11月21日(土)午後、水道橋の「スペースたんぽぽ」で第30回人権と報道を考えるシンポジウムが開催された(主催 人権と報道・連絡会)。パネリストは飯島滋明さん(名古屋学院大学准教授、「戦争をさせない1000人委員会」事務局次長)、島洋子さん(琉球新報東京支社報道部長)、永田浩三さん(武蔵大学教授、元・NHKプロデューサー)、松元千枝さん(ジャーナリスト、レイバーネットTVキャスター)の4人、司会は浅野健一さん(人権と報道・連絡会世話人)だった。
シンポジウムは、1巡目は1人15分くらい、2巡目は10分くらいで、休憩をはさんだ後、会場からの質問も含めたディスカッションという手順で進行した。
今年のテーマは「戦争法案と報道」だったが、配布資料には、9月18・19日の朝日、毎日、読売、東京新聞の記事や社説が出ていたが、この日の討論ではあまりそういうテーマの話にはならなかった。安倍政権下の新聞・テレビ、もっと広くいうと「権力とメディア」というようなテーマで進行した。
わたくしには島さんと永田さんのお話のインパクトが強かったので、それらを中心に紹介する。
島洋子さん
辺野古のボーリング調査が始まって半年ほどたったころ若手記者の勉強会があった。終了後の懇親会で「なぜ東京では、海上保安庁のカヌーの人たちへの暴力を映像で流さないのか」と30代のテレビニュースのディレクターに聞くと「ぼくらの局では、海保を悪者にする報道なんかできませんよ」と答えた。カルチャーショックにも似た驚きをおぼえた。
今年6月、沖縄の2紙(琉球新報、沖縄タイムス)は自民党の勉強会で攻撃を受けた。沖縄の世論はなぜ歪んでいるか」という議員の問いに、国民的作家といわれる人物が「つぶさなあかん!」と答えた。それ以外にもいくつか間違ったことを述べた。たとえば「もともと普天間基地は田んぼのなかにあった」「普天間の軍用地主は六本木ヒルズに住んでいる」「米兵より沖縄人のレイプのほうが多い」などだ。
わたしはまたか、と思った。基地問題で地元の反対が大きくなると政府与党は沖縄のメディアを攻撃する。1997年に米軍基地の借用期間を延長する手続き変更で沖縄の世論が高揚したとき、国会で「沖縄の2紙は普通の新聞ではない」「沖縄の心は新聞にマインドコントロールされている」という発言があり、産経新聞には「報道姿勢問われる地元紙」というトップ記事が掲載されたことがあった。それに対し、当時の編集局長名で「偏向報道批判にこたえる」という記事を出した。「批判は自由だが、基地問題の背後にあるものを見ず、耳を傾けないまま地元紙を批判する報道姿勢を問いたい」というものだった。
その後も新聞批判はたびたび起こった。
とくに安倍政権になってから、昨年12月の選挙報道への「公平中立な報道要望」にみられるように、自民党議員の間に「メディアを支配下に置ける」という自信が広がっていることを感じる。そのくらいメディアはなめきられている。
沖縄の2紙は、たしかに住民に比重をおいている。そうしなければ大きな権力に対し、力の弱い沖縄の人の声を届かなくなる。地元紙としては、地元の利益になる報道をしてこそ沖縄の人の支持が得られると思う。
今年5月17日に3万5000人集まった「辺野古新基地建設反対」の県民大会を報じる沖縄の新聞紙面は2頁見開きの大きな記事だが、お見せする。東京の記者には異様にみえるかもしれない。
しかし今後も沖縄の人に寄りそう報道を続けていきたい。
永田浩三さん
島さんの感動的な紙面とは逆のひどい紙面を紹介する。読売新聞11月15日の「私達は、違法な報道を見逃しません。 放送法第四条をご存知ですか?」という意見広告だ。これはニュース23が放送法違反だという意見広告だ。パリで大事件が起きていたさなかのことだ。
NHKのどこがひどいのか。政治ニュースである。たとえばTPP交渉妥結直前のニュースで政治部岩田明子記者は「日本政府がいかに頑張ったか」を延々と述べた。
さらに8月14日の戦後70年安倍談話の日、NHKはまず18時に記者会見を中継し、談話を垂れ流した。次に7時のニュースは「安倍談話を評価する」というものだったが、岩田記者が「これまでの談話を踏まえた、いかにすばらしい談話だったか」ということを語った。岩田記者は安倍の「番記者」としていつもでてくる。さらに9時のニュースでは、なんと安倍自身をスタジオに招いた。安倍は「対話」ができない人物なので、一方的に「自説」を開陳し拝聴するだけの番組となり、時間は40分にも及んだ。つまりNHKはジャックされたということだ。世間では「アベチャンネル」という言葉もある。
