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鳥取県人権条例にアカピーはもちろん賛成

2005-11-05 00:00:00 | 人権擁護法案
人権擁護法案に大賛成するアカピーが鳥取県人権条例に賛成するのはごもっとも。アカピーにとっての人権関連法制の問題点は基本的には「マスメディア条項だけ」で、それさえ修正されるなら庶民のことは知ったことではないわけです。それどころか自分達の指導に従わないネット言論に苛立ってそいつらが潰されるなら大賛成という始末。それほど自分らの言論に自信がないのでしょう。自由競争には到底堪えられないわけです。「思想の自由市場」という古典的観念をアカピーはもう一度噛み締めるべきだとおもいます。自分らこそが「改革を拒否する聖域」「既得権益の牙城」となっていることにさっぱり気付いてないようです。

≪参考資料≫
※鳥取人権条例 きめ細かい救済に生かせ《アカピー》

小泉内閣改造

2005-10-31 14:30:37 | 人権擁護法案
政調会長には中川秀直が就くみたいです。中川といえばいわずと知れた人権擁護法推進派であり広島県の恥です。これは人権擁護法成立に向けての地ならしではないか、そう考えます。与謝野は創価の票で議員に返り咲いたという負い目があれどまだいくばくかの良心が残っていたように思いますが、中川にはそもそもの良心のかけららしきものもない。こんなものが政調会長に就けば人権擁護法案は自民党の党内手続きもそこそこにあっという間に了承されてしまうに違いありません。自民党の党内手続きで反対派が敗れれば委員会、本会議でそれを覆すのは極めて困難というか不可能です。民主は人権擁護法案に賛成議員が多いというのもありますが、自民党執行部が正式な党の決定を経たとして党議拘束をかければ自動的に成立してしまうからです。先の郵政選挙で自民党内の人権擁護法案反対派の主力は党を追い出されたり落選したりして最早党内にいません。そして執行部に逆らう者は政治的に抹殺される危険のある現在の自民党において、追い出された反対派に続く者が現在の自民党の中から出てくることはほとんど期待できません。危うし日本の自由。

【追記】
安倍晋三官房長官誕生だそうです。これで拉致関係にも少しは動きが出るかもしれません。人権擁護法案についても閣議の議事進行役なのだからそこで抵抗してもらいたいですね。

【再追記】
麻生太郎が外相に就任しました。これは個人的には驚きです。小泉首相はこういうところが上手いんですね。早速國代替施設で國問題が終息するのかと述べたとか。この方カトリックですが國には参拝きているようです。カトリックにはの政治家にはその他に山谷えり子参議院議員がいます。現在の日本カトリック教会は極左と親和性が強いのですが、伝統的カトリックはそうではないのです。例えば戦後國を焼き払えという意見に強硬に反対したのはカトリック神父だったといいます。

人権条例制定の流れを阻止しる!

2005-10-16 11:39:54 | 人権擁護法案
鳥取県の「とっちゃんぼうや知事」と議会がへんてこりんな条例を可決したもんだから、こころある日本人は大騒ぎです。古賀誠の地元・福岡県でも同様な条例が制定される予定があるとのこと。まこと事態は風雲急を告げています。

サヨク分子は地方に入り込みやりたい放題やってきましたが、いよいよその集大成をやらかそうと躍起になっているように感じられます。これらの条例は外国人参政権に向けての地ならしに違いありません。

鳥取県人権条例に対する主要紙の社説は以下の3本です。

※ 鳥取県人権条例 危うさ隠せぬ「人権」の分権《毎日》

※ 鳥取人権条例 擁護法案と同様問題多い《産経》

※ 鳥取人権条例 拙速な制定に追従すべきでない《讀賣》

人権擁護法案推進派のアサヒは当然の如く華麗にスルーしています。ここで人権擁護法の内容について世間の耳目を集めるのは得策ではないと判断しているからでしょう。黙ってそーっと法案を通過させて通ってしまえばこっちのもんとでも思っているんでしょうか。一方、社説に取り上げた3社は当然の如く揃って批判的スタンスで一致しています。当然です。特に毎日の社説は出色の出来です。是非ご一読ください。

ところで、この条例も当然「パリ原則」(関連エントリー参照)の流れから派生したものに違いありません。いかにも「パリ原則」は私人間の人権侵害防止を掲げていますが、その前提として公権力による人権侵害一般はより厳しく禁じられることがあるのは自明です。監獄・警察等の公権力による人権侵害の防止が私人間の人権侵害以上に重要なことは論を俟ちません。然るに、鳥取県人権条例は私人に厳しく公権力に甘いという構造になっています。本末転倒とはまさにこのことです。

しかし、わが日本においては人権の名の下に一般的に表現の自由に制約を課そうとする動きが急なのはどうしてなのか。欧米においても「パリ原則」に則り各国で「人権法」が制定されていますが、表現の自由を規制する内容のものは皆無のようです(外務省HPや人権フォーラム21のHPで確認できず)。当然です。表現の自由は少数者が言論により多数者に成り上がるみちを残すため必要だからです。人間は真理を知り得ずしかし政治は一定の結論を出さざるを得ない以上、結論それ自体が常に再検討の対象となるのは当然で、その手段として表現の自由を手厚く保障する必要があるからです。表現の自由の制限は人類の進歩の可能性それ自体を摘み取る可能性が高いのです。

鳥取県人権条例可決

2005-10-14 17:50:27 | 人権擁護法案
人権擁護法案制定への露払いとして鳥取県議会で人権条例が可決されました。鳥取は人口の最も少ない県であり、人権擁護法案の次ぎに外国人参政権を認める法案が成立した暁に、支那朝鮮はこの県を乗っ取る積りなんではないかと勘繰りたくなります。

