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夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

織部瓢形向付五客 伝江戸後期?

2022-03-30 00:01:00 | 陶磁器
先週末には駅前のお寺さんにて桜を家族で観てきました。入り口には本ブログにて最近紹介したような毘沙門天がマスクをしていました。



見事なしだれ桜・・・。



いよいよ花見到来ですね。



さて本日紹介する作品は「織部焼の五客の向付」の作品ですが、本ブログにて織部焼を紹介している作品数は志野焼共々、極端に少ない作品群であろうかと思います。



織部焼は近代作との判別が難しいことによるものとやはり優品が市場の出回る数が極端に少ないことと当方ではあまり知識を持ち合わせていないことに起因しています。当然いいものはかなり高価なものとなっていますので、当方には手の出ない作品群でもあります。



織部瓢形向付五客 江戸期
合箱
幅145~152*高さ47~52

五客が箱に納められています。おそらく古くからあるものではなく、後日にこの作品に合うものを誂えたのでしょう。



織部焼の歴史は下記のようになります。

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織部焼(おりべやき):古くは桃山時代の慶長10年(1605年)頃、岐阜県土岐市付近で始まり元和年間(1615年-1624年)まで、主に美濃地方で生産された陶器群。美濃焼の一種で、基本的に志野焼の後に造られています。



千利休の弟子であった古田織部の指導で創始され、織部好みの奇抜で斬新な形や文様の茶器などを多く産しています。当時の南蛮貿易で中国南方からもたらされ、茶人たちに珍重された交趾焼(華南三彩)を元にしたと考えられています。

大量生産のため、陶工加藤景延が唐津から連房式登窯を導入したと伝えられています。代表的な窯としては、元屋敷窯が挙げられ、開窯直後の慶長年間が最盛期であり、優品の多くはこの時期に造られたとされます。



織部焼には京風の意匠が用いられたことや、1989年京都三条の中之町から大量の美濃焼が発掘されたことから、ここから美濃へ発注されていたことが想定されるそうです。当時の三条界隈には「唐物屋」と呼ばれる、陶磁器や絵画、染織を売る道具屋が軒を連ねており、織部焼もここで売られていたようです。

また織部焼には、しばしば唐津焼と共通した文様が見られますが、これは唐津にも唐物屋から発注されていたことから起きる現象であろうと推察されます。 また、織部茶入というものが大量に伝わっており、美濃地方の他に九州の薩摩焼・高取焼などでも焼かれていたそうです。



元和年間に入ると、器形と模様の単純化が急速に進み、瀟洒な作風へ変貌しています。中之町発掘の美濃焼は改元直後に急いで廃棄された形跡があり、古田織部の切腹との関係が指摘されています。

この時期の代表的作品として、弥七田窯で焼かれた弥七田織部があげられます。弥七田織部は織部焼に特徴的な緑釉を殆ど用いず、形もより具象的です。元和末年から寛永初めになると、古典的青磁の復興を目指した黄緑色から淡青色の御深井釉を用いた御深井焼が本格化し、織部焼は姿を消しました。



近年まで古田織部が関与したことを示す資料が少なかったようですが、織部が上田宗箇を介して島津義弘に薩摩焼茶入について自らの好みを指示した書状が発見されたことや、京都の古田織部の屋敷跡から織部焼が発掘されたことから、伝承通り織部が関わっていたことが証明されつつあります。ただし、この名称が用いられるようになったのは、織部死後しばらく後の寛文年間頃からであり、一般に広まるのは元禄に入ってからです。古田織部の切腹により、急速に廃れた桃山時代から江戸初期にかけての織部焼ですが、江戸時代後期になって、瀬戸で初めて日常の器として生産されるようになります。



色:釉薬の色になどにより、織部黒・黒織部、青織部、赤織部、志野織部などがありますが、緑色の青織部が最も有名です。織部黒・黒織部は茶碗がほとんどであり、それ以外は食器類が大半を占めています。



形:文様整然とした端正な形を好み、抽象を重んじる他の茶器とは違い、歪んだ形の沓(くつかけ)茶碗や、市松模様や幾何学模様の絵付け、後代には扇子などの形をした食器や香炉など、具象的なものが多い。



生産技術:連房式登窯の利用や、木型に湿らせた麻布を張り、そこに伸ばした粘土を押し付けるという手法で、少し前の志野焼と比べ大量生産が行われた。木型に湿らせた麻布を張られたことから見込みには麻布の跡があります。

量産化された茶碗でありながら、同じ作振り、同じ模様で描かれたものはなく、当時の陶工の作陶姿勢において、一碗一碗違った茶碗を造るという意識が徹底していたことを物語っています。



釉薬:一般に「織部釉薬」といった場合は、透明釉薬に酸化銅などの銅を着色料として加え酸化焼成したものを言う。

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本日の作品は瓢箪形にした長方形の向付で、成形は型を用いているが、同一形ではなくむしろ器形の変化をねらった気配がします。見込み底は布を押し付けており、柔らかな焼成と緑釉の鮮やかさが見どころとなっています。



対面にある色濃い鮮やかな緑釉が印象的であり、見込みと外側には抽象的文様(格子に○や● 人物?)が鉄釉で描かれている。


本作品の製作時期は不明ですが、願わくば江戸後期くらいはあって欲しいものです。



底は素地のままで三方に美濃物独特の足がつけられています。 胎土はねっとりした柔らかさがあります。



少ないとはいえ、本ブログでは幾つかの織部の下記の作品を紹介しています。

はじき織部香合 江戸期
合箱
幅45~50*高さ45



この作品はアクセス件数の多い作品です。

次にちょっと面白い作品で、志野と織部の桃山期の合体時期の作品と思われるものです。非常に貴重な作品とされています。

志野織部獅子香炉
内箱:黒塗蓋(志野織部獅子香炉) 外箱:木箱(織部獅子御香炉)
高さ125*胴径110*長さ150



近代の陶芸家の作品では下記の作品があります。

於里遍(おりべ)窯変 割山椒 北大路魯山人作
黒田陶々庵鑑定箱 六客揃い 胴径115*高さ75



もちろん北大路魯山人の真作です。

織部大皿 鈴木蔵作
共箱
縦240*横525*高さ65



こちらは非常大きな作品です。志野茶碗の第一人者とされる鈴木蔵氏のよる織部の大作です。

ともかくいつの時代の作品でも織部は使う食器として愉しめるものですね。



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