赤い大きな月。スーパームーンを撮りたかったのですが、空の視界が狭い我が家からは月がみえるのも19時過ぎ。無理でした
でも、とりあえず今年一番大きいというスーパームーンを撮ってみました。
普段とどれくらい大きさが違うかわかりませんね。比較対象もないから仕方ないかな。
せっかくなので大きなまん丸お月さまを撮りました。魔女みたいに箒にのれたらちょっと気持ちいいかも。
赤い大きな月。スーパームーンを撮りたかったのですが、空の視界が狭い我が家からは月がみえるのも19時過ぎ。無理でした
でも、とりあえず今年一番大きいというスーパームーンを撮ってみました。
普段とどれくらい大きさが違うかわかりませんね。比較対象もないから仕方ないかな。
せっかくなので大きなまん丸お月さまを撮りました。魔女みたいに箒にのれたらちょっと気持ちいいかも。
秋はイベントが多くて昔の風習を忘れそうになりますが、お月見団子がスーパーなどで売られているのをみてあっ!そうだったと思い出します。
明日は十五夜(ちなみに満月は翌日28日となり、今年最大のスーパームーンだそうです)なんとかきれいなお月さまが見られるといいんですが、ネットで知らべていたら「十三夜」のことはともかく「とおかんや」というのもあるのだということをこの歳にして初めて知りました。
我が家のひめくりにも「とおかんや」という言葉が書いてあって、収穫祭というか田の神様が山へもどるのを送る行事だとか。
十三夜…10月25日
とおかんや…11月21日
すべて月見ができると縁起といいとされていますが、まずは明日ですね
105歳の方が、100Mと砲丸投げで世界初記録を樹立されたとのこと。本当にすごい!と驚くばかりです。
歳を重ねていくと肉類をあまり食べなくなりますが、体質にあえば肉を食べることでよい効果を生むようですね。
『肉』つながりでなんですが、先日わたしは行けなかったんですが、主人が用事で上村に久しぶりに出かけ清水屋さんのジンギスを買ってきてくれました。
清水屋さん以外にも星野屋さんや有名なところでは鈴木屋さんなんかもありますが、主人のお父さんの実家近くの清水屋さんが一番なじみが深く肉も柔らかくてタレも自分の好みのためか行けば購入したくなります!
ジンギス+野菜いっぱい、ついつい食べ過ぎてあっという間になくなってしまうので、電話でもかけて取り寄せねば…
さて、この上村ですが、しらびそ高原や日本のチロルとも呼ばれている下栗の里があります。昔幼い子どもたちとを連れて、友人ファミリーとキャンプしたりしましたが、あれからもう○十年経ちあらためて今HPをみていると山の美しさを見に行きたくなってしまいます。これから紅葉の季節ですし、きっと星空もきれいでしょうねぇ。
きょうは敬老の日です。
いつからこの敬老の日ができたのかなぁと気になって調べてたら、戦後兵庫県多可郡野間谷村が社会に貢献してきたお年寄りを大切にし感謝と長年経験してきたことや知恵を借りる場づくりをし、それを「としよりの日」として作ったのがそもそものはじまりだったようです。
詳しいことは発祥の地であるこちらの多可町のサイトに書いてあります。
っで、サイトをみたら、敬老の歌『きっと ありがとう』が。
『きっと』と『ありがとう』がパッとみると、うん?と思いましたが、歌詞をみたら納得しました。それぞれの言葉に想いが込められていたんですね。
わたしにとってのおじいさん、おばあさんですが、考えてみたら母の育ての親であるおばあさんしか知らないんですよね。おじいさんはすでにわたしが生まれたときには亡くなっていましたから…。そして、父の親のことは全く。もしかしたら兄に聞けばちょっとは知っているかもしれません。
せっかくの敬老の日ですから、子どもたちに亡くなったおじいさん(わたしの父)のことでもちょっと話してみたいと思います。
国連が、9月21日を国際平和を推進する「国際平和デー」に定め、この日一日は敵対行為を停止するよう働きかけるようにしています。そして、ニューヨークの国連本部では、この日世界平和を祈って日本から国連に贈られた「平和の鐘」を鳴らすのだそうです。
ところで「戦争のつくりかた」という本がWEBサイトで読めるということで読んでみました。
10年前に執筆されたものですが(以前一度読んだことがあるような)、読んでいると今現在その話のように進んでいるようで
どこかでこの流れを止めなければ!!
