夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

千手観音 伝木村武山筆 その7

2017-07-18 00:01:00 | 掛け軸
展示室は祈りや願いの作品が数々あります。



照らす照明も少し凝っています。これは展示室を設計した友人が即興で作った作品。



千手観音 伝木村武山筆 その7
紙本水墨軸装 所定鑑定人横山陽子鑑定 軸先プラスティック 共箱 
全体サイズ:縦*横 画サイズ:縦1390*横497



千手観音菩薩は仏教における信仰対象である菩薩の一尊です。「十一面千手観音」、「千手千眼(せんげん)観音」「十一面千手千眼観音」、「千手千臂(せんぴ)観音)」など様々な呼び方があります。



「千手千眼」の名は、千本の手のそれぞれの掌に一眼をもつとされることから由来しており、千本の手は、どのような衆生をも漏らさず救済しようとする観音の慈悲と力の広大さを表しています。



「代」は所定鑑定人の横山陽子女史によるもので、箱書の印章は他の所蔵作品「不動明王」に一致します。

 

箱書の木村武山の印章は不動明王」の作品中の印章と一致します。



作品中の押印については検証中です。神仏を描いた作品には基本的には落款、しいては印章する押印しない作品が多いようです。本作品はなにかの作品の下書きかもしれませんが、敢えて落款は著していない理由があるのでしょう。



左右のバランスがとれていないのも下書きと考えるのが妥当のようです。



昭和12年(1937年)に脳内出血で倒れ、郷里である笠間で静養し、後年は病で右手の自由が利かなくなったため左手で絵筆を執り、「左武山」の異名があります。



1916年(大正5年)、笹川臨風と共に大和・河内巡りをした際、観心寺の如意輪観音坐像に驚嘆したのを契機に後年は仏画を多く描きましたが、昭和17年(1942年)喘息によって死去しています。



本作品は仏画を描いていた頃の作品に相違ないでしょうが、脳内出血の時期との関係については不明です。



すさんだ事件の多いこの世に救いのあることをただただ願わざるえません。



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