多面体F

集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

3.1朝鮮独立運動100周年の日の新宿

2019年03月08日 | 集会報告
3.1朝鮮独立運動が始まって丸100年の3月1日まさにその日、新宿アルタ前広場で「3.1朝鮮独立運動100周年リレートーク&キャンドルアクション」が開催され600人が集まった(主催:2019 3・1独立運動100周年キャンペーン)。金曜の夕刻、場所が場所だけに、「日韓断交」「水爆上等、撃ってこい豚」「北朝鮮は殺人国家」「殺人豚死ね!」などというプラカードを掲げヘイトスピーチを投げつけるウヨクの罵声が、とても五月蠅(うるさ)かった。 

アクションは、キャンドルを振りながらのシュプレヒコールから始まった。
100年前に思いを馳せよう、加害の歴史を直視しよう! 植民地主義を終わらせよう! 日韓連帯、日朝友好! キャンドル革命 学び続こう!(略)朝鮮学校の無償化に 差別をなくそう 偏見やめよう 徴用工の歴史を考えよう(略)辺野古新基地建設反対 沖縄民意は新基地反対(略)トランプ持ち上げ 世界の恥 安倍内閣はいますぐ退陣!
このアクションのねらいを凝縮させた優れたコールだった。集会のなかで、同じ文言を何度か繰り返しコールした。

主催者あいさつは、100年前の独立宣言書の一部を引用するアピールだった。
宣言は「自らの尊厳と独立を勝ち取るとともに、日本に対しても東洋平和のために共に変わるべき」と提起したが、今日の式典で文在寅(ムン・ジェイン)さんも、過去の歴史に対してしっかりと反省の立場をとり、朝鮮半島および東北アジアの平和のために共に手を携えていこう、と主張した。わたしたちも、朝鮮半島の人たち、そして世界の人たちに平和のメッセージをいまこの場から届けよう。

ウヨクのヘイトの喧騒のなか、日本軍「慰安婦」問題解決全国行動、「高校無償化」からの朝鮮学校排除に反対する連絡会、アジア太平洋ジャーナル:ジャパン・フォーカス朝鮮人強制労働被害者補償立法をめざす日韓共同行動許すな!憲法改悪・市民連絡会など5人の方のスピーチがあった。
その中から、菱山奈帆子さんの、ウヨクに正面から対抗し、参加者に元気を出させるエネルギッシュなスピーチの一部を紹介する。このサイトの最後の10分ほどのところで聞けるが、あらためて聞くと、ディテールに説得力がわかる。
 (もちろん、街頭宣伝なのでスピーチそのものは「です、ます調」だった)

韓国のキャンドル革命で使われたキャンドルを手にし、熱のこもったスピーチをした菱山さん
わたしたちは、天皇の戦争責任を本当に考えて認めていかなければならないと思う。先ほどから「100年も前のことなどどうでもいい」と言っているウヨクに言いたい。過去を学ばないやつに未来などない。テレビのニュースで元従軍「慰安婦」が、ハルモニなどの支援金のもとになるマリーモンドのグッズが反日ビジネスだという間違った報道がされた。最近のニュースでも、反日とか反日ビジネスとかそういう言葉があふれている。わたしは、こちら側から分断することが絶対に許せない。
 わたしは今日そのマリーモンドの靴下をはき、韓国の活動家たちにもらったバッジを全部つけてここにやってきた。
反日とか反日ビジネスとかいうけれど、百田尚樹の本を首相自らがお勧めしているのはどうなのか。何言ってるんだと、わたしは言いたい。
わたしは、日本の市民運動を闘う一人として100年前の今日、1919年3月1日に開始された分断前の朝鮮独立運動を断固支持し、その意義を、目標を継承する立場を表明する。(略)
3.1独立運動の精神は100年の時を経ても燃え続けて、ついにキャンドル革命に勝利した。皆さん、思い出してください。2017年11月3日憲法記念日の憲法集会で国会正門前で、キャンドル革命を闘った韓国市民運動のリーダーが「日本の憲法9条はアジアの宝だ。ともに守り抜こう」と発言された。憲法9条は侵略と植民地化により多大な犠牲を強いられたアジアの人びとの平和への願いであり、希望でもあることを教えられた。
(略)民意を踏みにじり暴走する安倍政権が次に何としてでも実現したいのは改憲だ。わたしたちは、いよいよここから安倍政権との決戦へと踏み込んでいく。いまも在特会がヘイトスピーチを行っている。安倍政権はこういったヘイトスピーチを繰り返す在特会とまったく同じだ。安倍政権はヘイト政権だ。安倍政権は差別排外主義政権だ。
防衛省の幹部が韓国とのつきあいはもうウンザリだ、日本列島をアメリカ側に移動させてアメリカの一部になりたいと発言している。侵略のイデオロギーであった脱亜入欧はいまや脱亜入米にまで極まったのではないか。さらに自民党国防部会長は「泥棒がウソをいっているだけだ。盗んだ仏像を返せ」と発言した。戦争責任について、謝罪要求に対して反論したつもりなのだろうが、あまりにもひどい内容ではないだろうか。
みなさん、わたしたちはこれから、隔てる海を友好と連帯で埋め尽くし、兄弟姉妹のように励まし支え合って立ち上がろう。このキャンドルは韓国のキャンドル革命で使われたものだ。もう一度回収し日本に送ってくれたものだ。日本もがんばれというメッセージだ。このメッセージをしっかりと受け取っていきたい。アジアの宝、憲法9条をともに守り抜き、朝鮮半島そして世界の平和の阻害物・安倍政権打倒に向けて、ともにがんばろう。