先日籾井会長が記者会見で「アベチャンネルと呼ばないでほしい」と述べた。そんな番組をつくるからだといいたい。
今年3月クローズアップ現代の「出家サギ」報道でNHKの第三者委員会の中間報告が出た後、自民党の川崎二郎・情報通信戦略調査会座長がNHKとテレビ朝日を呼びつけ、その後高市総務大臣はNHKに「厳重注意」を発した。まだ中間報告の段階の時期であったにもかかわらずだ。これに対し11月6日BPO(放送倫理・番組向上機構)が意見書を出した。BPOはNHKと民放が設立した自らを律する機関である。番組に対しては放送倫理違反と断じたが、一方自民党や政府のふるまいを厳しく批判した。放送法1条には「放送が健全な民主主義の発達に資するようにする」とあり、3条には「放送の自律」をうたっている。戦時中、大本営発表の記事を垂れ流し報道した反省を踏まえ、公権力と放送が結託しては断じていけないというのが放送法の精神だ。
「放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによつて、放送による表現の自由を確保する」(1条)、ややわかりにくい表現だが不偏不党と自律を保障するには公権力が介入してはいけない、つまり公権力を縛るものなのだ。これを非常に狭く解釈し「放送局は不偏不党でなければいけない」と誤読しているのが自民党なのである。深刻な事態である。
2巡目の発言のなかで、2人はこう述べた。
島さん 沖縄の基地問題について官僚や政治家に必ずいわれることがある。ひとつは「沖縄は基地で食っているんでしょう」である。これは「少々、我慢すればよい」ということを含んでいる。しかしじつは県民総所得のうち基地収入は5%弱に過ぎない。しかもそのうち7割は、日本政府の思いやり予算による軍用地の賃借料や基地従業員の給料なのだ。逆に、基地の負担や騒音や危険を背負っている。「基地で食っている」という論は都市伝説にすぎない。
もうひとつ「尖閣が沖縄にあるのだから地政学的に仕方がない」「中国に攻められてもよいのか」というものだ。そういう人に「普天間が返還されると、沖縄の基地負担がどのくらい減ると思うか」と聞くと、報道関係者も含め3割とか5割と答える。正解は73.8%が73.4%に減るに過ぎない。あの少女暴行事件が起こって今年で20年たつが、いまだに0.4%ですら負担を解消させていない。メディアはその事実を報道しない。防衛省に「在日米軍の抑止力」をいわれると、何もいわずなにも考えない。それなら「在沖米軍の抑止力とはそもそもいったい何か。0.4%減ると中国に攻められるというなら抑止力などそもそもないということではないか」。疑問をもって検証しようとしない。メディアの怠慢である。
永田さん
MBSテレビのドキュメンタリーシリーズ「映像 '15」「なぜペンをとるのか~沖縄の新聞記者たち」のなかで琉球新報の松永勝利政治部長は「沖縄の新聞記者は先輩から学ぶのではなく、沖縄戦体験者から記者のありようを教えてもらう」と語った。感極まって涙を流した。ハートのある政治部長で、NHKとはまったく異なる。今年6月の自民党の攻撃に対し、沖縄の2紙の報道局長が連名の共同抗議声明を出した。沖縄タイムスの局長は「「形式的な公平はまったく意味がない。米軍の圧倒的な力の前で、新聞は声をあげられない人のため、弱い人の立場に立ち記事をつくる」とインタビューのなかで述べた。テレビも同じであり、弱い人の立場に立つことは番組づくりの基本のキである。
飯島さんは、ジャーナリズムが「社会の木鐸」「権力の監視」を果たしていない現状を批判し、女性誌編集者が「新聞記者がおとなしいから、女性誌がやらざるをえない」と述べたエピソードを披露した。さらに表現の自由が民主主義にとってかけがえのない価値をもち、それが憲法学の基本的考え方であることを述べた。また戦争法廃止に向けた2000万人統一署名やいま進んでいる4つの裁判準備について説明した。
