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ポラポラ

続・・・オイラの独り言 ヽ( ̄(エ) ̄)ノ

転ばぬ先の・・・

2013-04-13 15:51:50 | Weblog
結婚して出産した

人生、この上ないくらい”保険の加入”を検討し時!
と言えるタイミングと思われる今日この頃

そんな時に偶然、クレジッドカードの特典サービスで
傷害保険のお知らせが届いたのがきっかけだった

そんな類のもの、今まで提案受けたこと無いと記憶しているけども
もしかしたら類似の案内は着ていて
興味の無さから、気にも留めずに処分していただけなのかも知れない・・・とも思う

商品に興味を持ちアンテナに引っかかったので、業者の思う壺なのであるけど
取り合えず少し資料を取り寄せるなりネットで他社と調べてみたりし始めて
旦那さんと相談しようと思っていた

保険会社、そして特に保険会社を紹介する保険プランナーに良い印象が無い
全く信用していないと言ってもいい

このブログの熱心な読者さんなら
過去にそういう記載があったものを読んでいる人も居るかもしれないけど
おそらくプランナー都合の勝手な営業成績や売り上げ目的に利用され
おりもしない保険加入をそそのかされた事がある
知り合いを介しての紹介などと言う事情もあり
無知な払いの良い私は、彼の恰好のカモだったのだろう
結局プランナーを通して契約した大手保険会社の担当社員からは
まるで、最初から騙し取るつもりの保険金詐欺の容疑者のような失礼な扱いだった
腹立たしい経験を一度している


しかしそもそも保険という理念や起源
商品そのものの存在に非があるわけじゃない
保険のおかげで命拾いをしている人も沢山居るのも事実だろう

実際過去に2回
急な体調不良→手術入院(開腹手術)を受けた私の経験からも

「あ~人は健康と思っていても予期せず
  病気や怪我するか分からないのだ!保険に入ってりゃ良かったなぁ」そう思ったものだ

震災や事故、いつどうなるなんて分からないのも確かだ
リスクを上げればキリが無い

いまや癌は2人に1人が発病、3人に1人は癌が原因で死亡する
しかも先進医療は保険適応治療が効かなくなると、保険適応外の新薬へと移行しがちで
結果、癌の医療費が高額になるそうだ

薬は使わない!
延命知慮は要らない!
入院をそもそもしない!

・・・そんなの健康な人間の寝言だ。渦中で無い間は何とでも理想を言える

人は激痛の前では無力
ポリシーもプライドも何もかも投げ出して
「先生痛みを消して、助けて」と医者に泣きつくのだ
あれは経験者しか分からないだろう

意識があればまだ良い
最初の手術の時は、貧血で数分おきに意識が飛んで倒れつつ
入院の申し込みをもうろうとしながら記入した
無ければそれこそ、意思なんて関係ない


毛嫌いせずに
転ばぬ先のってやつ?
そのときは良い保険にご縁が悪かっただけだ

利害関係の無い窓口から顧客として商品に加入することが望ましい

『子供が生まれたらきちんと考えてあげなくては』と
子供が生まれることを空想している頃はずっと思ったものだ


・・・良い機会だ少し勉強しよう
この子のために、私たち家族のために必要かそうじゃないのか
納得いく商品かどうかきちんと検討しなくちゃね
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行動範囲

2013-04-05 15:16:01 | Weblog
引きこもってしまいがちの私ら親子
ベビーカーというマシンを手に入れ、ぐっと出かけやすくなりそうだ

ベビーカーをほとんど触ったことも無く
何をポイントに選んでいいのか分からないまま、悩んで悩んでやっと購入

いざやってみると抱っこ紐もベビーカーも
得意不得意というか
機能に特徴があることが分かった

抱っこ紐のほうが、動きはスムーズで
一人でお買い物をするときと、ほぼ同じ動きが出来る
重さに耐えれる疲労耐久時間の制限が入るので
のんびりウィンドーショッピングなんていう楽しみ方は皆無
手軽だけど満足な買い物は難しい

ベビーカーは体が何しか楽である
出かけるときの準備も楽チン
おんぶ紐に子供をセッティングする作業に慣れてないと骨が折れるので
その点ベビーカーは小さなベッドのようで
ベビーベッドからホイっと移動すれば手軽に出かけられる利点がある
買い物の荷物も、かごに乗っけたりも出来るし
購入して持ち帰るというお買い物の本分を果たしやすくなる

ただ、買い物に行く場所やシーンをやはり選ぶ
まず狭いお店は入ることも難しい
細い通路、階段を通らないとたどり着けないお店は無理
買い物する時間帯も、ラッシュや込み合う時間をはずさないと非常にやりにくい
移動までの道のりに、エレベーターやスロープなどがあるかも考慮しなければならない


とは言え、1歩も外に出ず
ずっと家で生活ってわけにも行かないので
赤ちゃんを連れてのお出かけに私も慣れて行かなくてはいけない
少しづつ外気浴やお散歩、この子自身もお出かけと言うものに慣れというものは大事

天気もいいし、取り合えず今日は
支払いをしにコンビにまで二人でお出かけしてみた


気楽に行けていたコンビニも、娘と出かけると大冒険
赤ちゃんを連れての移動は大ごとなのだなぁって思えてしまう
なんでもない歩道や段も、ベビーカーに乗っている娘にとってはすごい振動のようだ

さりげなく道を譲ってくださったり
ドアを開けたまま少し待っていてアシストしてくれる
通りすがりの人なんかが沢山居る
ちょっとお買い物に出かけただけで「ありがとうございます」を沢山言うことになる

混んでない時間であることと
スロープもあり入り口の前の歩道も広めの
どちらかと言うと贅沢な広い構造のコンビニを選んだので
気兼ねなくベビーカーごとお店に入り、お店をぐるり
支払いは簡単だった

天気も良かったので
近所の川原を少し散歩して帰ってきた

聞いてはいたが
本当に見ず知らずの人に声をかけられることが増えた
ちょっとした順番待ちや、エレベータで居合わせた人など
「かわいいですね~」と言ってもらったり
「何ヶ月ですか?」とか尋ねられたりする

純粋にうれしいと経験者の友人は言っていたけど
私は少し複雑かもしれない

子供好きな人が思わず声をかけてしまった・・・って感じのときもあるけど
そんなに好きでもないんだけど、乗り合わせちゃったから間が持たずに・・・みたいな
言わなくちゃいけないかな、かわいいですねって言って欲しいんだろうな~って
思われいて、致し方なく絡んできてくれている気がしてならない
この子が何ヶ月なのかに、そんなに興味がありそうには見えないサラリーマンとか

