家庭の事情、親子関係。。。考えさせられました。
久しぶりに会った義父。
すでに心臓が止まったあとでした。
皮膚の色は黄色がかり、黄疸の症状が出て亡くなっていました。
隣の部屋ではディサービス。3畳ほどの小さな個室に最低限の着替えが入った収納ケースに吸引器。
私が知っている義父は、どこか旅行に行くというより競馬が好きで家でテレビと新聞、ラジオを聞いて楽しんでいる人でした。そして、面白く昔体験したことを話したり、あっさりした性格で家に遊びに行ってももう早く帰れと嫌味に聞こえるわけでなく、わたしたちのために促してくれるようなひとでした。
そんな義父。主人とたまには生まれ育った故郷に連れていってあげるといいよ、という話をしていた矢先のことでした。
長男家族と住み、孫たちに囲まれて楽しい日々も送れていたと思います。
ただ、体調が悪くなってからは病院と施設との往復だったみたいで、「だったみたい」というのは、わたしが主人に聞いてもどこの施設に入所しているかわからない、という返事が多く、数年どんな状態だったのかはっきりとは知りませんでした。
義父はあの空間で毎日どんな思いをしていたのだろうか…。
亡くなった時、職員さんのひとりが涙を浮かべてみえ、よく世話をしてくださった方なんだなと思いながらも、わたしは正直少しも泣ける気持ちもなく、むしろ自分自身に対してもうちょっとやれたことがあったのではないかという怒りというか後悔というか残念な気持ちになっていました。
どこで終焉を迎えるか。
施設のベッドに横たわる義父をみながら、幸せだったんだろうか…。
そんな風に思ってしまうことが、いったいどこからなのか。
在宅介護をしながら、幸せだねと言われ、幸せだと言う母を看ながら、自分の家で家族とともにいることだけが幸せではない、そう思えるようになるには、わたしには孤独という大きな壁を越える強さを持たなくてはならないのでしょうね。