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集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

山田洋次監督の佳作「こんにちは、母さん」

2024年07月22日 | 映画

昨年9月に公開された「こんにちは、母さん(監督:山田洋次 松竹2023)をDVDでみた。91歳の山田監督の90本目の作品とのことだ。
キネマ旬報ウェブによるあらすじは下記のとおり。
「大会社の人事部長として日々神経をすり減らしている神崎昭夫(大泉洋)は、大学時代からの親友で同期入社の木部富幸(宮藤官九郎)から相談を受ける。隅田川近辺の地元で、屋形船を借りて同窓会を開催しようというのだ。家では妻との離婚問題、大学生になった娘・舞(永野芽衣)との不和に頭を悩ませているものの、そこは隠して、2年ぶりに母・福江(吉永小百合)が暮らす実家を訪れる神崎。「母さん」と、木造2階建ての玄関の引き戸を開けると、迎えてくれた母の様子が、どうもおかしい。亡くなった父親は足袋職人。どちらかというと地味で割烹着を着ていたはずの母が、小粋な洋服を着て髪を明るく染めている。地域の番場百惠(枝元萌)や琴子・アンデンション(YOU)、そして教会の牧師・荻生直文(寺尾聰)らと共に、ホームレス支援のボランティア活動をして、なんだかイキイキとしている。おまけに、どうやら恋愛までしているようなのだ。久々の実家にも自分の居場所がなく、戸惑う昭夫だったが、お節介で温かい下町の人びとや、これまでとは違う“母”と新たに出会い、次第に見失っていたことに気付かされてゆく」
ウェブ記事によると「山田監督から「墨田区向島を舞台にした下町の映画を作りたい」と要望があり、墨田区の協力で撮影された」とある。向島は隅田川をはさみ浅草の対岸、かつては花街でいまも料亭があるらしい。昭和戦前は向島区だったが戦後本所区と合併し墨田区になった。

                 映画.com のサイトより
6分くらいのところでタイトルが出たあと、下町の路地やスカイツリーが映り、「足袋かんざき」の看板が映る。
隅田川の屋形船、遊覧船、夕暮れ時にカラスが鳴き渡る隅田川、銭湯から出てくる福江と舞、花火など、下町らしい風景が次々に映し出されると、どうしても山田監督の「寅さん映画」の舞台、柴又や江戸川の川っぷちを思い出す。
人物もいろいろ寅さん映画になぞらえたくなる。下記、寅さん映画を一通り見たファンでないとわからないところもありそうなので、あらかじめお詫びしておく。
大泉洋の昭夫は、たとえば15作「寅次郎相合い傘」で通勤途中不意に蒸発したくなった兵藤(船越英二)や、34作「寅次郎真実一路」で、やはり通勤途上で失踪した証券会社課長の富永(米倉斉加年)と重なる。
荻生先生は、寺尾聡が演じているので、どうしても43作「寅次郎の休日」で大分・日田で暮らす泉の父・及川一男(寺尾聰 秋葉原の大型電器店元社員)を思い浮かべる。教会の牧師という点では20作「寅次郎頑張れ!」で平戸の教会の(こちらは)神父・桜井センリを思い出すが、イノさんのことを「なんてことを。今度会ったら叱ってやりますよ」というセリフを聞くと題経寺の御前様(笠智衆)を思い浮かべる。また元大学教授というと、博の父(志村喬)を思い出す。
神崎舞はそれこそ42-45・48作の満男のマドンナ・泉(後藤久美子)かもしれない。だが昭夫に、自宅靴箱にたくさん入っている靴のことをいわれ「邪魔だったら、捨てればいいでしょ」とキツク口答えするところは26作「かもめ歌」のすみれ(伊藤蘭)のような一面もある。
昭夫の母・足袋屋を営む福江は難しい。下町のマドンナというと10作「寅次郎夢枕」の八千草薫が近い。またレギュラーのさくらやおばちゃんももちろん下町の女だ。だが、いい意味でも悪い意味でも、やはり吉永小百合は吉永小百合だ。ただ吉永小百合に下町の女性を演じさせるのは、さすがにムリがあると思った。いくら髪をショートカットにして、見栄えを変えても原作(戯曲)のセリフ「笑わせんじゃないわよ、このコンコンチキ!」「あんなの育てた腑抜け男とロマンスするほど暇じゃないよ! 出てけって! おととい来やがれ!(p72)はムリだ。
昭夫と大学時代の友人で、同期入社しリストラに遭う木部もちょっと難しい。ひょうきんなところは12作「私の寅さん」の寅と小学校時代の同級生で放送作家・柳文彦(前田武彦)が近いかもしれない。ただ取っ組み合いのケンカまでする相手は、タコ社長くらいしかいない。

