毛唐もすなるブログといふものを

日本男児もしてみむとてするなり

自民党の議員処分基準は首相の私怨

2005-11-03 11:42:15 | 改革狂騒曲
亀井静香の実兄である亀井郁夫参議院議員が自民党からの離党勧告を不服として再審査を請求しました。当然です。亀井郁夫氏は請求の理由として「選挙前には郵政民営化法案への党議拘束はかかっていなかったから党議拘束違反はないこと」、「広島6区には自民党公認候補は出馬していないから亀井静香氏を応援したことは自民党への選挙妨害にあたらない」の2点を挙げています。

まず「党議拘束がかかっていたのか否か」という点です。これまでの慣例では全会一致だった総務会において多数決に突如変更し、さらに総務会のメンバー内では多数決にも負けるので執行部の人間を総務会に送り込んだ手法は手続き無視も甚だしいものがあり、党議拘束の根拠を欠くと考えるのが妥当です。選挙での民意はこの場合関係がありません。なぜなら民意は民主主義であり手続きは自由主義に属するものだからです。もっともこの点は裁判所に訴えても審理してもらえない性質のものですから(確立した最高裁判例)、現在の自民党にこの点を訴えても無駄です。しかし、小泉後を睨めば十分意義深い問題提起でだと考えます。筋を通す姿勢を忘れては政治家失格ですから。
つぎに「選挙妨害」の点ですが、これについては明らかに自民党がおかしいわけで、多言は要しないところでしょう。

今回の自民党の処分については基準が不明確だというのが大方の一致した見方です。選挙前に潔く離党届を出した亀井静香氏や綿貫民輔氏などを除名処分にする一方、離党せず無所属で自民党議員と対決し特別国会でも反対票を投じた平沼赳夫議員を離党勧告に留めたことがその典型です。いや、自民党の基準は一応明確にも見えます。その基準は、
1.特別国会の首班指名で小泉純一郎と書かった者は除名、
2.先の通常国会で郵政民営化法案に反対票を投じた衆議院議員と今回の特別国会で賛成票を投じなかった者は離党勧告、
ということのようです。衆議院と参議院で処分を使い分けているところにまずご都合主義が現れておりこれは毎日などが社説等で指摘していることろです。さらに平沼赳夫衆議院議員のように特別国会でも反対票を投じた者と選挙結果を受けて賛成へ転向した衆議院議員を同じ離党勧告にした点はご都合主義というより不可解です。確かに選挙前に自発的に離党しない場合は重い処分にすると自民党執行部は繰り返して来ましたから、その点で一律処分は筋が通っているようにもおもえます。しかしそれなら自発的に離党した亀井静香氏や綿貫民輔氏らの処分の方がどうして重いのでしょうか。

結局、今回の処分を含めた一連の政治劇は、アメリカの意思と創価学会の意思を抜きにしては説明困難だとおもいます。創価学会は余程亀井静香氏や綿貫民輔氏のことが嫌いのようです。

≪資料≫
※亀井郁夫議員が再審査請求 離党勧告処分に不服 《産経》

※自民党:野呂田氏、除名処分 「後悔していない」支持者ら複雑な思い《毎日》

人民民主党が近代政党?ま、そういう意見もあるわな

2005-10-22 23:18:51 | 改革狂騒曲
※ 自民党処分 厳しく公正な姿勢を貫け《産経》

『有権者に自民党がさきの衆院選を通じて【生まれ変わった】ことを明確に示すために、残りの無所属・不出馬組にも、除名を中心とする厳しいけじめをつけるよう求めたい。』

いかにも自民党は先の衆院選を通じて生まれ変わりましたね。自由民主党から人民民主党に。

新党を結成して選挙を戦った綿貫、亀井氏などを除名処分にするのは、退陣後彼らを含めた沈黙する反・小泉派に復讐れるのをおそれているからに違いありません。除名にすればそう簡単に復党できませんから。

おかしなことに、産経は党議拘束の元となった自民党の決定方式の変更(全会一致から多数決へ)等につき全く不問に付しています。自分達でルールの変更を行い、それに従わなかったことを理由に公認を拒否し、新党を旗揚げして選挙を戦った者まで除名にするとは、異常な執念としかいいようがありません。

もっとも、これが小泉個人限りの異常な執念であって欲しいとおもいます。そうであれば小泉後に人民民主党に成り果てた「自民党」があるべき自由民主党に変わる可能性があるからです。あるべき自民党とは國を軸に結集する保守政党でなければなりません。間違っても加藤紘一や古賀誠(こやつが遺族会の会長をしているのは票のために違いない)などが幅をきかす自民党であってはなりません。

ところで産経はこの社説を次のように結びます。

『政策中心の近代政党へ転換しつつある今こそ、厳しく、かつ公正な処分をもってわかりにくさを払拭(ふっしょく)すべきではないか。』

執行部の指導に皆が従うべきだというのなら確かにそれは分かりやすいですね。しかし内閣の解散権と執行部の公認権を盾に党内手続きルールを変更して出した政策を中心とする自民党が近代政党なのでしょうかね。一昔前の人民民主党であり産経の大嫌いな支那共産党や朝鮮労働党に一歩近づいたことからすれば、前近代的政党のままの方がまだしもマシな気がします。

郵政衆院通過

2005-10-12 17:51:49 | 改革狂騒曲
今日改革ファシズムの象徴である「郵政民営化法案」が衆議院を通過した。反対を貫いた無所属は平沼赳夫ただ一人だった。国士である。