この条例の最大の問題点も人権擁護法案と同じく、表現の自由を侵害する可能性が非常に高い点です。特に個人の表現内容に着目して制裁を課することが出来る点が問題です。

外務省のHPによれば、「パリ原則」に基づき各国で制定された主要法令の中で表現行為を対象とするものは、アパルトヘイトの残滓一掃に取り組む南アフリカなどに限られ、欧米諸国では例を見ません。

表現の自由は民主政の過程を正常に機能させる基盤です。そして、人権は法律からも守られねばなりません。これは憲法上の要請であると同時に人類が現在到達しえた原理原則でもあります。法律による人権保障という観念は堕落の挙句、個人の自由を法律で制約する方向に容易に転嫁することを我々は歴史から学んだはずです。

石破茂(鳥取1区)はまともな議員だと思ってきたけど、やっぱりおかしいのでしょうか。こやつは人権擁護法案にも賛成のようですし。どの議員がまともなのか、ますます分からなくなっているというのが日本国の現在です。

≪関連エントリー≫
※ 国内人権機構:ハンドブック
※ 人権擁護法案関連エントリー一覧

人権擁護法案・冬の陣

2005-09-30 17:58:59 | 人権擁護法案
小泉首相が来年の通常国会に人権擁護法案を提出することに意欲を示したという。公明党がことのほかこだわる法案であり予想されたことで驚きはない。しかし、「小選挙区は自民に、比例は公明党に」という、自ら主張する「政党本位の選挙」を否定するかの如きズブズブの選挙協力により、かつてないほど公明党と一体化した自民党、しかも、小泉首相に逆らう者がほぼ一掃された自民党にあって、圧倒的な権力を手にした小泉首相自身が明確に「人権擁護法成立を目指す」と表明したのだからただ事ではない。さらに、先の国会への提案を巡り自民党内で提案に反対した中核部隊の議員が先の選挙で、ある者は落選し(城内、衛藤、森岡)、またある者は党外に追いやられ(平沼、古屋、古川)た現在、先の国会の時と比較にならないくらい法案を巡る状況は厳しい。先の国会におけるマスコミの姿勢からしても産経を除く新聞・テレビ媒体は全く当てにならない。先の国会の会期中のほとんどの期間、産経以外の新聞・テレビ媒体は人権擁護法案提出を巡る動きを黙殺し、その成立に間接的に手を貸した(アサヒは積極賛成派)。もっとも、国会の会期末あたりからアサヒを除きこの法案の問題点を少しは書き始めているから、来年の提出へ向けてアサヒを除く新聞・テレビ媒体は人権擁護法の問題点を全く書かないわけにはいかないだろう。しかし、今回の郵政民営化に関する報道にも見られるように、それらの問題点の報道に「圧倒的なデマ」をかぶせることで、結局国民世論を人権擁護法賛成の方向へ誘導するのではないか。国民も一見耳障りの良い「人権擁護」という言葉に騙されて深く考えず賛成するのではないか。先の国会における人権擁護法案の提出騒動でも、また郵政民営化をめぐる選挙にせよ、そこで明らかになったのは、「ネットの波及力の限界」というより既存のメディアと比較した場合の「波及力のあまりの小ささ」だった。その小さな波及力でもって、大手マスメディアを従える小泉自民党の提案、策略に抗することができるのか。今の自民党議員に人権擁護法案の問題点を訴えて議員個人の理解を得たとしても、小泉首相が賛成し、党が賛成を指示する法案に反対できる議員がどれほどいるだろうか。返す返すも公明党と一体化した小泉自民党に3分の2を超える議席を与え、郵政以外の事項については白紙委任を与えるかの如き選択をしたわが同胞を恨む他ない。しかしその原因は、自由民主主義の基盤である情報の流通を担うマスメディアを、戦後我々が育てることができなかったことに帰着する。ネットというマスメディアを今度こそきちんと育てることが日本の自由民主主義の基礎を築くことにつながるに違いない。今回の人権擁護法をそのための切っ掛けとしなければならない。圧力団体の悪巧みを自由民主主義が返り討ちにしなければならない。そのためには、ネットでの情報を共有する人たちのネットワークを構築しなければならない。このネットワークはネット上のバーチャルなものが、顔の見える個人間のネットワークとリンクしなければ効果はない。ネット上で人権擁護法案の問題点にアクセスした個人個人の自覚が問われるのである。自分限りで問題点を認識しただけでは自由民主主義者の望む結果は得られないであろう。ネット内で活動しても限界著しい。先の国会において、先の総選挙において明白となったネットの限界から学ぶなら、なすべきことは明白だ。各人が得た情報を自分の個人的ネットワークに顔の見える形で流すことだ。ネットにアクセスできない人に出来る限り情報を流すことだ。問題点を的確に伝えられる短いフレーズをネット上で収集すべきだ。わたしも鋭意努力しようとおもう。人権擁護法案・夏の陣は我ら反対派の勝利に終わった。冬の陣は更に厳しい戦いが待っている。既に外堀は埋められた。各自更なる奮闘が求められるゆえんである。以上。(少しえらそげでスマン。でもこういうえらさおげな文章書くのって何やら快感ですわ。アブナイアブナイ。)

アサヒ以外は皆反対

2005-07-27 00:00:00 | 人権擁護法案
人権擁護法案にアサヒを除く主要紙は皆反対の姿勢を明確にしました(日経を除く)。特筆すべきは、毎日(や讀賣)が当初反対理由としていたメディア規制条項の他に、人権侵害の定義の曖昧さ、それにともなう人権委員会による人権侵害の危険を反対理由に挙げていることです。これはネット言論が主要紙の社説を動かしたと断言します。

当初、毎日や讀賣は人権擁護法案につき静観を決め込み、ようやく論評したかと思えばメディア条項がさも問題だといわんばかりの態度でした。これはメディア条項については他の団体も批判しているから、自分達だけが突出して批判したわけではないとの弁解を各方面(CBSといった圧力団体)に対してできるからだったのでしょう。