単体のセリフやシーンでもいくつか思い浮かんだ。以下「シ」は月刊シナリオ2023年10月号日本シナリオ作家協会のページ、「劇」は原作(戯曲)の台本(永井愛「こんにちは、母さん」白水社 2001年)のページ数を示す。 
  
1 シ124直文「若いとき逃げるようにして飛び出して、振り返りもしなかった故郷ですが、晩年は戻らなきゃいけない、生まれ故郷の小さな教会を守って過ごしたい、同郷の信者のみなさんに神の言葉を伝えたい、必ずそうしようと、前々から決めていたんです」
直文にとっての別海は、まるで寅さんにとっての柴又のような話だ。
2 「家族はつらいよ」でうなぎ屋の出前を配達する青年(徳永ゆうき)が出てきたが、この作品では昭夫の自宅にスーラータンメンを配達する就職活動中の学生アルバイトが登場する。
「おかげさまで内定をひとついただきました。IT関係の小さな会社ですが」など、セリフがリアルだった。
3 福江「わたしも連れて行って、北海道へ」直文「ええっ?」福江「冗談よ、冗談」「先生、さようなら!」(略) 百恵「冗談じゃないのよ、先生。福江さん、本当に好きだったのよ(シ126)。これも10作「寅次郎夢枕」だったかで聞き覚えがある。

ところで原作の永井愛こんにちは、母さん」も有名な戯曲作品だが、わたしは観ていない。この機会に図書館で借りだし、読んでみた。永井さんがこういう下町の人情噺を書くのか、すこし驚いたもので・・・。
すると登場人物からかなり違っていた。母・福江と息子・昭夫と荻生尚文はいるが、荻生の長男・文彦の妻・康子も登場する。職業は収納プランナー、昭夫の妻・知美と同業だ。
しかし娘・舞はいない、就職したばかりの息子がいるという設定(ただし登場はしない)。またイノさんも存在しない
設定もかなり異なる。ボランティアグループ「ひなげしの会」はホームレス支援でなく、2001年3月の新国立劇場用の作品ということもあり、主としてアジアから留学に来日した学生の支援ということになっているからだ。代わりに、中国人女子留学生・李燕が登場し、琴子、小百合(映画では百恵。たぶん吉永と混同されるので役名を変えたのだろう)と3人娘のようになっている。
中国人留学生は、戦争中の日本軍の加害責任(福江の亡夫は中国人を殺したらしい。しかも子どもを。また直文の次兄がフィリピンで戦死したというエピソードも)を問う。
イノさんが言問橋の上で被災した話は映画では重要だが、劇では福江一家が被災し、家族が亡くなり自分は生き残ったという話になっている。
荻生先生は、元仏文の大学教授(いまは教会の牧師)ではなく、源氏物語を専門とする元大学教授で、いまは市民講座の先生だ。福江のことを「あが君」などと呼び、口癖は「あらぁ」だ。北海道に転任するため福江が失恋するのではなく、福江の家から再婚反対の息子に説得のための電話中に急死するという悲惨な設定になっている。だから「神様はね、試してるんだよ、私のこと。どうだ、これでも生きていけるかって、かけ事みたいに楽しんでるんだ」という福江のセリフもリアルに聞こえる。
なお福江の亡夫はたんなる幼なじみであり、福江の実家の料理屋に来ていた若い客ではない。