もっとも、郵政より恐ろしい「人権擁護法案」を阻止するためには郵政では譲るべきだったとの意見もあり、それはそれなりに説得的だ。アングロ=サクソンは財産を収奪しにやって来るが、支那朝鮮は「日本精神」の解体にやって来るからだ。財産を収奪されても日本精神があれば再興は可能だがその逆は不可能だからだ。

しかし、結果論ではあるが、3分の2を押えた与党の中に留まったとしても、その中での反対が意味をなしたかは相当怪しい。郵政民営化法案の提出過程における無茶苦茶の真骨頂は『党内手続無視』だったからだ。そして今回の選挙は結果としてそれを不問に付することとなった。然らば党内に留まり「人権擁護法案」に反対しても、党内手続無視がまかり通るようではどうしようもないのではなかろうか。そう考えれば、郵政民営化法案に反対して党を追われたこと自体は人権擁護法の関係でもそれほど悪い選択ではないことになる。

では、先の国会で郵政民営化法案に反対しつつ今回は賛成に回った議員をどう評価すべきなのだろうか。今回賛成に回った議員の多くが転向の理由に「民意」を挙げる。しかし与党の得票は過半数に達しておらず、そのことを議員諸氏は承知しているはずである。ではなぜ転向したか。いうまでもなく党本部の議員個人の後援会(県連等)に対する締め付け、具体的には政治資金規正法改正による脅しに屈したのである。このことはもっと報道されていいことである。

現在の政治資金規正法は政党本位の選挙を標榜するから、無所属で選挙を戦うのはそれだけでハンディが大きい。政治家をするには資金が必要だがそれを集めるのも政党本位というのが現行制度なのである。今回の選挙を無所属で戦った議員たちは小泉後に自民党復帰を目指している。彼らの後援会もそのつもりで動いている。したがって安易に新党ヘは行けないし、除名も避けたい。そういう中での苦渋の決断だということは理解できる。しかし、そういう腰の引けたことをしている限り政治家として新たな展望を開くことはできないのではないか。

平沼赳夫はそういう中で、一時期ぶれはしたが、腹をくくった。今回の反対はそういうことだ。腹をくくったのが平沼赳夫一人だったことは残念で、古屋、古川あたりにも腹をくくってほしかった。しかしもうそれは問うまい。彼らの政治家としての信念はいまだ信じることがわたしにはできるからだ。「日本精神」を守ろうとする彼らの情熱は信じることができるからだ。しかし、野田聖子をわたしは信じない。野田聖子は「人権擁護法」を推進し拉致問題には冷淡で元々破廉恥野郎・古賀誠の子分のような存在だった。何をおもって郵政民営化に反対していたのかは知らないし興味もないが、この女郎に「日本精神」がないことだけは間違いない。日本初の女性首相がこの女の目的でそのためには何でもやるんだろうよ。

いわゆる『造反議員』に対する掃討戦~野田聖子は予想通り降伏

2005-10-09 17:34:50 | 改革狂騒曲
※ 政治資金 この改正はあんまりだ《アサヒ》

※ 野田聖子氏も法案賛成へ 「反対の政治主張、完敗」《KYODO》

法律というものは運用してみて不都合があれば改正されなければなりません。自民党執行部は、いわゆる『造反議員』の方に付いた政党支部(県連など)を解散させようとして、はたと法律の不都合性に気付いたというわけです。確かに、自民党執行部からすれば現行の政治資金規正法は不都合に違いありません。しかし、政党中心の政治運営が認められる根拠は、現代の自由民主主義運営にとって好ましいという点に求められていたはずです。つまり、日本の自由民主主義を維持・促進することが目的であり、政党本位の政治運営は手段ということです。そうであれば、政治資金規正法の改正は日本の自由民主主義にとって好ましいものなのかどうかという視点を離れて論じ得ないことになります。

この度の郵政民営化審議の過程で明らかになったことは、我が国における党内民主主義の未熟だとわたしはおもいます。党内手続きを無視して強引に党内手続きを打ち切った手法(「小泉龍司HP」の項目8参照)はこのこと、そしてその後の展開はそのことを如実に示しています。首相が解散権を、首相の意を受けた執行部が公認権をちらつかせて議員の法案への意見を変えさせるなど自由民主主義を標榜する政党であってはならないことです。議論を通じて意見を集約し、多数決で決まったことには従うのが自由民主主義の基本です。議論で敗れた(意見を変えさせられなかった)から、力ずくで変えさせるなどもっての外です。

もっとも、民意はそういう手法を問わなかったように見えます。しかし、そもそもそういった手法がとられたことがほとんど報道されなかったため、国民はそのことを知らないで投票したのだから、民意によって手続無視を正当化することはできないはずです。そして、それ以上に『手続き無視』そのものがもっと問題にされなければなりません。自由民主主義の核心は『手続き』だと考えるからです。その時々の民意も重要ですが、民意は往々にして誤るものだということは歴史が示す通りです。ナチスが民意によって全権を掌握したのがその典型でしょう。民意を重視するのは民主主義的ではありますが、日本の民主主義は『自由民主主義』ですから、民主主義的だといって思考を停止するわけにはいけません。そして民意の誤りを抑制するのが手続きです。そういえば人権の歴史も手続保障の歴史だとよく言われます。人治ではなく法治とは手続きを重視することです。また、魔女狩り裁判は許されず法に基づく裁判により個人の自由を守るという考えも、『手続き』が個人の自由の核心ということを示しています。

