早春の宮崎・鹿児島方面に旅に出た。
宮崎の商店街では「宮崎 神話のたび」という古事記編纂1300年記念キャンペーン(宮崎市観光協会)のステッカーがたくさん吊り下げられていた。
ニニギノミコトがアマテラスの命で天下った(天孫降臨)高千穂はたしかに宮崎県にある。ただ高千穂は県北西部と南西の霧島と2つある。わたくしはこのことを「初国知所之天皇」(はつくにしらすめらみこと 1973原將人)で知った。どちらが本物かといっても、なにしろ神話の時代の話だから正解はないのだが・・・。
古事記編纂1300年記念というと2012年からもう4年も続けているようだ。もっとも古事記や太安万侶、稗田阿礼のキャンペーンというわけではなく、神話の舞台としての宮崎各地、たとえば高千穂町、みそぎ池、木花、青島などのキャンペーンである。
日本神話のなかで日本の誕生はイザナギ、イザナミから始まる。その子がアマテラスやスサノオ、さらにその2代あとがニニギで、その次が海幸彦、山幸彦、山幸彦の2代あとが神武天皇という系図である。神武は宮崎県日向市の美々津から船で東征に出発したことになっている。
海幸彦、山幸彦は青島のあたりにいて、青島神社は山幸彦とその妻・豊玉姫を祀る神社である。境内には日向神話館があり、天孫降臨から神武天皇の大和平定まで12景を30体の蝋人形で展示している。
金色の鵄(トビ)が神武天皇を助け、大和を平定した
宮崎市にある宮崎神宮は神武天皇を主祭神としている。神武の孫・健磐龍命(タケイワタツノミコト)が九州の長官として就任したときにつくったとの言い伝えになっている。歴史的にはっきりしているのは鎌倉時代初めからだ。ただ古い神社であることは確かだ。境内には船塚古墳という76×36mの古墳時代後期の前方後円墳もある。木々の手入れは明治神宮より手をかけているように感じた。
神宮の扉には、靖国とおなじく大きな菊の紋章がある。神宮の西隣に護国神社がある。「平和の礎」というようなポスターがあった。また東側のJR宮崎神宮駅からの参道入り口には自衛隊宮崎地方協力本部宮崎募集案内所があった。
日本神話が天皇家と王権の正統性をアピールするものであることは明らかだ。そして、いまも昔も、神話と神社、神社と軍隊と戦死者とは密接につながっている。
なぜ宮崎に神話が多いのかはよくわからない。旧石器時代の遺跡で西日本でもっとも古いものが宮崎にあるとのことだ(後牟田遺跡)。そういう古い土地だからだろうか。記紀にたくさん登場するからとしか説明できないのだろうか。
ところで、宮崎市内で珍しい政党ポスターをみかけた。極右政党「次世代の党」(現・日本のこころを大切にする党)のものだ。なぜか考えると、党代表・中山恭子の夫・中山成彬が宮崎(小林市)出身でずっと宮崎の選挙区から出ていたかららしい。
県庁のすぐ近くで「北方領土返還運動全国強調月間」という大きな垂れ幕を下すビルをみつけた。てっきり自民党の県本部かと思ったが、そうではなく県庁の別館だった。これは宮崎県庁に限らず、全国どこでもやっているのかもしれない。
こう書くと、宮崎は非常にウヨク的な街にみえるがそんなことはない。宮崎神宮の南側200mにある県立宮崎大宮高校は、福島瑞穂さん(社民党副党首)や上原公子さん(元・国立市長)の出身高校である。
☆ところで旅行そのものは観光旅行だったので、普通のところもいろいろ見た。たとえば飫肥(おび)の石垣の武家屋敷通りや商人通りの町並みは保存状態がよく見事だった。
男はつらいよ第45作「寅次郎の青春」で寅が飫肥城跡の石段で転んでケガをして(じつは仮病)、あわてて上から理髪店の蝶子(風吹ジュン)、下からは満男の恋人・泉(後藤久美子)が駆け寄るシーンがあった。
都井岬では、野生馬(正しくは戦前は軍馬で、戦後再野生化した馬)をみた。野生馬は1日18時間食べ続け、その合間に1時間ほど立ったまままどろむそうだ。
鹿児島は、観光面ではいまも西郷隆盛と島津のまちだった。西郷誕生の地、城山本営跡、洞窟、終焉の地、墓地そして島津の鶴丸城跡、仙巌園と尚古集成館、篤姫生家跡などである。西郷のひ孫がプロデュースしたカフェというものも見かけた。
ところで宮崎市内では公明や社民のポスターもみたが、鹿児島では安倍・自民党の「経済で、結果を出す」といういまではほぼ賞味期限切れのポスターしかみなかった。いまも薩長同盟が生きているのだろうか。