Yahoo!で本会議のライブ映像を途中からみていましたが、怒りというか、悲しみというか…。
気分が滅入りました
『法の終わるところ 専制がはじまる』なんでしょうか。
平和であることはみんなが願っていることでしょうけど、それに至る道(方法)が違うことで起こる混乱に戸惑いを感じています。
武器輸出三原則は少しずつ少しずつ緩和され、そして昨年防衛装備移転三原則に変わり、川の堰が切られたように安保法案も衆院で可決されました。
あとは参院ですか。
「法案が成立し、時が経ていく中で間違いなく理解は広がっていく」
と総理は言われたみたいですが、間違いなく?間違いなくとは、何か起こるのか、起こすのか…そんな風に思えて怖いです。
経団連も防衛産業政策についての提言をしているけど、そのことがいつか国民を苦しめるようなミサイルがブーメランとなって返ってこなきゃいいんですけどね。
歳を重ねていくと、だんだん運転するのも辛くなってきます。
豆腐やさんが週1回訪れてくれるのでだいぶ助かっているのですが、今週からやまのぶの『とくし丸』さんにお願いして我が家に来てもらうようにしました。
『とくし丸』さんについては、介護のつどいでお世話になっている特養老人ホームであり地域包括支援センターである保見の里さんに情報をいただきました。
お隣のNさんや義姉に声をかけ、車椅子の母や姪もとくし丸さんの車の周りに集まって、いろいろ物色?です
母にとってもちょっと刺激になってよさそう
三方向にある扉の中には、日用品から調味料に肉、魚、野菜等々…本当にびっくりするほど商品があってみるのが楽しいです選んで購入するのは、脳の活性化にもなってよいですね。
値段も店頭の値段+10円ということですし、もともとやまのぶさんの商品は新鮮なものが多いので、安心して購入することができるのでとても助かります。
Nさんにも喜んでいただけたようで、とにかくよかったです
東海豪雨2000年9月11日
あの日は、ちょうどインドの方のホームスティ受入れが翌日かその次くらいからだったか予定に入っていました。
我が家の前の川の増水がすごくて、安全な場所に一時避難しましたが、浸水することもなく我が家は無事でした。受け入れも予定通りしたのですが、市内には大変な地域があり社協からボランティア募集があったため、インドのひとと一緒にボランティア活動に入り清掃などを手伝いました。インドのひとにとっては、かなりインパクトの強い出来事だったと思います。
ところで、ボランティアを受け入れる側(被災者)のことに関してですが、ひとを入れるということに慣れていないため、自分たちでやるからいいと断る方もみえたようですが、話し上手に人付き合いが上手な社協職員さんや、ボランティアが入っている家の様子をみて、じゃっうちも…となったということを聞きました。今でこそボランティアさんの手を借りることに関しても抵抗はなくなってきているかとは思いますが、たぶん地域やひとによっては今でもあるのではないでしょうか。
被災した地域が広範囲だったため、他市にもできる範囲で出かけていきました。
雨による災害時のお手伝いは、砂というか土がついたものは隙間に入り込んでしまい手強かったですし、水を含んだ畳の重さに驚いたり、臭いなどが気になったりして、大変さを実感しました。被災された家主の方は比較的明るくふるまってみえましたが、それが逆に心労はいかばかりかと…。
あれから15年。
日本という国は地震の多さはもとより、火山噴火もあれば、雨や風による災害も増えてきています。
子どもたちと、ひとが自然に勝つようなことはできないのだから、自然の動きを読めるような危険を察知する感覚が必要だねというような話をしていました。
決して簡単なことではありませんが、ハード面に頼るばかりで終わってしまわないようにしたいものです。