こっちから
「さて、何ヶ月でしょう?」って一度言ってみようかしら

ちょっと疲れているときとか
子供に合わせた少し高い目のテンションに
正直しんどいときもしばしば


書きながら自分のこの反応
心が乾いているな~・・・疲れているのかもな (-_-;)


うん。子育ては体力だな

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家族未満

2013-03-31 12:36:34 | Weblog
人と同じ空間に長い時間居ることが苦手な私は
家族との同居も頭を抱えるタイプ
そういうと誤解を与えそうだけどw
(もちろん我が子は新生児であることもあって大丈夫です)

家族と言えども、友人や彼氏や大事な人であっても
自分ではない存在が視界に居ると
同時に他人の視界に晒されていることになる
その環境が続くことに耐えられないのだ

その人が自分をどう思っているかに
あまりに気が行ってしまうからであるのだけども・・・
その他人評価そのものや、その人のもてなし?優先になり
自分がどうしても後回しになってしまう

自分がお茶を飲むのにも、「一緒にどう?」っていわなきゃいけない義務感に囚われる感じ
お腹空いてるよね、ホスト側だし準備しなきゃだよね・・とか
寒くないかなとか
世話を焼かなきゃいけない気になって動いてしまう

もしかしたら
世話を焼かれる当人はそんなこと望んでもいない場合もあるだろう
そう、気を使われると逆に居心地悪いって状態も
実は大いに招いていると思われる

「別にもてなされる為に来てる訳じゃないよ、会いに着てるのに」
そう呆れ気味に一括されたことあったなぁ

どんとゆったり構えてマイペース・・・私にとっては、その状態が皆無なのだ

外国みたいに(イメージだけど)
自分の家と思って気楽にくつろいでくれ
見たいなことが出来れば本当にいいだろうと思ってしまう


実家への里帰り出産も、ほぼ24時間父親が家に居る環境に耐えられなくなり
実は予定を繰り上げて早めに大阪に戻ったのだ

今まで結婚がしたくないのではなく
結婚生活はだいたい、他人である旦那さんと同居であるだろうし
実はその生活が不可能、もしくはかなり困難だから
『結婚はしない主義』・・・とか打ち出していたほうが説明が楽だったのだ

プロポーズされたって
結婚するのは良いけど、書類上婚姻状態でも、別居でいいですか?と不思議な申し出になるので
「そんなの夫婦じゃねぇし」ってよく反論され
「じゃ、このままで良いじゃん」ってなるのだ

子供は産む事は、お互い初めから何も悩まなかった
それぞれ、パパはするしママの役割は望んでいた
子育て協力体制パートナーだけど結婚はしない、そういう話でだいぶ長い間進んでいた

一緒に住めないっていうなら取り合えず
それぞれの家があって別居している今の状態のまま、結婚するって言うのでも構わないと
私の要求を受け入れて飲んでくれたから
結婚話が進んだりした

私たち夫婦の結婚生活というのは
結果、一般のそれとは違う少々珍しいものになってしまった
それでも嫌な顔一つせずに
私がしんどくないように・・・を優先して
会えた時は娘をあやして可愛がってくれる旦那さん
とても感謝してます


一緒に居ること(生活すること)
子供が平気なのは
彼女がまだ生まれたてで、まっさらな状態だからと言うのもあるかもしれない

ふと、マネージャー業務をしていたころの新人育てのことを思い返してみた
いっそ、娘を育てるように
旦那さんを私の生活に馴染むように持って行くことは可能なんだろうか・・・

自分の両親を思ったり
友人夫婦やまだ歴史の浅い家族を見て思い悩んでしまう

彼らは書類上ではない
『他人→家族』この過程を
どう乗り越えたんだろう

乗り越えたように見えるだけで
実はずっと変わらなかったりするものなのだろうか
憶測の域を出ないけども


彼(旦那さん)自体は、亭主関白タイプ?では居たくないようで
むしろ出来れば、手伝えることは手伝いたい
育児にも積極的に係わりたいと言うスタンスのようなんだけど

正直、一体何から手を出して、どの程度までやっていいのかのさじ加減とか
それ自体が分からないで、困って佇んでいるようにも見える
指示待ち状態で持て余してるって言うか
結果、意に反して、お客様扱いをされる状態を強いられている感じなのか?


自分が人の家に泊まりに行ったときのことを思うと
どのくらい家事に手を出して、自分ルールで進めていいか迷うときはある
その人やその家のマイルールっていうのはあるものだから
出しゃばるのもなんだし・・・という遠慮をする
でも何もしなさ過ぎるのも失礼だしというせめぎ合いの葛藤があるものだ

頼みたいときは言ってくるだろうって決め込んで諦めるか
察して動きながら、少しずつ調整し
お互いの心地良い役割分担のラインを決めていくことしか出来ない

今度家に来たときは
これをやって欲しいとか、こうして欲しいと頼んでみよう・・・
今後一緒に長い時間いれる自分を獲得する努力
一人の時にはそう思う

だけどいかんせん、人を育てるとか言うとあれだけど
ワンマン社長みたいな、マイルールで生きているわけだから
自分なりのスタンスを人に細かく伝達する行為というのは
骨が折れるものなのだ

新人さんに仕事を教えることは難しかったものなぁ
職種が特殊なのもあるけども
仕事だからやれたけど、仕事じゃないならあんなめんどくさい行為は
自分が動いたほうがナンボも早いし思い通りの結果が望める


・・・ゆっくりでええか(-_-)y-~~~ ←電子タバコですよ
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関西人親子

2013-03-27 22:53:55 | Weblog

しばらく更新をサボっている間に
大阪へ戻ってまいりました
晴れて大阪市民に、私たち親子はなりました
関西人にあこがれて育ち
小学校のころから『将来は関西人になるのが夢だ』と豪語し文集にまで記載
25歳で大阪には来たものの、書類上はずっと福岡市民だった
念願の大阪市民まで10年掛かった~(ノд・。) (手続きめんどくさがっただけじゃないかw

お宮参りも終え 2ヶ月検診も無事に終了
順調に育ってくれている
産院でなぜか貰えた写真スタジオの無料チケットを
せっかくなので生後1ヶ月の記念に写真におさめてみたりした

