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絵じゃないかおじさんぐるーぷ
平成はじめのころです
それは、超個人的な、私自身の心の中の問題であるからだ。少なくとも、家の中にじっと篭もり、大人しく過ごした後の私の心と、雪のちらつく山道を走った後の心の中をさらけ出してしまえれば、Oさんも、
「なるほど、後の方が白くなってるね」とうなづいてくれるだろう。サヤカのさわやかスペースに身を委ねることは、心の浄化にもなるのだ。これは、バイクに魅力を感じる人間にしか、わからない感性の世界である。
残念ながら、Oさんは、サヤカの持つ小宇宙を小馬鹿にしている。また、悲しいことながら、そういう感覚を与えるバイクの裏の世界が拡がるのも事実だ。
その悪霊は、暴走族という形をとって現われてきている。暴走族は好ましいとは言えたものではないが、実際、道路を走っていると普通車やトラックの交通道徳は、暴走族と50歩100歩のようなものであるのが実感だ。道路に出て、一走りするとそのことはよくわかる。8~9割方の者が交通違反を起こしている感じがする。
信号無視スピード違反、駐車、停車違反、無理な追越し、数えあげたら、きりがないのである。彼らには、暴走族うんぬんする資格はない。この国で車を運転する者が、道路の悪霊を怒らせ、育てあげているのだ。暴走族は、その悪霊の一つの顔にすぎないのである。ついこの間も、伊賀の山中の国道を制限速度いっぱいで走っていると、わずか1時間足らずの間に百数十台の車に追い越されてしまった。これは、立派なスピード違反である。
皆そんなに急いで何したいの! と、声の一つも掛けてみたかった。
サヤカのエンジンは、なかなか始動しなかった。1週間も放ったらかしにしていたのだから、機嫌を損ねるのは当たり前だろう。こちらの都合次第で、付き合っているのだから気紛れは、私の方だ。
「ごめん、サヤカ」と、つぶやきたくなるころに、バリンと快音を発する。数分間、サヤカの心に暖かい風を送り込んでやる。サヤカも、吹きさらしで、シートを掛けられているとはいえ、心が冷えきってしまっているのだろう。けれども、ありがたいことに、サヤカは、それが当たり前のことだと認識しているから、人間のように根に持ったりはしない。実にあっさりしたものだ。数分間も走ってやれば、ご機嫌はすこぶる良くなってくる。
その頃になると、意地悪なことに、じんじんと、手先、足先が痛んでくる。メットのシールドの隙間から、顔を切るような冷たさが襲ってもくる。
身体が慣れるまでの30分ぐらいは、冬場の走りは厳しい。ただ合わせる、自然に同化する、これしかないのである。そうしていると、いつの間にか私も、仲間の一人として、奴等は受け入れてくれるのである 道路は、軽く湿った程度で、雪は積もってはいなかった。白い雪は、時おり思い出したように舞い下りてくる。カーブやシンカーやドロップ、変化球さながらの姿を見せながら、「オッさん、よう来たなあ」と歓迎してくれているようである。
雪ん子が カーブにシュートに シンカーに
ヘルメット打つ 冬の吉野路
ち ふ