中沢啓治氏の、原爆をテーマに扱った漫画で、私が小学生の頃、雑誌に連載されましたが、それから約30年、今では、私の子どもが、主人公のゲンと同じ年代です。
当時は、年齢的に近かったゲンに同化して読んでいましたが、40代の父親になった今、この作品を思い出してみると、どうしても、周囲から非国民と言われ続けようとも、頑なに戦争に反対した、あの頑固親父のほうに感情移入してしまいます。
中でも一番思い出すのは、予科練に志願した長男、浩二が出征する場面です。
浩二を殴り飛ばし、何とかやめさせようとする父と、とうちゃんのような非国民になりたくないと、あくまで志願するつもりの浩二。そして、非国民の子ゆえ、町内の誰にも見送られることなく、ひとり出征していく浩二の汽車を、線路脇から、「ばんざい!ばんざい!」と祝いながらも、「卑怯者と、ののしられてもいいから、生きて帰れ」と見送った後、「浩二のばかたれ。ばかたれが」と肩を落とす父。
結局、戦争に反対し続けた父は、原爆に殺されてしまい、戦争に行きながらも無事復員した浩二は、その皮肉さを哂い、父の遺骨に不孝を詫びます。
私も、もちろん戦争には反対ですし、我が子に、戦争に行ってほしくはありません。いま、こうして書いていても、涙が浮かんできます。
息子の小学校に参観で行ったとき、図書館を覗いたら、「はだしのゲン」が書棚にありました。手にとってみて、思わず涙を流しそうになりました。息子の学年がもう少し進んだら、父が昔読んで、今でもよく覚えている作品として、読ませてみたいと思っています。私がそうだったように、息子の年齢ではまだ、頑固親父の気持ちは分からないでしょうが、いつか父の気持ちを分かってくれるものと信じています。
当時は、年齢的に近かったゲンに同化して読んでいましたが、40代の父親になった今、この作品を思い出してみると、どうしても、周囲から非国民と言われ続けようとも、頑なに戦争に反対した、あの頑固親父のほうに感情移入してしまいます。
中でも一番思い出すのは、予科練に志願した長男、浩二が出征する場面です。
浩二を殴り飛ばし、何とかやめさせようとする父と、とうちゃんのような非国民になりたくないと、あくまで志願するつもりの浩二。そして、非国民の子ゆえ、町内の誰にも見送られることなく、ひとり出征していく浩二の汽車を、線路脇から、「ばんざい!ばんざい!」と祝いながらも、「卑怯者と、ののしられてもいいから、生きて帰れ」と見送った後、「浩二のばかたれ。ばかたれが」と肩を落とす父。
結局、戦争に反対し続けた父は、原爆に殺されてしまい、戦争に行きながらも無事復員した浩二は、その皮肉さを哂い、父の遺骨に不孝を詫びます。
私も、もちろん戦争には反対ですし、我が子に、戦争に行ってほしくはありません。いま、こうして書いていても、涙が浮かんできます。
息子の小学校に参観で行ったとき、図書館を覗いたら、「はだしのゲン」が書棚にありました。手にとってみて、思わず涙を流しそうになりました。息子の学年がもう少し進んだら、父が昔読んで、今でもよく覚えている作品として、読ませてみたいと思っています。私がそうだったように、息子の年齢ではまだ、頑固親父の気持ちは分からないでしょうが、いつか父の気持ちを分かってくれるものと信じています。
小さい頃から色々と聞かされてる物で・・。
実際、看護婦をしていたうちの叔母は、救護のため真っ先に被爆地に入り、二時被爆者になってます。
優しく、気丈な叔母は、その事に関して何も言いはしませんが・・。
一部権力者のエゴ(どんな大義名分を付けようとも、戦争を起こすのは常に一部の権力者です。)で行われる戦争は絶対反対です。
自分たちは”核”を持ち続けていながら、他国が持とうとすると「世界平和の為」と称して攻撃を仕掛ける(実力行使を含むか否かは別にして。)某国の傲慢さも大嫌いです。
「他国の核を批判するなら、自国の核も廃絶しろ。」と思う。
個人的には、核兵器はもちろん、現在の技術レベルでは、原発も含め、核エネルギーの利用は反対です。
某漫画での台詞、「己が業も払えないようなエテ公に、核の光を与えるより・・。」に激しく同意してしまいます。
二時被爆者
失礼しました。
核や戦争については、また別の機会に書くつもり。