3月中に大阪に移動 母さんが仕事を休んで大阪に見送ってくれた
彼女はスイッチが入ると、何気にフットワークが軽いことを思い出した(笑)
年内に、仕事を定年退職を受け入れ、パート更新などせずに 大阪に子育てを手伝いに引っ越してくる段取りで動いている
まさか本当に引っ越してくるとまでは思ってなかったので
実は私は驚かされたりしていた
しかも引っ越してくるまで、毎月シフトを調整して大阪に来ると言う(´・д・)マッコトスゲー

娘の誕生で、我が家(実家)の人間関係や形は大きく変わろうとしている
すでに、まぁ色々あって兄貴とは疎遠になりましたw
今後数年なのか、数十年なのか分からないけどしばらく会うことも無いだろう
超真面目の四角四面の彼には、少々自由すぎる妹の素行が理解の幅を超え過ぎていて飲み込めず
飲み込めないので消化ももちろんできず

手に入れた自分の家族という幸せの邪魔になるような
臭いものには蓋をするしかなかったようだ

生きていくカラーが違いすぎるので、お互いに付き合いが億劫になってしまった感じ?
兄弟は他人の始まりというが、身にしみた(苦笑)

元々物理的にも遠いので行き来もほとんど無い
10年前に、彼の結婚前に今の奥さんと、一度大阪に来たことがある以外は
彼らの結婚式と、子供が生まれたときの祝いや、家を購入したときの祝いなど
こちらが兄のところに出向いて会う事もあった
・・・要するにこっちから出向かないと会うことは無い
そもそもそんなに必要枠ではないわけだ

大騒ぎすることでもないかなぁとも思う
疎遠で他人同然でも、生活に全然支障は無い


同じお腹から生まれた兄弟なのに 私たちが仲が良くないことで、母さんは心を痛めているだろうけど
彼女にしてみれば、必死で育てた初めての我が子で
妹の私から見ても、周囲から悪いうわさを聞く事は無かった
「あの○○君の妹さんか~」と言う盛られた評価でいつもスタートできた
優等生で模範生、運動も勉強も出来て周囲に優しい博愛主義者みたいな非の打ち所の無い兄貴だった

母としては自分は行きたくても行けなかった大学に
世間に恥ずかしくないようにと、無理をしてでも国立大学の大学院まで通わせて
国家公務員になった息子をどんなに誇りに思っていたことだろう
反抗期に「クソばばあ」と、悪態つくこともないまま成人した優しい息子だったはずだ

そんな彼が、ある時期から母親にも悪態をつき、自分の連絡にさえ返事をよこさいない
嫁の言いなりの残念な息子になってしまった
私でさえ自慢の兄貴の変貌振りにはショックを受けた
母さんのがっかり加減を思うと、やり場が無いだろうな・・・

今回、予想外(私が子供を産むと思っては居なかっただろうから)に
誕生した内孫へ、一気に愛情の矛先が向かうのも無理は無い
住み慣れた土地を離れることなど、お安いごようなのかな
そう深く迷う風には見受けられなかった
「あんたが賛成してくれるなら行くわ」的な感じ

もちろん兄貴の子供たちもかわいいのだろうが
可愛さの度合いの違いに、当人も驚いたそうで
兄嫁に気を使わず、遠慮なく心置きなく可愛がれる?とでもいうのだろうか
夢中の様子だ

大阪に戻り、小さな新生児を抱えての生活が始まった
今まで出来ていた、なんでもない近所への食材の調達が こんなにも大変なことだと驚かされた(+_+)
むしろ昼間のほうがよく寝る娘だけど
首が据わりきってない状態での抱っこ紐での移動
小さな新生児と言ったって、すでに5キロを超えているw
首が据わってないので、おんぶが出来ない
5キロの米を前に抱え 近所のコンビニやスーパーにいって生活必需品を購入してみることを想像してもらいたい
牛乳でしょ、卵でしょ、納豆でしょ、ヨーグルトでしょ、この季節はあさりに春キャベツも買わなきゃ・・・

・・・無理(T_T)/~~~

最初は自転車を押して出かけてみました
あ、もちろん乗るためではなく 買い物の荷物を荷台に乗せて帰るためのツールとして
これは逆にチャリが荷物になりましたヾ(=^▽^=)ノあはは~考えりゃ分かりそうなものw

これを参考に、抱っこ紐にコロコロを引いての買い物にシフトチェンジしたけど
取り合えず、思うように買い物は出来ないのでありますw(ノд・。) グスン

そう・・・さっさとベビーカー買えよ状態なのは良く分かっている
だけど毎日サイトをうろうろしていると
多すぎてベビーカー購入の的を絞れないでいる
そして多分その前に 数時間おきの授乳や子供の世話が中心の生活にまだ慣れていないというか
慢性的な睡眠不足で 何をやっても集中力が続かない
何をやっても面倒で億劫で眠たくて「明日でいっかw」状態に陥っている



ちゃんと食べれてないなあ・・・
まさかの早速の生理なのか、不正出血なのか血が止まらない
産後、早い人では2ヶ月、遅い人では2年ほど
生理が正常にも来るにはかかるそうだ
そのセイか貧血だし眠いし
病院にいくのも億劫
てかその前に、保険証届いてないので行きたくても行けないんだよなw実費で行けばいいんだろうけど


誰にも会いたくない
人に弱みを見せられない(但し、勝手な本人の感覚の基準で)という病的な性分なので
引きこもってしまいたい
出かけたくても出かけられないんだけどねw

あやすと良く笑う娘を見るときだけ
つられて笑える
不意に満天の笑みを見せるとき(笑っているように見えるだけかとも思うけど)
私なんかが母親で気の毒だという想いが一瞬頭によぎる
私なんかにそんなかわいい顔してくれて、申し訳ないって想いになる

母親と言う対象が、人としてすばらしい道徳者であるとか
感心する、尊敬に値する人物であるとか
実は子供には関係ないことを思い直す

母親が何者であろうと、世間から見たらどんなくだらない人種であろうと
幼い私は、ただただ、世界一私を大事にしていると推し量れる彼女のまなざしが欲しかっただけだ
認めて欲しい、愛して欲しい・・・それに尽きる

この子にとっては私が頼りで
私の評価を求めて、少なくとも数年
生きる生命体なのだと
自分の幼い記憶を振り返って思い直したりする
伝えすぎるくらい愛してると伝えてあげなくちゃ