今回の自民党内における手続き無視は、党内における自由で民主的な手続きが全く機能しなくなったことを意味します。こういう場合、党内における権限の分散を図らねばなりません。それなのに、権限集中を図る政治資金規正法の改正には反対です。アサヒの社説のタイトルを見て、恥ずかしながらわたしはアサヒが自分と同じことを言っているのと勘違いしました。人民民主主義派のアサヒがそんなことを書くはずがないのに。読んでみると、何てことはない。自民党案より一層党本部への権限集中を図るべきということだそうです。

それはともかく、議論に基づく多数決を否定する自民党に最早「自由民主」を語る資格はありません。皆が執行部の指導に従う「人民民主党」と党名を変更すべきです。議員を単なる数だとするのは人民民主主義です。そういえば小泉チルドレンどもが所信表明演説で殊更立って拍手していたのは支那や北朝鮮等の人民民主主義国家の議会を髣髴とさせました。そんな中で、かねてより予想されていたこととはいえ野田聖子があっさり寝返りました。危うし、日本の自由民主主義。

道路特定財源問題

2005-10-05 17:46:59 | 改革狂騒曲
道路特定財源の一般財源化が政治日程に上りました。

道路特定財源は道路整備を目的に認められました。ですから、道路整備が一段落したなら一般財源化すのが筋です。道路は本来一般財源からその予算の範囲内で作られるべきものですから、道路整備が一段落したなら特定財源を維持する合理性がありません。

では、道路整備は一段落したのか。確かに、道路整備は一段落したといっていいでしょう。しかし、高速道路網の整備に使った費用は債務として残ったままです。高速道路網が本来国の直轄道路事業として行われるべき性質のものとわたしはおもいます。そうであれば、道路特定財源は高速道路網の債務返済に充てるべきです。道路4公団民営化により債務処理の枠組みは作られましたが、道路は本来無料で通行できるのが原則です。株式を売却するまでは間に合うので、いまからでも道路4公団民営化による債務返済の枠組みは見直すべきです。

つぎに、仮に一般財源化するとしても、本則の2倍の税率を課す揮発油税は本則に戻すべきです。これは道路整備における「利用者負担の原則」の表れですから、これを戻さないのは税の公平な負担という原則に反します。少なくとも一旦本則に戻すことを基本として議論すべきです。「現在の暫定措置維持ありき」的な議論はいただけません。この暫定税率維持の理由として環境問題を挙げる意見もありますが、それなら最低限、環境対策のための目的税化すべきです。そうでなければ、自動車利用者が非利用者より国家の一般財源を多く賄うことになりますが、その合理的理由はないでしょう。国民の大多数が車を利用していることは合理性を基礎付けるとは、わたしはおもえません。

車の利用による環境悪化や事故にによる社会保障費用の増加につき自動車利用者は応分の負担をすべきです。したがって、道路特定財源は本来一般財源化されうるものです。しかし、それは本則の税率を超えて利用者に負担を求めることを現在の法律は予定していません。暫定税率をどうするかは、車の利用による社会費用の増加がどの程度かという考察抜きに語れないはずです。どんぶり勘定はこと税に関してはだめです。

(眠くて文章が多少支離滅裂ですので、後日編集します)
なお、税金を本則に戻すとガソリンが安くなり環境悪化を招くので、現在の環境対策強化という国際社会の流れに反するという意見もありますが、本来取り過ぎていた税金を元に戻すのがなぜ悪いのかさっぱり分かりません。環境悪化を座視しろというのではありません。それならそうと、しっかり議論すべきです。まず「暫定税率維持ありき」という考え方に反対しているだけです。

道路公団民営化~すべての改革は株主様の利益に通ず

2005-09-29 17:51:48 | 改革狂騒曲
いよいよ道路4公団が民営化されます。この民営化については散々論じられてきましたが、わたしはどうも腑に落ちないことが多い。いや多過ぎる。何か裏があるように思えてなりません。そもそも道路4公団についてマスコミ等で流布されてきたイメージにはおかしなものが多過ぎる。「40兆円もの借金があって云々」というのがその代表例です。わたしも当初は「これは大変だ!」とおもっていました。しかしある日ふと目にした番組に出ていた人が「道路公団とは儲けるための組織ではなく、つまるところ借金を返すための組織であって借金があるのが当たり前」と言ったのを聞き目から鱗でした。なるほど、借金の額のみを殊更強調するのは公平ではないと感じたわけです。わたしはそれ以来、マスコミ等で流布される情報には眉につばを付けて接するようにして来ました。

思い起こせば、日本道路公団等の道路関係の特殊法人は税収の乏しかった時期に、戦後復興、経済発展のための道路建設促進を主たる目的として設立されたものだったように記憶します。道路は無料が原則であり、料金を徴収するのは例外だったはずです。しかし元々日本の社会インフラの整備は欧米先進国に比して相当遅れており、限られた国家財政の中でこの原則を維持すると道路建設は遅々として進まず、日本がこれら欧米先進諸国に対抗して高度成長を遂げる足枷となることは明白でした。高度成長期を支えるためには物流の大動脈となりつつあった道路の建設を積極的に推進することが欠かせなかったのです。そこで、道路公団等による大々的な道路建設が始まったわけです。したがって、道路公団等が有料で道路建設を行い料金を徴収することは、「復興、経済発展を維持する」という目的において許されるのが原則のはずです。