しかし、ネットの言論とそれに基づく行動(日比谷での集会等)の盛り上がりにより、ようやく多くの国民がこの法案への懸念を共有しているとの確証が得られたので、人権委員会による人権侵害の危険を報道し始めたに違いありません。このことは同時に、既成メディアは最早圧力団体の顔色を伺わなければ、思ったことも書けない状況にあることの証左でもあります。

今回の人権擁護法案はネットの威力をまざまざと見せ付けました。そして日本国に極めて甚大な悪影響を与える法案を一旦葬ることに成功しました。これが数年前だとどうなっていたことやら。空恐ろしいものがあります。神国?日本ここにあり。しかし神風のもととなったのが、アメリカの軍用技術だったインターネットというのも考えれば皮肉なことです。

身近な人権侵害

2005-07-25 00:00:00 | 人権擁護法案
わたしの近所の通学路は、歩道がなかったり、あっても凄く幅が狭いところが多いうえ、ガードレールもない場所が多い。踏み切りのところだけ幅が狭くなっていて、車と通学途中の子供、自転車に乗った人が渾然一体となっている場所も多く酷い状況です。これこそ人権侵害ではないかとおもいます。歩道もガードレールもない道路を通学中車に突っ込まれて亡くなったり重傷を負ったりする子供は毎年相当な多数に上ります。

人権人権とうるさい人は、生命の貴重さを説き子供の権利に敏感なのに、こういう身近な生命の危険や権利侵害に鈍感な人が多い。犯罪者や外国人の人権も結構だけど、こういうもう少し身近な人権の危機について、過激に活動してもらいたいと思うのはわたしだけではないでしょう。そういう対象について過激に活動するならわたしは断固支持します。

でも、そういう言ってみれば「日常」の中にある人権侵害を活動の対象にしても、サヨク活動家は面白くないんでしょうね。彼らは「非日常」の中での高揚感を味わいたいのでしょうから。身近な子供の人権ではなく、「子供の権利条約」を曲解した非常識な運動に熱心になるのもそのためでしょう。そういえば、昔イラクで拘束された高遠菜穂子もそういう類の方でしたね。

法律からの人権保障

2005-05-31 00:00:00 | 人権擁護法案
人権擁護法案の最大の問題点は、言うまでもなく、その法律による人権侵害の危険です。この法案を推進している連中の言い分は、要するに「法律による人権保障」ということです。しかし、それより上位の概念として「法律からの人権保障」というものがあります。すなわち、「法の支配」です。人権擁護法案にはこの「法律からの人権保障」という観念がすっぽり抜け落ちています。

「法の支配」の観念は英米法の中で発展したものです。しかし、それ以外の諸国でも、「形式的法治主義(*1)」のもとで起こった「法律による人権侵害(*2)」に対する反省から、第二次大戦後は多くの国で「法の支配」とほぼ同様の内容を持つ「実質的法治主義(*3)」に移行しました。我が国も戦前の「形式的法治主義」から「実質的法治主義」ないし「法の支配」へ移行しました。このことは日本国憲法の「違憲審査権(81条)」や「憲法の最高法規性(96条)」等に現れています。
 (*1)形式的法治主義=議会の制定した法律の内容を問わない法治主義
 (*2)その例として、改正・治安維持法とその運用など
 (*3)実質的法治主義=議会の制定した法律の内容の合理性を要求する法治主義

人権擁護法案騒動で明確になったことは、我が国における「法の支配」の観念の未熟です。その未熟に乗じてパリ原則を曲解した「人権擁護法案」なるものが提出されそうになるのです。もちろん我が国における「法の支配」の観念は外国から戦後移植したものですから、それを日本民族が自分のものとして位置づけるのには時間がかかります。日本の文化とのすり合わせが必要なのです。ですから、根付くまでの間は特に不埒な輩への監視が必要となります。

人権擁護法案推進派は、日本に「法の支配」の観念が根付いていないことをいいことに、昔懐かし「形式的法治主義」の法案を提出している不埒な輩です。こういうときに普段から知識人を気取っているマスコミは、その問題点をしっかり報道して日本に「法の支配」が根付くように庶民を啓蒙しなければいけないはずなのに、あろうことかアサヒは一緒になって推進しているという始末ですし、毎日も(多分讀賣も)マスメディア条項が削除されればOKのようです。つまり、マスメディアに規制がかからなければ個人の発言者がどうなろうと知ったことではないということでしょう。

欧米でどのような制度が出来ているかというと、緩やかながらマスメディア規制は存在するのに対して、個人の情報発信者をその言論ゆえに人権委員会が規制しているところはほとんどありません。つまり、欧米では「表現の自由」に対する公権力による規制を原則許しませんが、社会権力であるマスメディアについては例外的に規制を設ける場合があるということです。しかし、その場合も政府組織による規制ではなく自主規制的なものにとどめるのが一般です。つまり日本のマスメディアは自分に都合のいい外国の例のみを報道し、欧米で個人の情報発信者はマスメディアより保護されていることをほとんど報道していないということです。

日本のマスメディアは産経を除き軒並みサヨクで、サヨクはご都合主義者ということがこういうところにもよく現れています。

国内人権機構:人権の促進と擁護のための国内機構の設立と強化に関するハンドブック 5(まとめ)

2005-05-24 00:00:00 | 人権擁護法案
※「国内人権機構:人権の促進と擁護のための国内機構の設立と強化に関するハンドブック」について《外務省HP》

※「諸外国の国内人権機構等一覧」《外務省HP》

※「各国の国内人権機関の設置状況一覧」《人権フォーラム21HP》

※人権擁護法案《法務省HP》

※「ハンドブック」を読み、「一覧」を見ながら、各国の「国内人権機構」につき気付いたことを箇条書きにしてみます。

1.「国内人権機構」が私人間の個別的な人権侵害事案を扱うかどうか
個別的な人権侵害事案に対して「国内人権機構」が関与することにつき、英米法の諸国は比較的積極的だが、欧州大陸諸国は消極的です。例えば、フランスの「国家人権諮問委員会」は個別の人権侵害事案をそもそも扱いません。また、ドイツには「国内人権機構」自体が未設置のようです。

