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す ず な り

なかなか辿りつけない辺鄙なブログへようこそ... メールはIDのplinkに続けて@willcom.comです

歌って自転車通学

2007-10-12 00:25:59 | 音と動きと形
妹は学生時代に自転車で通学していました。実験を終え、途中通る物流の町は夜は暗く静まり、車が走るばかり。妹は合唱団に所属していたので歌いながら走っていたようです。

突然顔にばさばさっと当たったのは蝙蝠でした。妹は同じ超音波を含む声で歌っていたのでしょうか。蝙蝠の名折れは初耳でした。

いつも遅い時間に通るのを知って、妹を待ち伏せしていた男がいたらしく、突然自転車が倒されました。妹は叫びました。その日はたまたまアルコールが入っていたので特によく声が出たのだそうです。男は逃げ、妹は無事でした。そもそも遅い時間に帰るのがいけないのです。しかし合唱をやっていて本当に良かった。

まとまりとして認知する

2007-10-01 23:06:10 | 音と動きと形
短い時間に同じ音が幾つ鳴ったかを言うのはわりと得意です。かなり昔のことではありますが、マンドリン系の楽器でトレモロ奏法に慣れたことと少しばかりタップダンスを教わったことのおかげです。

楽器の演奏の拍の頭は大抵ダウンストロークで始まります。トレモロの音の数やタイミングは拍子に合わせるというわけでもありませんが、合いやすく、トレモロが終わって次の単独に鳴らす音があるとそれがほとんどの場合ダウンストロークなので、トレモロをアップストロークで終わらせる必要があります。そうして、演奏者にはダウンとアップでひとまとまり、あるいはそのひとまとまりが複数集まったまとまりとして感じやすくなります。

タップのステップは基本的には、足を床で打ちながら向こうに出すのと、打ちながら元の位置に引き戻す、そしてその足を床に置き一呼吸の通常偶数拍でひとまとまり。もちろんこれ以外あらゆるステップはあります。慣れると音を聴いただけでステップが浮かびます。私のような経験の浅い人はあまりバリエーションを持たず、慣れないパターンだととっさには出てこないのですが、ある程度の回数経験あるものなら聴いた後にステップで音を再現できます。パターンとしてまとまったひとつと捉えるのです。鳴った回数は現実かイメージの中でゆっくり再現しながら数えられます。

あるものを判断するのに、ひとまとまりをどれだけ種類を多くストックしているかが効率の鍵です。何も無かったら大変、しかし全部のパターンを記憶するのも大変。共通する形式をいかに素早く見抜き適用可能な範囲を判断するか。

色彩も音色もしぐさも、ある気分や感情などを表す決まったひとまとまりであり、その気分感情も状態の変化のパターンのまとまりです。人間はまとまりとして捉え始めたのがあまりに遠い昔、ほとんどは人間になる前だったので、まとまりとしてしか認知できなくなってしまっているのではないかと推測しています。分解すると違うものに感じられるので。それともいきなりまとまりから捉えたのでしょうか。

やや外側の次元に表れるのが、どこか幾つかのレベルでフラクタルに内包しているパターンだから認知できている、ということもあるかも知れないなと考えています。

ミャンマーの絵

2007-09-30 21:24:53 | 音と動きと形
テレビの画面が鮮明になって、するべきことがあるのに新日曜美術館は目が離せなくて困ります。
平山郁夫さんが仰っていました。

 絵は美しくあらねばならない。

私もずっとそう思っていました。

今から15年以上前、というのはパソコン通信で書いた記憶があるからですが、美術館でアジアの現代絵画の展覧会を観た時にとにかく不快でした。展覧会からの帰り道があれほど嫌なことはありませんでした。

当時絵とは抗議の手段とするのが当然のような風潮がありました。今でもそうなのか、長らく美術館も行く回数が減りアジア絵画もほとんど観ないのでわかりませんが、外からやちらしなどではそうでもなくなって洗練されてきたような印象を受けます。