この集会に参加する前に、新大久保の高麗博物館に立ち寄った。以前この博物館に来たのは11年も前のことで企画展「文禄・慶長の役と日・朝の陶磁」をやっていた。
今回の企画展は「3・1独立運動100年を考える」だった。前史から3・1運動後の100年までを10のパートで構成するパネルと若干の展示品が並べられていた。ほぼ毎年3.1朝鮮独立運動の集会に出ているのでいろいろ知っているつもりだったが、この展示と購入したパンフで、初めて知ることも多かった。たとえば3.1直前の2月8日に神田のYMCAで留学生が発表した「独立宣言」がもとだと思っていたが、それより1週間前の2月1日満洲独立運動家が「大韓独立宣言」を吉林省で発表していた。また3・1独立宣言に署名した33人は、学生、運動家、労働者などだと思い込んでいたが、じつは宗教団体の人(キリスト教16人、天道教15人、仏教2人)だった。また柳寛順(ユ・グァンスン)は知っていたが、日本に留学し逮捕された金マリア、光州で大極旗をもった左腕を切られ右目を失明した尹亨淑(ユン・ヒョンスク)など多数の女性が関わっていたことなどだ。
また、堤岩里(チェアムニ)虐殺事件のことも初めて知った。3.1から1か月ほど後、京畿道堤岩里(水原の南西)の3月28日と4月3日のデモで2人の日本人巡査が殺害され、これに報復した日本軍が朝鮮人を教会に閉じ込め29人を射殺したあと放火した事件である。この事件に対する英米や日本の新聞報道や植村正久、新渡戸稲造らの感想が紹介されていた。それだけでなく、戦後1965年に日本のキリスト教徒中心に、片山哲、斉藤勇、村岡花子らが発起人となって「謝罪委員会」を立ち上げ、1000万円の寄付金を集め、70年9月に教会堂と遺族開館を建設した。「つぐない」という募金月報まで発刊しており、1968-69年にかけての月報がたくさん展示されていて驚いた。
その他、3.1独立運動について山陽新聞、東京朝日新聞、京城日報などの新聞が何を報じ、何を報道しなかったか、布施辰治、柳宗悦、石橋湛山など朝鮮に心を寄せた少数の知識人はどう見たか、など多面的に広く考察されていて感心した。

スタッフの方と少しお話することができた。主として植民地下の朝鮮の人びとの生活についてお聞きした。朝鮮人も、日本人と同様階層の差があり、小作農、自作農、地主では生活の差があり、当時は義務教育ではなかったので、小学校に行ける家と学費のために行けない家があった。ただし学校のなかでは朝鮮語は使えず日本語のみという「差別」があった。上級学校(中学や女学校)、工業学校・商業学校・師範学校に進学する人もいたが、それは限られた家の子弟だった。
しかし日本語が通じなくては兵隊として勤まらない。朝鮮に徴兵制が敷かれたのは1944年9月からだが、志願兵は日中戦争開始後の38年から受入れが始まり、1941年の国民学校発足のころから朝鮮人も全員小学校に行くようになった。また日本の内地で働かせるにしても、炭坑や土木工事は小作農の子、工場に送るのは高等小学校を卒業した子、というような「選別」システムがあった、とのことだった。植民地の朝鮮人を支配する「統合」システムがしっかり構築され、運用されていたようだ。そういう歴史も学ぶ必要があることに気づいた。

また、在日朝鮮人への差別は100年後のいまなお日本国内で続いている。アルタ前のアクションでも言及されたが、朝鮮学校のみ(政治的理由で)高校無償化が適用されていないという問題もそのひとつだ。全国5か所で訴訟が起こされている。
2月2日夜、高校生たち(当時)が原告となっている東京朝鮮高校生の裁判を支援する会ほか4団体主催の「子どもたちの声にどう応えるか」という集会が、吉祥寺の武蔵野公会堂で開催され、参加した。

「子どもたちの声にどう応えるか」集会で檀上に並ぶ、関東一円から集まったオモニ会の保護者たち
東京の訴訟は昨年10月30日高裁でも残念ながら棄却され敗訴となった。不指定処分の理由は、1「規定ハの削除」か2「13条不適格」のどちらなのかが争点で、1は2013年2月19日、2は朝鮮学校への送達が2月21日だったので1がその理由だったはずなのに、高裁は「行政処分の成立と効力は別」という理屈をつくり敗訴させる不合理な判決だった。現在、最高裁に上告中だ。
国連「子どもの権利条約」でロビー活動をするためジュネーブに行った方の報告、東京、埼玉、千葉、栃木などからのオモニ会のお母さんたちのリレートークもあった。
行動提起で「もちろん最高裁への要請行動などは続けるが、それだけでなく地域にある朝鮮学校の学校公開に参加するなどして世論を底辺から広げることが重要」という呼びかけがあった。
たしかにそうだと思うので、機会があれば見学に参加してみたい。
今年は3.1独立運動100周年なので、今後も多くのイベントや集会があると思う。

韓国YMCAからスタートした天皇制反対のデモを駿河台下で待ち伏せするウヨクたち
☆100年前の2月8日、神田の在日本東京朝鮮YMCAで「独立宣言」を留学生が発表した。
そのときの建物は関東大震災で焼失したが、もう少し水道橋寄りに再建されたのが在日本韓国YMCAだ。
今年の2月11日建国記念の日の夕刻、韓国YMCAから2つの「建国記念日反対」「天皇制反対」のデモがスタートした。わたしは淡路公園がゴールのデモに参加した。偶然だが、2月8日の留学生たちの独立宣言からほぼ100年の日に、まさに歴史的な場所にいたことになる。朝鮮半島の植民地支配と天皇制とが、密接なかかわりがあることはいうまでもない。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 青年団の「ヤルタ会談」、そ... | トップ | 校門前に「日の丸」がなかっ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

集会報告」カテゴリの最新記事