松元さんは「戦争法の国会審議で重要局面が何度か中継されず、たとえばテニスの試合が放映されていた。意図的に国民に報道しないようにしているとしか思えなかった。さらにインターネット国会中継はあるがパンクしていたことがあった。そのとき傍聴者の市民がツイキャスで中継してくれてとてもありがたかった。市民がこの新聞のこの記事、この記者を支援することも政府への圧力になる。「本当はメディアは市民のもの」という自覚に立ち、読者が圧力をかけることも必要だ」と述べた。
最後に、戦争法廃止に向けてどう闘うかという質問に対し4人のコメントがあった。
飯島さん まず来年の参議院選により戦争法廃止に追い込んでいく。一方裁判を支えていく。
島さん 沖縄にこれ以上新しい基地がつくらせないことを考えながら報道していくこと、もうひとつは、政権に対し「違う」といい続けるメディアがあることをもっと広く知らせる努力をすること。現場で地道に日々報道していくことだけだと、現場のものとして思う。
永田さん この夏の大きな宿題は、立憲主義、平和主義、民主主義の破壊を座してみていてよいのか、ということだ。メディアは、異を唱えるどころか下手をすると推進役になってしまう。では来年夏の参議院選でどういう旗を掲げるか、「立憲主義を取り戻すこと」「民主主義を健全なものにすること」だ。その背景に新自由主義の横行があるが、ただ新自由主義に反対すれば民主党も維新も脱落することは明らかだ。しかしそういう人も含めて束にならないと安倍政権は倒せない。くやしいが、今回はハードルにはしないことが大事だと思う。いやだが、そう思おうとしている。そのときメディアが仲間になってくれないとダメだと思う。手がかりはシールズを中心とする若者たちだ。ここに希望をみつけ、ゆるやかな連帯をしていきたい。
松元さん 脱原発裁判で、脱原発のTシャツを着た人が傍聴を規制された、それだけでなく国会議員会館への入場も止められた。この種の問題を取り上げられるのは、インディのメディアや海外のメディアだろうと思う。小さな闘いをみんなに知ってもらうことが重要だ。ただ大手メディアには力があることは否定しがたい事実だ。市民が寝返らず、大手メディアを利用しながら運動を展開すること、理想かもしれないが、役割分担して共闘して勝利できるとよいと思う。インディは力は小さいが、声をかけてもらえば大きい運動にできるかもしれない。ともにがんばりましょう。
その他、人報連・世話役の山口正紀さんから司法や司法記者クラブの問題についてアピールがあった。
「フリーのジャーナリスト42人が原告となり、秘密保護法違憲無効訴訟を起こした。毎回大きな103号法廷が満席になった。判決は「違憲かどうかは判断しない」という門前払いだったが、これだけ集まったせいだろうが、予想に反し7回も口頭弁論がひらかれ何人もの原告が陳述した。しかし何度も要請したのに大手メディアは一度も報道せず、判決のみベタ記事で出した。しかも判決のときひどいことが起きた。開廷前撮影を裁判所が認めなかった。ところが記者クラブには認めた。あまりにひどい差別なので原告の一人が抗議し説明を求めたが、裁判長は「説明する必要はない」と言い放った。そして「写りたくないから退席する」と抗議の意志をこめて何人かが退席したが、そのことにも大手メディアはいっさい触れなかった。癒着も著しい。
秘密保護法国会靴投げ裁判でも同じだった。傍聴者全員を鉄柵の前で身体検査する「暴力法廷」で、なんども司法記者クラブに取材を要請した。やっと一人だけ来てくれたが「書けない」「記者クラブとして裁判所批判はいっさいできない」と言った。判決批判どころでなく、入場問題ですら書けないのが実態なのだ。
この裁判の控訴審はたった1回、1時間程度で結審となった。福島瑞穂、海渡雄一らの証人調べも却下、学者の意見書も却下され、理由を問うと「理由の説明の必要なし」と述べた。思わず、税金泥棒と叫んだ。
こんなことになっているのに裁判所批判の世論が盛り上がらず、国民が裁判所を信頼しているのはメディアが報道しないからだ。「こんなひどい判決」「こんなひどい訴訟指揮はない」とは絶対に書かない。
また司会の浅野さんから、ご自身の地位確認訴訟についてアピールがあった。
☆12月9日深夜、「少女たちの再出発 ヘイトスピーチを乗り越えて」(制作統括:東條充敏、ディレクター:宣英理)が放映された。2009年12月に京都の朝鮮初級学校に押しかけた在特会らのヘイトスピーチで傷ついた2人の少女の6年後を描いたドキュメンタリーである。あのNHKですら、こういう立派なディレクターがいてすばらしい番組がつくれるのだ。