不満や汚さなどは芸術で表現するのはなくできるだけ正確に状況を言葉で表現してほしいものです。

そんな感情があるのかそれともテーマとして丁度いいやと拾っただけなのか抗議する作品だらけの中でひとつだけ、非常に好きな絵がありました。二人の老人夫婦の静かで愛情に満ちた平和な絵です。

抗議する風潮がまだ入ってきてなかったのか、仏教国とはそういう性格なのか、すれていなくてひたすら素直な作品は、ミャンマーの画家によるものでした。

生ごみがしっくりくる時代

2007-09-23 21:15:26 | 音と動きと形
すぐ近くで知らない女性三人がおしゃべりをしていました。滑舌がどうのという話題になって、一人が早口言葉を言い始めました。
「なまごみなまごめなまたまご」
生麦なんて今時思い浮かべることさえないし見かけない、生麦事件は遠い昔の事だし、身近なのは「ごみ」です。麦より「ごめ」に似ていてずっとおさまりがいい。だから言い易くなってしまい、早口言葉らしさは減りますが。

とんでもなくジャズピアノ

2007-09-16 23:48:12 | 音と動きと形
私が習い始めたのはジャズピアノです。音の法則を実感するのに手っ取り早いと思えたので。また、頭の鈍りを阻止したくて指を使いたくもありました。一応一年間の予定と言っています。ドラムも最初一年間のつもりがつい三年生になってしまいました。私にとってお稽古事は主に精神的コンディションを整える方法です。

ピアノ経験者が対象だったらしいのですが、先生が受け入れてくださいました。ということは基本的な弾き方から教えて貰えるんだなーと期待したらまるっきり。ジャズってまずは音さえ出りゃあでたらめで構わないのかな。

コード進行のテキストには空欄を埋める問題もあり、宿題になることもあります。
「じゃあこれは?」
「ベーフラットですね」
「はい。で、そうなるとここは」
「ななっ」
「これはジャズですから。折角ジャズやってるんですから、セブンて言いましょうやセブンて」

ろくにおさらいもできてなくて、カラオケやメトロノーム、先生の音がどんどん流れて行く中でほとんど弾けません。ところどころ右手の単音が入れられる程度。初心者はまずは楽譜通りからなのですが、そうもいかなくて音を大幅に間引きしてしまいます。

やっぱりドラムをやっているだけにリズム感がいい、ノリがいいと、毎回そればっかり慰めに言ってくださいます。それしかないのです。打ちひしがれることはない、これは趣味なんだし、気楽にいこう。でも、あまりになさけない有様。そんならしっかりおさらいすりゃいいものを。先生も気楽にとおっしゃるし言葉はとにかく優しいんだけど、レッスンの進め方はスパルタ式というべき。

ところで私がテンポだけは自在に合わせられるのはこんなに年取って始めた年数浅いドラムのせいじゃありません。若い頃に低音パートを受け持って合奏ばっかりやっていたからです。ピアニストに理解できなくて当たり前なこと。受け持ち分野がその人の意識の持ち方をつくりあげます。

教わり始めて5回目のレッスンは曲の途中迷子になりかけたりしながら必死にミスタッチと抜けの多い片手の単音、たまにはもう片手もぽつーんと音を出して、出来にしょんぼりする隙も与えられないまま数回繰返し。

溜息つこうとする時に先生はとんでもない追い打ちをかけてこられました。来月の発表会みたいなのに、最初は出ませんかに近い言い方で話しはじめられたけれどそのうちに既に出ることが決まっているような言い方に変わっていました。

無理ですってば。聴きに行くのならいいです。私が弾くんじゃなくて。冗談かな。目標を思いっきり高くすると伸びるということか。ひとりじゃなくてほかの楽器といっしょにというのはまだ心強いけど。