宮崎の商店街では「宮崎 神話のたび」という古事記編纂1300年記念キャンペーン(宮崎市観光協会)のステッカーがたくさん吊り下げられていた。
ニニギノミコトがアマテラスの命で天下った(天孫降臨)高千穂はたしかに宮崎県にある。ただ高千穂は県北西部と南西の霧島と2つある。わたくしはこのことを「初国知所之天皇」(はつくにしらすめらみこと 1973原將人)で知った。どちらが本物かといっても、なにしろ神話の時代の話だから正解はないのだが・・・。
古事記編纂1300年記念というと2012年からもう4年も続けているようだ。もっとも古事記や太安万侶、稗田阿礼のキャンペーンというわけではなく、神話の舞台としての宮崎各地、たとえば高千穂町、みそぎ池、木花、青島などのキャンペーンである。
日本神話のなかで日本の誕生はイザナギ、イザナミから始まる。その子がアマテラスやスサノオ、さらにその2代あとがニニギで、その次が海幸彦、山幸彦、山幸彦の2代あとが神武天皇という系図である。神武は宮崎県日向市の美々津から船で東征に出発したことになっている。
海幸彦、山幸彦は青島のあたりにいて、青島神社は山幸彦とその妻・豊玉姫を祀る神社である。境内には日向神話館があり、天孫降臨から神武天皇の大和平定まで12景を30体の蝋人形で展示している。
金色の鵄(トビ)が神武天皇を助け、大和を平定した
宮崎市にある宮崎神宮は神武天皇を主祭神としている。神武の孫・健磐龍命(タケイワタツノミコト)が九州の長官として就任したときにつくったとの言い伝えになっている。歴史的にはっきりしているのは鎌倉時代初めからだ。ただ古い神社であることは確かだ。境内には船塚古墳という76×36mの古墳時代後期の前方後円墳もある。木々の手入れは明治神宮より手をかけているように感じた。
神宮の扉には、靖国とおなじく大きな菊の紋章がある。神宮の西隣に護国神社がある。「平和の礎」というようなポスターがあった。また東側のJR宮崎神宮駅からの参道入り口には自衛隊宮崎地方協力本部宮崎募集案内所があった。
日本神話が天皇家と王権の正統性をアピールするものであることは明らかだ。そして、いまも昔も、神話と神社、神社と軍隊と戦死者とは密接につながっている。
なぜ宮崎に神話が多いのかはよくわからない。旧石器時代の遺跡で西日本でもっとも古いものが宮崎にあるとのことだ(後牟田遺跡)。そういう古い土地だからだろうか。記紀にたくさん登場するからとしか説明できないのだろうか。
ところで、宮崎市内で珍しい政党ポスターをみかけた。極右政党「次世代の党」(現・日本のこころを大切にする党)のものだ。なぜか考えると、党代表・中山恭子の夫・中山成彬が宮崎(小林市)出身でずっと宮崎の選挙区から出ていたかららしい。
県庁のすぐ近くで「北方領土返還運動全国強調月間」という大きな垂れ幕を下すビルをみつけた。てっきり自民党の県本部かと思ったが、そうではなく県庁の別館だった。これは宮崎県庁に限らず、全国どこでもやっているのかもしれない。
こう書くと、宮崎は非常にウヨク的な街にみえるがそんなことはない。宮崎神宮の南側200mにある県立宮崎大宮高校は、福島瑞穂さん(社民党副党首)や上原公子さん(元・国立市長)の出身高校である。
☆ところで旅行そのものは観光旅行だったので、普通のところもいろいろ見た。たとえば飫肥(おび)の石垣の武家屋敷通りや商人通りの町並みは保存状態がよく見事だった。
男はつらいよ第45作「寅次郎の青春」で寅が飫肥城跡の石段で転んでケガをして(じつは仮病)、あわてて上から理髪店の蝶子(風吹ジュン)、下からは満男の恋人・泉(後藤久美子)が駆け寄るシーンがあった。
都井岬では、野生馬(正しくは戦前は軍馬で、戦後再野生化した馬)をみた。野生馬は1日18時間食べ続け、その合間に1時間ほど立ったまままどろむそうだ。
鹿児島は、観光面ではいまも西郷隆盛と島津のまちだった。西郷誕生の地、城山本営跡、洞窟、終焉の地、墓地そして島津の鶴丸城跡、仙巌園と尚古集成館、篤姫生家跡などである。西郷のひ孫がプロデュースしたカフェというものも見かけた。
ところで宮崎市内では公明や社民のポスターもみたが、鹿児島では安倍・自民党の「経済で、結果を出す」といういまではほぼ賞味期限切れのポスターしかみなかった。いまも薩長同盟が生きているのだろうか。