多くの生命体はその両親を選んで生まれてくるという説を信じている
とりわけ母親の力になりたくて生れ落ちることが多いそうだ
この子は私のために生まれてきたって事になる

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一ヶ月検診

2013-02-26 20:40:22 | Weblog
娘が産まれて、産後の肥立ちに苦しんだものの
不慣れなりに、里帰り先の実家での日常生活育児がスタートして1ヶ月

・・・この子が生れ落ちて一ヶ月
2月11日は、小さな誕生日を迎えたようなほっこりした気持ちになった(*^_^*)


朝、起きてご飯を食べて母乳から子供に伝えたいサプリを飲む

昼、ご飯を食べて、午後2時~4時くらいのタイミングで父さんと協力して沐浴

夕方、家族の食事の準備

夕食後に、腰痛時から飲み続けているビタミンやサプリ類を飲んで
子供を母に預け鍼灸整骨院へ通院

一応就寝、夜中の授乳やオムツをこなしつつ朝まで格闘(母さんのアシストに助けられる^^;)


この繰り返しをしながら
合間で時間を見つけては食事や仮眠、ネットで育児に必要な買い物や情報収集の
赤ちゃんサイクルにどっぷり浸かる生活

3ヶ月から半年くらいまでは
こんな生活が続くことになるようだ


2月14日
世間はバレンタインだったけど
退院時に予約をした母子1ヶ月診断の日だった
それまでに特に体調を崩す風でもなかったので、小児科に走るようなことは無かった
結局、私の腰痛のマッサージに1回連れて行く意外には
この日まで外には出さなかったことになる

理由が分からず愚図って寝かしてくれなくて辛い…みたいな育児の醍醐味も体験させてもらいながら
おおむね順調に育児できていると感じていた

腰痛が治まったのはいいが
今度は、肩や腕や首などの上半身の凝りが蓄積した来た
単純に抱っこ疲労が重なっての症状だろう
引き続き帰るまでは、鍼灸整骨院に出来るだけ通い
上半身や背中、骨盤矯正までメンテナンスを続けていた


それは同時に、子供の体重増加の証明でもあったりする
明らかに退院時より重い!
嬉しい反面、すくすく育ってしまうわが子に圧倒されてみたり
完全母乳で私の肉体が作り出す母乳だけで
この子が生きているのを安心すると同時に不思議に感じたりもした

体重計の無い我が家では、抱っこした感覚が頼り
体重増加も楽しみだった
家族3人で順番に抱き「何キロでしょう?」みたいなクイズ形式の賭けをした(笑)

正解(一番近い予想)は父さんだった
母さんや私ほど子供を抱かせてないせいか(疲労で感覚が麻痺しないので)
男性特有の空間把握能力のなせる業か

2785gで生まれ、退院時には2750gだった我が子は(産まれて体重が落ちるのは良くあることです)
ひと月で4050gにまで体重を増やしていた!!
1.5倍に、ひと月で成長!?ヾ(=^▽^=)ノ母乳だけですごいね!

私も子供も、一通りの検査を終え
すべての検査で問題なし、順調♪と診断された
お世話になった産婦人科の産院での検査等は、とりあえず今日で終了だ
今後は、予防接種から体調を壊したときなど
小児科に診せることになって、産院→小児科にバトンタッチの日でもある
かかりつけを探さなきゃな~

私のひとつ前に診察に来ていたらしいお母さんと赤ちゃんの診察の結果が
聞くとはなしに聞こえてきていて
どうやら一ヶ月経つ前に、赤ちゃんの体調に不安があり相談に来ていた様子だった
「母乳だけでは少し足りてないようなので、ミルクを足して混合にしましょうか」
そう告げられていた
少し肩を落とした風に「わかりました」と助産婦さんに返事をする若いお母さん



取り合えず1ヶ月無事に過ごせたことを安堵して
両親と3人でノンアルコールビールで乾杯をして、一つ前の親子の話しを少しした
「あんなに若くて健康そうなお母さん、きっとピンクの服だし赤ちゃんは女の子・・・男の子ほど飲まない赤ちゃんに
お乳が足りてないってことはよほど出が悪いのね・・・」
母がしみじみと、気の毒そうに見解を話した

生まれたての時より、沢山飲めるようになってきても
私は乳腺炎防止で搾乳するほど、余るほどおっぱいが出ている

うちの子は、母乳だけにしてはすこぶる順調な体重増加だそうで
「あ~問題なく当たり前に大きくなるって、大変なことなんだな」と
うちの恵まれている状況を思い知たりして、有難い事だよな~と思ったりした


ひと月過ぎての感想・・・
子供は勝手には大きくなれないってこと
そしてその作業は、愛情でも無いと
とてもめんどくさく労力とエネルギーを要すことを母親業を始めて実感して教わった

一言で表すとこうだ
『愛されてでもいないと、大人にはなれない生き物』


母さんは私を愛してないのかしら、嫌ってるのかしら・・・
そんな疑心暗鬼から、おそらくこの病気は発病した
とんでもない勘違いだと知った

この子に手を焼くこの時間とエネルギーと愛情を、同じように36年前
母さんが私に注いでくれたからこそ
大きくなれたし、今の私がある

やはり大変なこと
感謝して余りあることだと思う

神経質でかんしゃく持ち、私の面倒は大変だったでしょう母さん
ありがとうございました
母さんが私にしてくれたこと、この子にしてげれるように頑張ります.。゜+.(・∀・)゜+.゜
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産後の肥立ち

2013-02-12 18:05:33 | Weblog
ものすごく、ありえない位の腰痛に見舞われていた
産後10日ほど(退院して2~3日後)して急激に悪くなった (((( ;゜д゜)))

産後数日は順調に思えたのだけど
縫ったりするので痛み止めなども処方されていたせいだろうか
さほど痛さやしんどさを感じず
普通に動ける自分に自分でも「調子に乗って動きすぎかな」と思うほどだった

家族と自分の炊事と
明らかに赤ちゃんがいると増える洗濯をこなしつつ
不慣れとはいえ、2~3時間おきのオムツに授乳に
抱っこや寝かしつけ、午後の沐浴も行う
荷物だらけの部屋の片付け
徐々にやればいいものを・・・ほんとはちょっと眠たいしだるいけど
私の使い勝手のいいようにする為には、他にやる人もいないw
やると決めたらチャチャっとやりたい性分がたたってか
じりじり、腰が痛いなって感じ始めてから、激痛までは数日だった

