多面体F

集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

我孫子で日本近現代史の連続授業

2007年08月26日 | 集会報告
8月25日我孫子の湖北台近隣センターで開催された増田都子先生の社会科授業「近現代史の真実を知ろう」に参加した。この講座は6月から始まったもの(毎月1回開催全15回シリーズ 主催:あびこ平和ネット)で、わたくしが参加したのは3回目の「(4)大日本帝国憲法(5)日清戦争」だった。
猛暑の土曜の昼下がり、授業を聞くよりみんなでプールに行くか、それとも昼寝という時間帯だったので眠くなるのではないと危惧したが、全然そんなことはなかった。
聴講生は約20人。会場が和室だったせいもあり、江戸時代の寺子屋(あるいは適塾などの塾)はこんな雰囲気だったのかと思わせるものだった。

昔の寺子屋はこんな雰囲気だったのだろうか

前回の内容「明治維新(2)新政府と世界(3)自由民権運動」の復習を簡単にしたあと、授業は15分程度の「穴埋め問題」から始まった。
中学教科書のコピーほか配布資料を見ながらで、隣の人と相談してよいのだが、これがなかなかレベルが高い。
たとえば「見かけは三権分立 実質は○○○○の立憲制」とか
 「1894年の東学党の農民たちは、何を求めて反乱を起こしたか」
 など   (解答は 「みせかけの立憲制」「万人平等 斥倭洋」
教科書というものは本文だけでなく、図表・写真の説明・注にも重要な情報が詰まっていることがよくわかった。
その後、解答を説明しつつ、配布資料(帝国憲法ではベルツや中江兆民の日記、東京朝日の社説、ネールの著書、天皇大権のしくみ、衆議院議員の選挙資格など、日清戦争では陸奥宗光外相から青木周蔵駐英公使への手紙、日清両国の宣戦布告文、福沢諭吉、徳富蘆花、啄木、朱徳らの感想)を使ってポイントとディテールを説明。
映像資料のなかには日清戦争の年(1894年)発行の尋常科用「小学修身経」もあった。
第一課は「てんしさまを とふとむべし」で始まり(2から19は儒教倫理のようなものだが)最後の二十課は「くにのためには みをも わすれよ」で締めくくられる。
首位教科である修身は「天皇大権、忠君愛国」の帝国憲法を精神面から支える教科であったことを証明する資料である。

(4)大日本帝国憲法(5)日清戦争を1時間ずつかけて終わったところで、第2回紙上討論(「富国強兵・殖産興業」を考える?、第2回授業の感想。前回提出)の5人の意見(なかには増田さんの長文のコメントが付いているものもある)を聴講生が順番に朗読。重要な部分は増田さんがアンダーラインを引くよう指示された。
紙上討論の朗読を聞いて、朗読の重要性を再認識した。普段われわれは文章を黙読して文意を頭で理解する方法をとっているが、聴覚による理解は、読み手の感情が加わっているからか、黙読とは異なる心で感じる了解方法だと思った。「第2回授業の感想」に「グロテスクなものはみたくないと思う人もいるが、授業では生徒一人一人への配慮はあるのか」という感想があり、それに対する「増田さんのコメント」で8.15集会の彦坂さんの講演が紹介された。女性の方が朗読されたが、改めて彦坂さんのことばにはじつに深い考えがあることを、実際に講演されたときの口調を思い起こしつつ、感じた。
ただし、朗読だけでは言葉が流れ去ってしまう。そこでアンダーラインを引いて重要ポイントを定着させることの意味がわかった。3都議はアンダーラインを引かせることが洗脳教育だと主張するが、この日の授業を聞いた限りではそうは思わなかった。
質疑応答の後、聴講生の一人が憲法前文を暗誦して授業終了。
全部で2時間40分の授業(10分の休憩含む)だった。

☆成田線には、はじめて乗った。林や畑など緑が多く、区画整理され整然と並ぶ住宅街が点在する環境のよさそうな沿線風景だった。大宮から乗った東武野田線の風景とちょっと似ているような気がした。
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