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古関彰一の「法的・歴史的にみた沖縄・排除の論理」

2018年05月01日 | 集会報告
4月22日午後、飯田橋の東京しごとセンター地下講堂で「琉球/沖縄シンポジウム 第7弾」が開催された(主催:琉球/沖縄シンポジウム実行委員会)。
オープニング前、会場には喜屋武マリー with MEDUSAのハードロックの曲が流れていた
   
琉球/沖縄シンポジウムは琉球新報の新垣毅さんの「沖縄の自己決定権―その歴史的根拠と近未来の展望(高文研 2015/06)の出版を契機に、新垣さん、高橋哲哉さん、上原公子さん、阿部浩己さんらのシンポジウム開催からスタートした。今回は「沖縄 憲法なき戦後――講和条約三条と日本の安全保障(古関彰一/豊下楢彦 2018/02 みすず書房)を発刊した古関彰一さんの講演である。
わたくしは2010年3月に法政大学で行われたシンポジウム「『普天間』―いま日本の選択を考える」を聞きに行き、パネリストの一人が古関先生で、「いつのまにか日米安保を政治家以上にメディアが日米同盟というようになった」という発言を覚えている。
この日の講演では、沖縄は27年ものあいだ米民政府の直接統治におかれ、日本の憲法も選挙法も適用されなかったこと、ただしアメリカの植民地とはいえないこと、米軍基地と自衛隊基地は性格がまったく違うことなど、わたくしが知らなかった事実が明らかにされた。そして沖縄は日本の周縁の地として、アメリカからも日本本土からも差別的な扱いを受けてきたこと、それは植民地や少数民族にも通じる問題であることなどを知った。

日本国憲法制定過程から排除された沖縄 今も続く平和的生存権侵害

                古関彰一さん(獨協大学名誉教授)
沖縄を見るには、ひとつの視点だけでなく、いくつかの視点が必要だ。たとえばアメリカのなかで沖縄をみるときにも戦後初期は国務省(外交官)と国防省、とりわけ統合参謀本部(軍人)とではまったく違い、深刻な対立があった。今日は、日本全体のなか沖縄をどうみるかという視点、アメリカからみた「植民地」としての沖縄への歴史的視点、太平洋全体のなかの沖縄の位置という国際的な視点などをお話ししたい。

1 「日本国民」の誕生――沖縄分離の意味
まず日本のなかでの沖縄についてだ。日本国民とはなにかがわからないと、沖縄の分離や現在の沖縄の位置がわからない。
法的に日本国民を考えると、憲法10条に「日本国民たる要件は、法律でこれを定める」とあり、その法律とは国籍法で、2条の1「子は、次の場合には、日本国民とする。出生の時に父又は母が日本国民であるとき」である。81年に女子差別撤廃条約が発効し、日本が締結するまでは「父」のみだった。いずれにせよ血統主義で、アメリカ、カナダ、オーストラリアなどの「どこで生まれたか」で国籍が決まる生地主義ではない。日本は戸籍法が非常に重要で、出生したときに「父母の氏名及び本籍」を届け出る(49条2の2)ことになっている。戸籍は家族が中心で、親の国籍がそのまま子どもに継承される。国民とは国籍所有者を意味する。国籍は日本国という日本全体であり、日本国のなかのどこに住んでいるかは問題にならない。
沖縄の場合はどうか。戦後、日本本土はGHQに間接統治されたが、沖縄は米民政府(USCAR=United States Civil Administration of the Ryukyu Islands)に直接統治された。軍人の直接支配でないのは1952年の講和条約締結を前提にしていたからだ。
よく講和条約3条で「沖縄は日本から分離された」といわれる。しかし3条を読むと「日本国は、北緯二十九度以南の南西諸島(琉球諸島及び大東諸島を含む。)(略)を合衆国を唯一の施政権者とする信託統治制度の下におくこととする国際連合に対する合衆国のいかなる提案にも同意する」、しかしそれができない場合は「合衆国は、領水を含むこれらの諸島の領域及び住民に対して、行政、立法及び司法上の権力の全部及び一部を行使する権利を有するものとする」とあり、沖縄は国連の信託統治の下におき日本国が了解することと、それができない場合アメリカが「行政、立法及び司法上の権力の全部」を行使するとことになっている。仮に沖縄が国連に信託統治を提案したとしてもそれは受け入れられない。そのことをアメリカはわかっていた。これは統治権をもつことであり、アメリカが主権をもつということだ。
ただ、沖縄を分離するとか、日本の主権がどうなるかはまったく書かれていない。日本とも、アメリカとも、もちろん沖縄とも書かれておらず、国会で大問題になった。そのころ講和条約の大統領特使のJ.F.ダレスは「潜在主権」(residual sovereignity)という言葉を造った。学者は「残存主権」と呼ぶ。どこの国の主権にも属さず、どこの国の国民でもないまま27年間統治された。
アメリカの文書には沖縄とか沖縄人、沖縄県民という言葉は出てこず、「琉球諸島」「琉球人」という言葉しか出てこない(沖縄は3か所のみ)。72年の沖縄返還協定も正式名称は「琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定」で、沖縄も「返還」という言葉も出てこない。アメリカは45年4月に沖縄に上陸し、日本の敗戦より前に「ニミッツ布告」を公布し、日本本土の法制度を無効にした。
46年2月、連合国最高司令官の命令(SCAPIN)として、本土在住の沖縄人の調査を行ったが、そのタイトルは「朝鮮人、中国人、琉球人、台湾人の登録に関する覚書」だし、沖縄の人は、旧植民地体制下の人と同じカテゴリーに分類され、氏名、年齢、住所のほか職業まで記入することになっていた。これは外国人の扱いで、事実上沖縄は本土と分離されていた。本土に旅行するにも「許可」が必要だった。そして米民政府は52年2月本土の憲法に当たる「琉球政府章典」を公布し、琉球立法院は本土の戸籍法とは別の「戸籍法」を制定した。まったく日本国民扱いしていない。
しかし一言だけ申し上げたいのは、アメリカは沖縄を領土にはしていない。そういう意味では植民地ではない。アメリカはイギリスの植民地で独立を戦った国の成り立ちからしても領土分割はしない。それに代え、統治権をすべて取るようなことはパナマ、ベトナムなど世界各地でやってきた。沖縄だけではない。彼らの統治方式は、かつての植民地ではなく、そういうやり方だということを申し上げておきたい。

