山へ行こう!

自然に触れ、可憐な花を愛でる人生に乾杯!

阿修羅を読み終えて

2011-01-30 | ひとりごと
面白かったですね~
優勝しましたね

あのゴールの瞬間を
見ることができたので
感動しましたね

今、サッカーが
めっちゃ面白い!

サッカーを読書しながら
観ていたんですが
”阿修羅”を読み終えた

後半はほとんどが宗教的なことで
大乗仏教と小乗仏教のことや
輪廻転生のことなどが
書かれている

宗教に興味がないと
読めないかもしれない

ただ、仏教徒ならば
知っていてもいいのでは
ないかと思う

何故ならば本書の通り
現在の多くの日本のお坊さんは
葬式だけの堕落したものになっていて

権力に擦り寄って
政治にまで口を出しているように
感じるのは同感です

なので私の子供達は
仏教のことは何も知らない

葬式や法要だけの
ご縁だと考えている

大乗仏教において”輪廻転生”が
1地獄道
2餓鬼道
3畜生道
4修羅道
5人間道
6天道
の六道からなり

人間が輪廻する存在で
その輪廻が「業の法則」に
基づいている

子供のころ食事の後ですぐ横になると
「牛になる」と叱られた
六道の良いポストを
得るがために努力した

我家ではテーブルで食事をするので
すぐに横になることはありません

六道のことを話しても
私がそうであるように

目に見えない世界のことを
信じるはずも無く
きっと笑い飛ばすことでしょう

また、お坊さんもそういう説教を
全くしなくなった

その程度となったお寺の縁も
今更その習慣と体質を
崩そうとは思わない

さて、”阿修羅の正義”とは?
エピソードで紹介します

帝釈天と阿修羅の戦いで
帝釈天が不利で退却していた際

行く手に鳥の巣があり
金翅鳥(こんじちょう)の雛がいた

この雛を助けるため
体制不利にもかかわらず引換えした

その様子に阿修羅軍は
敗走していた敵陣が引換えしたのは
なにかの作戦に違いないと疑い
退却した

その結果、帝釈天が勝利した

弱い者に対する
思いやりがそこにはある

大儀名分が戦争にはあり
「国家のため、殺していけ」というのは

それが何の罪も無い一般人であっても
通用してしまうところがある

そういう「罪も無い人」を
巻き込んでしまっても
大儀名分のためなら
犠牲は仕方がないという考え方

それが「阿修羅の正義」なのだと
物語っていた

災難に逢時節には、災難に逢がよく候。
死ぬ時節には、死ぬがよく候。
是はこれ災難をのかるゝ妙法にて候。(良寛)

災難に遇ったとき、じたばたして、
なんとか逃れたいとしたところで
災難が去るわけではない

さっぱり諦めてしまって、
災難のうちに腰を降ろしたほうがよい。

逃れんとして
執着すればするほど
苦しみは増すばかりである

人間の心のうちに
阿修羅の心

怒りと憎しみの心があるのは
仕方のないことであり
いつまでも執着しないことなのです

阿修羅とは

みずからが弱い人間であること
その自覚と諦めを持たず

「正義」を楯にして
他者への同情と思いやりを
失ってしまった

青年のように真直ぐな感情

悲しみに耐え
ぐっとこらえた時の表情が
あの興福寺の阿修羅には
あるということです

以上がわたしの中で
捉えた阿修羅像です

仏教学者らしく
客観的な見方をしているのと

物語を引用して
分かり易く説明されていたのが
よかった

今朝から「せき」と「鼻水」
現在pm3:00には「頭痛」がある

もしかして、やばいかも・・・

しかし、借りた
「おこぜ流経済学」を
3分の1まで読んでいて

これがまた、読み易くて
面白いのだ!

熱も平熱35度5分のところ
36度3分あるが

まだ、高熱とは言えませんね
休憩しますね