☆ 今 日 の 幸 せ ☆

♪~生きていることに感謝、あなたに出会えたことに感謝、そして・・・明日が見えないことに感謝~♪

「マディソン郡の橋」の心理学&三浦敬三

2007-02-20 | ・・・シリーズ、
加藤諦三

いかにも、彼らしい、感想が文章になっている。

本の文章から、心理を読み解いているのだろうけど、フランチェスカが、リチャードが雨の中にたたずんでるのを見ながら、涙をこらえながら、わかれる場面。 いまだに、目に焼き付いてる。 こんなに、メチャクチャに批判されたら、メリル・ストリープが可哀想。 誰にでも、いくらか、心に残ってる欲望だと思うんだけど。

孤独と性的欲求不満が「大いなる恋愛」を産む。

女性は、男性を巧妙に誘っておきながら、決して、自分から誘ったとはいわない。

結果の責任を男性に押し付ける余地を必ず残しておく。

クリント.イーストウッドのリチャード・キンケイドは、原作のイメージより、かなりお年寄りみたい。

確かに、四日間の情熱だったから、一生記憶に残っていたのだろう。 しかし、

加藤諦三さん、フランチェスカが、アイオワの田舎の生活に、愛情がない。親しさがない、思いやりがない。
リチャードも、人と心を通わせることができない。だから、前の奥さんがでていっても、それまで。追いかけることもない。 と解釈している。

でも、世の中そんなに、愛情こめて、毎日家族のために料理したり、愛情こめて、奥さんを愛してる人ばかりかしら?

なんか、フランチェスカが、リチャードと逢う前も、別れたあとも、自己犠牲の固まりで生活してたように、読み解いてるけど、彼女は彼女なりに、実直な旦那さんを愛して、子供たちを愛してたのだ。 と 思う。

最後に、橋の上から、遺灰をまくシーン。子供たちが、母親を理解して、ということなのだろうが、あれだけは、いただけない。 だから、物語全体が、否定的なものになるのかもしれない。

存在しないものを、存在するかのように、心の中で作り上げて、現世では、かなえられそうもないことを、架空のものに、託して、それでも、頑張って生きていく。 だから、自殺しないで、生きてる人たちも、多くいると思うのだが、、、

今朝、三浦敬三さんが、
山は一歩一歩のぼっていけば、必ず山頂につく。明日は、あれをしよう、これをしようと思う。その瞬間が幸せ。だから一番幸せな時は、いつかときかれたら「今」と答える。

私は、だから、冒険家ではない。と言っていた。(もちろん、かつての話)


それはそれで、りっぱな生き方だけど、人は、時に、夢を描いて、バカなことを「しそうに」なっても、または、「してしまっても」、夢が破れても、いいと思う。




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