ヘルニア?
坐骨神経痛?
産後ってまだ骨盤開いてるから、戻る痛み?
こんな腰痛になるの?
古傷の尾てい骨損傷の影響?
やはり高齢によるもの?
まさか・・・無痛分娩で神経に傷が入ったとか!?∑( ̄ロ ̄|||)

はてなだらけの症状
母も、産後数日は寝たきり状態だったけど
そこまではならなかったと

赤ちゃんを抱けない
それどころか立ったり座ったり、寝返りもいちいち激痛で
自分の歩行も、伝い歩きか要介護
日常生活がままならないほどに足腰が立たなくなってしまっていた orz

藁をもすがる思いで、骨盤矯正や鍼や整骨院を検索しては問い合わせ、通った
授乳をするに当たって、痛み止などの薬をそもそも飲めないはずだ
飲める薬があるものなのか
骨盤マッサージなどの処置を受けても大丈夫な状態なのか・・・

なんせ歩けない自分、どんどん重くなるわが子を抱けないなんて
まさか大阪に戻れずに、博多でこのまま要介護の子育てが始まるのかと
気持ちばかり焦る

医者といっても、専門外はあまり深く知らずに無責任な治療をされても困る
整形外科と産婦人科は、少しかけ離れて見えた

整形外科は二つはしごして、セカンドオピニオンを行うことでカバーする案を採用した
痛みはひどいのだけど、二人の医師が
「一時的な捻挫のようなもの、神経や骨盤の異常は無し。時間はかかるが元の状態に戻ります」と
はっきりと聞くことが出来た

薬事法的には薬は処方できないわけではないが
「自分の娘ならば、飲まないほうがいいと言うと思う」という見解だった
痛み止めは無しで、ビタミン剤などのサプリ系で
自力回復の背中を押す治療法を選んだ

お布団を並べた状態で過ごしていた部屋も
ベッドとベビーベッドの、腰に負担がかかりにくい状態に急遽変更
骨盤ベルトや、通院に加え出費は痛かったけど
そうも言ってられなかった

結局このはしごの数日後から、徐々に回復傾向が見られ
お宮参りのころには、普通に歩けるまでに回復できた
実家にいる学生時代から、大阪の一人暮らし
ずっとベッドと椅子の生活を送る私は、産後の疲労に加えて
お布団生活や地べたから起き上がったり
やさしく数キロのわが子を床のお布団に置くような作業の繰り返しに
限界で悲鳴を上げていたようだ

大阪から子供の顔を身に来た旦那さんはきっと
本当に腰痛で寝たきりだったと聞いてたけどホントかな?(・・?と
疑うほどの回復振り
医者に「大丈夫!」といわれると気持ち的にも楽になったことも背中を押したのかもしれない

ひどいときを知っている両親は
回復に驚くと同時に安堵したようだった


「本当に要介護の老人並みに歩けなかったんだよ^^;嘘じゃないよ」と説明した
回復さえすれば笑い話である




・・・しかしほんとに、マジで焦った(+_+)




それだけ、お産とは大変過酷な作業なんだと言うことを
身を持って思い知った
動きたがりの私への
「無理はしないで休めるように」娘と神様の計らいだったのかも知れない


産後の肥立ちは取り合えず、一月半たった今日当たりは
歩けない時期の退化した筋肉やひざは弱ってるが
普段の生活で、自然と元に戻る確信が持てるほどに回復できた

出産をしたら
ひと月か、少なくとも1週間は
本当に寝たきりで何もしないで休まなきゃいけないのですね~

次の出産は考えてないけど
もしすることがこの先あったら、絶対に何もしない!と誓ったのでした
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産院退院

2013-02-12 14:10:39 | Weblog
いよいよ明日は退院して日常生活に突入という前日
ドクターによる最終母子検査と、母乳指導など
今後起こるだろう、よく起こりがちな母子共に体の変化や対処法の研修などを受ける

産後の肥立ちについての資料を読むと

産後、1週目(産院生活)
最初の週は赤ちゃんの世話すら、無理はせずに数時間程度
産院に預け回復に努める、ほぼ寝たきり状態ですごす事
シャワーは短時間、あまり熱くしないならOK 

2週目
赤ちゃんのお世話以外は、とにかく無理をしない。疲れたら寝る
育児に慣れ、家事は家族や夫に任せること

3週目
軽い家事を開始、赤ちゃんの世話以外は無理はしない

4週目
母子共に1ヶ月検診を受け、産後の経過をチェック
問題なければ入浴(湯船に浸かる)OK
少しずつ日常生活に戻しながら育児に慣れていくこと

・・・8週目
ほぼ出産前と同じ生活を出来る(仕事復帰する人も)

・・・みたいに指導を受けます



私の場合退院は1月16日だった
娘を始めて外に出し、車に乗せて実家に戻る日

ちなみに、今回の出産費用
分娩費用、入院費、必要に応じて処方した薬や点滴などの医療費
家族との分などの宿泊や食事代
これに私は無痛分娩の別途処置費用の負担、胎盤の処理費用
深夜料金(夜中に破水したため診療時間外は別途支払い)、休日上乗せ分・・などなど
すべてを含む、請求されたいわゆる保険外費用

¥566,920也 
・・・すごいですねwハイ

ちなみに私がお世話になった産院は
普通分娩でも45万は確実に超える、普通は50万目安の産院といっていいだろう
無痛処置と、その他の必要経費で10万プラスと踏んでいたのですごく納得の明細だった
ちなみに一般の市民病院で大部屋みたいな入院生活で
帝王切開やその他の緊急処置など無ければ、40万弱で済む場合もあるらしい

昔は何も手当ても出ずに、病気じゃないからと保険も適応じゃなかったというから信じられないが
最近はいろんな地域や団体にもよりますが、大体普通は40万円前後の一時給付金が受けれます
自治体によっては、日本の国籍の妊婦が義務化されている出産前検査費用も何割か出してくれる場合も多い

妊娠に気が着いたらすぐに、調べて当然の権利はすべて申請しておきたいもんだ
今回のことで、現在の日本国における婚姻届や戸籍や住民票
出産に伴うお役所系の色々、本当にたくさん勉強した
産まれたら、出生届に住民票取得、保険加入に児童医療証(難病奇病の場合、高額医療を国が保証してくれる申請)
児童手当ても申告完了
ちなみにどれも、申告しないといただけないのでこれから出産をする人は忘れないようにw