さらに本質的なところでは、山田監督の主人公はどちらかというと昭夫、永井戯曲の主人公は福江という点だ。
映画の冒頭は丸の内のオフィス街だし、上司の常務・久保田、木部だけでなく、部下の女性・原やサラリーマンが行く居酒屋の場面も2度出てくる。(ちなみにこの居酒屋は下町でなく、山田監督の自宅方向の成城学園にある)
 会社が舞台の映画ということでは、ハナ肇が主演で、退職日を描いた「会社物語(市川準監督 1988松竹)を思い出した。
永井さんのシナリオでは、たとえば福江の直文に対するセリフ、「笑わせんじゃないわよ、このコンコンチキ!あんなに息子にヘーコラしといて、全世界とは恐れ入る。安全地帯で吠えてんじゃないよ!」(p72)でわかるが、母に焦点が当たり、寅さん風にいうと「女もつらいよ」という感じになっている。

しかし、中核となるセリフは、意外に(?)原作から引用しているものが多い
たとえばシ120「「なるだけ肩の力を抜いて、ほがらかに生きた方がいい。お母さんのあなたのようにね」
 劇130「昭夫さん、あなたもね、もっとほがらかに生きた方がいい。あなたはどうもほがらかじゃあないね。」

2 シ127「あと5年、あと3年、側ににいてくれるだけでよかったのに。こういうどんでん返しをするなんて、神様も意地悪だね
劇139「神様も粋なお計らいをするじゃないか。人生の最後にきて、いろんな夢をひろげさせといて、こういうどんでん返しを仕組むなんて。

3 シ127「邪魔しないでよ。母さんは立ち直ろうとしているのに。昭夫、こんなとこ見るのが嫌なら、どっか行って食べておいで。母さん一人で喋ってるから。帰った頃には酔い潰れて寝てるよ」
劇139「邪魔しないでよ! 母さんが立ち直ろうとしてるのに!」「見るのが嫌なら、どっか行って食べといでよ。母さん、一人で喋ってるから。帰った頃には酔い潰れて寝てるよ」

4 ラストの打上げ花火のときの福江のセリフ
シ129「昭夫はここの2階で生まれたのよ。暑い日でね。お産婆さん呼んで、母さん汗だらけになって、ウンウン唸ってた。そしたら花火がドーン、ドーンと上がり始めて、お前がその花火と一緒に生まれたの。あゝ、世界中からお祝いされてる、母さん、その時、そう思ったんだよ」
劇156「昭夫は、ここの2階で生まれたんだ。お産婆さん呼んで、母さんウンウン唸ってた。そしたら花火が上がり始めて、花火と一緒に生まれたよ。世界中からお祝いされたって、母さん、そのときにそう思ったんだよ・・・」
  ちなみに、映画ではシナリオと少し異なり「世界中から祝福されている」と語っている。確かにこのほうがよいと思う。