2.「国内人権機構」が私人間の個別的な人権侵害事案を扱う場合、その対象は何か
「国内人権機構」が個別の人権侵害事案を扱う権限を与えられている場合、一定の強制権限や司法手続きへ参加する権限が付与されるのが一般です。ただし、それらの権限が付与されている事案は、雇用や住宅、商取引等の「経済的自由権」に関する事案などに限られ、表現の自由を中核とする「精神的自由権」に直接関わらないように配慮されています。また、アメリカの「司法省コミュニティー・リレーションズ・サービス」のように「人種差別等に基づく社会的紛争」といったある程度広い事項を扱う権限が与えられている場合は、強制調査権限や司法参加権限自体を付与しないようです。

3.強制権限は認められる場合、その行使方法
「国内人権機構」が強制権限を行使する場合、裁判所の令状を必要とすることが原則となります。それは「法の支配」=「法律からの人権保障」の観点からは当然のことです。ただし、私人間の力関係が非対等の場合は、「国内人権機構」自身に一定の強制権限が与えられる場合はあります。これは「社会権」=「実質的平等」を迅速に実現するため「国内人権機構」に認められる権能ですから、私人間の力関係が非対等であることが強制権限の根拠になります。したがって、私人間の力関係が対等の場合は、法治国家の原則に戻って、裁判所を通じて強制することになります。

※要するに、私人間の人権侵害に対する「国内人権機構」による強制権限についての国際標準をまとめると以下のようになります。鍵になるのは、「表現の自由にかかわるか」、及び、「私人間の力関係が対等か非対等か」です。

ア.表現の自由を中核とする精神的自由権→調査対象にすること自体が原則不可。強制は裁判所を通じても不可。

イ.経済的自由権や教育を受ける権利等の社会権→調査対象になるし、強制権限行使もできる。ただし、強制権限の行使には原則として裁判所の令状を必要とする。例外的に、私人間の力関係が非対等の場合は、令状なしでも強制可。

※以上のことから、「人権擁護法案」の問題点を、簡単に列挙します。

(a)「人権擁護法案」は私人間の個別的な人権侵害事案を扱う権限を「人権委員会」に与えています。これは主に英米法系の諸国に見られることで、問題はありません。しかし、その対象が「表現の自由」に関する事項に及んでおり、これは外務省の一覧を見る限り、他国にほとんど例を見ないものです。

(b)しかも、「人権擁護法案」によれば、「人権委員会」は「表現の自由」に関する事項についてまで、強制調査権限や司法手続きへの参加権限などが与えられており、これまた他国にはほとんど例を見ないものです。

(c)さらに、強制権限を行使する場合、「経済的自由権」についてすら裁判所の令状を必要とすることが多くの国で原則とされているにも関わらず、「人権擁護法案」によれば、「表現の自由」についてすら裁判所の令状を不要としており、当然他国にはほとんど例を見ません。

国内人権機構:人権の促進と擁護のための国内機構の設立と強化に関するハンドブック 4

2005-05-23 00:00:00 | 人権擁護法案
※「国内人権機構:人権の促進と擁護のための国内機構の設立と強化に関するハンドブック」について《外務省HP》