まだひと月以上ありますから大丈夫って言われてもそれはもし本気だったらとんでもないことで私は必死に毎日練習するしかありません。

音楽と発酵

2007-09-06 04:40:48 | 音と動きと形
バロックや古典派はジュース、ロマン派・近代はお酒、現代はお酢だと私が書いたのは17年前。考えていたのはもう少し前からです。その後これを5年に1度ほど思い出しています。何を何に例えたのか、今もはっきり言えないままです。

タッチタイピング

2007-08-30 00:25:51 | 音と動きと形
今度の母のワープロ特訓は2回目辺りからキーを見ないで打つ練習も取り入れています。

一番最初に指を置く位置で意味のある単語なんて打てません。私が大昔に使ったタイプ独習本にはただ意味なく発音もまず無理な文字列の練習が載っていましたが、せめて発音できる方が憶え易いでしょう。

「じゃかじゃかじゃかじゃか」から始め、擬音語風なものやそれらの組合せ練習の後、ちょっと指を伸ばしてやっと意味ある感じの「じき」、そして自分の名前を。

キーを見ないで打てるのは嬉しいらしく、さあここらで切り上げて原稿の清書をやろうよと言ってもまだタッチタイピングの練習をしたがりました。

そうはいきますか、やれるところからあれこれちょっとずつ同時進行でやっていってなんとか早く使えるようにならないと。段階を踏んでなんて言ってたらいつまで経っても使えないじゃない。

石盤みたいな便利なものがあるよとペンタブレットの話をしたけれど、母はちっとも乗り気ではありません。パソコンにまたごちゃごちゃしたものを接続するとケーブルのさしこみ口もよくわからないし自信がない、見た目だけでもやたら圧迫感あるのを扱いたくないのです。

そして何より、母みたいにパソコンに慣れてない人にとってはキーを見ないで打つのがかっこいいのだから。ペンタブレットは実は手書きでさらさら達筆をかっこいいと思う私が欲しくてしょうがないものです。

モーツァルトが辛いわけ

2007-08-26 01:00:32 | 音と動きと形
鍵盤楽器の調律は昔は平均律ではなかったと昔どこかで読んだ気はするけれど、今年読んだ時には「おお、そうか、だからモーツァルトなんか今の楽器で弾いて辛かったわけだ」と思いました。

ピアノは打音を極力小さく、それに続く共鳴音を極力大きく鳴らすように弾くと、平均律の楽器でありながら純正律に近い音が出ます。こういうタッチを要求するのは近代やフランスもので、古典派ははっきりした打音を要求します。ピアノを教わらずに弾いている私のいうことはあてにならないとは思いますが、そう感じます。モーツァルトは平均律ピアノでもっとも平均律の音が出る音楽ということになります。

自分の弾く音が辛かったのには下手という事実以外にも原因があったわけです。ただでさえ粒揃いの整った音が出せない上にすっきり調和しない音。だから近代風な編曲の映画音楽は耳には比較的楽で、モーツァルト風は苦しかったのです。

ただ、専門的音楽教育を受けてないのにそこまで音に敏感になるものだろうかという疑問もあります。私は平均律かどうかさえ多分ろくに判断できないで、ただ響きが苦手という状態です。非常に小さいうちからピアノに慣れていれば平均律を当たり前に受け入れるでしょう。むしろ私は幼少時にピアノを弾かなかったからこうなったのではないかと思えます。人間は単純な方を好む傾向があります。濁りのない響きの方を好むのはもっともなことです。

パソコン慣れ

2007-08-22 01:36:18 | 音と動きと形
母がワープロを使えるようになりたいというので私が時々帰って教えることになりました。これで何度目でしょう、ワープロを教え始めたのは。

