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集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

青年団の日本文学盛衰史

2018年07月21日 | 観劇など
平田オリザ青年団の2年ぶりの新作「日本文学盛衰史」を吉祥寺シアターでみた。
明治生まれの文豪がたくさんでてきて会話をかわし、そのなかに現代の風俗が噴出する。たとえば日大アメフット部、「西郷(せご)どん」(ただし今年だけ)、蜷川幸雄の死、アルマーニの制服で有名になった泰明小学校(島崎と北村が卒業生)、女を土俵に上げない日本相撲協会など、セリフに入れ込んでいて笑った。
開演前の場内アナウンスで「ただいまより青年団第79回公演「日本大学盛衰史」、失礼しました、「日本文学盛衰史」を上演いたします」にはみんな笑った。アフタートークで、「日本大学と日本文学は一文字しか違わない。それを発見した自分の才能にすごい」と自画自賛していた。昭和30年代に古今亭志ん朝や谷幹一が日曜の昼にやっていたコント番組「サンデー志ん朝」を思い出した。
観劇直後は、一種のお笑い文学史のような作品という印象をもった。しかし販売されていた上演台本を家で読み直すと、構成がしっかりできている秀作であることに気がついた。

一幕四場の芝居で、一場・北村透谷の葬儀 1894(明治27)年5月、二場・正岡子規の葬儀 1902(明治35)年9月、三場・二葉亭四迷の葬儀 1909(明治42)年6月、四場・夏目漱石の葬儀 1916(大正4)年12月という構成で、うまい具合に6-8年の間隔になっている。すべて告別式の精進落としの場でたたみの大広間のみの舞台という設定である。こういう芝居をかつてみた気がして思い起こすと、井上ひさしの「頭痛、肩こり、樋口一葉(1984)だった。1890年から98年のお盆の日の夕方から夜、和室二間を舞台にしていた。

オリザ直筆のサイン入り上演台本
島崎藤村、北村透谷、田山花袋、二葉亭四迷、石川啄木など、日本近代文学史にふさわしい大作家・文豪が次から次へと登場する。四場では24人もの文学者(うち女優14人)が登場するため7㎝×20cmくらいの名前を書いた布を胸につけている。だが考えてみると、基本的には冒険王と同じく「青春群像劇」のジャンルに入る演劇だ。
本当に宮沢賢治と坪内逍遥が会った可能性があるのかというような疑問があったが、生没年を調べてみると、坪内は1859年6月22日(安政6年5月22日)―1935年2月28日、宮沢が1896年8月27日―1933年9月21日なので確かに可能性はあった。しかも賢治のほうが1年半ほど先に亡くなっているのには驚いた。二葉亭の葬儀で啄木が鴎外や漱石、島村抱月と出会ったという話は本当らしい。啄木も二葉亭(長谷川)も朝日新聞社の社員で、啄木は葬儀の受付を務めた。
登場作家は40人弱にも及ぶが、1860年前後生まれの第一世代、70、80年代前後生まれの第二世代、そして芥川龍之介や宮沢賢治などもっと若い世代の3層に分類できる。このなかで第二世代の島崎藤村と田山花袋が1871年の早生まれで、同学年の主人公だ。
文学盛衰という点では、作中四迷の告別式の雑談で、夏目が次のように解説している。
「私たちはこの二十年、どうすれば内面というものを言葉にできるかを考えて来ました。長谷川さんは(略)「自由な散文」が必要だと気がついた。北村君は、それを見つけることができずに苦悩した。
長谷川君の発見した新しい日本語で、国木田君は「武蔵野」を書いた。私たちは、世界を描写できる言葉を獲得した。同じころ、正岡君は病床の六畳間から宇宙を描写した。そして、そこで得た言葉を使って島崎君と田山君は、それぞれの方法で内面による真実の告白を書くに至った。」(上演台本p60 以下ページ数を振った出典は同じ)
これが盛衰の「盛」である。
では盛衰の「衰」は? 太宰、織田、坂口の無頼派トリオが解説してくれている。
太宰「大衆が文学を読むようになり、毎年のようにベストセラーが生まれ、作家は長者番付の常連になります」
一堂「おー、」  田山「やったー」
坂口「二十世紀の終わりまでは、」
織田「やがて、小説はだんだんと読まれなくなります
太宰「まぁ、ほかに面白いものが、いろいろありますからねぇ」
織田「とりあえず、小説は携帯で読まれるようになります」(p73)
太宰「やがて、機械が小説を書くようになります(略)過去の皆さんの優れた名作をすべてデータとして蓄積して、ついに最強の小説が生まれます。人々はこぞって、その小説を読みました。とにかく最強に面白かったからです」
坂口「そして、人々は、二度と小説を読まなくなります。(略)だって、最強の小説を読んでしまったから(p74)
これがメインのストーリーで、そのあとは「機械が小説を読むようになる」とかハイゼンベルクの不確定性原理の話が出てSFのようになり、数億年後にどこかの惑星で、新たな一人の北村透谷や子規が生まれるようだ。
最後に原作者の高橋源一郎が自撮り棒をもって登場し、葬儀に出席したみんながミラーボールの下で踊り狂う。しかもその踊りは、なぜか昔の「モンキーダンス」や「ツイスト」のようで、音楽が「およげ!たいやきくん 」の東京スカパラダイスオーケストラ版なのだ。