しかし、現在の道路建設は「過疎地にも道路を」といった具合に、「国土の均衡ある発展」という目的でなされています。「国土の均衡ある発展」のための道路であれば、原則に戻って税金で作り無料で通行できるようにするべきです。仮に通行料金を徴収するにせよそれは維持管理費相当額に限られるべきです。「復興、経済発展の維持」という道路公団等の有料道路建設の本来の目的からすれば、そうすべきです。そう考えれば、少なくとも日本道路公団は既にその目的を達した公団であり、新規路線の着工は中止して借金を返済し次第清算し解散するのが筋ということになります。仮に道路公団が借金を返せないというのなら、それこそ国債を40兆円発行して完全国有化して無料解放すればいいのではないか。それが国民の利益にかなうのではないか。道路という公共財の性質上そうすることが筋ではないか。それを何故に民営化して半永久的に組織を存続させようとするのか、半永久的に通行料金を徴収し続ける枠組みに移行しようとするのか。どういう裏があるのでしょうか。疑いたくもなります。

民営化推進派はこう言うのでしょう。「民営化しない限り道路新規着工は止まらないし、道路公団は債務超過であってこのままでは国民負担は増えるばかりだ」とか何とかと。しかし当たり前ですが民営化はすべてを解決する「魔法の杖」ではありません。民営化するということは「特殊法人」から「営利社団法人」になるということです。「(建前にせよ)公益を追求する組織」から「私益(≒株主の利益)を追求する組織」に変わるということです。道路というのは本来誰もが利用できる公共財であり、無料で通行できるのが原則ということに異論は少ないでしょう。そういう公共財、しかも国民の負担の上に建設された国民の共有財産を民営化の名の下に株式会社化し、将来借金を返し終わった暁にも無料解放せず、株主の利益を追求する組織のものとすることは、短期的な国民負担は減るように見えてその実半永久的に国民負担を強いるものではないでしょうか。民営化しないと借金は返せないかの如き印象を政府やマスコミは振りまいていますが本当にそうなのか。民営化しないと新規路線着工は止められないという印象を振りまいているが本当にそうなのか。先ずそこが徹底的に問われねばならないし、仮に返せないとしても次ぎに株式会社化の是非が別途問題にならねばならないはずです。しかし、そういう検討はほとんど行われませんでした。

民営化推進派は道路族の抵抗で民営化は中途半端に終わり、新規着工を阻止できない枠組みになってしまったと言います。それは事実です。無駄を垂れ流す道路族(首魁=古賀誠=人権擁護法案推進派の首魁でもある)は成敗せねばなりません。しかし、自由民主主義を採用するからには社会の様々な利害の調整は原則として議員の立法行為によりなされねばなりません。そうであれば道路族そのものを全滅させるのは官僚主義に道を通じており健全ではありません。道路公団民営化が上下分離になったことを民営化推進派は非難します。確かに、財務省・国土交通省連合軍という「官の抵抗」でそういう結果になったのでしょうが、結果から見れば、日本国民の利益はギリギリのところで守られたようにわたしにはおもえます。なぜなら、国民の共有財産であり日本の公共財である道路資産は国有のまま残るからです。かなうことなら道路特定財源を道路公団等の借金返済につぎ込み返済し、株式売却前に無料解放してもらいたい。

わたしは、小泉改革の正体は、国民の負担の上に築かれた共有財産を、「特殊法人改革」や「小さな政府」というスローガンのもと、株式化して市場に放り込むことだとおもいます。早い話が明治末期の官有財産の払い下げのようなものです。当時も首尾よく官有財産の払い下げを受けた者は大儲けをしました。三菱などその典型でしょう。その当時は一から近代産業を育成する必要があったので、官有企業の払い下げはそれなりの合理性もあったようにおもいますが、現在行われようとしている払い下げに合理性はあるのでしょうか。国民の共有財産を株式市場に放り込み、株主の利益を追求する企業に変えてしまうには、そうすることの合理性が厳しく問われねばなりません。しかし、現在は「民営化=善」という、わたしに言わせれば幻想のもと、民営化の合理性をほとんど問われず、国民の共有財産がどんどん株式市場に放り込まれようとしています。本当にこれでいいのでしょうか。グローバル化が席巻する現在の市場における株式会社の行動原理は「株主利益の追求」です。そして現在の日米の株価の差を考えれば、米資は相当の安値で株式会社化された日本国民の共有財産を取得できるのです。もちろん村上ファンドや堀江のような連中も取得に走るでしょう。そうして株主になれた者が本来国民全体が受けるべき利益を山分けする結果となるのではないでしょうか。

すべての改革は株主様の利益に通ず。

小泉構造改革の目的と手段との関係

2005-09-28 17:34:32 | 改革狂騒曲
※高速道会社 「つくらない」覚悟を《アサヒ》

40兆円超の有利子負債を抱え、業者との談合による高額な工事費を払い、用地買収には不動産鑑定士協会が協力するなという通達を出すほどの高額の値段を呈示し、職員にはその仕事と比して相当高額な給料を払って来た日本道路公団をはじめとする道路関連の公社・公団は、郵政とは比較にならない、まさに「改革の本丸」でした。しかしこれについて小泉首相は郵政民営化のときのような「こだわり」(よく言えば「指導力」だけど実体は「独裁的手法」)をほとんど見せませんでした。その結果アサヒの言うように中途半端な改革に終わったことは記憶に新しいところです。

道路公団などに対して郵政事業は黒字で職員の給与水準は極めて低く政府に利益の半分を納め財政に貢献しています。少なくとも道路に比べれば比較にならないほど改革の必要性に乏しい。そもそも「構造改革」が特殊法人の無駄が作り出す不良債権、つまり「官の作り出す不良債権問題改革」だったことを考えれば、郵政と道路のいずれが「改革の本丸」かと問えば明らかに道路です。しかし現実は逆転しています。もちろん特殊法人の資金源を断つという「入口論」には説得力がありました。しかし特殊法人の財源が財投債に切り替わった今、「入口論」の説得力は大幅に後退しました。それなのに「入口論」をいつの間にか「小さな政府論」に変えて何が何でも郵政を民営化するというのです。

