沈黙の春

本ブログの避難用ブログです。

人類は皆自慢屋になった

2012-08-21 01:51:40 | SNS

http://jp.wsj.com/Life-Style/node_494524/?nid=LF20120816&reflink=NLhtml_20120816_a1

友人や家族、それに同僚に恵まれ、読者はすてきな生活を送っていることだろう。

ただし、実際には自身が思うほどにはすてきではないのかもしれない。

画像を拡大する フェイスブックへの自身の投稿を思い出してほしい。

 「最高の夫から送られた、最高のギフト」

 「30分間、高速で泳いだ。昨晩、飛行機でシャルドネを大量に給仕されたのだが」

 「自著の最初の印税小切手を受け取った」

 「サンセット・セーリングが、そのままムーンライト・セーリングになった。至る所に流れ星。完璧だ」

 良く解釈すれば、これらは単に典型的な日常の投稿だ。しかし読者よ、気づいているにせよ、いないにせよ、これは自慢だ。これは制御が効かない行為だ。そもそも、なぜこうしたことが起きたのか。

 明らかなのは、インターネットがわれわれの大言壮語に聞き手をもたらしたということだ。ソーシャルメディアはこれをあおる存在だ。われわれは常に完璧であることを期待されている。結果、一層多くの人々がネットでのイメージに気を配るようになった。

 自慢はネット上だけの問題ではない。容赦ない競争社会においては、自らを執拗に売り込むのは当然だ。

 自慢するようになった責任の一端を経済に負わせることは可能だ。記憶する限り、最も競争的な雇用市場における教訓は明瞭だ。他人よりも秀でていることを示す必要がある。

 子育ての変化もまた、自慢の原因だ。子供の初登校や自動車の後部座席での昼寝など、現在はあらゆる瞬間を記録する。問題はこうした画像が、こんなに可愛らしい子どもを育てているわれわれ両親は本当に素晴らしい、との自慢に見えてしまうことだ。

 われわれは自慢に慣れきってしまい、自身が何をしているのかにさえ気付かないようになった

。これは人間関係に有害だ。他者を遠ざけてしまうのだ。

 では、なぜ自慢し続けるのか。

 ソルトレークシティーでセラピー・クリニックを営むソーシャルワーカーのジュリー・ハンクス氏は「自慢するのは、それが可能であるからだ。聞き手も増えた」と話す。

 ハンクス氏によると、人が自慢するのは様々な理由による。

注目を浴びることや、愛されることに値するように見せるため。

不安な気持ちを覆い隠すため。自身がしっかりしていると確認するため。

あなたは目標にはかなわないと言明した過去の人々に、それが誤りだったことを証明するため。

あるいは単に、好ましい出来事に興奮しているため。

 また、自身について話すと気分が良くなる。

ハーバード大学の神経科学者が実施し、5月に学術誌に掲載された一連の実験によると、われわれが自身について話せば、脳の報酬領域が活性化する。われわれは会話している時間の3~4割を、自己開示に割いているという(研究は自慢と明示してはいないが)。

 ハンクス氏によると、他人が実際に知りたいと思うようなポジティブな情報の共有と、あからさまな自慢を区別できないように思える人が存在する。では、整理してみよう。自慢には比較が含まれるものだ。ハンクス氏は、「自慢話には過剰なプライドが垣間見える」と話す。

 自慢は見る人次第であることがしばしばだ。

インディアナポリスの郵便サービス従事者フェイス・マッキニー氏(45)はある日曜日に教会のピクニックでこれに気付かされた。

マッキニ―氏はピクニックの参加メンバーに、フリーランスで行っているネット芸能マガジン向けの有名人とのインタビューについて語っていた。すると、同氏のいとこが突然、「ほら、始まった。自分を偉く見せるための有名人の名前を挙げる行為が」と叫んだ。

 マッキニ―氏は「仰天させられた」と話す。有名人について語ることが、同氏をより興味深くみせることにつながると感じ、あらゆる機会にこれを話していた、と同氏は認める。

 英国リンカーンの教師、イアン・マッケンジー氏(30)は、妻と友人達と食事に出掛けると、皆すぐに自慢を始める、と話す。ガジェットや車、子供、休暇についてだ。同氏は「それを堪能した上で、いたずらを始める」と語る。

 マッケンジー氏は、ウィリアム王子が学友だと話す(同時期にスコットランドのセント・アンドルーズ大学に通ったが、王子に会ったことはない)。あるいは、スーパーモデルのケイト・モスを見たと話す(散歩をしていた時、近くに停められた車からモスが出てきた。妻が情報を与えるまではモスについて知らなかった)。

 これを話すと「水を打ったような静けさ」が訪れるという。



最新の画像もっと見る