「さて、練習問題作ろうか、それともいきなり手持ちの原稿の清書する?」
「じゃあ原稿持ってくる」

昔私が辞めた職場の先輩相手に説明した時みたいにシステマティックにならないのは今のパソコンが格段に複雑だからでしょうか。あの頃先輩は期待したのとは違う私のやり方に疑問を持ったけれど、教え終わって何日も経つとわかったと言っていました。私が説明していたのは、若い人に聞かなくて済む方法、或は誰も教える人がいない時にどうするか、だったのです。
母にはそういう教え方をしていません。そもそもできません。私の記憶力思考力が落ちたせいか。いや、そうじゃなさそう。昔より操作ごとに選択肢が増えています。母は入力や変換もたどたどしいので、こういう機械の雰囲気に慣れることが第一。

「出芽ね、s、ええとhはここか、うーんuは…」
「そんな面倒な。これはね、de変換、me変換変換リターン。ほら」
「おおっ」

「射出(しゃしゅつ)。あ、これは」
「そうよ」
「i変換、変換変換、de変換リターン。」
冴えているのは手抜きの教え方だけ、母がしっかり覚えたのも今のところそれだけです。

こうして日本語の感覚が変化していくのでしょうか。手書きもやっていないと心配です。きっとこれからペンタブレットでの手書き入力が流行ります。統計取ってみれば縦書きか横書きかで作文中の考え方まで違うという石川九楊さんの主張も重視されていずれ縦書き入力もできるようになるでしょう。しかし急ぎの時はやっぱりキーボードですね。母にペンタブレット…考えておこう。

ついでにきっかけ、きっかけについで

2007-08-04 12:44:36 | 音と動きと形
今期通った授業のひとつは学内施設を使いこなす為の科目ですが、私はそこに長く通うわけでもないのにそれを楽しみました。せっかく有給休暇を使うんだからついでに受けられるのは受けてみよう、きっと好きだから、と。

内容はパソコンのソフトウェアをいくつかと、木工、金工です。工作は設備を安全に使う要領を身に付けるのが目的だそうですが、私はものを作ったり理解したりするきっかけとして。一部今の仕事に関係することもあり、やってよかったと思いました。

最後に木工の作品を、ニス塗りを残して持ち帰ることになり、帰りにホームセンターに寄ってニスを買いました。糸鋸にはどんなのがあるか、カッターには鋸刃もあるらしいからとあれこれ見るのも楽しく、これからはホームセンターもまわる場所が増えました。週末はニス塗りの余裕が無かったので今度やります。

そして月曜日、仕事帰りに通りかかったのは博多の職人さんたちのイベントです。建具職人さんのブースを覗き込むと、これ持って帰りませんか、百円でいいですよ、と言われました。これは表札にどうぞ、これなんか鍋敷になりますよ、これもどうです、これはまな板です、今日が最後だからもってってください…。きれいなすべすべの板があったり、細い木を見事に組んだものがあったり。カンパ箱に少額入れると慌ててお釣り出しましょうなんて言われる。それはないでしょ。これもどうです、これもどうぞとずっしりするほど貰ってしまいました。短冊用額縁?は母にあげよう。でも使い道の浮かばないのがいっぱい。何か使えそうで、きれいです。

何かに興味を持ったりちょっとばかりその良さについて口にすると、それに関するものが私のもとに来るなんていうことがたまにあります。かなり前のこと、ユンボという車両系建設機械がありますが、そんな機械が嬉しがるようなことをある場所で喋ったら、偶然取引先から精巧な模型をいただきました。幾つかの種類のうち最後に残って私が貰ったのがユンボでした。

今回は木工に興味を示したから木工の神様がもっと興味をもってやってみなさいと計らってくださったのか、良い見本がどっさり来ました。プロの作った格子を使って何か作らないと。あの表札を掛ける時は来るのでしょうか。

