さらに深く掘り下げて考えてみると・・・
オナニー暦の長すぎる私にとって
(やってますって主張することに、もはや何の恥じらいも無いほど当たり前だw)
ご飯を食べるとか
爪を切るとか
お風呂に入るとか
トイレに行く
くらい当たり前に生活の中に溶け込んで
あまりエロスとか
秘めやかな性的興奮めいたものは
持ち合わせていないのかもしれない
オーガニズムなんて
一人で簡単に手に入れれるものって位置付けだw
私が今までやってきたのは
SEXではないのかもしれない
自己評価が低く
差し出すものが無い私が
求められて応じるだけのそれであったり
オナニーのお手伝いをしてもらっていただけな気がしてきた
そりゃ面白くないわナァ
私の思考にはよく
私が出来ないものは
申し訳ないけど、出来る人とやってきてくれないか?って思考があり
例えば
マンゴーアレルギーの私は
二人で仲良くマンゴープリンを食べるデート・・・なんて選択肢は皆無だ
でもどうしても
そのデートがしたいのなら
アレルギーで無い誰かに行ってもらうか
一人で行って来て貰うしかない・・・という考えだ
そのプレイがどうしてもしたいなら
そのプレイを楽しめる人と楽しんできてくれよと
・・・そういう結論に達してしまうのだ
そう言うと
「それは人としてどうなの!?そこは嫌って言って欲しいでしょ」
非難轟々な目に会うw
ほかの人とやってきていいよって事になるので
それはそれで愛情を疑われたりするのでメンドクサイw
100パーセント合う相性なんてカップルなんて
ありえないだろうから
それが駄目ならどちらかが我慢し続けることになるか
一歩歩み寄ることにすれば、交互に無理をする?
・・・そこに建設的な印象を抱けない(-公-;)
義務感満開で、仕事みたいじゃないかw
しかも間違っても
君が求めるなら喜んで応じようヾ(´ー`)ノ
なんて懐の深さは持ち合わせていない
よくお客さんにも、男友達にも
対男性には
「やらせてくれ~」っていわれる機会が多いのだが
あんなメンドクサイことなんでやりたいんだろう
ほんとにそう思う
「もし応じたとしてもだネェ、このプレイは応じかねる」って告げれば
「じゃ、それはしなくていいから(;´Д`)グハッ」と食い下がられる
なぜ自分の理想系をそこまで落としてまで
人はSEXにこだわるのだろう(´・ω・`)
どっから来るの?
その情熱(ノ∀`)DNA?
それを理解できない
それを理解する術として
私は襲ってくる自分の過食の欲求と
置き換えて理解することにしているのだが
何を差し置いても手に入れたい欲求?
少々妥協してもそれでも構わない!って
『食』に関しては思う
健康に悪いよと言われようと
早死にすると言われようと
歯が溶けて無くなると言われようと
高熱で過食より寝たほうが良いに決まっているときでさえ
それでも私は
過食を欲する自分に敵わないのだから・・・
私の性欲ってたぶん
父性愛のすり替えなんだろう
対象が男性なので父性と記したけど
母性愛も入っているかもしれない
両親に求められて必要とされて
抱きしめて愛してもらえる状態・・・
SEXってそれの疑似体験に
ただ単に近いだけなのだ
だから性的興奮なんて
私には逆にしんどい付属品でしかないのだろう
間違っても父さんは
「くわえなさい」なんて言わないものね
言われたらそりゃ性的虐待で
不幸にもそれを受けてしまった友人たちが
精神ひん曲がっている実情をものすごく知っている・・・・
本人の意識のもっと深層部分で
ぬぐえない、癒えない傷を一生抱えたまま
化膿した傷を塩を刷り込みながら痛々しく生きている奴らを
沢山知っているから分かる
結論
・・・やはりゆがんだまま大人になってしまったのだろう
私は当分SEXすらまともに楽しめない子どものまま
結局私は、全然大人になれないのだな(´・ω・`)
なれないまますでに加齢による衰えを感じる(ノ∀`)
今世もおそらくまだ先が長いのに
