☆ 住 吉 大 神 浄 め 給 う ☆

天皇陛下、ありがとうございます。ご先祖の皆様、お父さん、お母さん、家族の皆様、ありがとうございます。

「 人類の憂患のときには(三つの)生命の實相の真理で ・・・ 」 

2018-12-31 23:00:23 | 今日の光明法語
「 人類の憂患(ゆうかん)のときには(三つの)生命の實相の真理で ・・・ 」 
 「 日本天皇の生命の實相 」 、 「 日本国の生命の實相 」 、 「 人間の生命の實相 」  
谷口雅春 先生


霊的文化 と 物質文明

それでイザナギの神が、黄泉国(よもつくに)から追っかけてきたところの、
死の使者(つかい)の鬼共を征伐するために お使いになった桃の實(み) ―
生命の實相 ― は 三つあるというのです。

その三つの桃の實(み)(生命の實)は 何と何とであるかと言いますと、
その桃の實の一つは、 「 日本天皇の生命の實相 」 もう一つは 「 日本国の
生命の實相 」 、 それからさらに もう一つは 「 人間の生命の實相 」 であります。

この三つの 「 生命の實(み) 」 の相(すがた)が 本当に解(わか)ったら、
死の国の地獄の鬼は逃げて行(ゆ)くのだということが、 『 古事記 』 に
示されているわけであります。

 谷口雅春 先生
『 古事記と現代の預言 』 ( 106頁 ) 日本教文社



『 生命の實相 』 の文章の中で 私は 第一に 皆さんを 『 神の子 』 として 拝んだのであります。  谷口雅春先生

2018-12-16 21:08:17 | 紹介
拝む者が拝まれる

前にも申しましたように、拝む者が、その人自身が神子(かみのこ)になるので
あります。即ち 拝む人には 心の中に 神様と同じ波長が起(おこ)りますから、
宇宙遍満の神の霊波が 自分自身に感応して 自分が神子(かみのこ)になり、
神が そこに現(あらわ)れたと云う風(ふう)になるのであります。

皆さんが こうして集って私の話を聴(き)いて下(くだ)さったり、書いたものを
読んで下さると云(い)うのも、どうして こんなことになったかと申しますと、
それは 私が 皆さんを拝んだからなのです。

『 生命の實相 』 の文章の中で 私は 第一に 皆さんを 『 神の子 』 として
拝んだのであります。

世界の凡(すべ)ての人が、人間は罪の子なんだと認め、特に色々の宗教家、教育家たちが
人間を本来 悪い者として扱っていたときに、『 そうじゃない、人間は皆(みな)神の子なのだ 』 と
私が 先(ま)ず皆さんを拝んだのであります。

 谷口雅春 先生
『 美しき生活 』 ( 23 ~ 24頁 ) 日本教文社




根本的な人間観を

2018-12-04 01:31:24 | 今日の光明法語
なにごとでも、これから始める時に、私たちは まず 「 心(こころ) 」 の中に、
はっきりと一(ひと)つのことを きめることです。

立派なピアニストになろう、と まず強く決心したら、そのためには どうしたらよいかが、
次に きまってきます。

私でも、医者になろう、と きめたから、医科大学へ行ったのです。
立派な経営者になろう、と きめたら、それには どうしたらよいかが、次に きまります。

まず、

「 私は神の子である 」

この根本的な人間観を、はっきりと確立してください。
「 人間神の子 」 の人間の本来の姿を、はっきりと確認して、 「 私は神の子である 」
「 私には無限の可能性があるのだ 」 と、心の底の底から きめることです。

そうすれば、私は、どのような生活をすればよいのか、という生活法が、次に きまってくるのです。

この 「 私は神の子である 」 と 心できめる、その自覚・認識の程度にしたがって、
その人の生活が変わってきます。


神の子には ちがいないのだが、このくらいのことはよいだろうと、
たまには神の子らしくない生活をしてみたりすることは、まだほんとうに、
神の子としての自覚ができていない証拠で、自分をほんとうに神の子と認めていない、
つまり ほんとうの神の子、ときめていないから、起こってくるのです。

人間は、ほんとうに心の底からきめたら、そのきめたことが、必ず行動として
現われてくるものです。現われてこない時には、まだほんとうに きめていないのです。

「 心で決める 」 ということは、なにもお金のかかることでもなく、
また、他人からしてもらわなければならないことは、なに一つなく、自分だけで、
できることなのです。

このように考えてきますと、自分の運命を支配するのは、自分の心であるということになり、
自分の心は、自分できめるより他(ほか)に道はないのですから、自分の運命は、
自分自身の責任であり、自分が支配しなければならない、ということがよくわかるのです。
 
『 心とカラダと運命 』 ( 72 ~ 74頁 )  徳久克己  日本教文社



龍宮の乙姫とは何を意味するか

2018-12-02 20:32:58 | 今日の光明法語
こうして豊玉姫(とよたまひめ)即ち 龍宮の乙姫(音姫)のお姿を御覧になりますと、
それは「 八尋(やひろ)の和邇(わに) 」 になって 委蛇(いだ)として匍匐(ほふく)して
いられたというのであります。

「 もこよう 」( ※ 委蛇う )というのは 蛇(へび)のように蜿蜒(えんえん)と
‘ のたくる ’ ことで ありまして ‘ のたくる ’ とは 波行(はこう)していることを
現(あら)わしております。

これは 「 音姫(おとひめ) 」 即ち 「 秘められたる言霊(ことたま) 」 の波動せる世界を
象徴します。実相世界は コトバの波が リズミカルに波動して いろいろの美しき姿を
あらわしている世界なのです。

「 八尋和邇(やひろわに) 」 というのは、「 八(や) 」 は 「 彌々(いよいよ) 」 であり、
「 八百萬(やおよろず) 」 とか 「 彌生(やよい) 」 の 「 彌(や) 」 であり、
「 無限 」 を あらわします。

「 尋(ひろ) 」 は 「 ひろがり 」 でありますから、 「 無限ひろがり 」 ( 無限次元 )の世界に
満ちみちている言葉の波動の世界が 龍宮 即ち 実相世界だと謂(い)うのであります。

「 和邇(わに) 」 は、 「 和爾(わじ) 」 であり、 「 輪珠(わじゅ) 」 であり、
輪のように まんまるい透明な明珠(みょうじゅ)の世界が 実相の霊的宇宙であります。

道元禅師は このような実相の霊的宇宙を直観して 「 一顆明珠(いつかみょうじゅ) 」と
観ぜられて、その事をその著 『 正法眼蔵 』 に書いておられます。

豊玉姫(とよたまひめ)と御名(みな)を申し上げる乙姫(音姫)さまも、
豊かに無限に言霊(ことたま)が、満ちている世界をあらわしております。
言霊が無限に満ちているということは、一切は言葉によって創造(つく)られたので
ありますから、無限の霊的宝が無限に満ちていることにほかならないのです。

 谷口雅春 先生
『 古事記と現代の預言 』 ( 230 ~ 231頁 ) 日本教文社

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

様々な 『 古事記 』 解釈を読むと 「八尋(やひろ)和邇(わに) 」 の箇所が、
多くが生物的解釈であるが、谷口雅春先生の 『 古事記 』 解釈は、言霊による解釈である。
まさしく、無限次元の実相世界の言霊が、久遠の今、鳴り響いているのである。