実は授業で教わったソフトウェアのひとつが気に入りました。私がちょっとでもやってみたいと思ったことは全部、できないことはなさそう。パソコンで何か作ろうにも手許にあってプログラミング可能なのはExcelのマクロくらい。少し複雑になると動きがひどく遅くなるし、音を加工できない。少なくとも私の技術では。新しい言語をおぼえるのも大変そうだし。そこでMATLABに出会いました。ものすごく高価だそうです。今なら学生用が安く買えるかもしれません。問い合わせてみないと。一目惚れって間違いないのです。そう言いながらいまだに独身で、ハンサム?イケメン?男前がまるで効かない私は、果たしていつか人間にも一目惚れするのでしょうか。

大学の授業は先月で終わり、今月は勤務時間後にpracticalな事でまた新たなスタートをします。何なのか当分秘密です。そこは一目惚れはまず無い環境ですが、何がきっかけになるかわかりません。一耳惚れがあるかも。

でんでん虫の背中

2007-07-31 08:54:43 | 音と動きと形
私が幼稚園児だったか、もしかしたら小学校に入った頃だったと思います。一歳半下の妹が蝸牛の絵を描いていたのですが、その殻の上にはいつも奇妙なものがついていました。渦巻の上に載った薄く四角いような丸みを帯びたようなものは何なのか。聞いてみると、「背中。」

私はそういうのは自分の感覚ではまず発想しないものだと感じると同時に非常に納得しました。

妹は、どの位置にあるか言えるのに背中らしい感じのないその部分に視覚的な実感を作ったのです。

あったら変。しかしあった方がどこか落ち着くものを作り出せた妹を、大人になって思い出した時に、少しばかりうらやましくもありました。

言葉が先にあって形が後からついて来る。

言葉を覚える前から観察と試行錯誤で生きる長子の私にとっては(目の前の物で手一杯でむしろ人間や道順の観察はしてませんでしたね)、現実の後に言葉が存在するのですが、妹は試行錯誤の結果を言葉や手順として受取り、眼前にある中から言葉と一致するものを効率よく認知する傾向があったであろうために、言葉が先にあっても私ほどは違和感を感じなかったのではないかと思います。

勿論私のような長子であっても子供の頃には期待した現実と食い違う言葉にたくさん惑わされるのですが、でんでん虫の背中はいまだに憶えているくらい印象的で、私はそれくらいの頃には現実は言葉に従うわけではないということを理解していたのでしょう。

掌には真実が刻まれている

2007-07-24 07:15:48 | 音と動きと形
ある人が小さな子供の頃、掌の皺を見て、思ったそうです。
「なるほど、だからこれは手っていうんだ」
右手に平仮名の「て」の字があったということです。


この話を後にあるところでしてみました。
「おお、ほんとだ」
「あ、あたしの、片仮名になってる」
「おまえのは『て』じゃないぞ」
「僕のは『ラ』です」

指折り数えて1023

2007-07-16 18:00:50 | 音と動きと形
指を折って数える場合、片手で31まで、両手を使えば1023まで可能です。指の曲げ伸ばしを1と0に対応させて、2進数で表すのです。

ひとつずつ数を足していくのは指を動かす順番さえ覚えておけば間違いありませんが、足し算や引き算は10進数を混ぜて考えるので私の頭では非常に時間がかかります。計算以前に、数を指で表すのにも。

右手の親指は1、人差指は2、中指4、薬指8、小指16として、例えば21を表す場合。えーと21は、16の小指折ってぇ、21から16引いたら、うーん、えーと5かな。4の中指折って5-4で残りは1だから親指折る、と。なるほど2進数で10101。これに7を足すには。8の薬指折って1の親指を起こす。こんなにもたもた。

10進数で2桁なら暗算の方が速そうですが、演算用メモリが非常に小さい私には桁が大きくなるとこっちの方が楽ではないかと思えます。ただ、手で計算するべき状況が起こらないので検証できずにいます。

日本人なら折った指がon、1です。でも人によっては握った状態から伸ばしてonにしたいとか、低弦奏者は左手が小指までよく動くからとか、低い位は両手とも親指側にしたいとかあるでしょう。両手をクロスさせたり向きが違ってたりも有り。おそらく一般的にやりやすいのは右手は掌を、左手は甲を自分に向けて、でしょう。

