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集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

夏祭り2023 ケチャまつりと住吉神社船渡御

2023年08月13日 | 日記

今年の夏はひときわ暑い、しかも長期にわたる。体に悪いほどだ。その暑さのなか、暑さに負けず日本全国でまつりが開催されている。コロナ禍をはさみ4年ぶりのものも多い。
8月6日(土)夕方、新宿三井ビルのひろばに芸能山城組ケチャまつりを見に行った。新型コロナ以前と同様、バリの城門が建ち、舞台裏手には大きな竹の楽器・ジェゴクが置かれている。

ガムラン演奏
このまつりは1974年が第1回、コロナ禍をはさみ4年ぶりの開催、今年は第45回記念と節目の年で、8月2日から6日まで5日間の開催(8/2は宵宮/公開リハーサル)だ。
演しものは、バリの竹の楽器ジェゴグ演奏、みちのくの太鼓芸能・鹿(しし)踊り、ジョージア(旧グルジア)男声合唱、ブルガリア女声合唱、バナナの叩き売り、ガムラン演奏、呪術的合唱舞踊劇ケチャの7つ。
わたくしは午後、別件があり会場に着いたのは17時30分ころ、ジョージア男声合唱が始まったころだった。「チャクルロ」「ウラワル・ジャミエル」など、階段に並ぶ20人あまりの力強い歌声の4曲を聴けた。
ブルガリア女声合唱も20人弱くらいの規模で「陽は沈む」「花束によせて」「かめさんとはりねずみ」「カライ・モーメ」(さあ行きましょう、娘さん)など5曲だった。「花束によせて」「かめさんとはりねずみ」は聞き覚えのある曲だった。

バナナマンの右の女性が初期の教え子
そして大道芸・バナナの叩き売りが始まった。全体の流れは10年前に書いた記事の通りだ。Yさんがこの芸を始めたのは1983年、バナナマンと名乗ったのは10年後の93年とのことだった。
今年は2000円で何組か「買った!」の声がかかった。バナナマンは(元かもしれないが)都立高校教員、1組は初期の教え子とのこと。またもう一人、バナナマンの茨城県の出身高校の後輩という人が登場した。ご自身でも「今年は縁者が多い」と言っておられたが、異例だった。なお、過去の記事のように唐辛子を振りかける「激辛バナナ」や観客を「脅す」ような過激なパフォーマンスはなかった。
「〇〇さんの今後のご多幸を祈り、お手を拝借」がメインパフォーマンスになり、加齢(失礼!)に伴う和やかさや年輪を感じた。20分ほどの「芸」だった。わたくしが見始めて30年以上になるが、40年の円熟の「話芸」を感じさせた。とにかく「芸人」として、お元気にいまも活躍されている姿をみられてよかった。
少しガムラン演奏を聞いて、会場を後にした。
わたしが芸能山城組のケチャ祭りを見始めたのは40年くらい前。「題名のない音楽会」などで小泉文夫さんがケチャを紹介していたのがきっかけだったように思う。ただ山城組の演奏は民族音楽の再現とは少し違う気がする。そうであれ、40年前と同じようなシーンを見られるのは、懐かしいのを通り越し素直にうれしく感じた

船渡御 左の橋が佃大橋
翌7日(日)は隅田川の対岸の佃・住吉神社大祭の日だった。佃島は徳川家康が大阪の佃の漁民30人あまりを江戸に連れてきて住まわせたことで有名だが、このとき地元の住吉神社の神職も同行し、分神霊として1646年につくったのが佃住吉神社の起源とのことだ。

今年は3年に1度の本祭りの年だが、コロナ禍もあり2018年以来5年ぶりだという。本祭りは、蔭祭りと異なり、獅子頭の宮出し、八角神輿の宮出し、神輿を船に乗せる船渡御が行われる。
今回は早起きして、船渡御を見に行った。
朝6時に神輿を宮出しし、6時45分にリバーシティの公園脇の船着き場へ、7時に船を出すという早朝のイベントだ。そこで朝6時前に起床し、7時前に船がみえる高台に行った。犬の散歩がてら来ている人もけっこういた。やはり見晴らしがよい佃大橋の北側通路にもかなりの人が群がっていた。早朝イベントだったことが、前夜のケチャ祭りを19時前に失礼したひとつの理由である。
台船に神輿と神職、担ぎ手を乗せ、船で引っ張る。60年前の1962年までは担ぎ手が神輿をかついだまま隅田川に入る海中渡御が行われたそうだ。
船は1時間ほどかけて勝どき、豊海、晴海と氏子の住む地域を沿岸から回り、元の佃に戻る。台船を陸に横付けしたからすぐ神輿を陸に上げるかというとそうではない。台船の向こうにスタッフや区長など偉い人が乗る屋形船を横付けし、そういう人たちが台船を横切って下りてくる。屋形船も3隻くらいありこれを繰り返すので結構時間がかかる。時間を測ると20分ほどだった。そして担ぎ手が台船に勢ぞろいし、ウォーミングアップをして「セイヤ、セイヤ」と担ぎ始める。

階段を担ぎ上げるのは、もちろん平地を練り歩くよりずっとキツい
朝8時半ころといえかなり暑く、町内を練り歩く神輿に、家々からホースで担ぎ手の頭上に水をかける人もいた。文字通り「干天の慈雨」ともいえる。
神社のHPによれば、江戸時代から続く伝統ある祭りのようだ。今年は真夏の朝のイベントをひとわたりみることができた。
ケチャまつりと住吉神社の大祭の写真をみていて、ひとつ共通点をみつけた。どちらも高層ビル(またはマンション)の近くの祭りということだ。もっとも23区内ならどこであれ、写真の遠方には高層ビルが見えるのだが・・・。

☆ケチャ祭りの帰りに新宿駅西口思い出横丁の岐阜屋に立ち寄った。
3年ぶりのはずだ。スタッフは海外ルーツの人が多く、客はカップルを含め、なぜか若いグループが多かった。近隣の店は外国人観光客が多いが、この店は日本人客が多いようだった。
今回、表通りは格安チケット販売店がずいぶん並んでいることに気づいた。コロナ前後ということもあるが、時代の流れ、移り変わりはここにもやはりあることに改めて気づいた。

●アンダーラインの語句にはリンクを貼ってあります。


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