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ジェノヴァ、泣いてどうなるのかぁ~♪

2014年08月07日 | 日記

港町なんですけど、歴史地区に入ると、細い路地を挟んで、ものすごい高さの大建築が向かい合い、路地は谷底のように真っ暗になっています。それらの建物は、16世紀アンドレア・ドーリア総督の時代にスペインと手を結び、アメリカ大陸からの富を蓄えて以来の建築です。地下鉄に乗ってみると、警告文表示がイタリア語とスペイン語で書かれていて、この町は今でもスペインとの結びつきが強いのかと驚かされます。


それ以前は有力4家が法王派と教皇派に分かれてつぶし合いを繰り返し、ベネチアにもいいところまで相手を追い詰めて逆転大敗北を喫して没落していたので、あんまり建築も残ってないんだと思います。
ロマネスク以来のサン・ロレンツォ教会を見てやや進むと、ドゥカーレ宮につきました。初代総督シモン・ボッカネグラ以来の総督府です。


入ってみると美術館になっていて、ロバート・キャパがイタリアで撮った写真の展示とかやってるらしいんだけどそれは飛ばして、どうやら13世紀の塔に登れるらしいので、町が一望できると思って5ユーロ払ってやって来たら、またヘルメットを渡されました。そんなに階段が危険なのかなと思ったら、そうではなくて、塔が牢獄として使用されていて、そこを見ることができるということで、別に塔に登れる訳じゃなかったんです。塔の上には登れないようにしてありました。
この牢獄は20世紀初頭まで使われていて、この町出身のパガニーニや、なんとガリバルディも一時期幽閉されていたらしい。
そういうわけで見たくもない牢屋を見て、別の出口から出てくるとそこがフェッラーリ広場。オペラ座の前にガリバルディの騎馬像があって、自分が閉じ込められた牢屋を睨んでいます。

そこから歩いてガリバルディ通りへ。この左右の大建築群が、イタリアでは珍しくもなんともない世界遺産に指定されていて、ベネチア共和国が有力貴族に命じて、個人宅を外国の賓客や要人が来たときの迎賓館としてもてなしをさせていたらしい。客の地位によってクラス分けがされていたようです。


まあ、ものすごい建物群で、だいたい国内外の銀行の支店として使われてるみたいです。
パラッツォ・ビアンコというのに入ってみます。美術館になっていて、16世紀から18世紀の、オランダやイタリア国内、さらにジェノヴァの画家のコレクションですが、たいしたものではありません(イタリアの他の美術館比)。ちゃんと修復されている画ばかりなのですが、額縁のない画が多いのでちょっとビックリします。目玉は2階に上がったところにあるフィリッピーノ・リッピが描いた聖セバスチャンの殉教してるところに、なぜか聖フランチェスコとヨハネ(聖ジョヴァンニ・バティスタ)が並んでいる画です。おもしろい。聖ジョヴァンニはジェノヴァの守護聖人でもあるので、都合がよいのでしょう。


でまた旧市街の怪しげな高層ビルの谷間を通って、駅前でパスタと魚を食べて帰る。



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