※「諸外国の国内人権機構等一覧」《外務省HP》

※「各国の国内人権機関の設置状況一覧」《人権フォーラム21HP》

※人権擁護法案《法務省HP》

3  職権による調査
  (1)  職権調査のための問題の選択
  (2)  職権調査の実施
  (3)  職権調査の事後処理
4  司法手続への参加

※3の「職権調査」は、当事者の申立に基づかず、「人権委員会」が独自に調査を開始することをいいます。「職権調査」権限は、「人権委員会」が「議会・政府等への勧告等を行う」という目的を遂行する上で必要な権限なので、これ自体に問題はありません。ただ、私人間の個別的救済に「職権調査」を発動されると、「人権委員会」という公権力が、恣意的に個人間の争いに介入することにより、自由な社会の基盤である私的自治を大幅に害することつながりかねないので、原則許されないと考えるべきです。諸外国の国内人権機関にはそのような権限がほとんど認められていないようですが、それは当然でしょう(外務省HP「一覧」)。
※然るに、「人権擁護法案」では、職権で(申立なしに)救済手続きの開始が認められており(同法案39条)、調査手続きとして強制権限を発動(同法案41条以下)できることになっています。前出の外務省HPの「一覧」によれば、職権調査が認められている国は、韓国(「一覧」では法案審議中とある)、フィリピン、インドくらいです。もっとも、職権調査を認めなくても誰かが申立てをすれば調査できるのは当然なので、この点は余り重要ではないかもしれません。
※4の「司法手続きへの参加」は、私人間における個別的救済の形態の一つとして、個別救済を扱う諸国の「国内人権機構」にほぼ認められる権限のようです(前出外務省HP「一覧」)。「司法手続きへの参加」には、当事者の提起した訴訟ににつき、「国内人権機構」が助言をするにとどまるものから、「国内人権機構」自身が訴訟を提起するものまで様々です。この点、「人権擁護法案」は、被害者の起こした訴訟に「人権委員会」が参加(民事訴訟法の補助参加)すること(同法案63条)、及び「人権委員会」による差別差止請求訴訟を認めています(同法案65条)。そういう権限自体に問題はありません。しかし、対象の絞り方に問題があります。
※諸外国の例をよく見れば分かりますが(外務省HPの「一覧」参照)、「国内人権機構」が司法手続きに参加するのは、基本的に「経済的自由権」が問題となる事案においてであり、表現の自由を中核とする「精神的自由権」が問題となる事案に関しては、そもそも司法手続きへの参加は許されていないようです。これは表現の自由の価値からすれば当然です。そして、この場合の表現はマスメディアだけの問題ではないことに注意が必要です。否、むしろ、マスメディアには、緩やかにではあれ規制がかけられている例はあります(ただし、国家機関ではなく民間の自主規制組織方式)。それに対して、個人の表現に対する規制は、少なくとも外務省の「一覧」からは確認できませんでした(外務省は「一覧」を「網羅的なものではない」と断っていますが、主要国については押えられていますから、十分参考になります)(南アフリカについては後の方で書きます)。
※「一覧」から例を挙げます。アメリカの「公民権法」の取り扱う対象は「人種,皮膚の色,出身国,性別,宗教,年齢,障害等に基づく,雇用,教育,住宅,公共施設,信用,投票における差別等」となっており、このうち「雇用、住宅、信用」は明らかに「経済的自由権」に関するものです。そして、他の「教育、公共施設、投票」も、基本的に「表現の自由」とは直接的に関係ないといっていいでしょう。「一覧」の中で、「国内人権訴機構」が訟援助等を行う権限が与えられている他の例を見ても、雇用、住宅、信用などが主眼に置かれていることは明らかで、表現の自由に影響がないよう配慮していることが窺えます(アメリカ、英国、カナダ、オランダ等々) 。然るに、「人権擁護法案」は、訴訟援助等の対象を「経済的自由権」や教育、施設利用等に限定しておらず、「表現の自由」に対する配慮が著しく欠落した、欠陥法案です。以下説明します。
※「人権擁護法案」における「人権委員会」は45条の定義する「特別人権侵害」について、訴訟参加ができるようになっています。では、「特別人権侵害」とは何かというと、42条1項に規定すると書いてあります。それで、42条1項を見ると1号から5号まで掲げられており、そのうち第1号ないし第2号は3条1項を見ろと書いてあります。そうして、ようやく「特別人権侵害」の中身が分かるという仕組みです。難解です。まあ、こういう条文の構成は商法などではよくあることですが、国民にとって極めて関係の深い法案の書き方としてはいかがなものかと考えます。普通の人はそこまで読みませんから。本題に戻って、「特別人権侵害」には、「特定の者に対し、その者の有する人種等の属性を理由としてする侮辱、嫌がらせその他の不当な差別的言動」(同法案3条1項2号イ)のうち「 相手方を畏怖させ、困惑させ、又は著しく不快にさせるもの」(同法案42条1項2号イ)が含まれることになります。つまり「人権委員会」が「不快にさせる差別的言動」と認定すれば、訴訟に参加することができてしまうのです。このような表現行為を理由とする私人間の争いに「国内人権機構」が一方の側に立って訴訟に関与することは、他国ではほとんど例をみないのではないでしょうか。少なくとも外務省作成の「一覧」からは確認できません
※更に、「人権擁護法案」によれば、「人権委員会」は「差別助長行為等の差止め等」(同法案64条以下)ができることになっており、具体的には差止請求訴訟を独自に提起できることになっています(同法案65条)。しかも、その対象は「特定の者に対し、その者の有する人種等の属性を理由としてする侮辱、嫌がらせその他の不当な差別的言動」(同法案3条2項1号)であって、「これを放置すれば当該不当な差別的取扱いをすることを助長し、又は誘発するおそれがあることが明らかであるもの」(同法案43条1号)に及びます。つまり、「人権委員会」が「差別を助長・誘発するおそれが【明らかに】あると判断した言動」については、差止請求訴訟を独断で起こせるということです。もちろん、このような対象についてまで、「国内人権機構」に訴訟提起の権能を認める国はほとんどありません。強いて挙げれば、アパルトヘイト克服に取り組む南アフリカではもしかしたらそういう権限が与えられているかもしれない、というくらいのものです(前出外務省HP「一覧」参照)。こういう点からも、「人権擁護法案」に「表現の自由」に対する配慮が著しく欠けていることは明白です
※サヨク推進派は【明らかに】という限定があるからというのでしょうが、そうは問屋が卸しません。サヨクの大好きな論法でいけば、第一に「他国にほとんど類を見ない言論統制」ということで、それだけでダメ出しでしょうし、第二に「表現の自由」を軽視する点で論外ということになるはずです。しかし、多くのサヨクはご都合主義者ですから、そういう矛盾には無頓着です。自分の言動を客観視する能力に欠ける嫌いがある、頭でっかちの主観主義者と言ってもいいかもしれません。もっと言えば、サヨクは「多様な価値観」という言葉が大好きな割には、その背後にある「自由主義」というものが全然分かっていないようにわたしはおもいます。
※更に「強制力のある調停」(同法案45条以下)についてもほぼ同様の問題があることを指摘しておきます。(続く)

国内人権機構:人権の促進と擁護のための国内機構の設立と強化に関するハンドブック3

2005-05-22 00:00:00 | 人権擁護法案
※「国内人権機構:人権の促進と擁護のための国内機構の設立と強化に関するハンドブック」について《外務省HP》