この最後のほうはよくわからなかった。しかし平田の言葉によれば「そのときに楽しいものをやる、楽しければよい」という考えで演出しているようだった。たしかに役者の皆さん、楽しそうだった。

サブのストーリとして政治や国際関係の話が出てくる。近代日本の最初の海外侵略は維新から7年目の台湾出兵(1874)だが、この芝居には朝鮮の金玉均暗殺(1894)、閔妃暗殺(乙未事変 1895)、朝鮮をめぐる日本、清国、ロシアの対立、直接出てくるわけではないが日清戦争(1894-95)と日露戦争(1904-05)、元自由民権運動家の壮士、大矢正夫も登場する。
与謝野鉄幹は乙未事変との関係を疑われ裁判にもかけられたが、「妻をみとらば才たけて」(「人を戀ふる歌」)を朝鮮時代につくった。
森鴎外は文学者というだけでなく、この芝居では陸軍の内部情報がわかる人物として登場していた。中国との戦争で制海権の問題、シベリア鉄道の工事とロシアとの戦争などをワイドショーのコメンテーターのように解説する。1908年二葉亭は奉天やハルビンを経てロシアのペテルスブルグに赴任した。
朝鮮半島問題がでてくるのは、平田が「ソウル市民」の連作を書いたからだろう。この点は優れていた。
言葉は政治の言葉としても使われる。田中正造の天皇への直訴文は幸徳秋水が書いたものともいわれる。平田自身、旧民主党・鳩山首相のスピーチライターをしていたこともあった。漱石は韓国併合の前年1909年に1か月間朝鮮・満州の旅行に行った(p53)。啄木は韓国併合を批判し「地図の上 朝鮮国に くろぐろと 墨をぬりつつ 秋風を聴く」(p54)と詠んだ。
菅野「思想をもって、それを言葉にしただけです。考えたら罪ですか。言葉にしたら罪ですか?(p60)と鴎外に問う。夏目が「政府は、その言葉が、内面の何を表しているのか不安でたまらないから・・・私たちは国民国家を作るために、新しい日本語を育てた。しかし、これからは、(略)国家もまた、言葉を敵とするでしょう」(p61)と答える。
そして幸徳や菅野ら12人が大逆事件で死刑執行され、啄木は「われは知る、テロリストの かなしき心を」(『ココアのひと匙』1911)と詩を書く。

作家でないご近所の斉藤、田中、佐藤、鈴木という3人が道化役となりワイドショー風に「北村の自殺の理由」、蜷川やジョン・ケアード演出の「ハムレット」、「和田アキ子デビュー50周年」、石原さとみの「校閲ガール」やシンゴジラの日系三世・米国大統領の特使役の英会話など現代の世間話が語られる。最後の4場ではこの3人(同じ役者)は太宰、織田、坂口の無頼派トリオに置き換わり、志賀や芥川の将来を言い当て、白秋や光太郎が「戦争賛美」の詩を書くことを予言する。、。
構成上この3人の存在は、4つの場を文豪の葬儀の場にに設定したのと同じくらい大きい。

役者としては、中江兆民(一場)、陸羯南(二場)、池辺三山(三場)、坪内逍遥(四場)とふけ役をこなした志賀廣太郎がファンということもあるが充実していた。「大河降板でご心配をおかけしたが」とのコメントがあったが、やはりすこし痩せて(年相応の)衰えが隠せないようにみえた。
森鴎外役山内健司、夏目漱石役ヒゲの兵藤公美もしっかりした演技だった。
ただ、漱石、志賀直哉や宮沢賢治が女優なのには驚いた。たんに、青年団の役者の男女比の問題なのかもしれない。しかしジェンダーの問題をからめるのなら、1人くらい男優が女性作家の役をやってもよかったように思った。

公演後のアフタートークで、平田がいくつかヒミツを語った。
美しきものの伝説」(宮本研)との類似について質問され、そのうち文学だけでなく、「日本演劇盛衰史」を書こうと思っていると答えた。おそらく今回も出てきた坪内逍遥や島村抱月から始まるのだろう。わたくしとしては村山知義や内田栄一(と、たとえば東京ザットマン)がどう扱われるのか(あるいはそもそも登場するのかどうか)、また平田より一昔古い黒テント・赤テント、自由劇場、つかこうへいなどの捉え方、平田と同時代の遊眠社と野田秀樹、には強い興味がある。

今後のことを二つ。
かつて駒場アゴラで、主演クラスの女優なのに下足番までやっていたひらたよーこ、そういえば最近姿をみないので、いまどうされているのかとスタッフに聞いてみた。「退団した」とのことだった。帰宅してからネット検索すると、平田は7年前に離婚し、2013年に団員の渡辺香奈と再婚、55歳で子どもが誕生したとあった。おめでたいことはおめでたい話なのだが、役者としてのひらたよーこファンだった私としては残念なことだ。
もう一つは個人的なことだ。日本文学史には散文、小説だけでなく、和歌から始まる短歌、俳句など韻文・短詩型の文学の大きな流れがある。この芝居でいうと、子規、碧梧桐、虚子、伊藤左千夫、晶子、啄木、白秋、牧水、藤村の詩などだ。わたくしにとってこれらは国語の教科書以上に読んだことがない、未踏の領域だ。いつか踏査する必要があると感じた。
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