上野顕太郎「さよならもいわずに」

             

 書店の漫画コーナーに積まれていた作品です。「突然の悲劇。最愛の妻との最後の日々。心張り裂ける、真実の物語。」と帯にあります。小説であれば読むのに時間がかかるのでパスですが漫画です。作者を不知でしたがギャグ漫画家という紹介にも惹かれて手に取りました。

 長年連れ添った夫人の突然の死。数年間苦しんでいたうつ病が再発、気を配るも内心、この忙しい時に面倒だなあと思った矢先の出来事。バッタリと倒れたまま帰らぬ人となります。過去と現在がオーバーラップしながらバタバタと葬式をこなし、そして彼女がいない生活が始まる・・・。 

 愛する家族の死は誰もが経験する避けられない通過点であり、特別のまとめがある訳ではなく、淡々と事実が伝えられます。漫画家として描かずにはいられない思いがあり、書くことで心の整理をつける、心の均衡を保っているようです。正直、甘ったるいと感じるところもあり、愛していた絶望したと言いながら再婚してるじゃないかと醒めて見るところもあり、複雑な読後感があります。後半の喪失感の描写も若干弱い気がしますが、リアルな悲しみは伝わってきます。

 この漫画を読んでいて、そうだったと思い出したのが、自分の葬式、墓問題です。本作で夫人は旦那の死後の骨と混ぜて散骨してほしいと生前希望を伝えていましたが、諸般の事情(何でしょうか?)で上野家の墓を建立してそこに入ることになります。「キホはそこの最初の住人となった/散骨はかなえられなかったが/先祖の墓には入りたくない・・・という望みはかなえられた/それで許して欲しい」とあります。

 我が家は幸運にも家をどこに持つかという問題はクリアしました。次の問題として、私達が死んだらどうすればいいのということを最近妻が聞いてきます、葬式は墓は。
 私も妻も長男長女ではなく、終の棲家を福岡、広島ではない神奈川としました。死に方も自由です。私の実家は神道、妻の実家は仏教ですが、どちらにも思い入れはありません。

 妻に問われてそうだなあと誤魔化していましたが、何かヒントがあればと考えて話題の島田裕巳「葬式は、要らない」を読みました。

 一読、自分の葬儀は直葬にしてもらいたいと思いました。(おそらく病院で)死んだ後、自宅に安置してから、そのまま火葬場に持ち込むというものです。仏教信者でもないので寺の坊主の読経は不要です。花を飾って、好きな音楽を流してもらえれば十分です。
 と考えたのですが、おそらく棺桶を狭い自宅に入れるのは難しいと思います。本当であれば一度この自宅に帰ってきたいのですが仕方ありません。そうであれば葬儀屋の直葬パックか家族葬パックです。日本平均230万円の大規模葬式が30万~50万で済むようです。
 特に好きな花はありませんがヒマワリを飾ってもらうとか。音楽は棚のディスクであればロックでもジャズでも何でも構いません。それらしい雰囲気のものがよければ、コルボによるフォーレ・レクイエム(1972年)でも流してほしいです。ただ、無理はいいません。

 難しいのは墓です。最近は自然葬(海や山に遺灰をまく)や永代供養(一定期間供養した後、現物は処分する)も増えていると新聞に書いてありました。
 閉所恐怖症でもないのですが個人の狭い墓の中に閉じ込められるのは嫌だなあと思っています。正直、どこにいたいかというと家族の近くにいたいので、遺骨を自宅の屋根裏部屋に置いておいてもらいたいと思うのですが、将来、子供が迷惑かもしれません。
 当分、屋根裏部屋に置いてもらって、子供達が独立する時に自然葬にすることでどうかと思います。自然葬は海に撒くことが多いようですが私は深い海に沈むのは怖いので、結果は同じなのですが、子供の頃遊んだ福岡市の室見川に流してもらえないかと思います。すぐに海に流れ込みますが直接海よりはいいような気がします。千の風にではないですが墓の中にいるよりはマシです。

 ただ、死んだんだし地下でゆっくり眠ればいいような気もします。死後の魂なんかありませんと普段考えていながら死後の居場所、住みごこちに思いを馳せるのも馬鹿げています。まだどうすればいいのか、考えがまとまっていません。

 いつ死ぬのかも不明なので想定しにくい問題です。じゃあ妻はどうするのかもあります。こんど妻と相談しようと思います。家族と相談してしっくりいくイメージがあれば結論となるのでしょうか。


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