そもそも小泉首相の目的は、「構造改革」ではなく「郵政民営化」なのではないか、そういう疑念が湧いてきます。小泉首相にとっての「構造改革」は「郵政民営化」という目的を達成するための手段に過ぎないのではないかということです。「構造改革のために郵政民営化がある」のではなく「郵政民営化のために構造改革がある」のではないかということです。「郵政民営化」が実現できるならその手段は何だって構わないのです。そこに付け込んだのが財務省です。財務省は財投債への移行により財投問題は区切りが付いたと主張した上で、「郵政民営化」の理由を「小さな政府」という財務省に都合のいいものに切り替えっせたのです。小泉首相にしてみれば「郵政民営化」が実現できるならその手段は何でもいいのだから、この財務省の提案に飛びつかないはずはありません。最強の財務省と戦わずして「郵政民営化」が実現できるという小泉首相にとっては夢のような話だったからです。多くの国民はこの点を誤解し騙されているようにわたしはおもいます。では小泉首相の郵政に対しするひとかたならぬこだわりその淵源は何なのでしょうか。

そういえば昨日のアサヒ社説に『三十年来の念願だった郵政民営化の実現についに手をかけた首相』というくだりがありました。小泉首相の郵政民営化へのこだわりは当選当初に遡るということです。やはり最初の選挙で郵政票を得られず落選したことが郵政民営化のもともとの出発点だったと考えたほうが合点がいきます。小泉首相の脳内で「特殊法人改革」とは自分のキャリアに落選という傷をつけた郵政に復讐するための手段という位置づけだったに違いありません。道路と郵政を比較してみればそのように推論することが妥当です。

小泉首相は「官の作り出す不良債権問題」に関心があるのではなく「郵政民営化」にのみ関心があるのです。「郵政民営化」という目的を達成する手段として「構造改革」があるのです。小泉首相の考えがそのようなものであるから、郵政民営化後の展望はほとんどなく、いずれ後継者に丸投げするに違いありません。政府系金融機関の整理はこれまで「改革」を叫んできた行きがかり上政治日程に上げはしましたが、郵政民営化という目的が達成された以上それに最早それらはどうでもいいこと、小泉首相の言葉を引用すれば「大したことない」ということになるに違いありません。

小泉首相は無意識にせよ「公」である政治を「私」する不埒な輩と考えた方がよさそうです。

※道路公団民営化は中途半端な形になりましたが、わたしは上下一体による民営化という最悪の事態は回避できたと考えています。それについては後日。

所信表明演説

2005-09-27 17:54:38 | 改革狂騒曲
※小泉首相所信表明演説全文《岩手日報》

昨日国会で小泉首相の所信表明演説がおこなわれ、各紙ともそれを社説で取り上げています。主要5紙の評価は、小泉首相への評価が甘い順に、産経・讀賣・日経・アサヒ・毎日の順で(産経社説からは各紙へのリンクが貼ってあるので便利です)、この中でわたしが一読を勧めるのは毎日の社説(社説:小泉演説 「あと1年」は消化試合なのか)です。

この社説はこう書きます。

『郵政民営化がすべての改革の出発点というなら、残る諸課題を具体的にどうしたいのか、せめて方向性くらいは示すべきだった。』

「それを選挙の前に書いてくれよ!」とおもうのはわたしだけではないでしょう。

讀賣も、

『しかし、課題を示すだけで、具体的な内容には言及しなかった。今国会の会期が短く、実質的には「郵政国会」となるからだろう。』

『郵政民営化関連法案を成立させた後、何を優先し、どんな手順で実現をはかっていくのか。首相は国会審議の中で、具体的な道筋を説明すべきだ。』

と書き、郵政以外極めて抽象的な総論に終始したとの評価です。
これに対してポチ・サンケイは、

『首相が力点を置いたのは、公務員人件費などへの切り込みによる小さな政府の実現だ。「政府の規模を大胆に縮減する」とうたい、具体的には、国家公務員の給与体系を「民間の給与実態に合わせる」とし、定員の純減目標を設定すると明言した。』

と、積極的に評価しています。どちらの印象が正しいかは、冒頭に所信表明演説の全文へのリンクを貼っておいたので、自分で読み判断されることをお勧めします。十分もあれば十分読めます(シャレではありませんので念のため)。

わたしの読んでみての印象は、「郵政民営化」については具体的、「地方への税源委譲」と「公務員の定員と給与改革」については具体例を少々挙げた、「政府系金融機関改革」と「社会保障制度改革」については総論のみ、といったところでしょうか。

小泉首相はこの演説の中でこう述べています。

『改革を進めていく際、基本的な方針は支持されるのに、個別の具体論に入ると、既得権益の壁にぶつかり根強い反対に直面します。』(「郵政民営化と構造改革の加速」の冒頭部分)

