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日本軍「慰安婦」問題の解決にむけて

2008年10月24日 | 集会報告
10月19日(日)午後、中央大学駿河台記念館で「日本軍「慰安婦」問題の解決にむけて」というシンポジウムが開催された(主催:日本の戦争責任資料センター)。
昨年は、7月末アメリカ下院で「慰安婦」をめぐる決議が採択されたのを皮切りに、オランダ、カナダの下院でも決議され、年末にはEU議会で同様の決議が採択された。いま立法化の動きや国連での審議はどうなっているのか、最新情報を3人の専門家から聞くことができた。立法化の問題を話された戸塚悦朗さん(龍谷大学)のお話を中心に報告したい。

各国の『慰安婦』決議とその背景」という講演で、前田朗さん(東京造形大学)は「背景」について次のように説明した。
アメリカ下院決議について、メディアや政治家の関心は「なぜいまアメリカが」ということに集中した。「慰安婦」問題は、国と国の問題、すなわち日韓、日米など二国間の問題でとらえられがちだが、被害地域は朝鮮、中国、フィリピン、オランダ、インドネシアなど広範囲に広がる。また加害者は、軍だけでなく周旋業者、総督府など占領地の行政当局、慰安所を利用した兵士などさまざまなレベルの関わりがある。この問題は被害者(民衆)と加害者という視点で見るべきである。また日本だけが非難されるという意見があるが、それは当たらない。第一次大戦時のアルメニア・ジェノサイドでは90年以上トルコの責任が追求されている。旧ユーゴスラビアやルワンダの問題では国際刑事裁判が行われている。広島・長崎に原爆を投下し、東京大空襲をしたアメリカには言われたくないという意見がある。人道に対する罪は、責任者処罰と補償を伴う。そのためにも日本の加害をしっかり検証することが必要だ。
               
前日ジュネーブから戻ったばかりの渡辺美奈さん(女たちの戦争と平和資料館)は「「慰安婦」問題をめぐる2007―2008年の動き」という講演で、次のように語った。
アメリカの下院決議は、1996年5月に提出され廃案になってから都合8度目の提案で採択された。採択の背景には女性団体V-dayの2005年のキャンペーンや在米韓国人団体「121連合」の活動、被害女性が訪米し2006年と2007年に直接証言したこと、起爆剤となった2007年3月の安倍首相の「強制性についてそれを証明する証言や裏付けるものはなかった」という発言、ダメ押しとなった6月の日本の国会議員44人によるワシントン・ポストへの意見広告があった。またヨーロッパでも国際アムネスティが大きな役割を果たし、2007年被害者のスピーキング・ツアーを行い、オランダ、EUの議会決議を得た。
国連では1993年以降、何度も日本政府への報告が作成され、今年6月には人権理事会普遍的定期審査(UPR)作業部会で勧告され、10月には自由権規約委員会で日本政府報告書の審査が行われた。審査は93年、98年に次いで3回目、残念ながら過去2回は慰安婦問題は最終所見に入らなかった。今回、18人の委員に面談を試み、2人が慰安婦問題を取り上げてくれた。わたしたちは被害者が高齢で亡くなる前の解決を目指しているが、ある委員は「加害者を処罰するため加害者が亡くなる前の解決を」という意見を述べた。
               
戸塚悦朗さん(龍谷大学)は1992年2月、国連人権委員会(現在の国連人権理事会)で「慰安婦」問題についてはじめて発言された方で、国連の報告書や勧告が次々出る端緒となった。以下、「立法による解決をめざして」と題した戸塚さんのお話の要旨を記す。
1993年8月、河野洋平官房長官は「慰安婦」へのお詫びと反省の談話を発表した。それにもかかわらず参議院法制局は、国家賠償はすでに日韓基本条約など二国間協議で解決ずみでありこれを否定する法律案作成は違憲の疑いがあるとの立場を取っていた。当時野党は、この主張を突破することができなかった、つまり議員立法能力がなかったのである。そこで、自社さ政権は国家補償ではなく「善意」の民間基金「女性のためのアジア平和国民基金」設立の方向に向かった。この基金は被害者にとっては「善意」の押売りと受け取られ失敗し、2007年3月に解散した。和解には被害者への誠実な「プロセス」が必要なのだ。
一方、立法の問題はたんに官房長官が「条約違反、憲法違反ではない」と発言すればクリアできることがその後判明し、実際に99年に野中広務官房長官がこの趣旨の答弁をしたので、本岡昭次議員ら6人が法案を作成し2000年4月参議院に提出した。この法案は、被害者への謝罪を柱にし議会提出前に韓国挺身隊問題対策協議会と協議し同意を得たすぐれたものだった。これ以降、今年4月の提案まで連続8年野党共同提案が継続している。条約があるから解決できないのではなく、自公が賛成しないから解決しないのである。
この間、「慰安婦」訴訟は、1998年4月の釜山従軍慰安婦・女子勤労挺身隊公式謝罪等請求訴訟で、立法不作為が一部認められた以外は残念な結果に終わった。しかし三権分立システムから考えると、司法がダメでも立法がある。またマスコミも沈黙を続けているが市民が世論をつくるという方法がある。
2008年年3月28日宝塚市議会で「日本軍『慰安婦』問題に対して、政府の誠実な対応を求める意見書」が採択され、6月25日同様の意見書が東京・清瀬市議会で採択された。

3人の発言のあと、ゲストの方2人のスピーチがあった。韓国の被害者、キル・ウォノク(吉元玉)さんは13歳のとき「工場で働けば技術が身につく」とだまされ、日本の敗戦で解放されたときは18歳だった。「泣いたら殴られ、それも平手ではなく拳骨だった。死なない程度に、靴のまま蹴られたり殴られ続けた。あまりにもくやしい。カネをもらっても体は元には戻らない。それより心からの謝罪をしてほしい。また戦争のない国をつくりたい」と述べた。80代のキルさんは今年8月オーストラリアを訪問し、11月には2回目のヨーロッパ訪問でイギリス、ドイツ、ベルギーなどを歴訪されるとのことだった。
韓国挺身隊問題対策協議会のユン・ミヒャン(尹美香)さんは、アメリカ下院やEU決議の背景として市民団体の役割の重要性について話をされた。アメリカ下院決議のときは挺対協に「なぜアメリカに期待するのか」との意見も寄せられた。わたしたちはアメリカの政治的影響を利用せざるをえないという現実的な選択を取った」と説明された。

その後、会場から、ナチスと日本軍との比較、民主党内の立法化への賛成派・反対派の動きなどについて意見や質問が出された。

☆シンポジウムの最後に戸塚さんは「たった一人でもできる」ということを強調された。
92年2月に日本軍「慰安婦」問題(sexual slavery)を国連で発言し大きな反響を呼んだときも一人だった。98年ころ私案の暫定法案をつくったときも一人だったそうで、いまも宝塚や清瀬と同じような意見書採択を箕面市議会に採択を求める陳情運動を一人でなさっている。陳情書を出せば全議員と会えるので、すべての会派の議員と面談したとのことだった。勇気ある行動である。
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