2 日本国憲法と沖縄
日本の戦後は8月15日に始まったといわれるが「昭和天皇実録」をみると、6月18日沖縄は玉砕状態となり、牛島満司令官が「決別電報」を打ち、すぐ天皇に届けられた。直後の22日の御前会議で天皇が「もうやめよう」と言い出した。沖縄戦を考えずに戦後はありえなかったということだ。8月15日ではなく、このころから戦後どうするかを考え始めた。だから9月4日の詔書に早くも「日本は平和国家になる」という文言が入っている。
GHQも民主主義の確立のため憲法をつくり、45年12月に選挙法を改正し、婦人参政権が確立した。しかし沖縄や北方領土は「勅令を以て定むる迄は選挙はこれを行わず」と選挙の停止を定めた。在日朝鮮人・台湾人などの選挙権も同時に停止された。
憲法43条で「両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する」と定められている。しかし沖縄の人は選挙権もなく国会議員に立候補もできない。それでどうして「全国民の代表」といえるのか
国家や国民とはどういうことなのか。ただ少しだけいうと、法律用語として「国民」ができたのは憲法以降だが、一般用語としてポピュラーになったのは日清戦争以降だ。沖縄にとっても日清戦争は大きな意味をもつ。沖縄は明や清と長い交流があったが、手を切って日本と手を結ぶきっかけは日清戦争で日本が清に勝ったことだ。(そして徴兵制もできた)

3 「植民地」でない「植民地」
沖縄の戦後は、植民地統治の影をかなり映している。植民地である台湾や朝鮮以外に「租界」があった。租借地であるが、事実上の統治権を行使した。イギリスの香港や上海が古いが、日本も租界地をつくった。いろいろ調べるとまさに沖縄統治そのものだ。支配の仕方を改めて教えられる。
日本本土は1952年以降、日米安保条約のもとに置かれている。本来は安保条約に基地は必要がない。日本は安保条約6条で基地を定めているので一体化しているが、フィリピンは米比防衛条約と軍事基地条約を別に結んでいる。最近沖縄県が地位協定について、ドイツやイタリアと日本を比較分析した報告書を出した。
日米安保では「全土基地方式」で日本のどこでも米軍は施設及び区域を使用することを許される。そんな国は世界にほかにはない。考えてみると、沖縄ははじめからそうしていたので、どこでも基地として取り上げられた。そのことが本土に使われた。けして沖縄だけの問題ではなく沖縄の人たちの苦悩がわたしたちに及んできている。
また憲法との関係でいうと、米軍基地と自衛隊の基地は法的にまったく違う。自衛隊の基地近くにも家族寮がある。しかし自分たち(自衛隊)専用の学校やスーパーはつくらなくてよい。外国の基地はそうはいかないので、基地という言葉は使わず「施設及び区域」という用語を使い、軍事基地以外にスーパー、教会、学校、ハンバーガーショップなども含む。沖縄には大学(ただし分校)もある。外国の基地があるとまったく地域が変わるということを考えないといけない。
日米安保は、冷戦下、ソ連の脅威から日本を守るためと考えられてきた。冷戦終了後も安保はかわらず、今度は日米同盟と言い始めた。なぜ日米安保は続くのか、何のためかと考え続けてきた。つくづく思うのは、アメリカ人、とくに軍人にとって日米安保の基本は米軍基地の存在であることだ。だから絶対に基地をなくさない。鳩山首相が「最低でも県外」といったときに、アメリカの高官が「反米主義者」と呼んだという話もある。
世界の米軍基地を考えると、ドイツ、日本、韓国、台湾などに多くある。すべてかつてのアメリカの敵国だ。平和を考えるときこの構造を考えないといけない。
日米安保の問題を考えることは米軍基地を考えざるをえない。それが基本にあると考えている。