もとよりわたしも「改革の基本方針」についてはほぼ賛成です。改革の機は熟しているとおもいます。しかし改革とは小泉首相が考えるものが常に正しいとは限りません。もちろんわたしの考えるものが正しいとも限らない。人間の力には常に限界があり容易に正解を知り得ないから議論するのです。小泉首相は自分に反対する勢力を『既得権の壁』と表現し切り捨てます。確かに『既得権の壁』は打破しなければなりません。しかし既得権からではない反対論も現実に多数あるわけです。ほとんど報道されないため大多数の国民にはそういう反対論は届いていませんが確かに存在し特別委員会でも散々問題になりました。小泉内閣はそういった問題点の指摘に真摯に答えていません。答える気がそもそもなかったのでしょう。その点は残念ながらこの演説でも一貫しています。一体誰のための改革なのでしょうか。

そのこととも多少関連しますが、小泉首相は「自分の言う郵政民営化」がすべて改革につながる本丸だと散々繰り返してきました。その割りに郵政民営化がほぼ確実視される今国会の演説に郵政民営化がどのようにすべての改革につながるのか説明すべきでした。しかし、それらについては総じて抽象的表現に終始しました。なぜか。

それは、小泉政権が郵政民営化以外の改革については、具体的なビジョンを全く持ち合わせていないからに相違ありません。少なくとも現政権下では手を付ける気がない、そういうことでしょう。選挙で「郵政民営化はすべての構造改革につながる改革の本丸だ!」と絶叫しましたが、それは全くのスローガンに過ぎず、すべての改革にどうつながるかは、良くて「これから考えます」と言ったところで、実際は「退陣するので考えるのは次の人」とおもっているのではないでしょうか。『演説自体、新年度予算編成を受けた来年1月の施政方針演説までのつなぎという位置づけなのだろう』《毎日》との見方もできますが、それは買いかぶりだとおもいます。郵政後が見ものです。

小泉主義者は「小泉首相はやってくれるはずだ」と漠然と信じている傾向が顕著です。それはB層と呼ばれた人たちだけではなく、それなりに教養をもった社会人でも同様です。そういった人たちに小泉改革を信頼する根拠を尋ねると、「以前の橋本派時代よりましだ」という風な反応が返ってくることが頗る多いわけです。確かに就任1年目や2年目ならともかく、4年もやっていれば小泉首相自身の中身がもっと冷静に客観的に問われるべきではないかとわたしはおもいます。そういえばわたしも昔は小泉首相に期待した時期もありました。とっくに覚めましたけど。

ところで、毎日は、

『首相は「任期満了まで4年間は衆院選はない」と語っているという。自分が退陣した後もしばらく自民・公明政権が続くということだろう。ならば来秋以降、後継者にどうつなげるか、その道筋をつけることも、選挙で圧倒的支持を受けた首相の責務のはずだ。』

と書いています。常識的に考えて、これだけ大勝すれば4年間選挙はないでしょう。でもそれはこの度の選挙のとき散々自民公明民主党が流布したことに反するはずです。だって総選挙は国民が『首相を選ぶ選挙』だったはずですよね。ならば、小泉退陣後に選挙も経ずに後継首相を決めるのは良くないはずです。特に、今回のような単一争点でなおかつ首相指名選挙だということを強調した選挙では。郵政民営化法案が成立し小泉首相が退陣する時にはもう一度解散すべきとおもいます。

そうそう、先の毎日社説はこう締めくくります。

『「来秋まで」と首相が手じまい日程を示していることが、かえって改革を実現していくうえで足かせになっているのではないか。このままでは、残る1年は消化試合になってしまわないか--。そんな懸念を抱かせた演説である。』

奥歯に物の挟まったような言い方です。分かってるけど書かないということが行間から滲み出ています。要するに小泉首相は郵政以外に興味がない。そういうことです。初出馬の時の落選の原因は郵便局が支援しなかったからであり、輝かしい自分のキャリアに傷をつけた郵便局の連中は許さない。小泉首相の三十年来の一念はかなうのでしょう。おめでとう。さっさと退陣してくれ・・・とおもったが撤回。ボロを国民の前に晒して影響力がなくなってから退陣するのがいい。小池百合子などを首相にして院政を敷くなどされたらたまらないからね。

米国から見た日本

2005-09-25 00:43:11 | 改革狂騒曲
他人の目に自分がどのように映るかを想像する力は人間関係構築の基本的要素です。わたしも日々その力を磨こうと切磋琢磨する夢を見るのですがなかなか現実のものとはなりません。

突然、なにゆえこのようなことを言い出したかというと先ごろの選挙が切っ掛けです。比較的身近な中年女性(既婚・子供も既婚)が「わたしも候補者にホリエモンがいれば入れるのに」と言ったのにおどろいたからです。彼女のダンナさんは中企業に勤める普通のサラリーマンで特別豊かな生活をしているわけではありません。日々慎ましやかに暮らしているごく普通の人です。わたしは彼女に聞きました。「あなたのような普通の人はホリエモンの目にどのように映ってるのか考えたことありますか?」と。彼女はきょとんとした顔をして「さあ」と言うばかりでした。

わたしが想像するに彼女のような人はホリエの目には「いくらでも代えのきく働き手」「頭の悪いバカで現代の奴隷階級のような連中」。そんなところではないでしょうか。端的に言えば収奪の対象であり物同様の存在に過ぎないはずです。「女のこころは金で買える」と言ったのは受け狙いというよりこの人物の本心ではないかとわたしは想像します。わたしはそのようなことをこの女性に申し上げました。それでも反応は鈍くわたしが何を言わんとするのかを分かりかねる様子でした。つくづく変な世の中だとおもいます。