安心してる場合じゃないなとも思う
これから予防接種や、かかりつけの小児科探しや
教育にかかる学資保険とか、自分たちの子の為にしてあげれることを色々勉強しなくちゃ

私を母親に選んで産まれてくれたこの子は
自分の足で歩いて意思決定できる年齢までは・・・私が頼りなんだ
安心して歩けるように道を馴らして上げたいと思った


退院挨拶や支払いなど手続きを済ませ
帰りがけに、事前準備で足りない新生児用の肌着類や哺乳瓶、体温計や紙オムツやお尻ふきなど
取り合えず当面足りる分を購入して帰宅

実家では入院中に、母の部屋を、私と娘のために明け渡す準備がなされていた
私のお布団と赤ちゃん用のミニサイズが綺麗に並べて敷いてあった
家が狭いのでリビングで寝ると、母さんは簡易ベッドを購入してはった(^^;)すいません~


いよいよ母親行が始まる(*^_^*)
まだ不慣れだから失敗もたくさんすると思うけど、よろしくねって挨拶して寝た

・・・まぁ、数時間おきに授乳やオムツのサイクルが始まるんだけどもねぇ(笑)
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産院生活

2013-02-07 16:51:02 | Weblog
7時を過ぎ、朝の時間帯になった
インターホンで呼ばれ返事をすると
「赤ちゃんをお部屋に連れて行きますね」とのこと
産院での入院生活は5日ほど、どうやらこのサイクルで始まるようだ

午後には、数日過ごす専用の個室の病室へ案内された
病室と言うよりは、ショートステイホテル?デザイナーズのワンルームマンション?みたいな
小さなキッチンも冷蔵庫もついて、テーブルと椅子にTVとDVD
クローゼットとベッドにベビー用のミニベッド
洗面所とトイレとシャワールーム

最近の産婦人科ってすごいホテルみたいだとよく聞いてたけど
ここまでとは!って思う

せっかくなので産院の個室のイメージ映像を張ってみましょうね
すげ~ありえないくらい綺麗でした(*^_^*)少々お高いのは仕方ないw
それでもスタンダードの部屋とプランで申し込んでたので
もっとスイートみたいなクラスの部屋もあったよ




3度の食事と、おやつと夜食の5回の食事
この個室に運ばれてくるか
別フロアのダイニングスペースでいただくことになる

出産という人生最大の異常事態の一大事後だ
摂食障害だの何だのと、さすがに言ってられないと
基本的に全部残さずに食べて、吐き出さずに消化した
これからは子供に授乳も始まる体だ
それにまずは体力回復とか、産後の肥立ちのために栄養は必要だ

しかしここの料理、カロリーやバランスを、栄養士さんとかが考えてはいるんだろけど
・・・いかんせん量が多い(^^;足らないでは大変と大盛りなのか?

家族やお祝いに駆けつけた親類縁者、友人など
頼めば同じメニューをダイニングでも部屋でも、別途追加料金で食べることができる
割と良心的な値段なので、両親や旦那さんが来たときなどに数回頼んで食事をした
みんな口を揃えて
「ボリュームあるってか多すぎw それに味が濃いね」

大食いの私も、吐き出さないのであれば普通か小食なくらいだ
それに臨月から、むくみ防止に減塩を心がけていたためか
しょっぱくて食べれないくらい味が濃く感じたw
あまりに濃いものは残したり、水で一回洗って味を薄めたり苦肉の策で対応した

麻酔後はただでさえエコノミー症候群のようになり、浮腫みやすい
しかも塩分濃い食事続きでさらに浮腫んで、足がクリームパンみたいにはれ上がっていた
サリーちゃんもびっくりのサリーちゃん足
これには途中から、利尿剤などのむくみ対策の薬が出された

出産の翌日は、赤ちゃんの世話の講習みたいな時間を設けてあった
抱き上げ方や降ろし方など、扱いの注意
おしめの変え方
母乳の与え方
ミルクの作り方と飲ませ方
げっぷのさせ方
母乳やミルクを与えた量と時間、おしっこやウンチの出た時間を記録していく段取り・・・などなど

30分ほど習い
「部屋でこ個々に実践して見ましょう。質問等はいつでもどうぞ」
と言う感じで、母親業見習いスタート
恐る恐る部屋に連れ帰り開始する

まだ微熱は続き、出血も痛みも疲労も残っていた
あまり無理をせず、数時間したら預かってもらってゆっくりすごした
途中両親がお見舞いに来て
母さんが自分らのころとぜんぜん違う・・・と羨ましがっていた

『出産したら、1ヶ月お風呂に入ったり洗髪をしてはいけない』
昔はこれが当たり前で、みんな信じてたそうだ
母さんは実行した人ですw

今はお産の24時間後から、シャワーをして良いし髪も洗っていいことになっている
湯船には1ヶ月検診でOKが出ないと浸かれないけど、普段どおりで良いのだ
さらに母さんは驚き、羨ましがっていた(笑)


そうそう問題です
Q,出産直後の妊婦のお腹はどうなっているでしょう?


・・・A,すぐにぺちゃんこにはなりません。妊娠6ヶ月くらいのお腹の大きさ程度に縮みます
退院時に、妊娠前の洋服で颯爽と帰る・・・なんてのは基本皆無

父さんがお腹がへこんでないことに驚いて
「もうひとり入っているのでは!?」といぶかしげな表情だった
確かにあんこ型の力士のような、ビールっ腹のおっさんのような、女性としては残念なフォルム(-_-;)
そういわれると不安で、助産婦さんに質問しにいって笑われた

開いた骨盤は時間をかけて閉じるため
直後は開いたほぼ、そのままなので
伸びた皮や皮下脂肪、大きくなったままの子宮
下がった内臓などのせいで、しばらくは洋ナシみたいなお腹になる
直後からさらし布やニッパーや、ベルトでぎゅっと締め上げたり、筋トレなどして産後の強制を必要とする
こういうのは体験しなきゃ分からない
新鮮だったし面白かった



部屋の入り口に、産まれてすぐ撮影した赤ちゃんの写真が張ってあるシステムで(断ることもできる)
人の部屋の前を歩けば、その部屋の生まれた赤ちゃんの顔が確認できる

あ~うちの子が一番かわいい
疑わず、心からそう思ったりした(笑)人はそれを親バカといふ

基本休養に当てた出産翌日だった
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出産直後の一晩

2013-02-07 12:39:42 | Weblog
まだ母親になりたての私は、子供と2人きりにされ
わが子を横に寝かしたところで
どう愛情表現や可愛がってやればいいのやら
正直、壊れやすいガラス細工を眺めるものの、それ以上もてあますような気持ちだった