5 下記もそうだ。
シ110「腹の足しっていうより心の足し。煎餅ってものはそもそもが人間を慰めるために、あるんだ(略)あんたの旦那はこの煎餅を一枚一枚、愛情を込めて焼いてるんだ」
「俺、こんな仕事に就けばよかった。こういう仕事は裏切らないからな
劇49「こういう物ってのは、人間を慰めるためにあるんですねぇ。(略)腹の足しってよりは、心の足しですよね」「こういう仕事につけばよかった。こういう仕事は裏切りはしない」
 ただし劇では昭夫のセリフではなく、木部が福江に甘えるときのセリフだ。
ふたたび映画の話に戻す。
この映画では、足元がひとつのモチーフになっている。
福江が舞に亡夫との結婚を決意したエピソードを語る場面がある。成人式の晴れ着ができてきて大喜びしているとき、若い足袋職人だった亡夫が「足袋はどうなさいますか」と問い、「じゃあお願いしようかしら」というと「靴下を脱いで足をそこに出して下さい、そう言うのよ――舞ちゃん、靴下脱いでそこに足出してごらん」 舞が靴下を片足脱ぐ。ペディキュアの足が映し出される。丁寧に採寸し「舞ちゃん、どんな気持ちがする?」 舞「なんだか変な気持ち、恥ずかしいような。おばあちゃん、もういいよ」 舞、足を引っ込める(シ117)20歳の福江の白足袋の両足が映る。
もうひとつ、昭夫の妻・知美が離婚の決意を胸に秘め、福江を突然訪ねてきたとき、「お母さん、ごめんなさい、そう言ったらあの人の大きな目から涙が溢れ出して、逃げるように戸を締めて行ってしまったのよ」「その時、母さん、ああ、知美さんには好きな人がいるんだと思ったの」(シ121)
このときの黒のハイヒールの足の映像が印象に残った。
また、福江が直文のため心をこめて縫い上げたスリッパ。青い新品のスリッパを履いた直文の足がアップで映る。嬉しそうな声で、直文「ぴったりだ、奥さん」福江「だって寸法取ったんですもの」(シ119)。そしてシナリオにはないが、「ありがとう、一生大事にします」福江「そんな大げさな」と続く。
さらに、空き缶を山のように載せた自転車を引くイノさんの古いくたびれた靴がアップになるシーンもあった。足袋も含め、足がひとつのモチーフになっていた。足袋屋の女房だから「足」はわかるが、何か理由があるのだろう。たとえば讃美歌301番の歌詞に「み神は汝の足をつよくす」とあるからとか・・・。
カメラは、もちろんローアングルだ、山田が好きな小津の映画のようだ。撮影は近森眞史
ほかにも撮影でいうと、光と影のコントラストもずいぶん計算されているようだ。
夜の隅田川と白鬚橋のライトアップ。ひなげしの会の食糧配布は夜の活動だが、ホームレスのテントやダンボール・ハウスと高層マンションの明かりの対比。
隅田川の夜景が窓からみえるが、暗い部屋で机につっぷし泣く福江。
福江「明かりつけないで、このままにしておいて」舞「大丈夫?」福江「大丈夫」
室内は暗いが、窓の外、夕暮れどきの花の黄色がきれいにみえている。 
人事部長の職の辞任を常務に告げ、「失礼します」と廊下を歩く昭夫。初めは逆光で表情は見えないが「昼食を食いに表に出たら、梅雨明けの空がとても高くて青かった」とつぶやく昭夫はすがすがしい表情、丸の内のオフィス街の梅雨明けの空に白い雲が流れた
  
音楽や音の効果も再認識した。墨田ホールのコンサートで演奏されたショパンの「ノクターン2番(作品9-2 変ホ長調)賛美歌301番教会のオルガンがいい味を出していた。 ラジカセから流れるサザンオールスターズの「涙のキッス(1992)、もちろん千住兄妹のテーマ音楽もいい出来だ。映画全体の音楽も千住明による。
音といえば、直文が福江に別れを告げる場面で、キッチンで湯が沸いたことを知らせるケトルの音、直文を追おうと福江が外に出たときの豆腐屋のラッパの音、知美が福江の家を出るときの、戸をピシャンと閉める音も効果的だった。
もちろん、ラストの隅田川花火大会の打上げ花火の音も強く印象に残った。
山田監督の作品のなかで、「男はつらいよ」シリーズ以降で、「おとうと(2010)などと並ぶ佳作だと思った。
機会があれば、ロケ現場の向島に行き、足袋屋さんのモデル・向島めうがや墨田聖書教会隅田川テラス、桜橋にも行ってみたい。

●アンダーラインの語句にはリンクを貼ってあります。


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