古代の話なのです。
それも、神武天皇の東征という、有名な話なのです。
高知県の安芸郡奈半利町に「延喜式」の神名帳に記載された神社、多気・坂本神社があります。
そして広島県安芸郡府中には同様に神名帳に多家神社の名前があるのです。
「古事記」(712年完成)にあるのは、神武東征の通過地点として阿岐国(あきこく)の多祁理(タケリ)の宮となっているだけなのです。
菅原道真によって編し始めた「延喜式」(927年完成)に同様に式内社として記載されているのですから、すでに当時双方に社殿があり、それぞれの地域において認知されていた神社ということになります。
高知と広島。場所は違えど、同じ安芸郡に多気神社と多家神社がともに存在したのですし、多気神社は坂本神社と合祀され、多家神社は平安以降所在がわからなくなり、江戸時代に松崎八幡宮と合祀されているのです。
結構、類似点があります。さらに興味を引いてくれます。
神武天皇の東征時期は紀元前という気の遠くなるような時期とされているだけに、誠に面白いのです。
神武東征のおりの多祁理(タケリ)の宮、奈半利の多気説を意識して、長い歴史に思いをはせましょう。神武の東征は高知県の沿岸部を移動して畿内に入っていたのです。
一時期的にでも日本の初代の天皇が、ここ高知県の東部、奈半利の地に7年も居たことになりますからね。
それに、こうした研究をしている方がたくさんいらっしゃるのにびっくりです。
研究者を集めて奈半利でシンポジウームでもやったら面白いかもしれません。
結論はすでに奈半利??。
研究を続けましょう。ってところでしょうね。
昭和28年に奈半利町役場から発行されている「奈半利町史考」(安岡大六著)にそうした記述がありますから、偉大なる先輩の意見は大事にしなければなりません。
研究の必要ありです。
古事記完成からすでに1300年ちかく、延喜式にしても1000年以上が経っているのですから、発想を自由にして、辛抱強くやらなければなりません。
昔々の話です。
それも、神武天皇の東征という、有名な話なのです。
高知県の安芸郡奈半利町に「延喜式」の神名帳に記載された神社、多気・坂本神社があります。
そして広島県安芸郡府中には同様に神名帳に多家神社の名前があるのです。
「古事記」(712年完成)にあるのは、神武東征の通過地点として阿岐国(あきこく)の多祁理(タケリ)の宮となっているだけなのです。
菅原道真によって編し始めた「延喜式」(927年完成)に同様に式内社として記載されているのですから、すでに当時双方に社殿があり、それぞれの地域において認知されていた神社ということになります。
高知と広島。場所は違えど、同じ安芸郡に多気神社と多家神社がともに存在したのですし、多気神社は坂本神社と合祀され、多家神社は平安以降所在がわからなくなり、江戸時代に松崎八幡宮と合祀されているのです。
結構、類似点があります。さらに興味を引いてくれます。
神武天皇の東征時期は紀元前という気の遠くなるような時期とされているだけに、誠に面白いのです。
神武東征のおりの多祁理(タケリ)の宮、奈半利の多気説を意識して、長い歴史に思いをはせましょう。神武の東征は高知県の沿岸部を移動して畿内に入っていたのです。
一時期的にでも日本の初代の天皇が、ここ高知県の東部、奈半利の地に7年も居たことになりますからね。
それに、こうした研究をしている方がたくさんいらっしゃるのにびっくりです。
研究者を集めて奈半利でシンポジウームでもやったら面白いかもしれません。
結論はすでに奈半利??。
研究を続けましょう。ってところでしょうね。
昭和28年に奈半利町役場から発行されている「奈半利町史考」(安岡大六著)にそうした記述がありますから、偉大なる先輩の意見は大事にしなければなりません。
研究の必要ありです。
古事記完成からすでに1300年ちかく、延喜式にしても1000年以上が経っているのですから、発想を自由にして、辛抱強くやらなければなりません。
昔々の話です。
まさか、ひっかかるとは思っていなかっただけに、とても嬉しく思います。
多氣さまは中学三年間ずっと秋祭りで浦安の舞を舞わせていただいた神社だけに、思い入れがあります。
また、書かれている考察は私としてもとても興味がわきました。
数多ある情報の海の中から、貴サイトと出会えたことに感謝。
多氣・坂本神社は高知県東部地域においては、真に貴重な存在なのですが、ほとんど資料もなく、苦戦しております。
研究をして教えてください。巫女さんが頑張ってくれると、御祭神もお慶びでしょう。