思いついたのが
「シャメでもとるか・・・」 生後1時間くらいの娘とツーショットを記念に残しておいた
麻酔で痛みや疲労さえも鈍ってるので、のん気なひらめきだった

かたわらに置いておくと、つい寝込んだときに潰しかねないと
預かってもらうことにして一人で休むことにした

数時間分娩室でウトウトとかボーっと休養していた
「眠れるなら寝たほうがいいですよ、後で声賭けに来ますから」と言われたが
出産直後から、自分に熱が出ていることに気が着いた

出産後だから出た熱と言うよりは
無痛分娩をすると下半身麻酔になるので
本当は熱が出て大汗をかくはずの下半身が、汗をかけずに熱が篭るそうだ
それに伴い、麻酔が切れ始めるころから高熱が出て、汗を出そうとする自然現象らしい
以前2回ほど、手術で全身麻酔をした経験がある私には
いつものことみたいに慣れっこだった

『自力で歩いてトイレに行けて、用が足せるまで』
分娩室での休養が終わる目安だった
よろよろと伝い歩きして、生まれたてバンビみたいに頼りないひざや腰に気をつけつつ
恐る恐るトイレへ
ぼんやり麻酔は残っているものの、少し裂けた部分を縫ったりしていることもあり
大量に生理みたいに出血や痛みも覚え
力をこめるのも恐る恐るで、切れの悪いトイレだったw
これは一晩中続いた
子宮がしくしく、燃えてるみたいに熱いというか、怒っている感じ
『お産の後は、雷さんが通った後』とはよく言ったものだと、変に感心してニヤリとした


正直ほとんど眠れずに一晩すごした
途中分娩室から別室に移されて朝を迎えたのだが
普通に体はヘトヘトだけど、疲労しすぎて眠れないような
出産と言う大仕事を終えて、細胞の一個一個が興奮状態のそれでもあるのか
とにかく目が冴えた
やっとウトウトしても、1時間が精一杯で以上に時間が遅く流れて感じた
尿意は感じなくても、暇つぶしに1時間おきにトイレに行った

私は破水して、予想外にお産となったチームだが
本来は新月で、出産ラッシュだった
私以外にも4人いつ生まれてもおかしくない人が控えていたそうで
病室の外は、先生や助産婦さんの走り回る気配や音で
眠れるような雰囲気でもないのもあった

取り急ぎの荷物だけ抱えてきたため、暇つぶしできるものが何も無かった
携帯ゲームは目を使うなと母にきつくとめられていたので、自重したら本当に何もやることが無いw

ふと、感じたことの無い感情に気が着いた
生まれたての子供の顔が見たくて仕方なくなった
きっと元気にしているし、すやすや眠っているだろう
ミルクでも貰っているかも・・・心配することなど何も無いのだが

なんてことは無いのだが
顔が無性に見たい感じ・・・顔を見て安心をしたいだけ
親になるって、この先一生こんな感覚をいつも持つ感じなのかもなと思った

思いがけなく先ほどとったシャメが
友人などに見せれるしと記念に撮ったはずなのに、自分見たいために役に立ったりした

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出産記録 ③ ~出生~

2013-02-01 11:36:07 | Weblog
さて「イキミましょうか」と言われても・・・
どうやったら良いのかさっぱりわからない

私担当の助産婦さんは、すばらしくアドバイスの上手な
手馴れたベテランの女性だったようだ
「私の言うとおりやってみてください、イキミ方を説明しますね」
そりゃありがたい(笑)

ちなみに私の体制は
いわゆるあの、仰向けで足を蛙みたいに開いた分娩ポーズなんだけども
手元に握れるようにレバーのような専用の部位があった
それを両手でつかんだような状態
モビルスーツでも着ていれば、ガンダムやエヴァを操縦できそうな態勢と思っていただければ良い

息を吸って呼吸の準備を整えたら、息を吐きながら
お尻を下に突き出し、おへそをぐっと下に押し下げるようにいきむ!
一緒に手のレバーを手前に引っ張って~!!

一度に何個のことをさせるねんwと
こんがらがりつつ
必死でイキミにチャレンジ

「そうそう!お母さん上手上手、その調子♪」
助産婦さんの声に、一応正しくイキメていることを確認して安心する
しかしこれを何時間続けるんだろう
数回、数分なら良い
数時間や、丸1日とかになってくると、運動不足のアラフォーには体力的にしんどい
しかも無痛分娩で痛みを軽減してこれである
普通の自然分娩だったら・・・(-_-;)想像するだけで恐ろしいハードな作業w
少々お高くついても、無痛分娩を選んでよかったわ!と心から思った

そりゃ若いうちに生みなさいって、経験者は言うわけだわなぁ
痛みのストレスや、いきみ続ける疲労に耐えれない


陣痛の波が来るたびに、それに合わせてイキんで
数ミリづつ、瀕死状態で子宮口まで降りてくる赤ちゃんに
加勢して手伝うイメージだ
何度かやっていると「もう数センチで外に頭のてっぺんが到達しますよ」
指を突っ込んだら頭に触れるほど間近に来ていると聞いた

今どのくらいの場所ってイメージさせてもらえると
ゴールの無いマラソンのようなイキミ作業に、目安ができて
当面の目標までがんばろうと思える
とりあえず、外気に赤ちゃんの体が触れるまでを当面のゴールに頑張ろう!

