リチャード・ギア、中国政府批判 (日刊スポーツ) - goo ニュース
リチャード・ギアは著名なチベット仏教徒で、チベットを侵略した支那が大嫌いです。当然あらゆる機会をとらえて支那を批判します。昨日小泉首相に会った機会にも当然のように
支那を批判しました。小泉首相にしても自分が言いたいことを米国人のギアが勝手に言ってくれるのだから「もっと言って」という気持ちなのではないのでしょうか。
支那によるチベット侵略は支那とインドとの衝突を引き起こし、その後支那が核武装したためインドを核武装に走らせました。さらに支那は敵の敵は味方ということでパキスタンの核武装を支援しその代償としてパキスタンとの国境を有利に引くという取引をしました。そして世界はインド対パキスタンという構図で核問題を論じ報道する。インド人としては面白うはずがありません。かくしてインドは欺瞞に満ちたNPT体制に決して入ろうとしないわけです。インド人にとってNPT体制に入るということは支那に政治的に屈服することを意味するからです。
チベットといえばダライ・ラマ十四世。彼は支那によるチベット侵略以来インドに亡命しています。チベットでは支那に逆らうチベット人は散々迫害され虐殺され、それが現在でも続いています。このような現状にあって、当初チベットの完全独立を求めていたダライ・ラマは、現在では「チベットは支那の一部であることを認めるから自治権を認めてほしい」と言っています。これは苦渋の決断だったに違いありません。しかし、支那はダライ・ラマの譲歩をまったく取り合おうとはしていません。支那人は自分が優位に立っていると認識すると嵩にかかるとよく言われます(もちろん朝鮮人も同様です)。チベットに対するこの支那の態度は「弱いやつに対してなんでわしが譲歩せなあかんの?」というのが支那人の本性ということの動かぬ証拠といっていいでしょう。
しかし、ダライ・ラマはなぜチベットを支那の一部と認めるというような譲歩をしたのか。このことを通じてわたしは国家とは何のために存在するのかを考えてしまいました。わたしは、国家とは民族の生き方を守るために存在するのだとおもいます。個人の権利・自由を守るというのは民族の生き方が守られた上での副次的なものに過ぎないとおもいます。
現在チベットにはどんどん漢民族が流入してきているようです。このまま時間が経つに従い漢民族が定住してしまい、追い出すことが困難になっていきます。そうするとチベット自体が変質し、もはやチベット人の生き方が守れなくなってしまうおそれが強まります。そこでダライ・ラマは民族の生き方を守るための現実的な選択としてチベットの完全独立を放棄し支那の一部として自治権のみを要求せざるを得なかったということなのでしょう。まことに苦渋の選択です。しかし支那はそれさえも認めようとはしません。
もっとも、ダライ・ラマはチベットが支那の一部と認めても、いずれ支那は内乱で分裂状態になるから、そのときまでの辛抱だと考えているのかもしれません。しかし、それとて支那がチベットの自治権を認めてくれないと話になりません。支那がダライ・ラマの提案を受け容れる可能性がない以上、チベットが支那の一部と公式に認めることは政治的にかえってマイナスではないのかとわたしはおもいます。
リチャード・ギアは著名なチベット仏教徒で、チベットを侵略した支那が大嫌いです。当然あらゆる機会をとらえて支那を批判します。昨日小泉首相に会った機会にも当然のように
支那を批判しました。小泉首相にしても自分が言いたいことを米国人のギアが勝手に言ってくれるのだから「もっと言って」という気持ちなのではないのでしょうか。
支那によるチベット侵略は支那とインドとの衝突を引き起こし、その後支那が核武装したためインドを核武装に走らせました。さらに支那は敵の敵は味方ということでパキスタンの核武装を支援しその代償としてパキスタンとの国境を有利に引くという取引をしました。そして世界はインド対パキスタンという構図で核問題を論じ報道する。インド人としては面白うはずがありません。かくしてインドは欺瞞に満ちたNPT体制に決して入ろうとしないわけです。インド人にとってNPT体制に入るということは支那に政治的に屈服することを意味するからです。
チベットといえばダライ・ラマ十四世。彼は支那によるチベット侵略以来インドに亡命しています。チベットでは支那に逆らうチベット人は散々迫害され虐殺され、それが現在でも続いています。このような現状にあって、当初チベットの完全独立を求めていたダライ・ラマは、現在では「チベットは支那の一部であることを認めるから自治権を認めてほしい」と言っています。これは苦渋の決断だったに違いありません。しかし、支那はダライ・ラマの譲歩をまったく取り合おうとはしていません。支那人は自分が優位に立っていると認識すると嵩にかかるとよく言われます(もちろん朝鮮人も同様です)。チベットに対するこの支那の態度は「弱いやつに対してなんでわしが譲歩せなあかんの?」というのが支那人の本性ということの動かぬ証拠といっていいでしょう。
しかし、ダライ・ラマはなぜチベットを支那の一部と認めるというような譲歩をしたのか。このことを通じてわたしは国家とは何のために存在するのかを考えてしまいました。わたしは、国家とは民族の生き方を守るために存在するのだとおもいます。個人の権利・自由を守るというのは民族の生き方が守られた上での副次的なものに過ぎないとおもいます。
現在チベットにはどんどん漢民族が流入してきているようです。このまま時間が経つに従い漢民族が定住してしまい、追い出すことが困難になっていきます。そうするとチベット自体が変質し、もはやチベット人の生き方が守れなくなってしまうおそれが強まります。そこでダライ・ラマは民族の生き方を守るための現実的な選択としてチベットの完全独立を放棄し支那の一部として自治権のみを要求せざるを得なかったということなのでしょう。まことに苦渋の選択です。しかし支那はそれさえも認めようとはしません。
もっとも、ダライ・ラマはチベットが支那の一部と認めても、いずれ支那は内乱で分裂状態になるから、そのときまでの辛抱だと考えているのかもしれません。しかし、それとて支那がチベットの自治権を認めてくれないと話になりません。支那がダライ・ラマの提案を受け容れる可能性がない以上、チベットが支那の一部と公式に認めることは政治的にかえってマイナスではないのかとわたしはおもいます。