で、今日のお題です。米国からわが日本国はどのように映るのでしょうか。この場合指導者層の目にどのように映るかが問題です。多分「沢山の貯蓄をもち、国民は欧米に比較すれば羊のようにおとなしく、物作りの技術力をもつ企業が多く、ユーラシア大陸を東に位置する戦力上重要拠点」。そんな感じではないでしょうか。米国は当然自らの国益のために行動しますからうかうかしていると米国は日本から自分の欲しいものをどんどん奪い去ってしまうでしょう。冷戦終了後10年を経てその流れは急であるようにわたしにはおもわれます。郵政民営化で貯蓄を、三角合併を可能にする商法の大改正で金と技術力を持ち去ろうとしているのではないかと懸念します。経済力と技術力を収奪された後に米国から見て残る日本の価値は安定的奴隷労働力の供給基地とその戦略的位置くらいかもしれません。そうならないように米国の目に映るであろう日本の姿にもう少し想像力を働かせるべきではなかろうかとおもう次第です。


小泉首相の未来

2005-09-24 11:14:54 | 改革狂騒曲
社説:政策金融改革 官僚にだまされず筋通せ《9/24毎日》

わたしなどは政策金融機関がどのような仕事を行っているかすらよく知らない身です。したがってその中身について云々することはできません。しかしこの社説はなかなか面白かった。この社説は最後にこう締めくくります。

『 詰まるところ、政治が官僚の省益を抑え込み、決断するしかない。小泉首相は長らく、大蔵族と言われてきた。首相就任後の政策運営でも、財務省を後ろ盾にしているように見える。
 それに対して、政府系金融機関の廃止・統合問題では財務省と戦わなければならない。その覚悟はできているのか。』

覚悟なんかしていないからボロが出て国民の支持を失いひいては権力を失う前にる前さっさと引退して院政でも敷く気ではないんでしょうか。少なくとも財務省と戦う気などはなっからないに違いありません。この社説の書き手は暗にそのことを匂わせておりなかなか良心的です。

国民は小泉首相の『族議員と戦う』とか『官と戦う』というイメージに熱狂していますが族議員を潰すことは国民の代表でもない官僚が世の中の利害調整の主役の座につくことに道を通じており極めて社会主義的であって自由民主主義国家にそぐわないとわたしはおもいます。自由民主主義国において社会の様々な利害の調整は原則として議員が法律の制定を通じて行うべきで官僚はそれを補助する存在です。

また『官と戦う』といいますがその本丸・大本営である財務省を後ろ盾にしていては官と本気で戦うことなど出来るわけがありません。小泉首相の目的は郵政民営化という積年の恨み?を晴らすことでありその限りで『官と戦う』に過ぎず財務省とことを構える気はさらさらないに違いありません。財務省を後ろ盾にしていることそして財務省が小泉改革に全くといっていいほど抵抗いていないことが何よりの証拠です。抵抗したのは霞ヶ関の二流官庁といわれた旧郵政省だけです。結果小泉首相が局長級二名を更迭しましたがその実体は財務省が郵政省というトカゲの尻尾を切ったということです。

これからも改革の掛け声の下表面上改革は進むに違いありません。官僚も国民の圧力をひしひしと感じているからです。しかしそれは財務省を中心とする霞ヶ関が主導して策定し小泉首相がお墨付きを与えたものになるはずです。官僚はこれまでの失策を糊塗し自らの権限の温存を目指すのはほとんど自明ですからこれから行われる改革は国民の真に望むものとは程遠いものになるに違いありません。

国民は小泉首相がいずれ財務省と戦う日が来ると信じているのかもしれませんがそれは儚い夢に終わることでしょう。小泉首相は来年あたりにさっさと首相の座から降りて国民の望む改革が進まない責任を後任の内閣に押し付けるはずです。そして国民の小泉再登板待望論を背景にして院政を継続するのです。小泉首相に現時点で院政を敷く気はないかもしれません。しかし権力の魅力から果たして逃れられるのかと言えば多分無理でしょう。

選挙総括Q&A(暫定版)

2005-09-20 17:31:49 | 改革狂騒曲
Q1 「郵政民営化法案に反対した連中は郵政民営化を公約に掲げた小泉氏を総裁に選んだのだから後になって反対するのは筋が通らないのではないか」

A. 「反対派の多くは郵政民営化そのものには反対していない。民営化の中身についての議論に小泉総理・総裁がほとんど応じなかったことがほとんどの議員の反対の理由となっている。」

Q2 「反対派は特定郵便局局長会などの郵政票などを守るために反対した族議員ばかりであり、そういう連中がごねるのを延々聞く必要はないのではないか」

A 「そういう理由で反対していた議員のほとんどは先の衆議院における採決の前に賛成派に寝返っている。なぜなら、小泉総理・総裁が解散と公認権をちらつかせて翻意を迫ったからである。郵政票に過度に義理立てして選挙で落選したら元も子もないからである。」

Q3 「党中央の決定に議員が従うことは当然であり、これに従わない議員を非公認・除名することは二大政党制の母国・英国でも行われていることである。落下傘候補も同様であって、これを非難されるいわれはない」

A「 英国では党員が従うべき党の決定は、慣習として成立した手続きに則った議論が前提となっている。これを欠く決定は当然ながら党員を拘束しないし、そもそもそのような決定は党の決定とは言わない。したがって、前提を無視して『英国でも行われていること』というのは、誤解である。」

Q4 「そうだとしても、一応、郵政民営化法案は、自民党内の手続きを履践して提出されたものではないのか」

A 「少なくとも、これまで自民党がその党の歴史として積み重ねてきた慣習的な手続きは無視している。自民党をぶっ壊すのが小泉流だからといって何をしてもいいということにはならない。ましてや、解散権と公認権をちらつかせて翻意を迫るなどということは、自由民主主義国の政党においてはあってはならないことである。」

