25歳まで九州で育って過ごした私は
筋金入りの九州女ってことになるだろう
自分に刷り込まれているその習慣というか
こびり付いてる拭えない潜在している感覚
大阪に来て10年
だいぶん緩和されたり、関西独特の空気に影響を受けて変化があると思いたかったけど
ちっとも変わってない気がしてもどかしい
三つ子の魂ってやつに、がっちり掴まれて逃れられない自分に反吐が出る
世間体や、こうあるべきを重んじること
どんなにグズでも、絶対的に男を立てなくてはいけなくて
それを心に留めて生きることを義務付けられて育った
粋で甲斐性のある良い女のことを、博多では”ごりょんさん”と呼ぶ
女はそつなく涼しい顔で、面倒な裏方や経済面をを完璧にこなすが
偉そうにもしてはいけない
裏で支えて、亭主を社会的な地位を維持したり引き上げていくことで
自分の地位向上を示すバロメーターにする
それが女の本来あるべき賢く正しい生き方・・・なんだそうだ
バカバカしい
私は私で居たい
九州で出来た女と呼ばれる種類の女が
九州男児を駄目にし、結果として九州を駄目にしているってのが
私の持論である
その一途をたどりたくなくて
依存し、甘えない生き方を模索してしまうことで
九州女の生き方だけはしないと決めてる自分に、埋め合わそうとしてしまう
結局は正反対を目指しているだけで
そういう意味では九州女気質を、異常に引きずっているんだと思う
男性にとっては、楽園のようにも見えるけど
本当のところどうなんだろう
何も出来ない大きな赤ちゃんみたいな男に育て上げられて
期待もされないで
飼い犬みたいに母親や嫁のメンツのために
良い息子で夫で存在することのみを求められる
なんとも張りが無いだろうな
俺は俺だっての!って言いたくなるだろう
雄って生き物は、生物学上
頼りにされると異常に頑張ってしまう生き物であり
驚くような結果を出せる生命体なのに、その才能を使うチャンスと生きがいを奪う行為だ
『男はアホだ』なんてよく言うけど
このアホになれる思考パターンこそ、女では残せない結果を生み出す原動力と言えるのに
適正な扱いで気分よく利用してくれれば良いのに
活躍のチャンスを与えられないから
どんどん悪循環になってしまう
この悪循環から脱出する方法を
あれこれ考えてみた
一番良いのは女の私が「私はあなたにこうして欲しい」って伝える勇気を持つことだろう
「あれをして欲しい」・・・・してくれたら感謝して「ありがとう」を伝える
この一見傲慢な姫のような俺様的振る舞いを
いかに器用にさりげなく使いこなせるかで、きっと人生は大きく変わっていく
簡単なようで、案外難しくて面倒な作業だ
実は理想通りの『アレをして欲しい』を伝える労力を考えると
自分でやるスキルをつけるほうが手っ取り早い
それを伝えずに相手から察して、誘導して欲しいって贅沢な望みをどこかで持っている
出来れば先方の強い希望で自分の望む状況に整えれたら、そりゃ最高だけど
かなり難しく、可能性は皆無と言って良い
伝えもしないくせに、思い通りにならないと先方を責めたり
自分のせいでうまく行かないんだろうと、悲劇のヒロインぶって自分を責める
どちらも度が過ぎると、付き合いづらいタイプと思われたり
いわゆる症状持ちのメンヘラに近づいていく
不器用と言えばそれまでだけど
コミュニケーションの怠慢って奴だろう
本来はここの基本部分を家庭で、学校で、社会で学びながら大人になっていく
分かってるのだ
本当は九州やら母親やら、影響は受けているにしても
そこに囚われて勝手に課してるのは自分で
受け止める器が無いだけだ
十分私は大人と呼ばれる年齢である
世間が期待しているそことのギャップとのに、羞恥心が激しく規制をかける
ずっと家に隠れていたい気分になる
そんな気分になる日もあるだろう
あまり気にしないでおこう
はぁ・・・ケーキをホールで食べたりしたいな(´;ω;`)