭和二十年十一月号   谷 口 雅 春 先 生

『 大和の国 日本 』( 247~249頁 )