ふくろう親父の昔語り

地域の歴史とか、その時々の感想などを、書き続けてみたいと思います。
高知県の東のほうの物語です。

分水嶺

2010-03-28 11:46:58 | 田舎の理屈
 野根山街道の尾根道の写真です。

 道の左右は、なだらかに両方に下っており、異なる水系に雨水を導くのです。
 分水嶺なのです。
 しかしながら、その水は廻りまわってですが、同じ海にたどり着くことになるのです。

 人はその尾根を歩いております。
 明らかに歩きやすいからです。
 さらに、多くの足跡によって、その細き道は草さえ生えないでいます。

 道行く人は、歩き易いところがあれば、素直にそれに従い、そのような恩恵にあずかれないときには、少々の無理は気力と体力を駆使して頑張っていくのです。

 昨年からブログを書くようになって、材料探しに先輩達の記録や記述を読み漁っておりますが、考えさせられます。地域情報は幅が広すぎますし、情報が多いときと少なすぎる時期とがあって、情報量に格差がありすぎるのです。さらに明らかな間違いもありますし、記事としての誤植もあります。

 高知県の東部地域は、田舎の田舎ですが、田舎なりにずっと前から、1000年、1500年以上前から何かしらの活動があったのでしょう。しかしながら誰も記録を残さなかった頃は、当然ですが想像する以外、方策がないのです。
 これは楽しい作業です。考え悩むのですがね。

 結局行き着くところに、行き着いてしまうのです。「そうだろうな。」納得できるところになってしまいます。MAPを造る作業の中でも、記事自体の確認作業が大変なのです。

 尾根道は基本的には、一筋しかありませんからねえ。
 全部の要求を満たすことは出来ないのです。
 ただ街道が街道であるためには、枝道が必要で、それが有機的に機能してはじめて、街道がより生きてくるようです。

 野根山街道も基本的には尾根道ですが、傾斜斜面をルートにしている場所もありますからね。地形によっては、ときどき曲がりくねっているのです。

 改めて昨年の野根山街道の写真を見ていて、思ったことです。

 歩いた後に、道が出来ておりました。
 人も獣も、誰かれなく、なのです。
 そして、写真を撮った時と、今の状況は時間の経過分だけ半年分だけ多分違うのです。
 地域の歴史を紐解いていく作業は、薄皮を一枚一枚はがしていく作業をしているようなのです。

 自然はいいです。考える時間が取れますからね。気分転換には最高です。