※「諸外国の国内人権機構等一覧」《外務省HP》

※「各国の国内人権機関の設置状況一覧」《人権フォーラム21HP》

ハンドブックの続きです。
(5)  侵害に対する救済
    (a)  勧告権限
      ・  勧告は,政府機関や公務員,私人や私的団体に対してなされる
      ・  国内機構は,人権侵害を防止し,減少させる措置を講ずべきこと,慣行・手続を変更すること,謝罪,損害賠償あるいはその他の救済手続を提案できる。
    (b)  付託権限
    (c)  決定権限
       侵害前の状態に回復不可能の場合は,公けの謝罪又は損害賠償や補償の支払を命じることも救済手法とすることができる。
    (d)  強制命令権限
    (e)  決定の公表
※「人権委員会」が、個別の事案に介入することを認める場合、一定の拘束力のある決定をなしうる権能が必要となります。上記はそれを定めています。
※拘束力ある決定は、法律で明記された分野に限ってなしうることは言うまでもありません。ちなみに、「人権フォーラム21」は、人権擁護法案が救済の対象から労働問題などを除外するのがおかしいと言っています。しかし、「国内人権機構:人権の促進と擁護のための国内機構の設立と強化に関するハンドブック」(以下「ハンドブック」と略す)が他の国家機関との権限の重複を避けろと明記していることから分かるように(「ハンドブック」第2部3)、対象を絞らない方が国際的に見ればおかしいのです。このことからも端的に窺えるように、「人権フォーラム21」はすべての人権侵害問題に関する権限を「人権委員会」に集めることを目指しているようです。しかし、言うまでもなく、これは危険です。自由な国家の基本は、権力の抑制均衡にあるからです。一箇所、特に行政権に権限を集めるのが危険なことは、人類の歴史が教えるところです。それは人権保障にあっても同様のはずで、「人権委員会」は行政機関であることは疑いようがありません。サヨクは歴史に学ばないということが、こういうところにも現れています。
※「ハンドブック」の検討に入ります。(a)を読めば、私人間の人権侵害事案にも「人権委員会」が介入できることを再度確認できます。ただし、通説的な憲法論からすれば、ここでいう「私人」は社会的影響力が一定程度以上のものを指すということになるはずです。「国家権力類似の社会権力からの人権保障」が、現在この分野における人権保障の主要テーマであり、私人間に憲法の人権条項を直接適用する(に等しい)ことについては、消極的な考え方が一般だからです(極左を除く)。つまり、私人間に人権規定の効力を直接的に及ぼす場合のポイントは「力関係が対等か非対等か」ということになります。
※アメリカなどの他国で、「人権委員会」を通じて私人間の個別的人権侵害事案に国家が介入するのは、例えば「雇用機会均等」に関する事案など、「力関係が非対等な私人間」における人権侵害に限られるのが一般なのも、そういう事情からです。一足飛びに私人間における人権侵害一般について、憲法の人権規定を適用することには慎重なのです。なぜか。それは、私的自治が自由な社会の基礎にあるという観念が強固にあるからです。そういう観念の薄い日本で、サヨクが人権擁護法案を通そうと蠢くのは、ある意味当然かもしれません。
※更に、アメリカの例を追加します。アメリカの「公民権法」を執行する米国司法省公民権局は、犯罪捜査の場合は通常の司法手続きを経て強制権限を行使しますが、民事(行政)手続きで強制権限の行使は認められていません。他の人権機関も同様です(前出外務省HPの「一覧」の一番上)。これは、「表現の自由」の保障と関係があります。司法抑制を経ない行政権による強制手続きは、「表現の自由」に対する萎縮効果を生じるおそれが強いからです。表現の自由を中核とする精神的自由権の強力に保護するという「二重の基準論」が採用される米国連邦最高裁で、行政権による司法抑制(令状)なしの強制権限は違憲とされる可能性が高いからです。
※(b)の付託権限とは、他の国家機関に移送することです。
※(c)については、アメリカの「雇用機会均等委員会」(前出の外務省HPの「一覧」の上から三番目)の例にあるように、一般的に行われている救済手段のようです。ただし、あくまで「力関係が非対等な私人間の事案」に主眼が置かれていることに注目しておく必要があります。一方、人種問題などでは、必ずしも力関係が非対等でなくとも委員会が介入するようです。しかし、この場合、強制権限の行使には裁判所の令状が必要とされています。結局アメリカの制度は、力関係が非対等な場合は委員会に一定の強制権限が付与されるが、必ずしも非対等でない場合は、法治国家の原則に返って裁判所を通じて強制するということのようです。
※また、英国やカナダでは、私人間における力関係が対等・非対等を問わず、強制権限を行使する場合は、法治国家の原則通り裁判所を通じなければならないようです。やはり、裁判所を通じない強制権限の行使は「表現の自由」との関係で問題だと認識されているからだとわたしは推測します。
※以上、個別救済にどちらかと言えば積極的な英米法系の国々の強制権限に関する状況を概観しました。欧州大陸法系の諸国は概して個別救済には消極的ですから(フランスは個別救済を認めないし、ドイツにはパリ原則に基づく機関がないらしい)、いわずもがなです。これを日本の「人権擁護法案」と比べると、いかに日本の状況が異常かが分かるかと思います。まさに「人権後進国」です。
※なお念のため、わたしは、日本の監獄をはじめとする刑事司法のあり方は改善する必要があると考えていることを付言しておきます。
※(d)(e)に関しては重複となるので省略します。(続く)

国内人権機構:人権の促進と擁護のための国内機構の設立と強化に関するハンドブック2

2005-05-21 00:00:00 | 人権擁護法案
※「国内人権機構:人権の促進と擁護のための国内機構の設立と強化に関するハンドブック」について《外務省HP》