シンポジウムで永田さんは「NHKには、いいネタ、いい番組をつくると尊敬される企業文化はまだに残っている」と述べたが、たしかにそういう側面はあるようだ。
シンポジウムは、1巡目は1人15分くらい、2巡目は10分くらいで、休憩をはさんだ後、会場からの質問も含めたディスカッションという手順で進行した。
今年のテーマは「戦争法案と報道」だったが、配布資料には、9月18・19日の朝日、毎日、読売、東京新聞の記事や社説が出ていたが、この日の討論ではあまりそういうテーマの話にはならなかった。安倍政権下の新聞・テレビ、もっと広くいうと「権力とメディア」というようなテーマで進行した。
わたくしには島さんと永田さんのお話のインパクトが強かったので、それらを中心に紹介する。
島洋子さん
辺野古のボーリング調査が始まって半年ほどたったころ若手記者の勉強会があった。終了後の懇親会で「なぜ東京では、海上保安庁のカヌーの人たちへの暴力を映像で流さないのか」と30代のテレビニュースのディレクターに聞くと「ぼくらの局では、海保を悪者にする報道なんかできませんよ」と答えた。カルチャーショックにも似た驚きをおぼえた。
今年6月、沖縄の2紙(琉球新報、沖縄タイムス)は自民党の勉強会で攻撃を受けた。沖縄の世論はなぜ歪んでいるか」という議員の問いに、国民的作家といわれる人物が「つぶさなあかん!」と答えた。それ以外にもいくつか間違ったことを述べた。たとえば「もともと普天間基地は田んぼのなかにあった」「普天間の軍用地主は六本木ヒルズに住んでいる」「米兵より沖縄人のレイプのほうが多い」などだ。
わたしはまたか、と思った。基地問題で地元の反対が大きくなると政府与党は沖縄のメディアを攻撃する。1997年に米軍基地の借用期間を延長する手続き変更で沖縄の世論が高揚したとき、国会で「沖縄の2紙は普通の新聞ではない」「沖縄の心は新聞にマインドコントロールされている」という発言があり、産経新聞には「報道姿勢問われる地元紙」というトップ記事が掲載されたことがあった。それに対し、当時の編集局長名で「偏向報道批判にこたえる」という記事を出した。「批判は自由だが、基地問題の背後にあるものを見ず、耳を傾けないまま地元紙を批判する報道姿勢を問いたい」というものだった。
その後も新聞批判はたびたび起こった。
とくに安倍政権になってから、昨年12月の選挙報道への「公平中立な報道要望」にみられるように、自民党議員の間に「メディアを支配下に置ける」という自信が広がっていることを感じる。そのくらいメディアはなめきられている。
沖縄の2紙は、たしかに住民に比重をおいている。そうしなければ大きな権力に対し、力の弱い沖縄の人の声を届かなくなる。地元紙としては、地元の利益になる報道をしてこそ沖縄の人の支持が得られると思う。
今年5月17日に3万5000人集まった「辺野古新基地建設反対」の県民大会を報じる沖縄の新聞紙面は2頁見開きの大きな記事だが、お見せする。東京の記者には異様にみえるかもしれない。
しかし今後も沖縄の人に寄りそう報道を続けていきたい。
永田浩三さん
島さんの感動的な紙面とは逆のひどい紙面を紹介する。読売新聞11月15日の「私達は、違法な報道を見逃しません。 放送法第四条をご存知ですか?」という意見広告だ。これはニュース23が放送法違反だという意見広告だ。パリで大事件が起きていたさなかのことだ。
NHKのどこがひどいのか。政治ニュースである。たとえばTPP交渉妥結直前のニュースで政治部岩田明子記者は「日本政府がいかに頑張ったか」を延々と述べた。
さらに8月14日の戦後70年安倍談話の日、NHKはまず18時に記者会見を中継し、談話を垂れ流した。次に7時のニュースは「安倍談話を評価する」というものだったが、岩田記者が「これまでの談話を踏まえた、いかにすばらしい談話だったか」ということを語った。岩田記者は安倍の「番記者」としていつもでてくる。さらに9時のニュースでは、なんと安倍自身をスタジオに招いた。安倍は「対話」ができない人物なので、一方的に「自説」を開陳し拝聴するだけの番組となり、時間は40分にも及んだ。つまりNHKはジャックされたということだ。世間では「アベチャンネル」という言葉もある。
