たくましいって言う形容詞
褒め言葉として自分に適用されるのには
私は嫌いです(-”-)
たくましい自分って
こう有りたい自分とかけ離れていて
恥ずかしいとどっかで思ってるw
しかしです
誰に言われたわけではありません
何を隠そう・・・
自分で思いました_| ̄|○
味覚を半分失い
過食の楽しみや快楽が半減し
自分の欲求がどう変化するものか検証し傍観する自分と
「をいをい堪忍してくれよw」ってうな垂れて凹む自分とが
対峙するとどうなるんだろう
甘くもないケーキや、塩気もないスープや
チョコレートはロウソクみたいだし
感じるのは酸っぱいの変形であろう刺激と食感だけ
ドロっとしているとかサクサク感とか
日課なのでいつものごとく準備はしたのだが
全然楽しくなくて、過食を途中でやめた(((´・(ェ)・`)もうイラネw
舌先半分であるので
タン元の脇のあたりではほのかに味が分かる
あとは香り?
それは多少感覚が残っていたので
全くの無味って訳ではないが
記憶している感覚に比べると
1割か2割程度と言ったところか
第一回戦は、つまんない自分の勝利
それでも吐き出せば(当然リセット作業はする)
空腹感はまた襲ってくる
少し投げやりに
次の一口から奇跡的に
元通り嘘のように味覚が戻りやしないかと
淡い期待と共に、口に運んでは現実を思い知る・・・
味覚を感じない自分に数日慣らされたのか
第二回戦目からは
ほんの少しの自覚できる美味しいを、広げる作業とか
食感や喉越しの快感を手探りして探したりし始める
いつもより慎重に注意深く”食べること”をやってみる自分が居た
第三回戦辺りから
どうせ味がしないなら味付け作業なんて必要ないことを
便利さと捕らえることに挑戦し始める
いつもはここでお醤油かけて仕上げなんだが
味見してもわかんないわけだ・・・
はしょってみましょう(*。。)ウン
どうせいつもの味を再現したところで
感動の薄さは変わらない
味以外で、食べることの楽しみを追求し始める
「この喉越しの楽しみでしばらくいけるな(゜д゜)!」
「歯ごたえ的にはこっちの野菜をチョイスしよぉ(●'∇')(●,_,)ぅん♪」
いつの間にやらこの状況を
楽しんでいる自分すら感じた
(゜д゜)スゲー
た・・・たくましくね?(´∇`A)・゜・。
ついには、こんな思考まで生まれた
もしかしたら元々、他人に比べて驚くほど味覚が鋭かったのではないか?
と言う仮説
老人や障害者の不便さや、生活のし辛さを
疑似体験できる施設なんかがある
手足に重りをつけ、見えにくいメガネをわざとかけ
ごく平凡な住宅を再現した場所で過ごしてみて
なんでもない段差を超えるのがこんなに大変なのかとか
階段で2階に上がる気もしない経験をすることで
バリアフリーの大切さを学ぶような場所
自分が今そんなところに居るような気持ちになった
味覚が人より優れているかなんて
考えたら誰にも比べられない
原因は満腹感を破壊するほど自律神経が壊れただけなんだが
・・・実は、私は人より味覚がえげつなく鋭く
満腹になれば半減するはずの”美味しい”と言う感覚が
ギリギリまで感じれてしまうわけで・・・
もしかしたら超人並みなのか
このくらいが本来の人間の感じる
美味しいレベルであれば
私はきっと過食に解消を求めなかったかもしれないな
(≧∇≦)ブハハハ!
文字にするとおめでたいアホさに笑えた
妙に前向き~
どんな不幸からも、喜びを拾い上げ
幸せになる力を人は持っているって桜井君も言っていた
褒め言葉として自分に適用されるのには
私は嫌いです(-”-)
たくましい自分って
こう有りたい自分とかけ離れていて
恥ずかしいとどっかで思ってるw
しかしです
誰に言われたわけではありません
何を隠そう・・・
自分で思いました_| ̄|○
味覚を半分失い
過食の楽しみや快楽が半減し
自分の欲求がどう変化するものか検証し傍観する自分と
「をいをい堪忍してくれよw」ってうな垂れて凹む自分とが
対峙するとどうなるんだろう
甘くもないケーキや、塩気もないスープや
チョコレートはロウソクみたいだし
感じるのは酸っぱいの変形であろう刺激と食感だけ
ドロっとしているとかサクサク感とか
日課なのでいつものごとく準備はしたのだが
全然楽しくなくて、過食を途中でやめた(((´・(ェ)・`)もうイラネw
舌先半分であるので
タン元の脇のあたりではほのかに味が分かる
あとは香り?
それは多少感覚が残っていたので
全くの無味って訳ではないが
記憶している感覚に比べると
1割か2割程度と言ったところか
第一回戦は、つまんない自分の勝利
それでも吐き出せば(当然リセット作業はする)
空腹感はまた襲ってくる
少し投げやりに
次の一口から奇跡的に
元通り嘘のように味覚が戻りやしないかと
淡い期待と共に、口に運んでは現実を思い知る・・・
味覚を感じない自分に数日慣らされたのか
第二回戦目からは
ほんの少しの自覚できる美味しいを、広げる作業とか
食感や喉越しの快感を手探りして探したりし始める
いつもより慎重に注意深く”食べること”をやってみる自分が居た
第三回戦辺りから
どうせ味がしないなら味付け作業なんて必要ないことを
便利さと捕らえることに挑戦し始める
いつもはここでお醤油かけて仕上げなんだが
味見してもわかんないわけだ・・・
はしょってみましょう(*。。)ウン
どうせいつもの味を再現したところで
感動の薄さは変わらない
味以外で、食べることの楽しみを追求し始める
「この喉越しの楽しみでしばらくいけるな(゜д゜)!」
「歯ごたえ的にはこっちの野菜をチョイスしよぉ(●'∇')(●,_,)ぅん♪」
いつの間にやらこの状況を
楽しんでいる自分すら感じた
(゜д゜)スゲー
た・・・たくましくね?(´∇`A)・゜・。
ついには、こんな思考まで生まれた
もしかしたら元々、他人に比べて驚くほど味覚が鋭かったのではないか?
と言う仮説
老人や障害者の不便さや、生活のし辛さを
疑似体験できる施設なんかがある
手足に重りをつけ、見えにくいメガネをわざとかけ
ごく平凡な住宅を再現した場所で過ごしてみて
なんでもない段差を超えるのがこんなに大変なのかとか
階段で2階に上がる気もしない経験をすることで
バリアフリーの大切さを学ぶような場所
自分が今そんなところに居るような気持ちになった
味覚が人より優れているかなんて
考えたら誰にも比べられない
原因は満腹感を破壊するほど自律神経が壊れただけなんだが
・・・実は、私は人より味覚がえげつなく鋭く
満腹になれば半減するはずの”美味しい”と言う感覚が
ギリギリまで感じれてしまうわけで・・・
もしかしたら超人並みなのか
このくらいが本来の人間の感じる
美味しいレベルであれば
私はきっと過食に解消を求めなかったかもしれないな
(≧∇≦)ブハハハ!
文字にするとおめでたいアホさに笑えた
妙に前向き~
どんな不幸からも、喜びを拾い上げ
幸せになる力を人は持っているって桜井君も言っていた
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