講演のあと、「各界からの発言」ということで、3人の方からスピーチがあった。

滝本匠さん(琉球新報記者)
滝本さんは新垣さんと同期入社で新垣さんと交替で今年4月から東京に赴任、いままで那覇で基地担当記者だった。東京駐在は2回目で前回2009年は民主党政権ができたときだった。
「県外からは、ゲート前に来ていただき支援していただくことももちろん歓迎だが、それだけでなく自公政権が安泰だという現状を、沖縄の声も踏まえ選挙で何とかしていただきたい。これは、沖縄だけでできることではないから」と訴えた。

佐々木史世さん(沖縄の基地を引き取る運動・東京)
「沖縄の基地を引き取る運動」は沖縄差別をなくすため2015年3月大阪で立ち上がり、その後福岡、新潟、長崎、東京など全国9地域で活動している。基地引き取りは高橋哲哉さんの「沖縄の米軍基地――「県外移設」を考える(集英社新書 2015.6)で有名だが、この運動は市民が自発的に立ち上げた。
沖縄の基地は、日本本土の基地を反基地闘争により沖縄に押しつけた経緯がある。米軍基地の70%が国土面積1%の沖縄に集中しているがために、少女暴行殺害事件、飛行機からの部品落下事件などが発生し、生存権、教育権はじめ基本的人権が侵害されている。本土の人は日米安保賛成が8割なのに基地はいらないというのは沖縄差別ではないか、と考える。県外移設を本土で応えるのが基地引き取りだ。日米安保を選択した責任を果たさないといけない。仮に安保反対論者であっても、反対の世論をつくれなかった責任をとるべきであり、政治的選択肢をひとつでも増やすこともわたしたちの活動のひとつだ。長く沖縄に負担を強いてきたが、そろそろ本土が責任を果たすべきだ。いろんな考えの人がいると思うので、基地引き取りについて議論を深めたい。

野平晋作さん(ピースボート共同代表)
東京MXの「ニュース女子」問題で昨年12月今年3月BPOが勧告を発表し、MXは4月から「ニュース女子」の放送を打ち切った。ただしMXは内容の問題ではなく、編成上の変更としかいわないので、抗議を続けている。なお東京MXはDHCの代理店業務を止めたので全国35局のうち18局は4月から放送をやめたが、青森テレビ、秋田テレビ、奈良テレビ、テレビ高知、大分放送など17局は続けている。それで「わたしはDHCを買いません」というタグをつくった
今日の話題に関連する話をひとつ。アメリカのノースダコタ州で、パイプライン建設地が先住民族の聖地だったので、「脱植民地主義運動」として反対運動をしている女性がいる。支援者がこの運動を「平和、民主主義運動」として語ると、彼女は「この運動が白人に乗っ取られた」と感じるという。沖縄の現状を変えるために憲法を守ることこそ沖縄を救うことになるとときおりいわれるが、はたしてそうなのか。沖縄では、復帰運動が憲法を獲得し、立憲主義を実現する運動だった時代もある。しかし復帰以降、現行憲法のもとで、ずっと沖縄が切り捨てられてきた現実がある。これでは沖縄の声に応答することにはなっていない。沖縄の自己決定権と本土の植民地主義の問題を考えるうえで、ノースダコタの方の言葉は示唆に富む。
またピースボートで東南アジアの人々と「差別と非寛容、そしてロヒンギャ」というテーマで最近、会議をしたが、ロヒンギャに限らず少数民族の差別の背景には植民地支配や迫害を正当化するフェイクニュースが共通にあると実感した。

このあと、長めの質疑応答があった。議論になったのは、ひとつは「沖縄の基地を引き取る運動」の理念についてだった。これは運動の趣旨が短時間だったため説明不足だったからだと感じた。また、沖縄現地での基地反対闘争には、運動する側にも自重すべき面もあるのではないかという意見についても紛糾した。これは事実確認や誤解に基づく発言である一面もあったと感じた。
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