
よく解らぬ作品群のひとつが壺。解らぬことに挑戦したがるのが当方の悪癖というか、懲りないところ。家内も「南画と壺は解らない。」と申しております。正直なところ小生も同じ・・。
小さめの壺の代表格が世に言う「蹲」という壺、本日は「蹲」に分類するにはちょっと大きめの作品かもしれませんね。
*相変わらず「氏素性の解らぬ作品」としての投稿です。
氏素性の解らぬ作品 信楽壷 蹲? その3 時代不詳口に破損在 誂箱入
口径*胴径170*底径*高さ210

本ブログにおいては今さら、古信楽がどうの、二重口がどうの、桧垣文がどうのという講釈は述べるのも飽きるほど記述されていますので省略しました。

ところで「蹲」という名の由来は人が膝をかかえてうずくまるような姿からきていますが、もともとは穀物の種壺や油壺として使われた雑器を、茶人が花入に見立てたものです。

文献によれば江戸時代に入ると蹲という呼称が定着しています。古信楽の壺は大きいので、茶席には使えない。そこで蹲という小さめの壺なら使えるということで珍重したのでしょう。世の常で珍重した故に贋作だらけになったようです。

なお信楽の蹲は古いもので鎌倉末~室町時代から伝世していますが、数は非常に少ない?

口縁が完璧に残っているほうが評価はむろん高いのですが、古信楽においては口縁が破損している作品は数多くあります。

桧垣文があるほうが評価は高いですが、本作品の桧垣文はそれほど密度多くは描かれていません。また底には下駄印はありません。これらは真贋の決め手にならないでしょう。一般に贋作のほうが下駄底が多いようです。

ところで驚いたことに水を入れておくと底から茶色の水となって水が沁み出してきました。さては意図的に古色を付けた作か・・・。

種入れなどなんらかの用途に使われていた「うぶな作品」とするか、コーヒーや茶でなんらかで古色を付けたものか・・・。
どうも胎土に沁み込んでいる?? 贋作として口縁を破損させ、茶渋やコーヒーに漬け込んだ??? 骨董には思いもよらぬなにかが起こるようで・・。

水を複数回入れ替えると徐々に汚れは落ちて、かえって焼成時の色の対比が良くなってきました。古色を付けたなら余計なことをする輩がいたものです。そのような輩には構わず、当方はただ単に作品そのものを観る・・。さて本作品は・・。

所詮、壺はただの壺、真作だ贋作だ、室町時代だ、近代作だと騒ぐのは高値で売買するから。当方はこの大きさの壺壺は花を活ける器にしか過ぎないと・・・・。

さて、じっくりと色を抜き、乾燥させて鑑賞・・。

古信楽はかせた感じがいいものと自然釉の変化を愉しむものと極端に言うとふたつの愉しみに分かれるようですが・・。
小さめの壺の代表格が世に言う「蹲」という壺、本日は「蹲」に分類するにはちょっと大きめの作品かもしれませんね。
*相変わらず「氏素性の解らぬ作品」としての投稿です。
氏素性の解らぬ作品 信楽壷 蹲? その3 時代不詳口に破損在 誂箱入
口径*胴径170*底径*高さ210

本ブログにおいては今さら、古信楽がどうの、二重口がどうの、桧垣文がどうのという講釈は述べるのも飽きるほど記述されていますので省略しました。

ところで「蹲」という名の由来は人が膝をかかえてうずくまるような姿からきていますが、もともとは穀物の種壺や油壺として使われた雑器を、茶人が花入に見立てたものです。

文献によれば江戸時代に入ると蹲という呼称が定着しています。古信楽の壺は大きいので、茶席には使えない。そこで蹲という小さめの壺なら使えるということで珍重したのでしょう。世の常で珍重した故に贋作だらけになったようです。

なお信楽の蹲は古いもので鎌倉末~室町時代から伝世していますが、数は非常に少ない?

口縁が完璧に残っているほうが評価はむろん高いのですが、古信楽においては口縁が破損している作品は数多くあります。

桧垣文があるほうが評価は高いですが、本作品の桧垣文はそれほど密度多くは描かれていません。また底には下駄印はありません。これらは真贋の決め手にならないでしょう。一般に贋作のほうが下駄底が多いようです。

ところで驚いたことに水を入れておくと底から茶色の水となって水が沁み出してきました。さては意図的に古色を付けた作か・・・。

種入れなどなんらかの用途に使われていた「うぶな作品」とするか、コーヒーや茶でなんらかで古色を付けたものか・・・。
どうも胎土に沁み込んでいる?? 贋作として口縁を破損させ、茶渋やコーヒーに漬け込んだ??? 骨董には思いもよらぬなにかが起こるようで・・。

水を複数回入れ替えると徐々に汚れは落ちて、かえって焼成時の色の対比が良くなってきました。古色を付けたなら余計なことをする輩がいたものです。そのような輩には構わず、当方はただ単に作品そのものを観る・・。さて本作品は・・。

所詮、壺はただの壺、真作だ贋作だ、室町時代だ、近代作だと騒ぐのは高値で売買するから。当方はこの大きさの壺壺は花を活ける器にしか過ぎないと・・・・。

さて、じっくりと色を抜き、乾燥させて鑑賞・・。

古信楽はかせた感じがいいものと自然釉の変化を愉しむものと極端に言うとふたつの愉しみに分かれるようですが・・。