忘れ物をしてきた気分だ
オナニー暦の長すぎる私にとって
(やってますって主張することに、もはや何の恥じらいも無いほど当たり前だw)
ご飯を食べるとか
爪を切るとか
お風呂に入るとか
トイレに行く
くらい当たり前に生活の中に溶け込んで
あまりエロスとか
秘めやかな性的興奮めいたものは
持ち合わせていないのかもしれない
オーガニズムなんて
一人で簡単に手に入れれるものって位置付けだw
私が今までやってきたのは
SEXではないのかもしれない
自己評価が低く
差し出すものが無い私が
求められて応じるだけのそれであったり
オナニーのお手伝いをしてもらっていただけな気がしてきた
そりゃ面白くないわナァ
私の思考にはよく
私が出来ないものは
申し訳ないけど、出来る人とやってきてくれないか?って思考があり
例えば
マンゴーアレルギーの私は
二人で仲良くマンゴープリンを食べるデート・・・なんて選択肢は皆無だ
でもどうしても
そのデートがしたいのなら
アレルギーで無い誰かに行ってもらうか
一人で行って来て貰うしかない・・・という考えだ
そのプレイがどうしてもしたいなら
そのプレイを楽しめる人と楽しんできてくれよと
・・・そういう結論に達してしまうのだ
そう言うと
「それは人としてどうなの!?そこは嫌って言って欲しいでしょ」
非難轟々な目に会うw
ほかの人とやってきていいよって事になるので
それはそれで愛情を疑われたりするのでメンドクサイw
100パーセント合う相性なんてカップルなんて
ありえないだろうから
それが駄目ならどちらかが我慢し続けることになるか
一歩歩み寄ることにすれば、交互に無理をする?
・・・そこに建設的な印象を抱けない(-公-;)
義務感満開で、仕事みたいじゃないかw
しかも間違っても
君が求めるなら喜んで応じようヾ(´ー`)ノ
なんて懐の深さは持ち合わせていない
よくお客さんにも、男友達にも
対男性には
「やらせてくれ~」っていわれる機会が多いのだが
あんなメンドクサイことなんでやりたいんだろう
ほんとにそう思う
「もし応じたとしてもだネェ、このプレイは応じかねる」って告げれば
「じゃ、それはしなくていいから(;´Д`)グハッ」と食い下がられる
なぜ自分の理想系をそこまで落としてまで
人はSEXにこだわるのだろう(´・ω・`)
どっから来るの?
その情熱(ノ∀`)DNA?
それを理解できない
それを理解する術として
私は襲ってくる自分の過食の欲求と
置き換えて理解することにしているのだが
何を差し置いても手に入れたい欲求?
少々妥協してもそれでも構わない!って
『食』に関しては思う
健康に悪いよと言われようと
早死にすると言われようと
歯が溶けて無くなると言われようと
高熱で過食より寝たほうが良いに決まっているときでさえ
それでも私は
過食を欲する自分に敵わないのだから・・・
私の性欲ってたぶん
父性愛のすり替えなんだろう
対象が男性なので父性と記したけど
母性愛も入っているかもしれない
両親に求められて必要とされて
抱きしめて愛してもらえる状態・・・
SEXってそれの疑似体験に
ただ単に近いだけなのだ
だから性的興奮なんて
私には逆にしんどい付属品でしかないのだろう
間違っても父さんは
「くわえなさい」なんて言わないものね
言われたらそりゃ性的虐待で
不幸にもそれを受けてしまった友人たちが
精神ひん曲がっている実情をものすごく知っている・・・・
本人の意識のもっと深層部分で
ぬぐえない、癒えない傷を一生抱えたまま
化膿した傷を塩を刷り込みながら痛々しく生きている奴らを
沢山知っているから分かる
結論
・・・やはりゆがんだまま大人になってしまったのだろう
私は当分SEXすらまともに楽しめない子どものまま
結局私は、全然大人になれないのだな(´・ω・`)
なれないまますでに加齢による衰えを感じる(ノ∀`)
今世もおそらくまだ先が長いのに
忘れ物をしてきた気分だ