一番の問題は薬指や小指あたりを単独に曲げ伸ばしできるかということです。指の形を維持できれば、途中で別の考え事しても話し掛けられても大丈夫。特別に器用でもない人でも15までなら多分できるでしょう。ただ、指の形がまずい意味を持っている場合もあるので気をつけてください。

これは結局、頭の体操としては確実に役立ちます。

もちろん私は「免許皆伝グワシ」が両手でできますとも。

聞き取り易く急いで

2007-07-08 22:48:05 | 音と動きと形
フリーであちこちの司会をしている女性とおしゃべりしていると、残響の話題になりました。本来体育館や展示会場などの目的に作られた建物は非常にやっかいだということです。声が何重にも重なってしまう場合、聞き取れるようにゆっくり話さないといけません。しかし時間は押してきます。名前などははっきり聞き取れるようにゆっくり、そう重要でない言葉などは急いだりするそうです。

よく耳にするような誰もが知っている言葉は曖昧でもちょっと聞けば推測できるでしょう。あまり頻繁には聞かないのはそうもいきません。慣れない音の並びは受入れにくいのです。

私は仕事でよく電話を取ります。しかし忙しい!できるだけ速く進めたいのです。FAX番号やよその電話番号を教えることもしばしばあり、市街局番と、同じ数字が連続する場合は、やや早口で言います。市街局番は相手にとって慣れた数字の並びであり、繰り返しの数字はほかの数字の並びより受け入れやすいからです。区切りの桁まで言っては相手が書き取るのを待ちます。4桁の内同じ数字だけがやや早口。等間隔にゆっくり言うとそのリズムで書き取られる可能性が高く、急げば幾らかは速くなりはしないかという期待もあります。

たったそれだけ急いでどれだけ違いがあるんだと言われそうな気もしますが、こういうことが積み重なって、次のルーティーンまでにほんの少し時間が足りないばっかりに取り掛かれず急ぎたいのに後日にまわす仕事もよくあります。もしかしたら早く電話が済んだ分もうひとつ電話を受けることになっているかも知れないのですが(私が受話器を置いて忘れないうちにメモを書き足している時くらい電話に出てよー)。

先日いつも電話で話して滅多に会わない支部の人に会いました。ほかの人たちは区別つきにくいけれど私の話し方はひとり癒し系らしいです。日頃の電話の声は気忙しくなかったようで良かった。もともと口と頭はあんまり素早くないのです。

持ち合わせた音で聴き取る

2007-06-17 22:50:16 | 音と動きと形
今は高校生の姪がまだ小さくて、字を書けるようになった頃、絵の下にタイトルを書いていました。てっぺんに二つ角があって全体にごろっと丸く、上の方に顔があるものには「ととど」、大きな顔だけがあり、その周囲に放射状に線があるものには「だいおん」。「となりのトトロ」と「ライオン」です。

姪の日頃のラ行の音を含む言葉の発音がそんなふうなので非常に納得できました。やはりダ行のつもりで言っていたのです。
聴き取る音を自分に発音できる範囲内の近い音にあてはめていたようです。

この場合はひとつの音についてですが、組み合わせた音で発音が難しい例もよくあります。

例えば看護婦さんを「かんごくさん」と書く子供がよくいたというし、私は絵日記にお地蔵様を「おじろうさま」と書いたことがあります。「ご」の後に「ふ」、「じ」の後に「ぞ」は発音しにくいけれど、似たような音で自分に発音し易いのがあればそれを聴いたつもりになってしまうようなのです。

そうすると、順序としては不自然ですが、聴き取り上達の早道には発音練習もいいのかも知れません。

そういえば、大人だって日常にやっていますね。外国語を外来語として片仮名に置き換えることを。