先日籾井会長が記者会見で「アベチャンネルと呼ばないでほしい」と述べた。そんな番組をつくるからだといいたい。
今年3月クローズアップ現代の「出家サギ」報道でNHKの第三者委員会の中間報告が出た後、自民党の川崎二郎・情報通信戦略調査会座長がNHKとテレビ朝日を呼びつけ、その後高市総務大臣はNHKに「厳重注意」を発した。まだ中間報告の段階の時期であったにもかかわらずだ。これに対し11月6日BPO(放送倫理・番組向上機構)が意見書を出した。BPOはNHKと民放が設立した自らを律する機関である。番組に対しては放送倫理違反と断じたが、一方自民党や政府のふるまいを厳しく批判した。放送法1条には「放送が健全な民主主義の発達に資するようにする」とあり、3条には「放送の自律」をうたっている。戦時中、大本営発表の記事を垂れ流し報道した反省を踏まえ、公権力と放送が結託しては断じていけないというのが放送法の精神だ。
「放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによつて、放送による表現の自由を確保する」(1条)、ややわかりにくい表現だが不偏不党と自律を保障するには公権力が介入してはいけない、つまり公権力を縛るものなのだ。これを非常に狭く解釈し「放送局は不偏不党でなければいけない」と誤読しているのが自民党なのである。深刻な事態である。
2巡目の発言のなかで、2人はこう述べた。
島さん 沖縄の基地問題について官僚や政治家に必ずいわれることがある。ひとつは「沖縄は基地で食っているんでしょう」である。これは「少々、我慢すればよい」ということを含んでいる。しかしじつは県民総所得のうち基地収入は5%弱に過ぎない。しかもそのうち7割は、日本政府の思いやり予算による軍用地の賃借料や基地従業員の給料なのだ。逆に、基地の負担や騒音や危険を背負っている。「基地で食っている」という論は都市伝説にすぎない。
もうひとつ「尖閣が沖縄にあるのだから地政学的に仕方がない」「中国に攻められてもよいのか」というものだ。そういう人に「普天間が返還されると、沖縄の基地負担がどのくらい減ると思うか」と聞くと、報道関係者も含め3割とか5割と答える。正解は73.8%が73.4%に減るに過ぎない。あの少女暴行事件が起こって今年で20年たつが、いまだに0.4%ですら負担を解消させていない。メディアはその事実を報道しない。防衛省に「在日米軍の抑止力」をいわれると、何もいわずなにも考えない。それなら「在沖米軍の抑止力とはそもそもいったい何か。0.4%減ると中国に攻められるというなら抑止力などそもそもないということではないか」。疑問をもって検証しようとしない。メディアの怠慢である。
永田さん
MBSテレビのドキュメンタリーシリーズ「映像 '15」「なぜペンをとるのか~沖縄の新聞記者たち」のなかで琉球新報の松永勝利政治部長は「沖縄の新聞記者は先輩から学ぶのではなく、沖縄戦体験者から記者のありようを教えてもらう」と語った。感極まって涙を流した。ハートのある政治部長で、NHKとはまったく異なる。今年6月の自民党の攻撃に対し、沖縄の2紙の報道局長が連名の共同抗議声明を出した。沖縄タイムスの局長は「「形式的な公平はまったく意味がない。米軍の圧倒的な力の前で、新聞は声をあげられない人のため、弱い人の立場に立ち記事をつくる」とインタビューのなかで述べた。テレビも同じであり、弱い人の立場に立つことは番組づくりの基本のキである。
飯島さんは、ジャーナリズムが「社会の木鐸」「権力の監視」を果たしていない現状を批判し、女性誌編集者が「新聞記者がおとなしいから、女性誌がやらざるをえない」と述べたエピソードを披露した。さらに表現の自由が民主主義にとってかけがえのない価値をもち、それが憲法学の基本的考え方であることを述べた。また戦争法廃止に向けた2000万人統一署名やいま進んでいる4つの裁判準備について説明した。
松元さんは「戦争法の国会審議で重要局面が何度か中継されず、たとえばテニスの試合が放映されていた。意図的に国民に報道しないようにしているとしか思えなかった。さらにインターネット国会中継はあるがパンクしていたことがあった。そのとき傍聴者の市民がツイキャスで中継してくれてとてもありがたかった。市民がこの新聞のこの記事、この記者を支援することも政府への圧力になる。「本当はメディアは市民のもの」という自覚に立ち、読者が圧力をかけることも必要だ」と述べた。