数回繰り返すと
私とこの子は、人生初めてのお産にしては
要領を得るのが早いというお褒めの言葉をもらえたのは
まんざらお世辞ではなかったようで
「もう頭のてっぺん、髪の毛が見えてますよ!アボガド状態!」
どんな状態ですか?それは(笑)と心で突っ込みつつ
興奮気味の助産婦さんの人柄を感じられて気持ちがほころんだ

「手を伸ばして触ってみようか」と
私の右手を誘導して、今まさに産まれ出ようとしている
アボガド状態の赤ん坊の頭を撫でさせてくれた
フニフニと柔らかい、水風船のような触感で
湿って暖かい毛が生えているようなものが手に触れた

エコー写真なんかで確認し、胎動で動いたりするとはいえ
本当にこのお腹の中には、もうひとつの別個の個体が入ってるという実感は
実は妊婦自身も持てないもんだったりする
どう考えても自分自身の肉体で無い、それを感じた瞬間だったかもしれない

頭を外に出すまでが一番の大仕事だと予習していた
頭部の直径より、肩幅は小さい
要するに頭を出してしまえば後は、するりと出る構造のはず

潜在意識や想像力は、思いのほかリアル世界で現実化する事を信じている私は
見えはしないけど
イメージで、するりと抜け出る赤ん坊の頭や顔を想像した

「今おでこまで出てますよ!もうすぐ目や鼻も見えてくる!頑張りましょう」
励ましに「はい!」と応えつつ
こりゃ一気に出してしまおうと、仕上げのやっつけ仕事の心積もりが
やる気スイッチになる

「はい~頭が出たので、お母さん全身脱力して~」
言われたとおり、全身のいからを抜くと
頭さえ出ればこっちのものと言わんばかりに
肩から下を引きずり出しているようだった
麻酔で麻痺しているとはいえ、丁度良い効果音をあえて表現すると『でゅりゅりゅん・・・』って感じかな
滑った大きなものが子宮口を通過する感覚は分かる

私の頑張れるのは、ここまでとすぐに分かった
後は赤ちゃんの生命力に託すしかない
心身ともに正にひとつだった母胎と赤ん坊が、離れる瞬間だった

鼻水吸引機みたいなので、苦しそうなつまりを取ってもらったぬるぬるの赤ん坊は
待ちきれないって感じで「・・ギャ・・オギャァァ・・」って
か弱い挨拶程度のひと泣き声を出した

「おめでとうございます!!午後6時02分、女の子のお子さんです」
助産婦さん2人に、いつの間にかスタッフが増えて処置を手伝ってくれていた
同時にビデオで記念に撮影されたり、なれた段取りで堂に入ったものだった

この瞬間肺呼吸が始まり、脳にスイッチが入ると言われている
占星術や、気学、四柱推命なんかは、この瞬間の地球や太陽や月との位置の関係性で
そのスイッチに影響が出て、その人の特徴や個性が決まると考えられている
だからこそ生年月日を重んじる統計学になったのだ

カンガルーケアを希望していたので
私自身の服も前を開け、裸の胸の上に
生まれたての赤ん坊をへその緒が付いたまま乗せてもらう
さっきまで羊水に浸かっていた肌が、外気に晒されるのが新鮮なのか
キョトンと放心状態のような顔の我が子を間近で見た
もっとお猿さんみたいと思ったら、割と人間っぽくて驚いた
「色白さんですね^^わぁ~鼻に高い赤ちゃん♪」と助産婦さんに言われたが
茹で上がりみたいに真っ赤だな~としか思えなかったので
別の赤ん坊をたくさん見ている彼女にはそう映るのだろうと勝手に解釈した


いよいよへその緒を断ち切って、酸素も栄養も血液も渡して上げれなくなる

これで本当に事実上別の固体になる時だな
私はハサミを渡されて、へその緒を切るように促された
濡れたゴムチューブみたいな感触と硬さで、ぬるんとして
1度では切れなかった

大仕事を終えた・・・
後産で、胎盤を出すような作業を引き続きしてくれているようだった
少し落ち着いて時計を見ると6時半を過ぎたあたり

処置をしながら、実はへその緒が首に巻いて産まれた事実を知った
緩めにヨン様巻きだったので、首を絞めて危険な状態には陥らなかったものの
首を巻いていることはエコーでも気が着かず、出産時の胎児の心音も一度も危険な反応はなさなかったので
全然気が着かなかったそうだ
実は、一歩間違えれば危険な状態にも拘らず、元気に心音を打ち続け順調にスピーディーに産まれてきてくれた
破水スタートで始まった分娩にしては、自然分娩よりも短いスピードで15時間後に終了
かなりの安産と言える

「胎盤出ましたけど見てみます?」
ちらりと処理しに行く前に、大き目のパレットに排出した胎盤を見せてくれた
うまく表現できないグロテスクな、地球外生物みたいなルックスでした
9ヶ月ちょい、この子を守っていてくれた揺りかごだ
ありがとう、ご苦労様でしたと胎盤さんに告げて見送った


産まれたらすぐに産湯と言うイメージがあるが
最近は24時間は、産まれたときの羊水を軽くぬぐうくらいでしばらく放置するのだそうだ
ばい菌に感染しないバリアの代わりを、乾いても体液や羊水や血液が果たすことが分かって
そういう処置の産院が増えたと言う

一旦大まかにふき取ってもらってる間に、丁度事終わりで駆け付けた母さんが
分娩室に顔を出した
お昼を食べたっきりだった私は、夕飯を食べようとしていた
出産直後だけど、無痛分娩のせいか、疲労感はあるものの食事は案外普通にできた
食べながら母さんに出産時の話を少しして
とりあえず無事に産まれてよかったと、二人で胸をなでおろした

彼女にしたら、明け方飛び起きて破水したままの娘と別れ
睡眠もそこそこに仕事を夕方までそわそわとこなし
心配で集中もできなかった事だろうから、やっと安堵したことだろう

かわいらしい産着を着せられた我が娘は
程なくして傍らに寝せてもらえた
今後の数日間の流れのしおりみたいなものを渡された中に
産まれた体重が記されていた
「2785g」
3キロを超えていると言われていたが、誤差だったようで
予想より少し小さめで産まれてきたことを知った
「お産がしんどくなるから2700くらいで生みたいな・・・」って独り言を
聞いていたんだろうかと、親孝行な娘だと親バカな事を思った(笑)

母さんが「あら、きれいな赤ちゃんじゃないの^^」抱かせてもらっていた
あまり愚図らずにお婆ちゃんに抱かれている孫を見て
「そんなに手の掛からない育てやすい子かもしれないね」と母さんが言った

気学や四柱推命を少しかじっている母と私は
この子の産まれた日の星の流れで、どんな子かおおよその想像した話をしていた

母さんが帰った
しばらく横に寝かされたわが子は泣くどころか
私に向かって笑いかけた
きっと新生児微笑(感情の伴わない反射行動のようなもの)で、視力もまだあまり無いわけで
もちろん笑い掛けた・・・など気のせいだが
泣きそうに嬉しかった
「私のところに産まれてきてくれてありがとう、よく頑張ったね」と言った

癇の虫の強い、気性の荒い男星の娘であることはすでに決定していたので
ギャン泣きして産まれるかと思っていたので
少し拍子抜けした


長くなるので③はこの辺で~


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