沈黙の春

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追悼山本美香さん国際ジャーナリストの死

2012-08-21 22:47:31 | 事件

 

《唯言人》山本美香氏の半生

◇1967年生まれ、山梨県出身。新聞記者の父親を持ち、たくさんの本や新聞に囲まれて育つ。
◇1990年、都留文科大学卒業後、CS放送局に入社。報道記者として雲仙普賢岳の災害地など取材、ニュース・ドキュメンタリー番組を制作。
◇1996年、フリーランスとなり、独立系通信社・ジャパンプレスに所属。日本人女性記者として、初めてタリバン支配下のアフガニスタンを取材。
◇2001年、「9.11テロ」事件発生時よりアフガニスタンに留まり、カブール陥落を取材。日本テレビ社長賞受賞。
◇2003年、イラク戦争勃発時より、唯一の日本人女性記者として空爆下のバグダッドを取材。ボーン上田記念国際記者賞 特別賞受賞。日本テレビ「きょうの出来事」キャスター(2004年まで)。
◇2009年、大統領選挙などのためアフガニスタンを取材。麻薬、医療問題などをリポート。


◆やりたいことが見つからなかった学生時代…そして、抜け殻になった会社員時代もありました。

 父が新聞記者だったこともあって、報道に漠然とあこがれはありましたが、本当に自分がやりたいことがはっきりわからないまま、教育系の大学に進みました。やはりマスコミに挑戦を…と思った時は既に4年生で「地方・4年制・文系女子」はスタート地点にも立たせてもらえない状態。面接に臨んでも、特技も資格もなく、帰宅部の自分にはアピールすることがなかったんです。サークルの活躍などを話す学生を見ると「すごい…」と落ち込みました。そのうち教員採用試験も終わってしまい、完全に追いつめられた気持ちでした。

 そんなときCS放送局の募集を知って、これが最後と試験を受けてみたら、やっと採用されました。当時の衛星放送ってまだ実態がよくわからなかったけれど、最後の最後でふてくされず、踏ん張ってよかった(笑)。

 入社後は、「ビデオジャーナリスト」に初挑戦した一人となりました。当時、小型のビデオカメラを持ち、取材も編集もナレーションも自分でやる手法は、それまでのテレビ業界の大人数の取材形態からすると、邪道のように思われていましたが、この取材方法にのめり込み、ビデオカメラ片手にあちこち行きました。この選択が、後の大きなチャンスに繋がっていきました。

 入社5年目に「ひと通り他部署も経験してほしい」と、総務部に異動になりました。すると、仕事が手に付かずボーッとなってしまったんです。趣味などをエンジョイすれば良かったんでしょうが、私には趣味もなかった。その時になって、現場がどれだけ好きか気づいたんです。何事も後手後手ですよね(笑)。でも、エイッと辞めてみたおかげで今があります。何ごとも、やってみてダメなら軌道修正すればいいって、振り返って思うんですよ」

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