Q5 「しかし、改革のためには、守旧派がごねるのを座視するわけにはいかないのではないか。議論しても決して変わろうとしない連中を相手に改革を遂行するには、このような手段も時に必要なのではないか」

A 「仮に目的が正しくとも、その手段についての吟味は必要である。特に我々が真に正しいことを事前に知りえない存在である以上、手続きにおける適正は改革の現場においてこそ重要なはずである。自由民主主義という制度は漸進主義であり、急進主義がよければ人民民主主義を採用するべきである」

Q6 「党内手続きに問題があるとしても、この度の選挙で小泉自民党は圧勝したのだから、この法案を通すことが民意であり、国民主権に合致するのではないか。」

A 「日本は代表民主制の国であり直接民主制の国ではないから、国民の意思通りにすることが必ずしも国民主権に合致するとは言えない。代表者の実質的な議論を通じて法案が決定されることを憲法は予定している(憲法学の通説)。また、郵政法案賛成派が反対派を議席で圧倒する結果となったが、それは選挙制度に起因することであり、今回の選挙で郵政民営化法案賛成派の得た得票と反対派の得た得票は拮抗している。仮に今回の選挙が国民投票だった場合、反対派が勝利していた可能性もある。再度議論が必要と考えるのが正当である。」

Q7 「では、改革は必要ないというのか。」

A 「改革=善ではない。改善と改悪がある。それを吟味するのが議会における実質的な討論である。議会における実質的討論に敗れたから国民に聞いてみるというのは、内閣・国会の職務放棄である。国民は実質的討議などしていないし、その内容を十分知らされてもいない。国民がよく知らないことについて意思表示させ、それによって国会議員の討論を封じるのは代表民主制を踏みにじるものである。日本国憲法のもとで改革を改善に結び付けるには、一見迂遠のようだが、人類が歴史的に獲得した知恵であり、わが憲法の採用する代表民主制の土俵の上で議論を戦わせるべきである。」

Q8 「郵政改革はすべての改革の本丸であるから、ここを突破口にすれば世の中は変わるし、それを多くの人が望んでいるのではないか。」

A 「郵政改革が改革の本丸だったのは、財投改革を前提とするからだ。しかしいつの間にか郵政改革と財投改革は切り離され、郵政改革は『民に出来ることは民に』、つまり『規制緩和』と『小さな政府を目指す』という話にすりかわっていた。そして『小さな政府を目指す』とは生存権保障(憲法25条)を減らすという話である。しかし、多くの国民は小泉改革をそういう意味での改革と未だに了解していない。多くの国民にとって小泉構造改革とは財投に代表される役人の無駄遣いを無くすことであるが、小泉内閣の推進する政策はそれと大きく異なっている。それが証拠に特殊法人への天下りの大元締めである財務省は全く抵抗していない。それどころか、小泉改革のシナリオは財務省が書いたようだ。胡散臭さ爆発である。」

Q9 「仮に、郵政民営化の目的が当初のものから変質したとしても、少子高齢化社会の到来を考えれば、『小さな政府を目指す』こと自体は正しいのではないか。」

A 「小泉改革のいう『小さな政府』がどのようなものを指すかが問題だ。日本国憲法は社会権条項を明文化しており、欧州型の社会民主主義的な制度を予定している。その枠内で『小さな政府を目指す』というのならば問題はない。しかし、憲法改正なしにこれを社会権条項を持たない米国憲法型に変化させるのは憲法違反の疑いが濃厚である。結局、現政府と官僚が年金破綻や財投の焦げ付き等の失政を誤魔化す為に、これからは『小さな政府』だと宣伝していると考えるのが妥当である。」

Q10 「しかし、JRやNTTなどの例を見れば、民営化の機運が盛り上がった今民営化しておくべきではないか。」

A 「JRは毎年兆単位の赤字を垂れ流していた上、過激な組合の問題があった。現在の郵政にそのような問題はない。また、NTTのようなバカ高い通信料金に類するような問題も現在の郵政にはない。国民の税金で営々と築き上げられてきた国民共有の財産を簡単に民営化するには慎重であるべきだ。民営化すれば本来国民が等しく受けるべき利益を一部の株主が山分けする事態が生じうる。仮に民営化が正しいとしても国有財産の払い下げである私有化は原則不可と考えるべき、すなわち政府が過半数の株式を保有するべきである。しかし、今回の郵政民営化法案は完全私有化を目指しており、歯止めはない。」


※他のポイントについてはここを参照

日本に自由民主主義を!

2005-09-12 21:06:03 | 改革狂騒曲
自民党が大勝し、郵政民営化法案可決のカウントダウンが始まりました。しかし、自由民主主義者は諦めてはならないのです。

今回の選挙で国民が判断したのは「郵政民営化是か非か」それだけです。民営化の中身に白紙委任を与えたわけではないのです。小泉自民党は極めて単純に「郵政民営化の是非を問うたに過ぎない」。このことは、非常に重要です。

そもそも、今回の選挙は、当初小泉首相が再三言っていたように、「自民党代議士等は郵政民営化をすると言ったわたしを総理・総裁に選んだのだから、民営化に反対するのはおかしい。そのことにつき国民に信を問う」という選挙だったはずです。ならば、排除されるべきは「郵政民営化絶対反対派」だけであって、「民営化の中身」の議論は続けて全く構わないはずです。

一部の者の指導に従い、議会は翼賛せよという人民民主主義には断固抵抗せねばなりません。