※「諸外国の国内人権機構等一覧」《外務省HP》

※「各国の国内人権機関の設置状況一覧」《人権フォーラム21HP》

(4)  調査の実施
  (a)  調査権限
      ・  効果的な調査を行うためには,国内機構は,訓練されたスタッフや十分な財政的補償を含んだ,自由に使える一定の人的・物的資源を有しなくてはならない。
    ・  いかなる状況においても,国内機構は,当該申立てが事実か否か,そうだとすれば誰に責任があるのかについて明らかにする法的能力が与えられなくてはならない。
※問題はこの「法的能力」です。どこまでの権限を与えるのか。外務省HPの「諸外国の国内人権機構等一覧」によれば、英米法系の諸国では、強制権限を付与する場合、提出命令及びその違反に罰則を科すにとどめ、立ち入り権限を与えず、しかも、強制権限を行使する場合は裁判所の令状を必要とするというかたちで定めることが多いようです。一方、欧州大陸法系の諸国では、例えばフランスは個別の人権救済事案には扱わないようですし、ドイツには未だこの種の機関が設置されていないようで、概して「人権委員会」による個別救済には消極的のようです
※その辺りは人権フォーラム21のHPでも確認できます。この表の「反差別法・根拠法など」という項目を見ればわかりますが、「個別救済」を認める英米法諸国にあっても、「人権委員会」の扱うものは人種差別関係の法律などに限られ制限的です。
※これに対して、日本の「人権擁護法案」では、「人権侵害一般」につき「人権委員会」に令状なしの立ち入り権限を認め、2万人の人権擁護委員を置き、地域社会での個別の人権侵害に対して積極的に介入することとしています。外務省作成の一覧を見る限り、パリ原則に基づき「人権委員会」を設置して諸国では、パリ原則の原則通り「議会・政府への勧告」が「人権委員会」の中心的責務となっているようです。日本の「人権擁護法案」がパリ原則本来の姿から相当距離のあるものになっていることが、このことからもわかります。
※人権フォーラム21のHPはなかなか有用です。なぜなら、彼らは自分達に有利な情報は網羅して掲載しているはずだからです。彼らのHPを見ていて、ドイツではいまだ「人権委員会」のようなものは設置されていないのだろうとわかりますし、スペインはじめ他の欧州諸国でもまだ設置されていない国が多いらしいこともわかります。また、「人権擁護法案」のような立ち入り権限まで認める「人権委員会」がインド等を除いて他に類を見ないこともわかります。もし、そういう強力な「人権委員会」の例が他国にあるなら積極的に彼らのHPに載せているはずだからです。彼らのHPに載っていないところから、そのような国はほとんどないことがわかるのです。(続く)

国内人権機構:人権の促進と擁護のための国内機構の設立と強化に関するハンドブック1

2005-05-20 00:00:00 | 人権擁護法案
※「国内人権機構:人権の促進と擁護のための国内機構の設立と強化に関するハンドブック」について《外務省HP》

※「諸外国の国内人権機構等一覧」《外務省HP》

外務省のHPに概略が掲載されていたので、これを使って考えて見ます。
パリ原則は条約なので、批准した国を法的に拘束します。それに対して、ハンドブックには法的拘束力はありません。ただし、同種の国連文書の解釈指針となるものです。したがって、このハンドブックはパリ原則に対する国連の考える解釈の指針となるものということになります。
なぜこのようなハンドブックが必要となるか。条約はそれに批准し法的拘束を受ける国それぞれの事情から、概括的なことを定めるにとどめざるを得ません。そうでなければ、せっかく条約を作っても批准する国が少なくなり、条約の目的達成にとって却って障害となるからです。したがって、法的拘束力を生じる条約では概括的な内容を定めるにとどめ、拘束力のないハンドブックで詳細な内容を呈示し、条約に加盟した国々は条約に定められた内容を基本として、各国の事情に応じてハンドブックの内容を付け加えていくというということとなっています。

このハンドブックは、第5部で「人権侵害の申立てに対する調査の任務」と題して、「人権委員会」の行う調査権限に関して言及しています。抜粋しつつ考えます。
2  申立てに対する調査
  (1)  申立制度の重要性
  ・  市民の権利が十分に擁護されるための補充的なメカニズム
  ・  「補充性」とは,国内機構の申立事件処理機能が,司法手続や他の制度化された手続では提供できないものを提供できるべきだという意味を含む
※ここにおける「補充的」意味の定義から、個別的人権侵害事案につき、他の手段による適切な救済が得られない場合に、「人権委員会」が介入するよう国内法を定めることができることになります。

 (2)  申立制度の確立
  (a)  どのような申立てが調査の対象とされるべきか
  ・  申立ての許容要件(申立ての相手方と申立事項の範囲)は,できる限り明確に定められるべき。
  ・  例えば,「人権侵害」を調査する権限という場合には,他の機構によって適切に扱うべき問題をも包含すると解されかねず,有用なことではない。
※当然、「人権委員会」の所掌事項は明確に定められなければなりません。これには二つの意味合いがあります。ひとつは、他の国家機関による干渉を排除するためには専権(もしくは優位)事項を明確化する必要があること。もうひとつは、「人権委員会」の暴走による人権侵害を防ぐ必要があることです。この点は、各国の事情に応じて、そのいずれに重きを置くかが決まってきます。インドなどの途上国の場合は前者に、欧米などでは後者に重きが置かれる場合も多いものと考えます。そのあたりは「諸外国の国内人権機構等一覧」からもうかがうことが出来ます。「人権委員会」に立ち入り権限を与えているのは、この一覧の中ではインドやスリランカだけののようですから。一方、フランスの「国家人権諮問委員会」は個別の人権救済事案自体を取り扱っていないようです。(続く)

パリ原則とやらを読んでみた5(まとめ)

