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ぽっかぽか

お出かけして写した写真とおしゃべりを

菅生の滝

2013年11月23日 | 小倉南区(平尾台・他)


鱒淵ダムを堪能して帰り道、あれちょっと道が違う?
これって菅生の滝に行く道よね?
σ(^^)車の運転できないので、助手席が指定席です
なので、、、何回通っても、、、覚えが悪い
足で歩いた道はそうでもないんですけど

菅生の滝は、夏オンリィの場所で、
いままで秋にきたことはありません
こどもたちが小さいころは、道原までバスがありました。
この頃は車か、歩くかです

道すがらの紅葉を眺めながら進んでいくと
大きなイチョウとモミジの木…わぁすごい!



あれこんなところにお寺があるよ!



裏山に続く庭の木々も見事に紅葉して、さながら錦の織物




・・・護国山菅王寺・・・  菅王寺の由来より

当寺院は、紫川の源泉菅王の滝を背景として栄えた修験の道場です。
古く、欽明天皇(約1400年前)の御代に、
百済の国(現韓国)に菅王子というすぐれた王子がおられました。

彼は、日夜仏道修行に専念されていたが、
或る日、「海をへだてた東の国に霊地あり 汝行くべし」という仏のお告げを受けました。
印度の釈尊と同じ心境で、王子は高位を捨て、
はるばる筑紫の海岸に上陸し、菅王の滝へ籠りました。

十数年後に、侍臣の智賢上人が、王子の後を慕ってやって参りましたが、
王子はすでに他界していました。
智賢は、菅王滝山内に王子の霊を祀り、
自身は山麓に草庵を結び、王子の霊をとむらいながら、
その意志を継いで衆生済度に専念しました。
これが菅王権現であり、その草庵が菅王寺、開祖は智賢上人ということす。



平安の初め(約1200年前)英彦山の座主法蓮上人が、
菅王滝山内に修験道場を創始しました。
当菅王寺を中心として、四十八坊が建立され盛を極めました。
江戸時代に入って、細川・小笠原藩主の祈願所として、厚い信仰と庇護を受け、
豊前の国(北九州全域)一帯の民衆を信徒とする一大信仰の場として栄えました。



明治5年維新政府は、祭政一致の方針を採り、
国家神道を掲げ、神仏分離という悪法を出しました。
そのため、社会的に廃仏棄釈という騒乱が起こり、
これによって、修験道はほとんど壊滅し、
英彦山・宝満山をはじめとする有名な修験の霊場は、
総て神社に変身し、修験本来の姿はなくなりました。



福岡県下でも数百ヶ寺、小倉区内でも二十数ヶ寺を数えた本山修験宗の寺院は、
現在九州全域で十指を数えるのみ。
その中にあって、当護国山菅王寺は、北九州唯一の修験道場として、
連綿千有余年の法灯を堅持しています。

願 以 此 功 徳    普 及 於 一 切
我 等 与 衆 生    皆 共 成 仏 道

菅生の滝も昔は菅王の滝だったとか
ちっとも知りませんでした








鄙びた山里に並ぶ仏様たち













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