最後に、戦争法廃止に向けてどう闘うかという質問に対し4人のコメントがあった。
飯島さん まず来年の参議院選により戦争法廃止に追い込んでいく。一方裁判を支えていく。
島さん 沖縄にこれ以上新しい基地がつくらせないことを考えながら報道していくこと、もうひとつは、政権に対し「違う」といい続けるメディアがあることをもっと広く知らせる努力をすること。現場で地道に日々報道していくことだけだと、現場のものとして思う。
永田さん この夏の大きな宿題は、立憲主義、平和主義、民主主義の破壊を座してみていてよいのか、ということだ。メディアは、異を唱えるどころか下手をすると推進役になってしまう。では来年夏の参議院選でどういう旗を掲げるか、「立憲主義を取り戻すこと」「民主主義を健全なものにすること」だ。その背景に新自由主義の横行があるが、ただ新自由主義に反対すれば民主党も維新も脱落することは明らかだ。しかしそういう人も含めて束にならないと安倍政権は倒せない。くやしいが、今回はハードルにはしないことが大事だと思う。いやだが、そう思おうとしている。そのときメディアが仲間になってくれないとダメだと思う。手がかりはシールズを中心とする若者たちだ。ここに希望をみつけ、ゆるやかな連帯をしていきたい。
松元さん 脱原発裁判で、脱原発のTシャツを着た人が傍聴を規制された、それだけでなく国会議員会館への入場も止められた。この種の問題を取り上げられるのは、インディのメディアや海外のメディアだろうと思う。小さな闘いをみんなに知ってもらうことが重要だ。ただ大手メディアには力があることは否定しがたい事実だ。市民が寝返らず、大手メディアを利用しながら運動を展開すること、理想かもしれないが、役割分担して共闘して勝利できるとよいと思う。インディは力は小さいが、声をかけてもらえば大きい運動にできるかもしれない。ともにがんばりましょう。
その他、人報連・世話役の山口正紀さんから司法や司法記者クラブの問題についてアピールがあった。
「フリーのジャーナリスト42人が原告となり、秘密保護法違憲無効訴訟を起こした。毎回大きな103号法廷が満席になった。判決は「違憲かどうかは判断しない」という門前払いだったが、これだけ集まったせいだろうが、予想に反し7回も口頭弁論がひらかれ何人もの原告が陳述した。しかし何度も要請したのに大手メディアは一度も報道せず、判決のみベタ記事で出した。しかも判決のときひどいことが起きた。開廷前撮影を裁判所が認めなかった。ところが記者クラブには認めた。あまりにひどい差別なので原告の一人が抗議し説明を求めたが、裁判長は「説明する必要はない」と言い放った。そして「写りたくないから退席する」と抗議の意志をこめて何人かが退席したが、そのことにも大手メディアはいっさい触れなかった。癒着も著しい。
秘密保護法国会靴投げ裁判でも同じだった。傍聴者全員を鉄柵の前で身体検査する「暴力法廷」で、なんども司法記者クラブに取材を要請した。やっと一人だけ来てくれたが「書けない」「記者クラブとして裁判所批判はいっさいできない」と言った。判決批判どころでなく、入場問題ですら書けないのが実態なのだ。
この裁判の控訴審はたった1回、1時間程度で結審となった。福島瑞穂、海渡雄一らの証人調べも却下、学者の意見書も却下され、理由を問うと「理由の説明の必要なし」と述べた。思わず、税金泥棒と叫んだ。
こんなことになっているのに裁判所批判の世論が盛り上がらず、国民が裁判所を信頼しているのはメディアが報道しないからだ。「こんなひどい判決」「こんなひどい訴訟指揮はない」とは絶対に書かない。
また司会の浅野さんから、ご自身の地位確認訴訟についてアピールがあった。
☆12月9日深夜、「少女たちの再出発 ヘイトスピーチを乗り越えて」(制作統括:東條充敏、ディレクター:宣英理)が放映された。2009年12月に京都の朝鮮初級学校に押しかけた在特会らのヘイトスピーチで傷ついた2人の少女の6年後を描いたドキュメンタリーである。あのNHKですら、こういう立派なディレクターがいてすばらしい番組がつくれるのだ。
シンポジウムで永田さんは「NHKには、いいネタ、いい番組をつくると尊敬される企業文化はまだに残っている」と述べたが、たしかにそういう側面はあるようだ。