2005-05-19 00:00:00 | 人権擁護法案
国内機構の地位に関する原則(パリ原則) 《外務省HP》

パリ原則英文版《国連人権高等弁務官事務所HP》

「国内人権機構:人権の促進と擁護のための国内機構の設立と強化に関するハンドブック」について《外務省HP》

パリ原則を読んでみてわかったことを箇条書きにしてみます。
1.「国内機構」=「人権委員会」の任務は、原則として、「議会・政府等に対して勧告を行うこと」である(【権限及び責務】3(a))。つまり、「人権委員会」は法令等制度の改善を勧告することで多数派の支配する民主政のプロセスに働きかけ、それによって一般的な形で人権の救済を行うことが予定されているということです。
2.「人権委員会」に、個別の人権侵害事案を扱う権限を与えることもできる。しかし、その場合でも、議会・政府への働きかけにより法令の改善を通じて人権救済を行うことが「人権委員会」の原則的任務であることに鑑みれば、公平性に配慮しなければならない(【準司法的権限を有する委員会の地位に関する補充的な原則】本文)。つまり、「人権委員会」が個別の事案に介入するとしても、特定の事案に集中的に深入りするようなことがあってはならないということです。そういうことは、法令等の改善を通じてなされることが原則だからです。
3.「人権委員会」は「議会・政府等に対して勧告を行う」ために必要な範囲で「いかなる者からも聴取し,いかなる情報や文書をも入手する」ことができる(【活動の方法】(b))。パリ原則のどこを読んでも「人権委員会」が個別の事案に介入する場合に情報の入手等につき強制権限を持つとは書いてありません。「人権委員会」の情報入手等に関する強制権限は、あくまで「その活動の枠組みの中で」(【活動の方法】本文)与えられるものです。 そして、「その活動の枠組み」が個別的な事案を指すものではないことは明らかです。「人権」だから「拡大解釈してもいい」ということにはならないのは当然です
もっとも、個別の事案に強制権限を付与するべきという国連文書がないではありません。それは「国内人権機構:人権の促進と擁護のための国内機構の設立と強化に関するハンドブック」です。これについては、つぎに書きます。

「パリ原則」はそれ自体が直接国内通用力を持つ条約ではなく、国内法への変成手続きを必要とする条約です。そして、その手続きによって提案されたのがこの度の「人権擁護法案」ということになります。以上のような内容を持った「パリ原則」から、今回の「人権擁護法案」が生まれたことに奇異な感を受けざるを得ません。

パリ原則とやらを読んでみた4

2005-05-18 00:00:00 | 人権擁護法案
国内機構の地位に関する原則(パリ原則) 《外務省HP》

パリ原則英文版《国連人権高等弁務官事務所HP》

本原則中、最も問題を孕む章です。それは人権フォーラム21のHPが「人権擁護法案」中一番の問題点である「一般救済」「特別救済」をこの章との関連で位置づけていることからもわかります。

【準司法的権限を有する委員会の地位に関する補充的な原則】
 国内機構に対しては,個別の情況に関する申立てないし申請を審理し,検討する権限を与えることができる。国内機構の扱う事件は,個人,個人の代理人,第三者,NGO,労働組合の連合会及びその他の代表制組織が持ち込むことができる。この場合,機構に委ねられた機能は,委員会の他の権限に関する上記の原則を変更することなく,以下の原則に基づくことができる。
(a)  調停により,又は法に規定された制約の範囲内で,拘束力のある決定によって,また必要な場合には非公開で,友好的な解決を追求すること。
(b)  申請を行った当事者に対し,その者の権利,特に利用可能な救済を教示し,その利用を促進すること。
(c)  法に規程された制約の範囲内で,申立てないし申請を審理し,又はそれらを他の権限ある機関に付託すること。
(d)  特に,法律,規則,行政実務が,権利を主張するために申請を提出する人々が直面する困難を生じさせてきた場合には,特にそれらの修正や全面改正を提案することによって,権限ある機関に勧告を行うこと。

※パリ原則における「人権委員会」の第一次的任務は「議会・政府に対して勧告すること」です。したがって、個別の事案の解決に「人権委員会」が直接乗り出すことは原則できないことになっています。個別の事案に対して「人権委員会」がなしうるのは、原則として「議会・政府に対する勧告」のための情報収集することまでです。本章はその原則に対する例外をなします。すなわち、個別の事案につき「人権委員会」が乗り出すということです。
※本章は「補充的原則」であり、本章の権能を「人権委員会」に付与することを条約が求めているわけではありません(現にフランスでは認められていない)。本章の権能を「人権委員会」に与えると決定した場合、その準拠すべき原則を示したというわけです。
※(b)ないし(d)に関しては、問題はないと思います。問題は(a)です。これが公権力による人権侵害について適用される限りは全く問題ありません。しかし、条文上何の留保もないということは、私人間における人権侵害を禁ずる法律がある限り、「人権委員会」がその法律の執行として、拘束力のある決定等を行うことが出来るということです。この条項に基づき「人権擁護法案」では人権侵害一般を禁じておいて、その執行として、「一般救済」「特別救済」を規定しているのです。
※ただ、これらの権限は「人権委員会の職権行使の原則」、すなわち「議会・政府の対する勧告をおこなう」という目的を「変更することなく」おこなわれなければなりません。すなわち、特定の事案につき不公平に介入することはあってはならないということです。あくまで「人権委員会」の権限行使は議会・政府に対する勧告を通じて、法令等の改善によりなされる、すなわち、「一般性」のある形で実現されることが予定されているからです。
※この部分に関して人権フォーラム21のHPは意図的?な誤訳を掲げているようにわたしにはおもえます。彼らのHPによると本章の本文は以下のように翻訳されています
 国内人権機関は、個人の状況に関する苦情や申立を聴聞および検討する権限をもつことができる。個人、その代理人、第三者、NGO、労働組合連合またはその他の代表組織は事案を国内人権機関に提起できる。かかる場合には、委員会の他の権限に関する上記の原則にかかわらず、国内人権機関の機能は以下の原則に基づくものとすることができる。
外務省訳との一番の違いは「上記の原則にかかわらず」という部分です。これでは、「人権委員会」の第一の職責である「議会・政府に対して勧告する」と無関係に、個別的な事案に乗り出すことが出来るように読めてしまいます。では原文はどうなっているかといえば、",and without prejudice to the principles stated above concerning the other powers of the commissions"となっており、",and without prejudice"の部分を「~にかかわらず」と訳したことがわかります。しかし、これは不正確です。文章の前後との関係で普通に訳せば「公平さを損なうことなく」くらいの意味となるはずですから。わざわざ"without prejudice"という表現を使ったのは、「人権委員会」の第一の任務が「議会・政府に対して勧告すること」を通じて法令等を改善し一般的な形で人権救済を図ることである以上、個別的な案件に首を突っ込むとしても、不公平があってはならないという点を強調するためだと考えるべきです。あくまで、法令等の改善勧告が「人権委員会」の第一次的な任務なのです。(続く)